スカーレット、君は絶対に僕のもの
第35話 お肉祭りとメール
「どうします?肉祭りの影響で大変混雑してて今日は半借り無いって。宿泊しかないって。」
「そうやね、もう泊まってこ。」
そんな軽いノリで我々はホテルに泊まることになったのだ。明日は学校だけど、朝早くに出れば間に合うとか言ってタライさんが一歩も引かない。
早朝だとシュリントン先生が裏門を開けないんじゃないの?と言っても、もう連絡したし、お土産も増やすからと言って聞かないのだ。そうまで言われたら……別に拒否する理由も無かった。
やっぱりさっき地上に電話をしてからタライさんの態度がおかしい。何かあったんだろうけどどう聞いたら良いのか分からなくて聞けなかった。
泊まることになった宿屋はレンガの壁で覆われていて、中に入ると床も壁も家具も木で出来ていて、ちょっとオシャレな雰囲気だった。
1階に受付とロビーがあり、2階に何部屋か宿泊するための部屋があるみたいだ。こじんまりとしたホテルでやはりと言っていいのか、今日は肉祭りで人も多く1部屋しか空いてなくて、私はタライさんと同じ部屋で泊まる事になった。
2階に上がってタライさんが鍵を開けて扉を開いた。中に入るとベッドが二つと窓とテーブルと椅子があった。少し広めの部屋だ。
「わぁ〜はじめて宿屋に来た!」
部屋を見渡しながら私はテンション高めに言ったけど、タライさんは何も反応しないでいつになく黙っていて、窓側のベッドに腰掛けた。本当に彼らしくない。やはり何かあったのだとは思うけど……。
「……タライさんどうしたの?やっぱり別々の部屋にする?」
「ん?ええよもう混んでて今から部屋探すのも大変やし、俺はヒーたんと一緒の部屋がいいから。」
タライさんは真面目な表情で答えた。きっと気疲れしたのかもしれない。そうだ、肉祭り開催までまだ時間あるし、少しシャワーを浴びるのはどうだろうと思って私は浴室の扉を開けた。
「おお!」
と叫び、シャワー室から出てタライさんに話しかける。
「タライさん!ここすごいですよ!浴槽ありますよ!」
「普通どの部屋にもあるで。」
「えっ……?」
「ふふ、あんたの部屋にはないやろが。」
タライさんはクスクス笑ってこちらを見てきた。そうなんだ。それもやっぱりグリーン寮だけしょぼかったんだ。辛い。
その事実にため息をつきながらも、浴槽があるのならお湯を沸かして入った方がいいと思い、シャワー室に戻って蛇口を捻った。
「お湯沸かしますからタライさん先入ってね?」
その言葉にもタライさんは黙ったままだ。浴室からゴボゴボと勢いよくお湯が出ている音が部屋中にただ響いている。私はじっとお湯が溜まるペースを観察した後に、浴室を出てタライさんに言った。
「あのペースだとあと5分くらいで溜まりそうです。」
「おーありがとー。」
「いいえー。」
どうしよう……でも私から聞いて話すような人じゃないし。少し時間が必要なのかも。
私はもう一つのベッドに座ってズボンのポケットから携帯を取り出した。3人で水色の魔法陣を出している待ち受け画面を見ると、その上にメールありという文字が表示されていた。
「なーヒーたん。」
「はいー?」
「夏休みさ、一緒におろうか。」
え?いいけど……地上に帰るのでは?
私は携帯を一度スリープにしてベッドに置いてタライさんのことを見た。彼と目が合うけど、何故か切ない表情をしている。
「……結婚するんやと。彼女。」
私は頭が真っ白になって無言になった。タライさんは私に背を向けて、窓の外を眺め始めた。
「ああ!入れすぎた!」
急いで蛇口を止めに行ったけど、お湯は浴槽満杯に入ってしまっていた。まあホテルだからいいかな。ダメかな。
「タライさん、先どうぞ!」
「俺そんな気分ちゃう!」
先ほどのおセンチな態度から一変して、今彼は子どものようにスネている。彼の肩を揺さぶっても、ベッドの上で体育座りをして何一つ動こうとしない。
「でも、折角沸かしたんだからちょっと浸かってみてくださいよ!気持ち良さそうですから!」
私はタライさんの白いシャツを背中から引っ張る。
「わかったわかった!もう入るからー!エヘェーン!」
タライさんは泣き真似をしてタオルを持ってシャワー室の中に入って行った。彼が居なくなったのを確認してから、私はため息をついてベッドに横になった。
まさか、彼女さんが結婚してしまうなんてそんなこと想像出来なかった。中々会えない時間が長いからそうなったのかもしれないんだろうけど、それでも他の人と結婚するとは思わなかった。
タライさんの悲しい気持ちは分かる気がする。私は失恋はした事まだ無いけど、もし家森先生が急に誰かと結婚するって言ったら……うああああ!想像しただけで胸が張り裂けそうな、八つ裂かれるような、耐えられない気持ちになる。
ってことはやはり私は先生の事が好きなんだ。そうだよね、だってジョンやケビンが結婚しても平気だし。ああ……とにかく今は、タライさんの気分が少しでも良くなるように、一緒に過ごそう!お肉祭りもこのホテルの前の広場で開催されるし、今宵は食って騒ごう。
よし!と思ってもう一度大きく息を吐くとさっき携帯にメールが届いていたのを思い出して、確認する事にした。おお……たくさん溜まってる。
リュウ、家森先生、家森先生、家森先生……あとは全て家森先生だった。そりゃ好きな人からこんなにメールが来て嬉しいよ?でも嫌な予感しかしない。
「どこから読めばいいんだっけ…。」
____________
理事長から聞きました。
街にいるそうですね。
合っていますか?
家森
____________
げっ……シュリントン先生、我々が街にいることを家森先生に話しちゃったんだ。何で話しちゃったんだろう。それにしても休みの日でも先生同士の交流があるんだ。大変でしょうに。
____________
返事を出来る時に
してください。
待っています。
家森
____________
____________
もう夕方になろうと
していますが、
今日は帰らないのですか?
何かあったのですか?
家森
____________
____________
ヒーちゃん☆
僕は心配です。
早くメールを
返してください。
家森
____________
……もう見るのをやめた。私の顔は引きつりっぱなしになっている。特に一番最後のメールの☆が気になるし、それが怖さを引き立たせている。でも心配してくれてちょっと嬉しかった……はい。
しかし家森先生みたいにここまで何度もメールを送ってくる人は他にも存在するのだろうか。私が街に出かけてて心配してるから普通なのかな?他の人もそうするのかな。
ガチャっとシャワー室の扉が開く。タライさんが腰にタオルを巻いて濡れた髪のまま上半身裸で出てきた。
「はぁー!いい湯だったわー!気分もスッキリしたよ!ありがとね!ヒーたんは俺の一番の親友や!」
ニッと笑いながらタライさんはベッドに座り、もう一枚のタオルを取って頭をシャカシャカと拭きはじめた。私は携帯の画面を彼に見せる事にした。どう対処したらいいのか、彼に御教示願いたかったからだ。私の携帯をじっと見ているタライさんは人差し指で画面を操作しながら笑った。
「ププッ!ヒーたん愛されてるねー!」
「これ愛されてるんですか?正直たまに怖いんですけど、こんなに送って来るのは普通ですか?」
「家森先生にとっては普通や〜。俺も多分ほら。」
そう言って彼はベッドに置いてあった自分の携帯を手に取り操作し、私に渡してきた。
____________
理事長から聞きました。
あなたまた
勝手なことをして。
街は犯罪も多く危険だと
承知の上の行動ですか?
家森
____________
____________
シュリントン先生を
お土産で
買収しないでください。
あと、街にいるのか
返事ください。
家森
____________
____________
高崎、返事しなさい。
家森
____________
……まだメールは何通かあったが私は携帯をタライさんに返した。
「……うん、すごいですね。すごい。」
「まー、一度気になり出したら止められない性格なんやろね。学者やし。」
タライさんも苦笑いのまま携帯の画面をスリープにしたので私は聞いた。
「あれ?メール返さなくていいんですか?」
「ええよ、返すと止まらんもん。」
なるほど!家森先生の扱いを彼は知っている。
「さすが3年間家森クラスの男!」
「イヤァー!」
タライさんが甲高い声で叫んだので笑ってしまった。
それから折角なので、私ももう一度お湯を沸かしてお風呂に入ることにした。
私の部屋には浴槽が無いから湯船というものに記憶を無くしてから初めて入った。つまり生まれて初めてのこの何とも言えない心地の良い暖かさに、ついとろける顔をしてしまった。シャワーとは全然違うのね!
「ハァー」
何度も肩まで浸かる。これが自分の部屋にもあったらいいのにと心から思った。全身が温かくてほぐれるような気持ち良さに私は目を閉じて何度も息を漏らした。そして自然に笑顔になった。
ゆっくりじっくりと浸かっていたら熱くなってきた。浴槽のお湯を流しながら、私はシャワーで体を洗うことにした。この浴槽はトイレとバスタブが一緒のユニットタイプだったので浴槽の中でシャワーを浴びるしか無かった。
全て洗い終わって、バスタオルでゴシゴシ拭いてからタライさんみたいに体にタオルを巻いて部屋に戻った。
「いい湯でしたー!」
私はテーブルの上のボトルに入った水を飲みながら言った。
「よかったやん!お部屋に浴槽無かったから初めて入ったんちゃうおおお!?」
急に叫びだしたタライさんの方をどうしたのかと思って見ると、私服姿でベッドに座りながら両目を隠しているのだ。え?
「どうしたんですタライさん?」
「どうしたちゃうよ!早く着替えなさい!」
タライさんはそこにあるでしょ!とベッドの上に置いてある私の服を指差した。
「え?そんな慌てないでくださいよ。」
「ヒーたん男の前で簡単に肌出したらあかんよ……それに何故下だけ隠す!見たくないのに見てもうたやんか!」
「はぁ!?何それ!?」
確かに上半身丸出しにしていた私が悪いのかもしれないけれど、見たく無いと言われると結構傷ついた。それを察したのか、タライさんが目を隠したまま言ってきた。
「まあ、まあ。良い感じだったけどな。ちゃうわ!もう早く着替えなさい!服着た?」
はいはい、と私は急いで服を着終わってベッドに座り、そこに置いてあった私の携帯を見た。両目を隠すことをやめたタライさんがニヤリとしてまた届いてる?と聞いてきたので、タライさんに画面を見せる。
____________
宿に泊まるというのは
高崎とですか?
お肉祭りの当日に部屋を
よく確保できましたね。
勿論、
部屋は別々でしょうね?
家森
____________
「これは先生としてお泊まりはダメですよって言ってきてるの?」
「それもあるし違う意味もあるんやない?とにかく俺はもうアンタと同じ部屋に泊まってるし、アンタの上半身裸の姿も見てしまったしでダブルチェックメイトになってるんや。もう……俺の人生は終わった。家森スペシャルを飲むしか無いんや……いやそれ以上かも知れん。とにかく俺の人生は明日終わる。」
がっくしと肩を落としてベッドに座っているタライさんの前で、私も自分のベッドに座りながら聞いた。
「上半身裸は私の過ちですからそう言いますって!でも、どうして先生は我々が宿に泊まること知ってるんだろう……。」
と言ってタライさんの方を見ると、引きつった笑いを浮かべながらベッドから立ち、パンの袋をテーブルに取りに行ったのだ。その不審な動きに誰が犯人か分かった気がした。
「まあまあ、これ食べようや。今日なんも口にしてなかったやん!お腹すいたやろ?」
「……タライさん結構話しますよね。」
私が少し呆れた顔で言うと、タライさんは口を尖らせて可愛く言った。
「ええやん、はなしあお。」
ああ……やっぱりタライさんが家森先生に言ってたんだ。いつかは話すことだし良かったのかもしれないけど。しかしこのメール、なんて返せば良いのか分からない。
「まあまあ、食べ」
そう言ってタライさんが差し出してくれたあげにくパンを両手で持った。まだほんのりと暖かくいい匂いがした。これは美味しいに違いない!そう思うとさっきのメールのことは後で考えようという気になった。
いただきます、と二人で同時に頬張った。口いっぱいに広がるパンの甘さとスパイスとお肉のジューシーさが私の脳天を直撃する!
「んー!?これはうまい!」
「やろ!?ん〜!」
こんなに美味しいものがこの世に存在していたとは……いや、もしかしたらもっと美味しいものが存在するのかもしれない!そう考えるとこれからレシピを見て色々な料理に挑戦しても良いかもしれないと思った。
「これも食べ!」
タライさんが他にも中にチョコが入ったものや、リンゴのペーストが入ったものをはんぶんこして渡してくれる。甘さと香ばしさが絶妙だ!
「うん!どれも美味しい!パンって美味しいんだ!」
「はっはっは!パンくらいなら食べた頃あるやろ〜?」
「ありますけど。医務室にいるときに……。」
「ああ…あの最低限のものしか入ってないパンね。」
あのシンプルなパンの味をタライさんも知っているのか、二人で味を思い出しながら苦笑いしてしまった。
朝も食べてなかったし色々あってもう夕方だし、よほどお腹が空いていたのか私たちはたくさんあったパンを勢いよく完食してしまった。私が袋のゴミをまとめていると、タライさんがベッドで携帯を手にしながら聞いてきた。
「なあ家森先生にメール返そうと思うんやけど、なんて言ったらいいかなぁ?」
それは難しい質問だ。それについて模範解答があるのならぜひ知りたい。私はふふっ、と少し笑った後に首を傾げながら言った。
「うーん、もう全部言っちゃえばいいんじゃないですか?」
もう諦めたからそう言った。私もタライさんも明日帰ったら何故かきっと怒られるだろう。でも今回は仕方なかったと思う、タライさんはショックな出来事があったし……。
と考えているとタライさんが打ち終わったようで、これでええ?と携帯を見せてきた。
____________
今日は宿に泊まります。
ヒイロとは同じ部屋ですが
ベッドは別です。
この部屋しか
空いていませんでした。
色々とご心配おかけして
申し訳ございません。
明日の朝、帰ります。
ちゃんとヒイロが
お弁当作りや
1限に間に合うように
帰ります。
宜しくお願いします。
タライ
____________
「これでええよな?」
「良いと思いますけど……そっか、月曜はブルークラスは1限無いんだ。」
「うん。だからいつもちょっとゆっくり出来るけど、明日は無理やろな。」
タライさんは遠い目をしながらメールを送信した。そうだね明日はどうなるか分からない。でも今日は楽しもうよ!
「タライさん今日は楽しみましょう!」
「せやな!屋台のお肉を食いまくるで!うおおお!……ってパン食べたばっかやから、もうちょっと食休みしてから行こ!」
「はい!」
ベッドの上で座りながらお腹のスペースを開けるために時間をおくことにした。
日が沈むと、目の前の広場からワイワイ賑わいの人々の声が大きくなり始めて、窓から下を覗くと昼間はなかった屋台がずらっと広場いっぱいに敷き詰められていたのだった。それを見た我々はテンション高めに部屋を出て行った。
そして片っ端から気になったお肉料理をはんぶんこしながら食べ歩きまくったのだった!
「そうやね、もう泊まってこ。」
そんな軽いノリで我々はホテルに泊まることになったのだ。明日は学校だけど、朝早くに出れば間に合うとか言ってタライさんが一歩も引かない。
早朝だとシュリントン先生が裏門を開けないんじゃないの?と言っても、もう連絡したし、お土産も増やすからと言って聞かないのだ。そうまで言われたら……別に拒否する理由も無かった。
やっぱりさっき地上に電話をしてからタライさんの態度がおかしい。何かあったんだろうけどどう聞いたら良いのか分からなくて聞けなかった。
泊まることになった宿屋はレンガの壁で覆われていて、中に入ると床も壁も家具も木で出来ていて、ちょっとオシャレな雰囲気だった。
1階に受付とロビーがあり、2階に何部屋か宿泊するための部屋があるみたいだ。こじんまりとしたホテルでやはりと言っていいのか、今日は肉祭りで人も多く1部屋しか空いてなくて、私はタライさんと同じ部屋で泊まる事になった。
2階に上がってタライさんが鍵を開けて扉を開いた。中に入るとベッドが二つと窓とテーブルと椅子があった。少し広めの部屋だ。
「わぁ〜はじめて宿屋に来た!」
部屋を見渡しながら私はテンション高めに言ったけど、タライさんは何も反応しないでいつになく黙っていて、窓側のベッドに腰掛けた。本当に彼らしくない。やはり何かあったのだとは思うけど……。
「……タライさんどうしたの?やっぱり別々の部屋にする?」
「ん?ええよもう混んでて今から部屋探すのも大変やし、俺はヒーたんと一緒の部屋がいいから。」
タライさんは真面目な表情で答えた。きっと気疲れしたのかもしれない。そうだ、肉祭り開催までまだ時間あるし、少しシャワーを浴びるのはどうだろうと思って私は浴室の扉を開けた。
「おお!」
と叫び、シャワー室から出てタライさんに話しかける。
「タライさん!ここすごいですよ!浴槽ありますよ!」
「普通どの部屋にもあるで。」
「えっ……?」
「ふふ、あんたの部屋にはないやろが。」
タライさんはクスクス笑ってこちらを見てきた。そうなんだ。それもやっぱりグリーン寮だけしょぼかったんだ。辛い。
その事実にため息をつきながらも、浴槽があるのならお湯を沸かして入った方がいいと思い、シャワー室に戻って蛇口を捻った。
「お湯沸かしますからタライさん先入ってね?」
その言葉にもタライさんは黙ったままだ。浴室からゴボゴボと勢いよくお湯が出ている音が部屋中にただ響いている。私はじっとお湯が溜まるペースを観察した後に、浴室を出てタライさんに言った。
「あのペースだとあと5分くらいで溜まりそうです。」
「おーありがとー。」
「いいえー。」
どうしよう……でも私から聞いて話すような人じゃないし。少し時間が必要なのかも。
私はもう一つのベッドに座ってズボンのポケットから携帯を取り出した。3人で水色の魔法陣を出している待ち受け画面を見ると、その上にメールありという文字が表示されていた。
「なーヒーたん。」
「はいー?」
「夏休みさ、一緒におろうか。」
え?いいけど……地上に帰るのでは?
私は携帯を一度スリープにしてベッドに置いてタライさんのことを見た。彼と目が合うけど、何故か切ない表情をしている。
「……結婚するんやと。彼女。」
私は頭が真っ白になって無言になった。タライさんは私に背を向けて、窓の外を眺め始めた。
「ああ!入れすぎた!」
急いで蛇口を止めに行ったけど、お湯は浴槽満杯に入ってしまっていた。まあホテルだからいいかな。ダメかな。
「タライさん、先どうぞ!」
「俺そんな気分ちゃう!」
先ほどのおセンチな態度から一変して、今彼は子どものようにスネている。彼の肩を揺さぶっても、ベッドの上で体育座りをして何一つ動こうとしない。
「でも、折角沸かしたんだからちょっと浸かってみてくださいよ!気持ち良さそうですから!」
私はタライさんの白いシャツを背中から引っ張る。
「わかったわかった!もう入るからー!エヘェーン!」
タライさんは泣き真似をしてタオルを持ってシャワー室の中に入って行った。彼が居なくなったのを確認してから、私はため息をついてベッドに横になった。
まさか、彼女さんが結婚してしまうなんてそんなこと想像出来なかった。中々会えない時間が長いからそうなったのかもしれないんだろうけど、それでも他の人と結婚するとは思わなかった。
タライさんの悲しい気持ちは分かる気がする。私は失恋はした事まだ無いけど、もし家森先生が急に誰かと結婚するって言ったら……うああああ!想像しただけで胸が張り裂けそうな、八つ裂かれるような、耐えられない気持ちになる。
ってことはやはり私は先生の事が好きなんだ。そうだよね、だってジョンやケビンが結婚しても平気だし。ああ……とにかく今は、タライさんの気分が少しでも良くなるように、一緒に過ごそう!お肉祭りもこのホテルの前の広場で開催されるし、今宵は食って騒ごう。
よし!と思ってもう一度大きく息を吐くとさっき携帯にメールが届いていたのを思い出して、確認する事にした。おお……たくさん溜まってる。
リュウ、家森先生、家森先生、家森先生……あとは全て家森先生だった。そりゃ好きな人からこんなにメールが来て嬉しいよ?でも嫌な予感しかしない。
「どこから読めばいいんだっけ…。」
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理事長から聞きました。
街にいるそうですね。
合っていますか?
家森
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げっ……シュリントン先生、我々が街にいることを家森先生に話しちゃったんだ。何で話しちゃったんだろう。それにしても休みの日でも先生同士の交流があるんだ。大変でしょうに。
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返事を出来る時に
してください。
待っています。
家森
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もう夕方になろうと
していますが、
今日は帰らないのですか?
何かあったのですか?
家森
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ヒーちゃん☆
僕は心配です。
早くメールを
返してください。
家森
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……もう見るのをやめた。私の顔は引きつりっぱなしになっている。特に一番最後のメールの☆が気になるし、それが怖さを引き立たせている。でも心配してくれてちょっと嬉しかった……はい。
しかし家森先生みたいにここまで何度もメールを送ってくる人は他にも存在するのだろうか。私が街に出かけてて心配してるから普通なのかな?他の人もそうするのかな。
ガチャっとシャワー室の扉が開く。タライさんが腰にタオルを巻いて濡れた髪のまま上半身裸で出てきた。
「はぁー!いい湯だったわー!気分もスッキリしたよ!ありがとね!ヒーたんは俺の一番の親友や!」
ニッと笑いながらタライさんはベッドに座り、もう一枚のタオルを取って頭をシャカシャカと拭きはじめた。私は携帯の画面を彼に見せる事にした。どう対処したらいいのか、彼に御教示願いたかったからだ。私の携帯をじっと見ているタライさんは人差し指で画面を操作しながら笑った。
「ププッ!ヒーたん愛されてるねー!」
「これ愛されてるんですか?正直たまに怖いんですけど、こんなに送って来るのは普通ですか?」
「家森先生にとっては普通や〜。俺も多分ほら。」
そう言って彼はベッドに置いてあった自分の携帯を手に取り操作し、私に渡してきた。
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理事長から聞きました。
あなたまた
勝手なことをして。
街は犯罪も多く危険だと
承知の上の行動ですか?
家森
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シュリントン先生を
お土産で
買収しないでください。
あと、街にいるのか
返事ください。
家森
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高崎、返事しなさい。
家森
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……まだメールは何通かあったが私は携帯をタライさんに返した。
「……うん、すごいですね。すごい。」
「まー、一度気になり出したら止められない性格なんやろね。学者やし。」
タライさんも苦笑いのまま携帯の画面をスリープにしたので私は聞いた。
「あれ?メール返さなくていいんですか?」
「ええよ、返すと止まらんもん。」
なるほど!家森先生の扱いを彼は知っている。
「さすが3年間家森クラスの男!」
「イヤァー!」
タライさんが甲高い声で叫んだので笑ってしまった。
それから折角なので、私ももう一度お湯を沸かしてお風呂に入ることにした。
私の部屋には浴槽が無いから湯船というものに記憶を無くしてから初めて入った。つまり生まれて初めてのこの何とも言えない心地の良い暖かさに、ついとろける顔をしてしまった。シャワーとは全然違うのね!
「ハァー」
何度も肩まで浸かる。これが自分の部屋にもあったらいいのにと心から思った。全身が温かくてほぐれるような気持ち良さに私は目を閉じて何度も息を漏らした。そして自然に笑顔になった。
ゆっくりじっくりと浸かっていたら熱くなってきた。浴槽のお湯を流しながら、私はシャワーで体を洗うことにした。この浴槽はトイレとバスタブが一緒のユニットタイプだったので浴槽の中でシャワーを浴びるしか無かった。
全て洗い終わって、バスタオルでゴシゴシ拭いてからタライさんみたいに体にタオルを巻いて部屋に戻った。
「いい湯でしたー!」
私はテーブルの上のボトルに入った水を飲みながら言った。
「よかったやん!お部屋に浴槽無かったから初めて入ったんちゃうおおお!?」
急に叫びだしたタライさんの方をどうしたのかと思って見ると、私服姿でベッドに座りながら両目を隠しているのだ。え?
「どうしたんですタライさん?」
「どうしたちゃうよ!早く着替えなさい!」
タライさんはそこにあるでしょ!とベッドの上に置いてある私の服を指差した。
「え?そんな慌てないでくださいよ。」
「ヒーたん男の前で簡単に肌出したらあかんよ……それに何故下だけ隠す!見たくないのに見てもうたやんか!」
「はぁ!?何それ!?」
確かに上半身丸出しにしていた私が悪いのかもしれないけれど、見たく無いと言われると結構傷ついた。それを察したのか、タライさんが目を隠したまま言ってきた。
「まあ、まあ。良い感じだったけどな。ちゃうわ!もう早く着替えなさい!服着た?」
はいはい、と私は急いで服を着終わってベッドに座り、そこに置いてあった私の携帯を見た。両目を隠すことをやめたタライさんがニヤリとしてまた届いてる?と聞いてきたので、タライさんに画面を見せる。
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宿に泊まるというのは
高崎とですか?
お肉祭りの当日に部屋を
よく確保できましたね。
勿論、
部屋は別々でしょうね?
家森
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「これは先生としてお泊まりはダメですよって言ってきてるの?」
「それもあるし違う意味もあるんやない?とにかく俺はもうアンタと同じ部屋に泊まってるし、アンタの上半身裸の姿も見てしまったしでダブルチェックメイトになってるんや。もう……俺の人生は終わった。家森スペシャルを飲むしか無いんや……いやそれ以上かも知れん。とにかく俺の人生は明日終わる。」
がっくしと肩を落としてベッドに座っているタライさんの前で、私も自分のベッドに座りながら聞いた。
「上半身裸は私の過ちですからそう言いますって!でも、どうして先生は我々が宿に泊まること知ってるんだろう……。」
と言ってタライさんの方を見ると、引きつった笑いを浮かべながらベッドから立ち、パンの袋をテーブルに取りに行ったのだ。その不審な動きに誰が犯人か分かった気がした。
「まあまあ、これ食べようや。今日なんも口にしてなかったやん!お腹すいたやろ?」
「……タライさん結構話しますよね。」
私が少し呆れた顔で言うと、タライさんは口を尖らせて可愛く言った。
「ええやん、はなしあお。」
ああ……やっぱりタライさんが家森先生に言ってたんだ。いつかは話すことだし良かったのかもしれないけど。しかしこのメール、なんて返せば良いのか分からない。
「まあまあ、食べ」
そう言ってタライさんが差し出してくれたあげにくパンを両手で持った。まだほんのりと暖かくいい匂いがした。これは美味しいに違いない!そう思うとさっきのメールのことは後で考えようという気になった。
いただきます、と二人で同時に頬張った。口いっぱいに広がるパンの甘さとスパイスとお肉のジューシーさが私の脳天を直撃する!
「んー!?これはうまい!」
「やろ!?ん〜!」
こんなに美味しいものがこの世に存在していたとは……いや、もしかしたらもっと美味しいものが存在するのかもしれない!そう考えるとこれからレシピを見て色々な料理に挑戦しても良いかもしれないと思った。
「これも食べ!」
タライさんが他にも中にチョコが入ったものや、リンゴのペーストが入ったものをはんぶんこして渡してくれる。甘さと香ばしさが絶妙だ!
「うん!どれも美味しい!パンって美味しいんだ!」
「はっはっは!パンくらいなら食べた頃あるやろ〜?」
「ありますけど。医務室にいるときに……。」
「ああ…あの最低限のものしか入ってないパンね。」
あのシンプルなパンの味をタライさんも知っているのか、二人で味を思い出しながら苦笑いしてしまった。
朝も食べてなかったし色々あってもう夕方だし、よほどお腹が空いていたのか私たちはたくさんあったパンを勢いよく完食してしまった。私が袋のゴミをまとめていると、タライさんがベッドで携帯を手にしながら聞いてきた。
「なあ家森先生にメール返そうと思うんやけど、なんて言ったらいいかなぁ?」
それは難しい質問だ。それについて模範解答があるのならぜひ知りたい。私はふふっ、と少し笑った後に首を傾げながら言った。
「うーん、もう全部言っちゃえばいいんじゃないですか?」
もう諦めたからそう言った。私もタライさんも明日帰ったら何故かきっと怒られるだろう。でも今回は仕方なかったと思う、タライさんはショックな出来事があったし……。
と考えているとタライさんが打ち終わったようで、これでええ?と携帯を見せてきた。
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今日は宿に泊まります。
ヒイロとは同じ部屋ですが
ベッドは別です。
この部屋しか
空いていませんでした。
色々とご心配おかけして
申し訳ございません。
明日の朝、帰ります。
ちゃんとヒイロが
お弁当作りや
1限に間に合うように
帰ります。
宜しくお願いします。
タライ
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「これでええよな?」
「良いと思いますけど……そっか、月曜はブルークラスは1限無いんだ。」
「うん。だからいつもちょっとゆっくり出来るけど、明日は無理やろな。」
タライさんは遠い目をしながらメールを送信した。そうだね明日はどうなるか分からない。でも今日は楽しもうよ!
「タライさん今日は楽しみましょう!」
「せやな!屋台のお肉を食いまくるで!うおおお!……ってパン食べたばっかやから、もうちょっと食休みしてから行こ!」
「はい!」
ベッドの上で座りながらお腹のスペースを開けるために時間をおくことにした。
日が沈むと、目の前の広場からワイワイ賑わいの人々の声が大きくなり始めて、窓から下を覗くと昼間はなかった屋台がずらっと広場いっぱいに敷き詰められていたのだった。それを見た我々はテンション高めに部屋を出て行った。
そして片っ端から気になったお肉料理をはんぶんこしながら食べ歩きまくったのだった!
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