呪歌使いリンカ(の伴奏者)の冒険譚

葵東

第九楽章 最強の生命体(3)

 どれだけ時間が経過したろうか。
 完全な闇の中、ラッドは椅子に腰掛けたまま死を待ち続けていた。
 天井から滴る水音の他は、雷鳴の様なドラゴンの吼え声が聞こえただけだ。
(ここが見つかった時、俺は死ぬんだ)
 魔法使いが束になっても逃げるしかないドラゴンの、炎の一吹きで。
(俺は一体、何の為に生まれてきたんだ?)
 海の男に必要な体格に恵まれなかったせいで、両親の悩みの種だった。
 同じ日同じ母親から生まれた双子の兄は、逞しい体格に恵まれ網元の娘を嫁に迎えるほど高い評価を得たのに。
 キースキン家の未来は兄によって約束された。ただ一人ラドバーン=キースキンを除いて。
 一族の汚点は町に残るなどできない。
 吟遊詩人になることで、やっと故郷を出て生きる道を見いだせたのに。
 その道を踏み出した途端に死んでしまうのだ。
(俺の人生って何だったんだ?)
 ウォルケンにお師匠様の人生をバカにされ怒った事が、無意味過ぎて泣けてくる。
(何が歌で歴史を動かすだ!)
 自分の人生さえ動かせず死ぬのに。
 生まれてから何一つ、なし得ないままに死ぬのだ。
(嫌だ! こんな無意味な人生なんて嫌だ! 何もしないままで死ぬなんて絶対に嫌だ!)
 だが呼吸以外でラッドにできることは、悔し涙を流すことだけだった。

                   ♪

 リンカは呪歌で空を突き進んだ。尾根を越え、ドラゴンに向かう。
「ドラゴーン、こっち向けー!!」
「リンカ~、みつかっちゃうよ~」
「ルビちゃん!?」
「は~い」
 小さなフェアリーがリンカの横にいた。
「忘れていた……」
 敵がいたので隠れさせたは良かったが、姿が見えないので存在を忘れていたのだ。ど忘れ癖のせいで。
「道理で物分かりが良かったわけね」
「なにが~?」
「ルビちゃんが一緒なら私が無茶できないと分かっていたから、トゥシェはラッドを助ける役を引き受けたのよ。私と違ってトゥシェがルビちゃんのことを忘れるわけないもん」
「リンカ、ルビのことわすれちゃったの~?」
 フェアリーは小さな瞳をうるうるさせた。
「ち、違う違う。もちろん覚えているわよ。ただ私って昔から、見えない物をど忘れする癖があるの。引き出しにしまった筆を忘れて新しいの下ろしたり、隠れんぼで誰が残っているか分からなくなったりで、見えなくなると存在をど忘れしちゃうの」
「どわすれってな~に?」
「ええと他の事に気を取られたら、それまで考えていた事を忘れちゃうの」
「あ~それ~、ルビもある~」
「だからね、私はルビちゃんを忘れたわけじゃないのよ」
「リンカ、ルビのことわすれちゃったの~?」
「本当にど忘れするんだ!」
「リンカ~、ドラゴンこっちみてる~」
「え?」
 ドラゴンは尖った鼻先をこちらに向けていた。スイカほどある巨大な眼球の、ネコのように縦長の瞳孔がリンカ達を捉えている。
 話に夢中になるあまり、リンカは今の状況をど忘れしていた。
「めがあったよ~」
 生息地に侵入した人間をドラゴンは許さないはずだ。
「ルビちゃん、逃げるわよ」
 方向転換、リンカはドラゴンから逃げだした。
「さあ、追いかけて――」
「こないね~、よかった~」
 ドラゴンは腰を据えたまま、二人を見送る構えだ。
「あれー、ドラゴーン、おーい」
「おなかすいていないんだよ~」
「そうじゃなくて、人竜共存協定で互いの生息域を冒した者は攻撃して良いって決まっているのよ。だから――あれ? 『攻撃して良い』であって『攻撃の義務』ってわけじゃないのか」
「こうげきされたら、しんじゃうよ~」
「だから逃げるの」
「え~? じゃあなんでちかづいたの~?」
「だってドラゴンを動かさないと。隠れ家が見つかったらラッドが死んじゃう」
「ラッドしんじゃうの~」
「そうならないようにドラゴンをどかしたいの。だから私を追いかけさせないと」
「おいかけて、くれないね~」
「追いかける気がないなら、させるまでよ!」
 意を決してリンカは短杖をドラゴンに向けた。

♪ルーメス・アルモース。ソレイユターン(催眠)♪

 呪歌をドラゴンに放つ。
 だが杖から出た魔力をすぐリンカは見失った。ドラゴンが放つ強力な魔力が大気に満ちているせいだ。さらに、到達しただろう時間が経過してもドラゴンに変化は無かった。
――ドラゴンには魔界の魔力を用いる魔導術しか通用しない――
 そう断言したのはドラゴンの最高権威である――あの人・・・だ。
「そんなことあるもんか!」
 リンカは再度短杖をドラゴンに向けた。

♪ヴィンラーン(目眩まし)♪

 横を向いているドラゴン目がけ、杖から光の粒を放つ。
「ルビちゃん、目を閉じて」
 すぐに閉ざした瞼を、強い光が貫き視界を赤く染めた。
「ふわ~、まぶし~」
 閃光が消えてから目を開けると、ドラゴンは動くどころか顔を向けさえしない。
「気がつかなかったの? でも、これだけ明るいのに」
「しらんぷり~」
「無視? そんな程度なの……呪歌って?」
 複雑な魔法が使えるとは言え、元素魔法の組み合わせでしかない。
「魔導術じゃないと、ドラゴンには通じないの?」
 が言ったように。だがそれを認めてしまうと、より重大なことも認めざるを得なくなる。それはリンカにとっては死刑宣告にも等しい。
「まどうじゅつって、な~に?」
「ええと、魔界という魔力が強い世界から魔力を持ってきて、それで魔法の威力を強めるの。私は使えないわ」
「どうして?」
「習うには許可が必要なの。とても強くて危険だから。山を吹き飛ばすくらいだもの」
「ふわ~、そんなにつよいまほうなんだね~」
「うん、元は――ドラゴンに対抗する為に編み出されたそうだし」
「どこでならうの~?」
「それは――」
 過去の情景が脳裏に蘇った。で、から――
「おなかいたいの~?」
「え?」
 トラウマが噴きだした為、締め付けられた心臓をリンカは無意識に押さえていた。
「大丈夫。今はドラゴンをどうにかしないと」
「じゅかって、まほうよりすごいんだよね~?」
「そうだけど、魔力が強いってわけじゃないの」
「まりょくって、ちからだよね~?」
「力? ええと、そうだね」
「ちからならいっぱいあるけど、たりないの~?」
「いっぱいって、魔力が? それはドラゴンが発している魔力で、魔界の魔力とは……どう違うんだろう?」
 魔界についてリンカが知っている事は、の著書が全てだ。魔法の手引き書なので、魔導術については触り程度しか書かれていなかった。
 魔界には魔力が無尽蔵にある。そしてあまりに密度が高い魔力は燐光を放つそうだ。
「魔界の魔力だって、魔力よね。魔導師の定義は魔界から魔力を導ける魔法使い。魔界への扉を開けるかどうかであって、魔力については何も無い」
「むずかしいはなし、きら~い」
「魔力の密度を高めて、燐光を放つくらいにすれば、ドラゴンが魔導術だと思って――くれるのかな? うん、きっとそうよ」
 何もリンカが魔導術を使う必要はない。ドラゴンが「魔導術で攻撃された」と思い込めば良いのだ。

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