マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-042【因縁の先に結束を視る-参】

「で、結局のところ、あたしの見落としってなんなのよ。言ってしまえば、つい半年くらい前に、父上からの推挙によって、ヴァイロン王から勇者の任を賜ってから、世の中大したことなんて起きてないじゃない。変なことって言えば――あ」

「クックック、見当がついたか? 貴様ほどの器にしては推考が鈍かったのではないか?」

 ウルリカは、自分が懸念していた最大の事柄の失念に、苦虫を噛み潰す思いだった。しかも、ゴドフリーに促されていながら。

「ぐっ、うっさいわね。あんたも事ある毎に盗み聞きする性癖、直したほうがいいわよ。どうせグラティアの一件でしょ? 事実上の魔物化を果たした夭之大蛇ワカジニノオロチ。あいつは体内に魔石を宿してた。しかも所詮は触媒でしかない石自体が魔力を持ってた。その異常事態が本題ってわけね」

「ご名答。研究機関では飽和魔石と呼称している。あれは、極めて異常な事象だ。現にそれが確認されてから、数年間を遡って魔物の分布や凶暴性、あらゆる統計記録を洗い出した。その結果、僅か一年前から、魔物の急激な活性化が見て取れた」

 ゴドフリーの感じている危機感が、周囲に伝播していく。

「最初の確認は、兵団長ジェラルド率いるアウラ第二国境駐屯兵団が討伐した鼬寐ユウビなる魔物なのだ」

「なんですって? いや、それあたし達の加勢してた一件じゃない。でも、夭之大蛇ワカジニノオロチの時みたいな、理不尽な生命力も、不気味な魔力の気配もなかったわ」

「だろうな。実際、確認されたのはごく僅か。重さにして一gに満たない程。暖炉の火種になれば良い程度だ。だがそれは、魔物の死後であるにも関わらず、確かに魔力を擁していた。前例の無い現象だ」

「じゃあその魔石は自然発生のモノじゃないってことね。誤って魔物が誤飲した、なんてくだらない話じゃないと」

「ああ。研究機関の間では、にわかに信じがたいが、魔物の体内で生成されたか、もしくは――人為的に埋め込まれたのでは、とも言われている」

「そんなこと誰がすんのよ。そりゃ、石に魔力を注ぐには人の手が必要だろうけど」

「そこはわからん。まあ、考えたところで無意味でもある。なにせ、世代間で継承されてしまうそうだ。もはや、魔石を擁した個体をしらみ潰していく、そんな対処も不可能となった」

 その言葉にウルリカは溜息を吐く。しかし、ゴドフリーはむしろそこから、より一層顔が険しくなっていった。

「目下、魔物は実質的縄張りであるパスクの北上を確認した。これは大陸各機関と楼摩が捉えた事実だ。ここ数年間の不安定な内政、三国間での協力体制不和、そして勇者の否認。現状、最も大きな穴が空いたセプテムに、魔物どもが押し迫ってきているのだ」

「ちょっと、一大事じゃない。それを先に言いなさいよ、内政問題なんて比じゃないわ」

「更に、だ。飽和魔石に関して、最大にして最悪の事象を確認した」

「はあ……もうなによ、勿体ぶらずに全部言いなさいよ」

「あれは、以前から通信機構があると、研究機関から推測されていた。だからこそ、その立証のためグラティアの女王マースを通じて、手頃な貴様らに特級の魔物の調査と討伐を命じたのだ。奴は渋っていたがな。だが結果、研究機関の推測は当たっていた。最悪なことにな」

「――ッ」

 ウルリカは目を見開いた、次の言葉に詰まる。ゴドフリーの悪辣さもさることながら、その事実は彼女の想像していた最悪の展開だったからだ。

「元来、魔物は生態的に異種間で共同性を持たない、とされてきた見解を覆す発見だ。魔物は今や、ある種の連携を取っている。距離という隔てさえ無視してな。飽和魔石は昨今の発見だが、これで二百年前の“人魔大戦”時に――不完全ではあったが――魔物が異なる種で群れをなしていた事象にも合点がいく。そして現在、文字通り大群をなしている。何らかの共通した目的からパスクを一斉に北上しているのだ」

 ゴドフリーの言う“共通した目的”という言葉に引っかかるウルリカ。目的……? 目的という言葉を、なぜ敢えて使った……? だが、彼が魔物の目的を知っていようが知るまいが、それを問うたところで、はぐらかされることを知っている。色々な想いから、深い溜息が漏れた。

「はぁ……まずいことになってきたわね。まあ、人魔大戦は遅かれ早かれと思ってたけど。それより連中、無尽蔵に湧いてくる上、集団行動にも適応し始めてるなんてね。元来の動物性を取り戻した、なんて可愛らしいお話しじゃないわ。それで早いとこセプテムの内政を安定させなきゃいけないってことね。ますます協力せざるを得ないじゃない」

「由々しき事態だ。本来なら内輪の紛糾なぞに関わっている状況ではない。だが、魔物の標的とされたのが彼の国なのであれば仕方あるまい。基本、大陸の事情に干渉を持たない楼摩すらも動いている、この状況ではな」

 ゴドフリーの鬼気迫る表情に、場の緊張は切迫していた。

 一行は皆が皆、事情の全てを理解できているわけではなかったが、現在陥っている状況のおおよそを汲み取ることができていた。それが、どれほどの危機的状況であるかということ――つまりは、二百年前に勃発した人魔大戦が、再び繰り広げられようとしているということを。


―――


「――もう一つ疑問があるのよね」

 ウルリカは、今ここで逼迫した精神でいることに意味はないと考え、強引に話題を変えた。

「あんたがアウラでやってきたことを鑑みれば、ハプスブルクに目をつけられる理由が見当たらないわ。公然と国家運営の指揮を執るアレと、裏側で国際平和の橋渡しするあんたは、謂わば表裏の存在。どちらが欠けてもこの国、いや世界の均衡は保たれないわ。アレがあんたの事情を理解してないとは到底思えない。あんたたちの関係性が見えないわ」

「妥当な疑問だが、これは簡単な話だ。野郎と俺の反りが合わない、それだけだ」

「なによそれ……いや、あんたの話を聞いてれば分かりそうなことね。あんたは急進派、アレは穏健派ってとこかしら」

「クックック。まあ、傍目からではそうなるだろうな」

「えっ? なによその意味深な含み笑い」

「野郎はな、俺なんぞより余程狂っているんだよ。あいつは、ありとあらゆる出来事が、己の見下ろす盤上で起こっているとでも思ってやがるのさ。野郎が付き従うヴァイロン王は、常に未来しか見ていない。あいつも狂っちゃいるが、代わりに宰相である野郎は、現在しか見ていない狂人だ。王が示す羅針、その一寸先に障害があれば、何であれ排除する男だ。王の意思に関係なく、な」

「……はぁ、変人ばっかりね、この国の上層は」

 ウルリカは溜息を吐いて項垂れる。変人と示した者は、ヴァイロン王やハプスブルク、それにゴドフリーや父レンブラントも含まれていたようだ。

「四年前、俺が野郎にとっての障害となった。勇者に頼ること無く、世界の変革を望んだからな。まあ、そういう意味では俺は確かに急進派だ。結果は……周知の通り、貴様という勇者が例に漏れず現れた。俺は……勇者が一種の機能として見做みなされていることに虫酸が走るのだ。この千年と続く、今ある人類の平和は、百もの勇者の屍の上に築かれている。それをただの一度も、世界は抜本的解決に乗り出したことはなかった。常にこの世界の命運は、勇者という若く優秀な人間に背負わされてきたのだ」

 勇者という存在自体は、誰しもが知っていた。親が子に聞かせる御伽噺や、学舎の教科書に語られているからだ。だが、そこで語られるのは、神話に登場するような、超人的な勇者の姿だ。ゆえに、民衆が抱く現実の勇者など、単に儀礼的であり栄典の一、という認識でしかない。その存在がこの世界において、どのような役割を持ち、どんな人物が選ばれるかなど、そのほとんどが世に言及されない。国家機関に関わるごく僅かな人間だけが、その正体を知るのみだ。

「おかしな話だ。無数の雁首がんくびを揃えながら、人類は勇者に千年も縋り続けている。既得権益を貪るしか能のない連中もまた、勇者たちによって生かされている。俺は我慢がならんのだ、この状況が」

 それは、勇者という存在を、その意味を、その価値を、見守り続けてきた者だけが語る言葉。世界が依存し続けるには、あまりにも小さな背中なのだ。ただの人間には荷の勝ちすぎる重責を課す世界の在り方に、ゴドフリーは憤りを見せた。

 ウルリカは、レンブラントの言葉を、今以って理解した。父が正義だと感じたその信念。それは、勇者が超人でも神の御使いでもなく、人類の中で少しばかり優秀なただの人間なのだと理解する、ゴドフリーの精神性だったのだ。

「案外、センチメンタルなのね。ま、でも同意はするわ。あたし自身、重荷だとかちっとも感じちゃいないけど、これだけ勇者を秘匿にしながら依存しきってる世界の在り方は、確かに危ういわ。勇者が誰も彼も聖人君子ってわけじゃないし、人類最強の戦士ってわけでもない。所詮は一個の人間、望む生活があって、食べたい料理も着たい服もあって、愛する人がいる。自分の意思がある人間だもの。その尊厳が、世界の思惑に押しつぶされるってなら、あたしはその思惑をぶっ潰すつもりで勇者になったの」

「……クックック、貴様は随分と世界に反抗的な勇者だ」

「あんたもね。平和の使者にしちゃ、随分コワモテだわ」

 二人は互いの言葉に笑い合う。それを合図として、結託は成立した。レンブラントは微笑み静かにながら頷き、目論見通り二人は意気投合したのだと認めた。終始、ゴドフリーの隣で静かに聞いていたサルバトーレは鼻であしらう。ルイーサはホッとしたように、胸をなでおろす。

 アクセルとエレインはポカンとしていたが、二人とも一つだけ理解したことがあった。二人は、勇者という存在を、それを全うした過去全ての者達を、憂いているということ。たとえ勇者と言えど、その誰もが“ただの人”であったということを。その者の人格も希望も尊厳も、全てを投げ打って初めて、今の平和が成立しているという事実を。

 エレインは勇者の一員だという事実を振り返り、覚悟を改める必要があると感じた。そしてアクセルもまた、その勇者本人であるウルリカを案じ、その身を徹する覚悟を改める。どれほど傍若無人に振る舞ったとしても、彼女もまた怒り、悲しみ、楽しみ、喜ぶ、“ただの人”であることに変わりはないのだから、と。

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