マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-041【因縁の先に結束を視る-弐】

 ローエングリン家邸宅の客間。一行はゴドフリーに倣い、蘇芳色を湛えた革のソファに腰を下ろす。

 箱馬車の窮屈かつ臀部が痛くなる硬質な座席とは違い、羽毛が敷き詰められた生家のソファは、座った瞬間に包み込まれるかのように柔らかかった。エレインとアクセルは風船から空気が抜けていくように、腰を下ろすと同時に息が漏れる。ハウスキーパーのモニカがオロオロと危なっかしく淹れた紅茶を口にして、再び息が漏れた。その全てが、二人の心身の凝りを解きほぐしていく。

「いやぁ、ただ乗ってるだけとはいえ、何日も馬車の中で過ごしてると、身体が凝っちゃって凝っちゃって」

 エレインは大きく伸びをしながら話す。コキコキと小気味の良い音を鳴らすと、まるで身体中の関節が調整されていくようだ。

「はい、僕も油断して始終吐き気に見舞われましたから、ようやく生きた心地がしますよ」

「あはは、そうだね……あれは、キツかったね……五感を刺激してくるって意味で」

 青ざめていた顔に血色が戻っていくアクセルと、地獄絵図の馬車内を振り返って後悔し青ざめるエレイン。二人は、話について行けないというより、むしろ説明する気がない周囲の意図を察してか、我関せずといった姿勢に転換していた。

 ウルリカはゴドフリーの正面に座り、顔を突き合わせた格好となる。二人は静かに互いを見据えていた。それは利用するに足る相手かどうかを値踏みする視線。互いの目的達成の為に動ける人間か、そもそも目的を果たすに足る実力と意志を持つ人間なのか。査定は既に、会話の前から始まっていた。

 最初に沈黙を破ったのは、周囲の予想に反して、意外にもゴドフリーだった。

「俺は――アナンデール家は聞きしに及ぶ通り、アウラとセプテムに蔓延はびこるならず者どもを仕切っている。無論、貴様に世話になったルカニアファミリーもな」

「もちろん知ってるわ、あんたが両国のマフィアを裏で率いてるってことは。あたしも勇者って公的な立場柄、あんたがあからさまに敵対してるハプスブルクとも通じてるから、そっちの動きは筒抜けてるの。まあ、六年前のマフィア界隈沈静化って国務以来、そっちの内情には割合通じてるって自負してるわ。今でも時折、知人や国家機関を伝って仕入れてるしね」

 互いに裏社会を知る者同士、界隈の現状確認と、理解度の開示から入った。謂わば確認作業、互いの上辺を知っている前提での話題提起だった。

 これは、どちらかが不利益であってはならない、という協力関係の公平さを担保するため、互いに手持ちの札を徐々に公開していく、取引としての対話。そしてそれは同時に、精神的牽制でもある。少しでも出し惜しむ態度や動揺を見せた時点で、相手をやり込める意思があると判断できるためだ。

「それで? 現状あたしにとってあんたを判断する材料は、裏社会を取り仕切る裏ボス、っていうきな臭い事実しかないわ。今のとこ有益になりそうなのは、そこの二枚舌が嵌めた魔力で神経系を繋ぐ義手、そいつをアクセル用に取り寄せてくれそう、ってことくらいなんだけど」

「貴様の判断は尤もだ。だが、貴様は一つ、大きな見落としをしている」

「見落とし? あたしが?」

 ゴドフリーは人差し指を立てて、ウルリカに指摘する。彼女は思考を巡らし、自身の落ち度を手繰り寄せる。恐らくは、といった不確かだが思い当たる節を見つけた。

「あたしに無くてあんたにあるって言ったら、一つしかないわ。セプテムの内情でしょ? マフィアの大本営はこっちアウラよりむしろあっちセプテム、ならあんたの本業からしてあっちセプテムに精通しててもおかしくない。情報統制の厳しい彼の国で出回ってる報道なんて現政権と革命軍が緊張状態にあるってことくらい。でもそれは表向きの話し、実は公になってない事情――それも、表向きの事情なんて問題じゃないくらい深刻なんじゃない? あんたみたいな人間が妙に勿体つけて訳ありっぽく話すってことはね」

「……察しが良くて助かる。では、順を追って話していこう。まず、マフィアを統率するボスという事実は、隠れ蓑の情報でしかない。俺の大本営は“革命軍”にある」

「革命軍ですって? 現体制はマフィアとの癒着があるって聞くわ。それを潰そうとしている革命軍に、わざわざ肩入れする理由は何?」

「俺の目的は、勇者のそれと同じだ。似通ったものと言った方が語弊はないだろうが」

「……」

 ウルリカは押し黙った。アナンデールとそれを取り巻く存在は、基本的に利益集団だと考えていた。しかし、ゴドフリーの言葉をそのまま飲み込めば、レンブラントの言葉にも合点がいく。

 父の方を見ると、彼は黙して相槌を打った。他者の為人を見抜く力は昔から鋭かったと、ウルリカは知っている。一先ず信用することにして、話を続けた。

「……ってことは、あんたの目的ってのは、魔物の頭を叩くってこと?」

「貴様は勇者の真実を、未だ知らない。貴様が真に勇者足れば、その功業の過程で知ることなる。そして、選択せねばなるまい」

「どういうこと? あたしが知っている勇者の存在意義……それだけじゃないってこと?」

「いずれ知ることになる。今はまだその時ではなく、必要もない。だが――何の因果かは知らんが――勇者に必定して課される試練の一つを、俺が担うことになりそうだ」

「……話が見えてこないわ。話題を逸らしちゃったようで悪いけど、戻させて頂戴。あんたは革命軍が大本営って言ったわね。それで? 革命軍に肩入れする意味はなに?」

「革命軍の指導者はレギナ・ドラガノフ。こいつはセプテムの人間ではない。極東の島国、楼摩の使者だ」

 楼摩は極東に位置する島国。表立っては、千年前からほとんどの国交を断絶した立憲君主国。渡航はおろか、交易すらも制限されている。その存在はウルリカたちにとって、地理学の一環として教科書に僅かな言及があるに過ぎない国家だった。

「それって、どういうことよ。楼摩なんてほとんど鎖国状態じゃない。大陸の事情にほとんど関与しない浮世離れした国が何の用よ」

「表向きは、だ。千年前までは、大陸との公的かつ活発な国交があった。千年前、と言えば察しの良い貴様ならば分かるだろう?」

 何かを察したかのように、ウルリカの眉が微かに動く。

「そうだ、国交は今でも続いている、公にならない形でな」

「それって、千年前に突然現れた魔物……それに対する抑制……その肝心要が楼摩ってこと? でも、ならなぜ公に大陸と手を組まないの? いちいち秘密にしておく意味ある?」

「肝心要だからだ。楼摩は勇者の機能の一つ、抑止力としての側面に最も寄与している――そう、その抑制を維持しているのが楼摩であり、それを乱されるということは、人類存続が危ぶまれると言っても過言ではない」

 現状、ゴドフリーの言う“抑止力”という意味もその重要性も理解しているのは、勇者ウルリカ、アナンデール家当主ゴドフリー、ローエングリン家当主レンブラント、極めて例外的立場にあるルイーサの四人だけ。ゆえにウルリカ達は、これが重大な事態だと理解していた。

 世界の秩序である楼摩が、セプテムの革命軍に与する。それの意味するところとは、彼の国の不安定な政治情勢が、今後世界の平穏を乱す一因となるだろう、ということ。どのように影響を及ぼすかは定かではないが、いずれにせよウルリカは直ちにセプテムの内政を解決する必要があると判断した。

「そう……何となく見えてきた。あんたの裏の顔は楼摩との国交大使ってわけね。アナンデール家は治安維持のため社会の暗部を取り仕切ってた。それだけじゃなく、あんたたちは抑止力をも維持するため動いてた。なんで楼摩がそんな役回りなのか、までは聞かないわ。どうせこれも勇者の功業の過程で、ってことなんでしょ」

「まあ、そんなところだ」

「ともかくセプテムの件は、あたしも協力させてもらうわ。只事じゃないしね」

「貴様の実力は、これまでの対話でおおよそ見当がついた。無論、グラティアでの一件も聞き及んでいる。貴様が全面的に協力すると言うのであれば心強い」

 ゴドフリーは深く頷いた。漆黒の意志は、ウルリカを既に許容していたようだ。

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