マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-031【潜入と刺客と術中と-弐】

「離れてなさい!」

 ウルリカの掛け声が下水道内に響き渡る。

 直後、ウルリカは頭上に空いた導管に向かって、手に持った緋色と碧色に輝く二つの魔石を放り投げる。導管に魔石が投入されたと同時に、

「『巻き上がれ旋風のフロギストン、すべからく灰燼せよ原初のプロミネンス! 焔旋砕破フラクテイン!』」

 ウルリカが機を見計らい詠唱する。すると、まるで竜巻の目の如く、頭上の導管へと風が勢い良く吸い込まれていき、眩い閃光が漏れ出してくる。下水道内には強風が吹き荒れ、風切り音が耳元を劈く。

 突如、一瞬の静寂と暗闇……しかし次第に、鼓膜を震わせる慟哭にも似た深く低い轟音が周囲を包む。

「耳を塞ぎなさい!」

 ウルリカの再びの掛け声の直後——目も開けていられないほどの閃光と共に、耳を塞がなければ鼓膜が破れるほどの炸裂音が鳴り響く。

 しかし意外にも、眼前で起こった事象に見合う物理的衝撃が、ウルリカたちを襲うことは無かった。

「……あんた、一体何しでかしたんだ」

 サルバトーレは恐る恐る塞いだ耳を開き、ウルリカに問う。彼女は間髪を入れず、次の工程へと移りながら答える。

「見て分からない? 土手っ腹に空気がよく登る風穴を開けてやったのよ。それもキッツイのをね」

 彼女の言うように、元は単なる小さな導管だったものが、人が十二分に通れるほどの大穴となっていた。背中に担いだポーチから大口径の拳銃のような道具を出して、頭上に向ける。その大穴に向かって銃の引き金を引くと、先端に鉤状の針金が付いたワイヤーが射出された。

 大穴の先は、汚臭漂う薄汚れた小部屋――要するにトイレとなっており、その部屋の壁面に針金を撃ち込む。ウルリカはその針金から伸びた、人を吊り下げても千切れないほど強靭なワイヤーをよじ登って、ルカニアファミリーの首脳陣が会する根城へと侵入を果たす。

「……あんた、本当に何でも持ってんだな」

 後からワイヤーを辿ってよじ登ってきたサルバトーレが、呆れ返った口調でそう言った。

 しかしウルリカは、頭を抱えながら深く溜息を吐く。

「まったく……こういう汚れ仕事はあたしの役目じゃないっての。しかも人生でここまで鼻が曲がったことなんて無かったわ。こんな薄汚れたトイレにいて何にも臭わないなんて、ホントありえない」

「いい経験だ、お嬢様。二つの意味で汚れ仕事なんぞ、なかなか味わえねぇぜ?」

「突き落とすわよ」

「勘弁してくれ、誰だってあそこにゃ戻りたかねぇさ」

 軽口を叩くサルバトーレに睨みをきかせるウルリカ。だが、胸中は穏やかではなかった。

 危機的状況であることを手に取るように理解しているウルリカ。そしてそれを感じ取り、劣勢に立たされているのは自分たちだということを認識しているサルバトーレ。

 二人の額に滲む汗には、焦りの意図が読み取れた。



———



「何だ!? 今の音は!」

 外で警戒態勢を敷いていた構成員の男が、地面が揺れるほどの地鳴りを建物内から聞きつけ、即座に玄関口を蹴り開けて中に入る。

 その瞬間——銃声。頭を鉛球で撃ち抜かれ、何が起こったのかすら知ることのないまま、その場に倒れる。頭を撃ち抜かれた男の先には、煙を吐くリボルバー式拳銃を向けた、サルバトーレが居た。

 建物内は静寂に包まれていた。

 玄関口の大広間はガランとして侘しく、外壁同様にレンガ造りの壁面、大理石で組み上げられた床面、バロック様式の豪奢な装飾と四方を取り囲む乳白色の石柱。

 まるで教会や宮廷のような様相が、張り詰めた空気を一層際立たせていた。

「あんたの読み通りだな。銃撃現場に別動隊を送っといて正解だ」

「当然よ。こいつらは自ら蒔いた火種の“火消し”に躍起にならざるを得ない。武力抗争を本格化させても今は利益にならないからね。小競り合いであたしたちを牽制して、時間的余裕を担保しようとしてるわけよ」

 ルカニアファミリーの根城が手薄なのは、ウルリカの言った通りの狙いがあったためだった。

 今までどおり冷戦を維持しつつ、またクレストレートを一旦後退させるためには、自らが招いてしまった銃撃事件という失策を皮切りに、一度武力による衝突が必要だと考えたのだ。

 ルカニアファミリーの武力水準を示し、相手を萎縮させる作戦。それは飽くまでも、本格的な抗争までの猶予を稼ぐためのもの。本隊の投入による威嚇作戦が、結果的に根城の手薄を招いてしまっていた。

「……しかし、だ。俺達の存在は既に気づかれてんだ。さっさと重役の集会にお伺い立てなけりゃ、連中の胃袋ん中で一生おねんねだぜ?」

 大広間は二階まで吹き抜けとなっており、玄関から入ってすぐのところに、左右からアーチ状に伸びた階段から上階へと登ることができる。扉は各階に五つ、しかしどの部屋からも人の気配は感じられない。

「嬢ちゃん、目星はついてんのか?」

「馬鹿にしてるのかしら。なんの為にあの男を送ってんのよ」

「あの男?」

「……いえ、見当がつかないなら気にしなくていいわ……」

 ウルリカは、サルバトーレが本当に“男”を認識していないのだと理解している。それ以上の言及はなかった。

 そんな話をしながら、ウルリカは大広間に大きく円を描くように歩きまわる。時には膝を折り床に触れ、時には歌でも口ずさむかのように言葉を囁く。

 次第に見えてきた実体は、大理石の床一面に展開される、印と呪文で構成された巨大な魔法陣。ウルリカが立ち止まり、何かの仕草を見せた地点を結び目として、光芒こうぼうが延びていく。その光の筋は次第に幾何学的な紋様を描いていった。

 その図式が完成を見せるに従い、そこにいた誰もが不思議な違和感を持ち始めた。

「揺れている……?」

 床は確かに、小刻みに振動していた。だがそれは、地震のような自然発生的な振動ではなく、乱れのない連続的で機械的な感触。彼女の描いた魔法陣が引き起こしている事象なのは、誰の目にも明らかだった。

「そろそろどいてくれるかしら? このまま魔法陣の中に留まってると死ぬわよ」

「はっ、言ってくれる。お前ら、死にたくなきゃこの床の図から離れろとよ」

 サルバトーレは呆れながらウルリカの指示に従い、初めて見る魔術の奇跡を前に目を見開く部下たちを連れて、魔法陣の内から退く。

「行くわよ。ここからは時間との勝負、一度の瞬きが死に直結すると思って事に当たって頂戴」

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