マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~
Log-014【選択の名誉-弐】
「何を、目指しているか……ですか?」
「ええ、貴女はとても優秀なのよ。どんな職業にもなれるだろうし、どんな役職にだって就けるでしょうね」
「僕は……」
エレインは言葉に詰まってしまった。下唇を噛み、顔を伏せる。
彼女は知っている。その問に対して忌憚なく答えたなら、およそ否定されるということが。
「……僕は、外で働きたい、です。グラティアのような、神秘を掘り起こす国で……」
エレインは、嘘をついた。
その言葉に決して本心が無かったわけではないが、それでも彼女は自分の意思に背いた。
「……そう。貴女なら上手くやれると思うわ。あの国の気風は、貴女に合っていると思うの。精々励みなさい」
そう言って、イングリッドはベンチから立ち上がる。
「はい……」
そう応えたエレインは、顔を上げられなかった。彼女は嘘をつくには、素直すぎた。
その場を立ち去ろうとするイングリッドは、数歩離れて立ち止まる。何かを考えるように顎に手を添えて、一人うつむく少女に背を向けながら、
「……エレイン。貴女は間違っていないわ、間違ってはいないの。生まれてくる場所や時代、自分という器すらも、誰も選ぶことはできないわ。一人遺された者として、亡き人の遺志を抱くのは貴女の勝手。だけれど、他人は得てして“結果”しか見ようとしない。貴女の場合は、出生という“結果”だけを。貴女は、貴女の因果に沿って出来ることをしなさい」
エレインには分かっていた。勇敢なるマンネルヘイム家の末裔としての使命を。自分が“勇者”を望んではいけなかったことを。
そしてエレインはこうも思った。自分に理解を持つイングリッドもまた、焦がれ望んだ何かを捨ててきたのか、と。
「……イングリッドお姉ちゃんは、何かを諦めたの?」
「ええ、そうよ。随分と捨ててきたわ。あらゆるものをかき集めては、投げ捨ててきた。残ったものは――虚飾と虚栄心だけよ。ただ、虚ろなもの……それだけ」
「――え?」
エレインがそう呟いて見上げた先には、既に誰もいなかった。ただ風が火照った頬を撫でるだけ。去来する感情を振り払うように空を見上げ、沈みゆく紅の空に、暫く黄昏れていた。
その年、イングリッドはアウラの参事官として迎えられ、大陸の最北端にあるセプテムへと発った。彼女はその後に才覚を認められ、セプテムとの外交とアウラの国家予算を査定する主計官を兼務することになる。
その年から二年後、王立大学を卒業したエレインはアウラを出て、砂漠を隔てた隣国グラティアの士官として迎えられることとなる。
―――
まだ夜の明け切らない暁天、エレインは大きな革製のトランクを片手に持って、懐かしむようにローエングリン家の邸宅を振り返る。
玄関前には、レンブラントとマルセルがエレインを見送りに来ていた。
「お父さんお母さん、今までありがとうございました」
エレインは深々と頭を下げる。両親は歩み寄り、その別れを惜しむように彼女を抱きしめる。
「エレイン、しっかりとやってきなさい。お前は勇敢なるマンネルヘイムの子であり、わが子だ。頑張りなさい」
レンブラントはエレインの頭を撫でて、優しく微笑みかける。その表情が少し曇ると、
「お前を、マンネルヘイム家の子として、本懐である勇者として、こうやって旅立たせてやりたかった。すまない、エレイン」
そう言って、レンブラントは頭を下げる。
「お父さん、顔を上げてください。僕は確かに勇者としての道を目指して……諦めました。でもこうやって僕がそんな風に悩んだり、こうやって別れを惜しんだりできるのも、お父さんやお母さんがいなかったら、できなかったことです。お父さんが謝ることなんて、何もないんです。僕はあの日からずっと、感謝しています」
エレインは目尻から頬を伝っていく熱いものを感じながら、感謝の意を伝える。
「貴女は優しくて、気高い子よ。何にだって立ち向かって、どんな困難にだって打ち勝てるわ。血の繋がりだけが人の繋がりじゃないって、お父さんと、そして貴女に教えられたの。世が貴女を勇者として認めなくたって、貴女は立派なローエングリンの勇者よ」
マルセルはエレインを優しく抱きしめて、彼女の気持ちをそっと汲み上げる。
似た境遇の者として――また、母として。
エレインは再び深々と頭を下げて、敷地の前の街道に留めてある馬車へと歩みを進める。その馬車の前で立ち止まり、
「それでは、行ってきます……!」
エレインは満面の笑みで、大きく手を振った。遠く離れていく慣れ親しんだ光景に、いつまでも。
「ええ、貴女はとても優秀なのよ。どんな職業にもなれるだろうし、どんな役職にだって就けるでしょうね」
「僕は……」
エレインは言葉に詰まってしまった。下唇を噛み、顔を伏せる。
彼女は知っている。その問に対して忌憚なく答えたなら、およそ否定されるということが。
「……僕は、外で働きたい、です。グラティアのような、神秘を掘り起こす国で……」
エレインは、嘘をついた。
その言葉に決して本心が無かったわけではないが、それでも彼女は自分の意思に背いた。
「……そう。貴女なら上手くやれると思うわ。あの国の気風は、貴女に合っていると思うの。精々励みなさい」
そう言って、イングリッドはベンチから立ち上がる。
「はい……」
そう応えたエレインは、顔を上げられなかった。彼女は嘘をつくには、素直すぎた。
その場を立ち去ろうとするイングリッドは、数歩離れて立ち止まる。何かを考えるように顎に手を添えて、一人うつむく少女に背を向けながら、
「……エレイン。貴女は間違っていないわ、間違ってはいないの。生まれてくる場所や時代、自分という器すらも、誰も選ぶことはできないわ。一人遺された者として、亡き人の遺志を抱くのは貴女の勝手。だけれど、他人は得てして“結果”しか見ようとしない。貴女の場合は、出生という“結果”だけを。貴女は、貴女の因果に沿って出来ることをしなさい」
エレインには分かっていた。勇敢なるマンネルヘイム家の末裔としての使命を。自分が“勇者”を望んではいけなかったことを。
そしてエレインはこうも思った。自分に理解を持つイングリッドもまた、焦がれ望んだ何かを捨ててきたのか、と。
「……イングリッドお姉ちゃんは、何かを諦めたの?」
「ええ、そうよ。随分と捨ててきたわ。あらゆるものをかき集めては、投げ捨ててきた。残ったものは――虚飾と虚栄心だけよ。ただ、虚ろなもの……それだけ」
「――え?」
エレインがそう呟いて見上げた先には、既に誰もいなかった。ただ風が火照った頬を撫でるだけ。去来する感情を振り払うように空を見上げ、沈みゆく紅の空に、暫く黄昏れていた。
その年、イングリッドはアウラの参事官として迎えられ、大陸の最北端にあるセプテムへと発った。彼女はその後に才覚を認められ、セプテムとの外交とアウラの国家予算を査定する主計官を兼務することになる。
その年から二年後、王立大学を卒業したエレインはアウラを出て、砂漠を隔てた隣国グラティアの士官として迎えられることとなる。
―――
まだ夜の明け切らない暁天、エレインは大きな革製のトランクを片手に持って、懐かしむようにローエングリン家の邸宅を振り返る。
玄関前には、レンブラントとマルセルがエレインを見送りに来ていた。
「お父さんお母さん、今までありがとうございました」
エレインは深々と頭を下げる。両親は歩み寄り、その別れを惜しむように彼女を抱きしめる。
「エレイン、しっかりとやってきなさい。お前は勇敢なるマンネルヘイムの子であり、わが子だ。頑張りなさい」
レンブラントはエレインの頭を撫でて、優しく微笑みかける。その表情が少し曇ると、
「お前を、マンネルヘイム家の子として、本懐である勇者として、こうやって旅立たせてやりたかった。すまない、エレイン」
そう言って、レンブラントは頭を下げる。
「お父さん、顔を上げてください。僕は確かに勇者としての道を目指して……諦めました。でもこうやって僕がそんな風に悩んだり、こうやって別れを惜しんだりできるのも、お父さんやお母さんがいなかったら、できなかったことです。お父さんが謝ることなんて、何もないんです。僕はあの日からずっと、感謝しています」
エレインは目尻から頬を伝っていく熱いものを感じながら、感謝の意を伝える。
「貴女は優しくて、気高い子よ。何にだって立ち向かって、どんな困難にだって打ち勝てるわ。血の繋がりだけが人の繋がりじゃないって、お父さんと、そして貴女に教えられたの。世が貴女を勇者として認めなくたって、貴女は立派なローエングリンの勇者よ」
マルセルはエレインを優しく抱きしめて、彼女の気持ちをそっと汲み上げる。
似た境遇の者として――また、母として。
エレインは再び深々と頭を下げて、敷地の前の街道に留めてある馬車へと歩みを進める。その馬車の前で立ち止まり、
「それでは、行ってきます……!」
エレインは満面の笑みで、大きく手を振った。遠く離れていく慣れ親しんだ光景に、いつまでも。
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