マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-037【一葉落ちて天下の秋を知る-壱】

「よお! 元気してたか? イングリッド!」

「あら、随分と粗野な熊が現れたかと思えば、アレクシア姉様」

 膨大な書類が山のように積まれた事務机を前に、深い色味を湛えるウォールナット造りの肘掛け椅子に姿勢良く腰を下ろし、涼しい表情で淡々と文書作成をこなすローエングリン家次女イングリッド。その眼前の扉を勢い良く打ち開き、満面の笑みを湛えて、廊下にも響く声量で快活に声を掛けてくる同家の長女アレクシア。

 そこはアウラが誇る城郭都市の中心に位置し、王城を中央として取り囲むように行政機関の庁舎が設置されていた。その中でも国家財政を取り仕切る大蔵省、特に国家予算の編成や企画立案を担当するのが主計局と呼ばれる。そこがイングリッドの配属先だった。

 大蔵省の庁舎は中庭を囲うように口の字状に設けられ、地下も含めて三層構造となっている。庁舎の外壁は、清廉さと潔白さを表す、純白のレンガ。玄関前には、上部の突き出したうつばりから伸びる、乳白色の大理石でできた支柱がそびえ立つ。

 玄関先には大きく円状の窓口が設けられ、付近には幾らかの腰掛けが置かれていた。そこから右手に向かうと、主計官らが忙しく業務をこなす事務室の並んだ回廊が続く。突き当りの角部屋には、“国防予算係長担当室”の表札が掲げられていた。

 弱冠二十四歳にして国防省の予算査定を一手に担う係長を担当し、かつセプテムとの外交をも兼務するイングリッドが、一人その部屋を使用していた。

「お久しぶりですわね。軍部で忙しく指揮を執るアレクシア姉様が、わざわざ足を運んできた……ということは、先の知らせのことでしょう?」

 彼女は走らせていた筆を止め、流麗な物腰で椅子から立ち上がる。靡く艶めいた藍色の髪、深く光る紺碧こんぺきの瞳、痩躯な輪郭を見せる絹地の白衣は、凛としつつも艶やかな魅力を現していた。

「ああ。なんでもよ、ウルリカが勇者の功業にルイーサを連れて、道中でアクセルとエレインを引き抜いたんだとさ。しかもその旅先で、アクセルが特級クラスの魔物に片腕を持ってかれたってんで、飛んできたんだよ!」

 大きな身振りで声高に話すアレクシア。その鍛え抜かれた屈強な肉体は、イングリッドとは対照的だ。燃え盛る炎の如く波打つ紅髪と、ギラリと輝く蘇芳すおうの瞳、そして木綿の晒とデニム地のホットパンツにマントを羽織るという極端な軽装は、彼女という人間がまさに烈女たらん証左に他ならない。

「小耳に挟んでおります、姉様。あの愚妹のことですから、何をしでかすか予想もつきませんわ」

「はっはっはっ! あいつは相変わらずだよなあ! いつまで経っても反抗期が終わらねえ。今度は勇者の在り方に噛み付いてやがる。可愛い奴め、今度会ったらハグでもしてやろうか」

 高らかに快活な笑い声を上げるアレクシア。そんな彼女をよそに、静かな顔で髪を弄るイングリッド。彼女の目は、アレクシアがわざわざ自分に伺いを立てた、その真意を見抜いていた。

「姉様。それだけを言いに足を運んだ……わけではないのでしょう?」

 などと聞く妹に対し、不思議そうに眉を上げて頬を掻く姉。

「――うん? いや、本題はあいつらの事だが?」

 腰が抜けそうになるのをぐっと堪える。イングリッドは呆れた顔で、

「……姉様はいつもそうですわね。興味関心事があれば、世界の情勢など意識の外。先見の明はお持ちですのに、宝の持ち腐れも甚だしいものです」

 そう言うと、アレクシアは髪を掻きながら照れくさそうに返す。

「おいおい、そう褒めちぎるなよ」

「褒めてはいないのですが……」

 アレクシアの本気で照れる様子に、とことん調子を狂わされるイングリッド。頭を抱えながらも、彼女にとって重要な本題へと話を移す。

「……北方セプテムの革命軍の動きが活発となってきておりますわ。形式上、立憲君主を掲げる彼の国で、エフセイ・ボブロフが王位に就いて独裁を敷いてから二十余年、国民の不満は革命運動へと遷移。革命家レギナ・ドラガノフが中心となって、革命軍は日に日にその数を増やしております。決戦の日は刻々と近づいていると考えてよろしいでしょう」

 イングリッドはそう一息に話した後、少し間を置いて続ける。

「ここまでは姉様もご存知のことと存じます。セプテム政府と革命軍との緊張は過去最高潮ですわ。いつ火蓋が切られてもおかしくない状況と見て相違ありません」

 その真剣な口調にも気に留めること無く、アレクシアは表情を変えずに返答する。

「なんだその話か。それは今日の副題として持ってきてたんだ」

「副題って……」

 アレクシアは事務机に手をつき、不満げなイングリッドを上向きに見る。彼女は表情を一向に変えず、淡々と語った。

「俺は、革命軍に加勢しようと思っている」

 あまりに唐突な言葉に、イングリッドは目を見開く。しかし一呼吸置いて、冷静に言葉を返した。

「ありえませんわ。姉様は千年続く不可侵条約を犯すおつもりですか?」

「大陸の均衡を崩す真似はしないさ、当たり前だ。国家として動くんじゃない――勇者として動くんだ」

「姉様、それは――」

 イングリッドの言葉を遮るように、扉を叩く音が聞こえた。開きっぱなしだった出入口の前に、一人の公人が立っていた。

「お話し中のところ失礼致します。これより、ハプスブルク卿との軍事予算会合が始まりますので、急ぎご出席の準備をお願い致します」

「――ええ、承知致しましたわ」

 イングリッドは振り返ると、ハンガーに掛けた紺碧のカシミアで編まれた燕尾服を取り、袖を通す。衣服を整えると、再び公人に向き直り、

「あと、ハプスブルク卿には一人、出席者が増えたとお伝え下さいな」

 一言、そう伝えた。


―――


 ウルリカ一行はグラティアで一ヶ月の療養期間を経て出国。魔石を主要な交易品として切り開かれた交易路、ヤクト川沿いに国を縦断して伸びるジェムロードを一週間ほど渡り歩き、アウラに入国していた。砂漠を抜けると、そこは青々と草木が茂る平原が広がる。地平線が望めるほどに傾斜の緩やかな地形、一行にとっては見慣れた風景だった。

 一行はローエングリン家邸宅へと向かう。これまでの報告と、これからの計画を立てるために。

「はぁぁぁぁぁ……気まずいなぁ」

 舗装された街道を行くウルリカ一行が乗った天蓋付きの箱馬車の中、ウルリカの対面に座るエレインは項垂れて弱音を吐き続けていた。その弱音は、日に日に増しているようだ。

「うっさいわねぇ! 何回言えば分かるのよ、もうどうしようもないの! あんたはもう勇者の一人、胸張って父上に報告なさい!」

「う……うぇぇぇぇぇ……」

 ウルリカの隣に座るアクセルもまた項垂れていた。顔面は蒼白、手で口を押さえて、必死に上ってくるモノを飲み込む。

「あんたもうっさいわねぇ! 窓から遠くを見なさい、遠くを!」

 ウルリカは項垂れるアクセルの頭を片手で掴み上げ、外の景色が見える小さな車窓に顔を近づける。もう片方の手でアクセルの背中を擦り続けた。

 ウルリカの対角線にはルイーサがいた。比較的大人しくはしているものの、狭い馬車の中で、あろうことか機関銃を分解し、油を差し始めた。

「はぁ!? あんたバカじゃないの!? こんな狭い空間で鉄の塊なんてバラしてんじゃないわよ! しかも油差しなんてそれこそ屋外でやりなさいよ! 臭いが篭るじゃない!」

 ルイーサはウルリカの言葉に軽く首を振り、真剣な表情を湛えながら言葉を返す。

「いいえウルリカ様、これは鉄の塊ではございません。機関銃、と申します」

「うっさいバカ! 頓珍漢か!」

 絶え間ない言葉の応酬、途切れることのない活気。

 少々呆れつつも、その賑やかさを懐かしく思い、追想する御者。かつて仕えた主人からの遺言により、帰る場所を失ったエレインを、ローエングリン家まで送り届けた、その人だった。それ以来、当家との付き合いを深め、こうやって時折、来客や家族の送迎を仰せつかる立場となっていた。

「こうやって、エレイン様とローエングリン一家が揃うのは、何年ぶりだろうか……」

 御者は感慨深くしみじみと考えた。みな散り散りとなっていったローエングリン家。父レンブラントや母マルセルは、いつでも笑顔を絶やさない物腰柔らかな人物だが、それでも産み育てた子供たちが巣立っていく度に、その隠しきれない悲哀の情が見て取れた。

「お……オロロロロロ……」

「バッ……! 本当に吐くんじゃないわよっ! せめて吐く前に吐くって言いなさいよぉー!」

 色々と諦めた表情の御者。「きっとお館様も、この異様な活気が帰ってくれば、寂しさも吹き飛ぶはず」と、頭を抱えながら、前向きな考えに傾倒する。

 一行の帰りを待っていたかのように、連綿と続く平原の遥か地平線から、少しずつ見慣れた邸宅の輪郭が見えてきた。

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