呪歌使いリンカ(の伴奏者)の冒険譚

葵東

第十楽章 獲物を狩る者(6)

 ドラゴンが怒った。ならすぐに死ぬはずなのに何故か生きている。
 殺すのを待つ理由が何かあるはず、とラッドは考えた。
(その理由が無くなる前にドラゴンの怒りを解けば、助かるのでは?)
 だがそんな方法など思いつかない。過去にドラゴンの怒りを解いた事例があれば、それこそ同業者が歌っているはずだ。怒ったドラゴンが出てくる吟遊詩はどれも戦って「倒した」か「撃退した」だ。その際に犠牲が出るのが通例である。
 ドラゴンを怒らせる、それは自殺行為の言い回しになるほど確実な死なのだ。一部の魔法使いを除けば、人間はドラゴンにとって獲物でしかない。
(――それほどのドラゴンを、どうやって怒らせたんだ?)
 ドラゴンを怒らせる代表的な行為は「住処の宝を盗む」だ。しかしこのドラゴンは住処を離れてここにいる。
「リンカ、君は何をしてドラゴンを怒らせたの?」
「魔導術の真似をしたの」
「ごめん。俺には意味が分からない」
「……僕が説明します。魔導術は魔界から高密度の魔力を導いて魔法を強化する技術だ。対ドラゴン用攻撃魔法と思って良い。先生は魔導術は使えないが、呪歌で魔力の密度を魔界の魔力ほどに高めてドラゴンに放った。それでドラゴンは『魔導術で攻撃された』と思って怒ったのだ」
「あ、ありがとう。大体分かった」
「……その程度で大丈夫なのか?」
「ああ。つまりドラゴンは誤解しているんだ。ならその誤解を解けば、怒りも解けるんじゃないのか?」
「……言うは容易いが――」
「そっか。それでいいんだ」
 リンカが納得したのでトゥシェが言葉を失った。
「でも私音痴だから。さっき出来たのが不思議なくらいなの」
 心配そうなリンカに、ラッドは精いっぱい虚勢を張った。
「大丈夫だ。一回で良いから正しい音程で歌ってくれ。そうすれば俺がその旋律を覚えて補正する。舞台で出来たんだ。今度も上手く行くさ」
 そう言うラッドをリンカが見つめていた。煌めく瞳に何が映っているのか、年頃の異性の心は想像も出来ないが、ラッドの心臓はドラゴンへの恐怖以外の何かで高鳴っている。
「そうだね。ラッドならやってくれるよね。うん、やろう」
「……キースキン、君はドラゴンが、それだけで怒りを鎮めると本気で考えているのか? ここは奴の生息地で、我々は侵入者なのだぞ」
「その侵入者を、こうして生かしているんだ。話が通じない相手じゃない。俺は客の目利きをお師匠様に叩き込まれているんだ。誤解さえ解ければ、怒りも解いてくれるさ」
「トゥシェ、ラッドの言う事を信じて」
「……信じたい気持ちはあります。しかしそれは願望です。新前吟遊詩人の口車に乗る以外の道があるなら、僕は迷わずそちらを選びます」
(くそ、お見通しか)
 ラッドには確信どころか可能性さえ見えていない。虚勢を張っているに過ぎないのだ。
 だが他に選択肢が無い事はトゥシェも分かっている。だから否定できず、心配するだけなのだ。
 男二人が消沈したところに、明るい声がした。
「大丈夫。ラッドなら出来るよ」
 絶望的な状況なのに、リンカは笑顔でいる。
「何千人もの敵意のまっただ中にたった一人で飛び込んで、演奏だけで大喝采を浴びた大音楽家なんだよ。今だってドラゴンを魅了している。そんなラッドが大丈夫って言うんだから私は信じる。だからトゥシェも信じて」
 信頼――かつてこれほど自分を信じてくれた人がいただろうか?
 一番の理解者だった双子の兄でさえ、ここまでの信頼は寄せてくれなかった。
(なあラドバーン=キースキン、女の子にここまで言わせて「出来ません」なんて言えないよな?)
 言えるはずがない。吟遊詩人としてではなく、男として。
 腹は決まった。
「トゥシェ、俺を信じられないなら、リンカを信じてくれ。俺は必ずやってみせる」
「……分かりました。先生がドラゴンの怒りを解いたら、僕が交渉します」
「トゥシェってドラゴンと話せたの?」
「……いいえ。しかし言葉が通じなくても価値観は共有できます」
 トゥシェは胸元から銀鎖を引き出した。銀色の丸いロケットが付いている。中には綿に包まれた緑色の宝玉が。小指の爪ほどもある大きさだ。
「……ドラゴンは宝石を好みます。生息域に人間が入ると怒るのは、住処から宝石を盗まれるからです。これを差しだせば、無礼に対する詫びとして受け入れるでしょう」
「さすがトゥシェだね」
「ぅおーい、路銀が少ないって話の時にそれを出せって。稼がなくてもチハンに行けるじゃないか」
「……最後の切り札を路銀で使ってしまえと? やはり君は物を分かっていないな」
「へいへい、どうせ堅気じゃない吟遊詩人風情ですよ」
(こいつは贅沢とかじゃなくて、単純に生まれが良いんだな)
「よし、やろうラッド。トゥシェはいつものようにフォローして」
「ああ、正しい音を出すまで、客を退屈させるものか」
「……任せてください」
「三人で生きのびよう!」
 リンカの声にラッドはさらに闘志をかき立てられた。

                   ♪

 リンカは短杖を振り上げる手を止め、トゥシェに振り返った。
「ちょっと杖交換してくれる?」
 借りた長杖を手の延長にして横に伸ばし、その場で回転する。
 短杖より広範囲の魔力を集められるのは当然として、長いのにリンカの杖より魔力の通りが良い。
(高い杖は素材からして違うんだね)
 先ほどより早く集めた魔力を頭上に移動。呪歌を使う。

♪アーエー、イオウー♪

 魔力が二割ほど圧縮される。

♪アーエー、イオウー♪
♪アーエー、イオウー♪

 さらに圧縮され一抱えになる。

♪アーエー、イオウー♪
♪アーエー、イオウー♪

 急に手応えが弱まり魔力球はメロン大になった。魔力が両手の間に入る。
「ラッド、今の音だよ」
「分かった」

♪アーエー、イオウー♪

 ラッドが演奏を変えた。今までの曲に呪歌の音程を挟んで奏でたのだ。
(凄い!)
 リンカの心が躍動した。
 今、呪歌に道しるべが与えられたのだ。海原を進む船に方位磁針が与えられたに等しい。
(これなら出来る!)

♪アーエー、イオウー♪

 ラッドが一音大きく発した。恐らくそこがずれたのだ。

♪アーエー、イオウー♪

 圧縮が進み魔力は拳大になった。

♪アーエー、イオウー♪
♪アーエー、イオウー♪

 ラッドの方を見る。
「音はそれほど外れていないよ」

♪アーエー、イオウー♪
♪アーエー、イオウー♪

 それ以上進まない。
(さっきは出来たのに)
「集中して」とラッドの声が聞こえる。「自分がやる事をイメージするんだ」

♪アーエー、イオウー♪
♪アーエー、イオウー♪

「君は魔力を圧縮する。一度やれた事は必ずもう一度出来る」

♪アーエー、イオウー♪
♪アーエー、イオウー♪

 リンカのこめかみを汗が伝う。
(ラッドが助けてくれても私には無理なの?)
 
 リンカは気付いていなかった。トゥシェの杖でより広範囲から多くの魔力を集めたせいで、魔力の反発が先程より強まっている事に。同じ密度に圧縮するには、より大きな力が必要な事に。

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