マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-048【仁義と憧憬の間で-参】

「はい、お仕舞い」

 激突する二人の間に割って入ったのは、燃えるような緋色のマントをはためかせた、アレクシア。イングリッドのウルミを片手で掴み、エレインの剣を背中に担いだ大剣を引き抜いて防ぐ。

 両者の衝撃は、緩衝材となったアレクシアから地面へと伝い、衝撃波となって周囲の花々を散らした。舞い落ちる花弁が、交差して制止する三人を飾り、まるで絵画を彷彿とさせる情景。

 アクセルは不謹慎と思いつつも、その絵に見とれていた。ウルリカの心中はそれどころではなく、何とか無事収まったと溜息を吐く。

 イングリッドとエレインは、その刹那、事態を飲み込めずにいた。だが、すぐさま状況を理解し、柄に込めた力を解いて剣を納める。二人は互いに見つめ、黙してはいたが落ち着いた表情に変わっていった。

「……アレクシアお姉ちゃん、ありがとう。このまま続けていたら、どうなっていたか分からなかったから」

「構わねえさ。下のケツを拭くのが俺の役目だからよ」

 アレクシアは抜き身の大剣を背中に納めながら、笑みを湛えて答える。

「エレインは手加減を知らないのかしら。少しでも気を抜けば、どちらかが死んでいたわ」

 イングリッドは諸手を挙げて、呆れたように呟いた。

「ちょっ! それはないよお姉ちゃん! 開口一番に死線踏まされたの僕なんだけど!?」

 突然の罪の擦りつけに、エレインは驚いた表情で真っ向から否定する。

「はっはっはっ! 確かに、ありゃあ両者命懸けの真剣勝負、一歩踏み外しゃ死んでたぜ。だがまあ、良かったんじゃねえか? 言葉でなんかよりもよ、もっと近い距離で本音をぶつけられたんだからな」

 今しがた死闘を演じた二人を尻目に、大笑いするアレクシア。だが、その指摘は決して的外れなどではない。白刃という仲立ちを通じた、言葉を超える意思の疎通。

「……そう、だね。今まで、こんな風に手合わせしてもらったこと、なかったなぁ」

 エレインはイングリッドを真正面に見て、真っ直ぐに目を見合わせる。

「ありがとう、イングリッドお姉ちゃん。お姉ちゃんは、僕の覚悟を試してくれたんだよね。でも大丈夫、僕はもう迷わないから。お姉ちゃんと手合わせして、自分に正直な剣を振れたから」

 その手に握る、形見の剣を見つめる。刃に映る表情は、イングリッドを前にして、晴れ晴れとしていた。

「自分に嘘をついていた今までなら、きっとお姉ちゃんに真正面から立ち向かうことなんて、できなかったと思う。ウルリカがぶっきらぼうに背中を押してくれて、お姉ちゃんが強引に手を引っ張ってくれた。これって悪い意味じゃなくて、強引じゃなかったら、僕、変われていなかったと思う。だから、ありがとう」

 エレインはイングリッドに対して、虚飾のない純粋な気持ちを語った。そして、素直に微笑んだ。

「大層好意的に受け取ってくれるものだわ。私はただ気に入らなかっただけよ。貴女のような磊落らいらくに生きるべき人間が、長いこと手をこまねいているんですもの。自らの天性を良く理解した方がよろしくてよ」

 イングリッドは相も変わらず憎まれ口を叩くが、その本心はエレインに十分届いていた。

 五年前、学舎でエレインに語ったこと、それは引きの言葉。無理矢理では彼女の為にはならないと、自身の愚かな境遇と照らし合わせた教訓を伝えた。だが、それではエレインのような頑固者を、周囲が勝手に敷設ふせつする期待という名の軌条から逸らすことはできなかった。だからこそ、押しの行動に出たのだ。

「らしくもねぇやり口だったが、なかなかどうして。イングリッド、見直したぜ。お前にも赤い血潮が流れてたんだなあ!」

 アレクシアは再び大笑いを上げながら、イングリッドの肩を強く叩こうとする。だがイングリッドは、涼しい表情でその手をスルリと躱す。

「その手には乗りませんわ、姉様」

 イングリッドはそう言って、その場を後にする。何事もなかったかのように歩を進め、玄関に向かっていった。

 ウルリカたちの側を通る。イングリッドに向かって、ウルリカは呟いた。

「やるじゃない。とっくに吹っ切れてたのね、あんた。あたしも見直したわ」

「あらそう、どうも。誤解でなければいいけれど」

 ウルリカの賛辞を横目に、表情も崩さず軽く往なして、イングリッドは家に入っていく。その背中を見遣りながら、「素直じゃないわね」と首を振った。

 イングリッドの去っていく後ろ姿を、二人は眺めていた。そのそっけない態度の裏にある真心に振れたエレインは、後ろめたい気持ちでイングリッドを見送ることは、もうなくなっていた。

「まあ、昔っからあんな奴だが、根は悪いやつじゃねえ。掴みづらい性格だろうが、家族として仲良くたのむぜ」

「うん、もう大丈夫だよ。イングリッドお姉ちゃんの気持ちを知ったから。ううん、僕が勘違いしてただけ。お姉ちゃんは冷たいんじゃなくって、ただ素直に言わなかっただけなんだ。素直に言われたって、ウンと頷く僕じゃないからさ。僕なんかよりもずっと、僕のことを考えてくれてたんだ」

「そうか……あいつはさ、あんなんだから、よく勘違いされんだ。寡黙な上に、多方面で優秀だろ? 官庁で働いている時も、野心旺盛な野郎には目の敵にされたり、あらぬ噂を流されたりしてよ。自分だけでも精一杯だってのに、何だかんだで面倒見の良い奴なんだ。だから周囲からは澄まし顔のいけ好かない女だって煙たがられてよ」

「そう、だったんだね……」

 エレインは俯いて、イングリッドの境遇を想像する。彼女がいかに、影の努力に裏打ちされる自らの実力で、目の前に横たわる障害を幾度となく跳ね除けてきたかを。

 それは、生半可な精神では堪えきれないものだったはずだ。その心中を察するには余りあるものだが、そんな強靭なる意志を貫くイングリッドがわざわざ気にかけてくれたことを、エレインは心から誇りに思った。

「――それはともかく、だ」

 アレクシアはそう言って、周囲を見渡す。二人の死闘によって無残な光景となった庭園を望み、肩を落とした。生垣は垣の役割を失い、花々は花弁を削ぎ落とされ、切り揃えられていた芝生は抉り取られ、地肌は凸凹となっていた。

「こりゃあ……親父はともかく、お袋がご立腹だな。庭師には俺から口添えしておくか」

「ごめんね、お姉ちゃん。僕たちが張り切っちゃったせいで」

「構わねえさ、庭は整え直せばいい。だが、人の心ってのは、日々気をつけちゃいても、手入れが難しいもんだ。その片がついたんなら、これくらい安いもんさ。まあ、お前が信心深いんなら、こいつらに詫び入れといても、罰は当たらねえと思うぜ」

 アレクシアはそう言って、見る影もない庭の草花を親指で指差す。エレインはその言葉に頷き、膝を折って一輪の花に手を伸ばす。エレインは一言「ごめんね」と呟いた。

「マジでやるとは思わなかったぜ。律儀だな、エレインは」

「なんだよぉ。僕もお姉ちゃんみたく大概男っぽいって言われちゃうけどさ~」

「おいおい、男の子に間違われるエレインと一緒にするんじゃない。下馬評げばひょうに反して俺は案外モテるんだぜ? まあ、擦り寄ってくるのはヒョロヒョロの骨みてえな野郎が大半だがよ……」

「ぷふふっ、なにそれ~! やっぱりたくまし過ぎるのが問題なんだよー」

「しょうがねえだろ? 戦いの渦中で応えてくれんのは筋肉だ。なら俺も筋肉に応えねえわけにゃいかねえのよ」

 そう言って肘を曲げ、こんもりと膨れ上がる上腕二頭筋を、これ見よがしに披露するアレクシア。その腕にぶら下がって揺ら揺らとはしゃぐエレイン。二人はまるで子供のように、他愛のない話に花を咲かせていた。それを見ていたウルリカは、溜息を吐きながら踵を返す。

「はあ、バカ二人ほっといて行くわよ、アクセル。無駄に神経使っちゃったじゃない」

「だけど、なんだか嬉しそうだね、ウルリカ」

 ウルリカはそう言われて、ハッとする。口元に手をやると、自然と顔が綻んでいたのに気付いた。彼女は途端に紅潮して、隣りで微笑むアクセルの鳩尾みぞおちに肘を入れる。

「う、うるさいわね。バカバカしくって嘲笑ってるだけよ。バカ」

 フンッ、と鼻を鳴らして、ウルリカはアクセルを置いて、扉を開けて家の中に入っていく。彼は壁にもたれ掛かり、折れそうになる膝を支える。その顔は苦痛に歪んでいたが、同時に微笑んでいた。

「はは、どっちが素直じゃないんだか」

 空は次第に色味を失っていき、地上には夜の帳が下りてくる。波乱に満ちた一日は、落日とともに幕を閉じた。

 本作戦の始動まで、あと五日。

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