呪歌使いリンカ(の伴奏者)の冒険譚

葵東

幕間 兄の結婚式

 兄の結婚式は華やかだった。
 抜けるような青空の下、春の花々で飾られた広場にはご馳走が盛られたテーブルが所狭しと並んでいる。
 参列者の表情は笑顔笑顔笑顔笑顔と笑顔一色。ただ一人、ラドバーン・キースキンを除いて。
 親族の席でラッドは一人、ぬるいエール酒をチビチビすすっている。
 先月成人したばかりなので、まだ酒の味は分からない。
(酒が不味い体質なのかもな)
 横目で見ると、目映いばかりに美しい花嫁の隣で兄は、ぶ厚い胸板を張って誇らしげだ。とても同じ母親から同じ日に生まれたとは思えないほど逞しい肉体である。
 兄の手前では父が人生最高の笑顔で、母は嬉し涙をハンカチで繰り返しぬぐっている。
(キースキン家の未来が約束されたのだから当然か)
 何しろ花嫁は網元の娘。キースキン家は晴れて町の有力者入りを果たしたのだ。
 町の名士が代わる代わる祝辞を述べている。今まで一家をバカにしていた連中が揉み手でご挨拶なのだから、父も笑いが止まるまい。
 祖父母や伯父叔母従兄弟や従姉妹も笑顔満開。キースキン一族はこの世の春を迎えていた。
 たった一人、花婿の弟を除いて。
”つまんな~い。ラッドえんそうして~”
 脳内で妄想少女ルビが騒ぎだした。
「バカ言うな。いきなり始めたら大顰蹙だ」
 ラッドは独り言をつぶやく。声に出さないと妄想と会話できないのは不便だし不条理だ。
 さらに不味くなったエール酒をラッドはすすった。
(ここに俺の居場所は無いよな)
 すぐにその考えを打ち消す。
(居場所なんて、生まれてからずっと無かったじゃないか)
 今日はいつも以上に肩身が狭い、それだけの話だ。
 兄の未来は明るいが、双子の弟の未来は濃い霧の彼方だ。
 その差が生じた理由は一つ、ラッドが虚弱に生まれたからである。
(双子なのに、なんでここまで差が付いたんだろう?)
 兄は漁師になるべくして生まれたような逞しい肉体に恵まれたのに、ラッドは病弱で痩せ細り、貧弱な体だ。
 帆を上げるのにも網を引くのにも腕力が必須の漁師町には、貧弱な男に居場所はない。船を直す職人にしても、大工や鍛冶師に筋肉は必須である。
 残るは頭脳労働だが、病弱なラッドは学校を休みがちで、成績はビリから三番目。二年生に上がった段階でラッドは教師から見放された。
 近所の子供たちは腕力に物を言わせてラッドをいじめたものだ。
 両親はラッドの将来を悲観してはため息ばかり。
 ラッドの味方は兄だけだった。
 持ち前の腕力でいじめっ子を追い払ってくれたのも、吟遊詩人になる事を親に承諾させてくれたのも、兄だ。
 成績でラッドより下だったのも、きっと弟を気遣ってくれたからに違いない。
 兄には感謝してもしきれないほど恩義がある。
 その兄の晴れ舞台を見られたのだから、もう思い残す事は無かった。
「ラッド、一曲やってくれ」
 兄に呼ばれてラッドは立ち上がった。
「任せてくれ、兄さん」
”やった~、えんそうだ~”
 ふてくされていたルビも大喜び。
 ラッドはフィドルを携え演台に上がった。
 見渡す広場には祝い客の赤ら顔が無数にある。だが誰もラッドを見ていない。
 それでも営業スマイルでお辞儀をする。
「花婿の弟、ラドバーン=キースキンです。主役のご指名ですので、拙い演奏を披露させていただきます。それではめでたい席に相応しき曲を」
 革製のスリングを首にかけボディを腹に据え、左手でネックを支え右手の弓を弦に当てた。
 結婚の祝い曲を奏でつつ歌声を上げる。だが――
(なんだこれは!?)
 自分の物とは思えぬほどの固い声に、ラッドは自らの耳を疑った。
 努めて明るい声を出そうとしたのだが、強ばった声帯からは板のような音しか出ない。
 焦りは肉体を硬直させ、指の動きも悪くした。
”ラッドのへたっぴー!!”
 表情は取り繕えても、音色や歌声は誤魔化せない。客に聞かせられない代物だ。お師匠様が耳にしたらお仕置きフルコース確実の、失敗舞台である。
 しかもそれを、選りに選って兄の結婚式でやらかしてしまった。パニックになったラッドは定まらぬ視線を客たちに向ける。
(――なんだって!?)
 冷水を浴びせられ、混乱から現実に一気に引き戻された。
 客の顔が、誰一人として変わっていない。演奏前の赤ら顔のままにこやかでいる。
 その意味する所は一つ。誰もラッドの歌など聞いていないのだ。
(役立たずの芸なんて、耳を傾ける価値さえないのか!?)
 悔しさのあまり胃袋が刺すように痛んだ。
”ラッドもうやめて~”
(そんな真似したら兄貴の顔を潰してしまう!)
 たった一人の理解者の晴れ舞台を台無しになどしたら、生まれた事が申し訳なさすぎる。
(たとえお師匠様のお仕置きが無かったとしても、それだけはダメだ)
 屈辱の演奏を最後までやり終え、作り笑いでラッドは頭を下げた。
「ご静聴、ありがとうございました」
 拍手が湧き起こった。心が伴わないお義理拍手のなか、ひときわ高らかに手を叩いているのは兄だった。
「見事な歌だ。俺の自慢の弟だ」
「照れるよ、兄さん」
 ラッドは恥ずかしさのあまり消え入りたくなった。
 兄はお世辞を言っているのではない。音楽の良し悪しが分からないだけだ。そして一途にラッドを信頼してくれている。
 だからなおさら、賛美の言葉が痛かった。
「弟は故郷を出て、遠く音楽の修行に出る。皆も応援してくれ」
 兄が水を向けると、花嫁の父親――網元が杯を掲げた。
「花婿の弟に乾杯!」
「「乾杯!」」
 上辺だけの祝福が礫の雨となってラッドを打ちのめす。
(分かっているさ。厄介払いができて清々しているって事くらい)
 吟遊詩人は旅から旅の漂泊の身。定住する良民からは堅気扱いされない。異国で無縁墓地に葬られるなど、大地に根ざした堅気からしたら「正気の沙汰では無い」のだ。
 だが音感だけが取り柄のラッドには他に選択肢が無い。
 貧乏なのでまともな師に付けなかった。となると音楽家としては最底辺の職――酒場を回る流しか、吟遊詩人にしかなれない。地元民以外が流しになれる町など無いし、この町に残る事だけは嫌だった。
 輝かしい兄の人生の、汚点であり続ける事になるから。
 どれだけ兄が成功しても「でも双子の弟は」と言われて来たのだ。網元の娘を嫁にした兄を妬む者は掃いて捨てるほどいる。そんな連中にとりラッドの存在は兄を貶める絶好の汚点なのだ。
 だから結婚式が終わったら町を出ると決めていた。
「ラッド、旅先でも元気でな」
 兄の、邪気の無い笑顔が眩しすぎる。
「ああ、兄さんこそ幸せに」
 そう答えるのが精いっぱいだった。
 最後の最後で、兄の期待に応えられなかった自分が情けなさ過ぎて。
 感情がこみ上げ、今にも泣きだしそうだ。
 悔しさと恥ずかしさ、そして――湧きあがる喜びがあった。
 やっと、長年待ちわびていた時が来るのだ。
 この「魂の牢獄」から解放される時が。



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