呪歌使いリンカ(の伴奏者)の冒険譚
第四楽章 歌姫の舞台(4)
広場に設営された舞台の裏で、リンカは白いドレスを纏って椅子に座っていた。
前説で舞台に立つのでレラーイに「それなりの衣装」を押しつけられたのだ。長いスカートには慣れないが、幅広の固い帯〈コルセットだそうだ〉は「無い方が良い」とのことで着けずに済んだ。
裾を踏みそうなくらい長いスカートは初めてだが、今のリンカはそれどころではない。太陽が傾いているのに、まだトゥシェが芸人を連れて戻らないのだ。
このままでは広場を埋め尽くした人の前で音痴の歌を披露する羽目になる。トゥシェの事は別にしても心配でならない。
(音痴の歌なんかでお客さんたちが笑いに包まれるの?)
レラーイは確信しているようだが、結果が悪くて気分を害するのは客の方だ。聞けば半年以上前から楽しみにしていたらしい。やっとの事で休みを取り、遠路はるばる来たのに帰った人もいるそうだ。
リンカが失敗した責任はあまりに重い。その上さらに迷惑を重ねるかもしれないと思うと、果てしなく気が滅入り胃が重くなる。
ため息をつくのは何十回目か。その度に空を見上げる。
舞台背後の壁、裏からだと右側の端が板の色が新しい。補修の後だ。あの辺りで解体中の足場が崩れたとき、すぐ下に五歳くらいの女の子がいた。
咄嗟の呪歌で足場を押しのけ子供を助けた――までは良かったが、押す力が強すぎて足場が壁を割ってしまった。端の方だから大したことないと思ったら、音響がどうとかで補修に一日かかり、公演が延期になってしまった。
(もうちょっと加減できていたらなあ……)
呪歌は音程が狂うと力の向きや大きさが変わってしまう。そしてリンカは酷い音痴なのだ。
「ええい、悩むな考えるな」
リンカは両頬をはたいて思考を止めた。ぐるぐる思考に陥ると際限なく落ち込んでしまうから。
「一瞬の出来事だったのよ。怪我人を出さなかっただけで十分私は偉い! 良くやったんだ!」
空元気を総動員して落ち込みを回避する。
「また同じ事があっても同じ事をするぞ。大丈夫、今度は失敗しない。大丈夫だから」
傍から見れば変人だが、そう自分に言い聞かせないと負の感情に負けてしまう。
だが悲しいかな、落ち込みへの対処法は嫌な記憶と結びついて、トラウマを呼び起こした。
あの日あの場所に、リンカの魂は戻っていた。
あの人の顔、あの人の声、あの人の言葉――
「過去を振り返るな今を見ろ!」
無理やり現状へと意識を逸らしていると、目が視界隅の小さな動きを捉えた。
広場に面した店の前に小さな人影が。
五歳くらいの女の子が立て看板の陰からこちらを伺っていた。
(あの子だ!)
自分が助けた子供が今、そこにいた。
夢なんかじゃない。幻でもない。その子は実在している。
目が合うと、ビクッと女児は反応した。クルリと身を翻して走りだす。
「ちょっと」
反射的に立ち上がったリンカだが、差し伸べかけた手を戻した。
(呼び止めて、どうする?)
別にあの子が足場を崩したわけじゃない。たまたま近くにいただけだ。
リンカが助けたのは、あの子に感謝されたかったからではない。ましてや責任を負わせるなど論外だ。
「助けたかったのは私で、私は自分の目的を果たしたんだ」
それが間違いだったなど、決してない。
リンカは空を見上げた。夕日が神殿の陰に隠れようとしている。
「大丈夫。私が正しかったって、お天道様は見ててくれたから。だから私は大丈夫」
次、失敗しなければ良いだけなのだ。
茜色に染まる空に黒い点が見えた。動いている。近づいているのだ。
それが何か目では判別できなかったが、リンカには分かった。
「トゥシェ!」
立ち上がって短杖を振る。
♪レイ・フィオール(飛翔)♪
空高く舞い上がり、黒い点へと突き進んだ。
近づくと人間が二人重なっているのが見て取れる。トウシェが太った男を背負って飛んでいるのだ。汗にまみれ息を切らせて。
「大丈夫!?」
リンカが側によると、弟子は切れ切れに言う。
「……間に……合いました……」
「ありがとう、もう大丈夫だから」
トゥシェを助け、芸人を舞台裏に下ろした。
すぐ執事のバノンが来て「水を」と指示した。係が持ってきた水をリンカはトウシェに飲ませ、バノンは意識が無い芸人に頭からかけた。
トゥシェは咳き込みながら水を飲み干し、芸人は咳き込んで息を吹き返した。
「……これで、先生は……」
「うん、助かったよ」
「……良かった……」
張り詰めていた緊張が解け、安心したのかトゥシェは意識を失った。疲労の限界だったのだろう。
「ありがとう、トウシェ」
リンカの心は感謝の気持ちで満ちあふれた。自分の為にここまで尽くしてくれる人がいるのだ。
そんなリンカに執事が重々しく語りかける。
「残念な結果になりましたな、リンカ殿」
「どうして? 芸人さんは間に合ったじゃない」
「この有様でございます」
大柄な芸人は目を回し、呂律も回らない状態だ。
「空の旅は、飛べない人間には刺激が強すぎたようでございます」
「少ししたら回復するんじゃないの?」
「万全でない以上、舞台には上げられません」
「レラーイに聞いてよ」
「舞台前のお嬢様を煩わせる程の事ではありません。私めの責任に於いて彼の登壇は控えさせます」
「あれだけトウシェががんばったのに」
「残念ながら、一流の芸ができない以上は失敗と言わざるを得ません」
「そんな……私じゃお客さん笑わせられないよ」
「致し方ありません。それがお嬢様の決定でございますゆえ」
これ以上話しても埒が明かない。リンカは最悪の舞台に立つしかないのだ。
前説で舞台に立つのでレラーイに「それなりの衣装」を押しつけられたのだ。長いスカートには慣れないが、幅広の固い帯〈コルセットだそうだ〉は「無い方が良い」とのことで着けずに済んだ。
裾を踏みそうなくらい長いスカートは初めてだが、今のリンカはそれどころではない。太陽が傾いているのに、まだトゥシェが芸人を連れて戻らないのだ。
このままでは広場を埋め尽くした人の前で音痴の歌を披露する羽目になる。トゥシェの事は別にしても心配でならない。
(音痴の歌なんかでお客さんたちが笑いに包まれるの?)
レラーイは確信しているようだが、結果が悪くて気分を害するのは客の方だ。聞けば半年以上前から楽しみにしていたらしい。やっとの事で休みを取り、遠路はるばる来たのに帰った人もいるそうだ。
リンカが失敗した責任はあまりに重い。その上さらに迷惑を重ねるかもしれないと思うと、果てしなく気が滅入り胃が重くなる。
ため息をつくのは何十回目か。その度に空を見上げる。
舞台背後の壁、裏からだと右側の端が板の色が新しい。補修の後だ。あの辺りで解体中の足場が崩れたとき、すぐ下に五歳くらいの女の子がいた。
咄嗟の呪歌で足場を押しのけ子供を助けた――までは良かったが、押す力が強すぎて足場が壁を割ってしまった。端の方だから大したことないと思ったら、音響がどうとかで補修に一日かかり、公演が延期になってしまった。
(もうちょっと加減できていたらなあ……)
呪歌は音程が狂うと力の向きや大きさが変わってしまう。そしてリンカは酷い音痴なのだ。
「ええい、悩むな考えるな」
リンカは両頬をはたいて思考を止めた。ぐるぐる思考に陥ると際限なく落ち込んでしまうから。
「一瞬の出来事だったのよ。怪我人を出さなかっただけで十分私は偉い! 良くやったんだ!」
空元気を総動員して落ち込みを回避する。
「また同じ事があっても同じ事をするぞ。大丈夫、今度は失敗しない。大丈夫だから」
傍から見れば変人だが、そう自分に言い聞かせないと負の感情に負けてしまう。
だが悲しいかな、落ち込みへの対処法は嫌な記憶と結びついて、トラウマを呼び起こした。
あの日あの場所に、リンカの魂は戻っていた。
あの人の顔、あの人の声、あの人の言葉――
「過去を振り返るな今を見ろ!」
無理やり現状へと意識を逸らしていると、目が視界隅の小さな動きを捉えた。
広場に面した店の前に小さな人影が。
五歳くらいの女の子が立て看板の陰からこちらを伺っていた。
(あの子だ!)
自分が助けた子供が今、そこにいた。
夢なんかじゃない。幻でもない。その子は実在している。
目が合うと、ビクッと女児は反応した。クルリと身を翻して走りだす。
「ちょっと」
反射的に立ち上がったリンカだが、差し伸べかけた手を戻した。
(呼び止めて、どうする?)
別にあの子が足場を崩したわけじゃない。たまたま近くにいただけだ。
リンカが助けたのは、あの子に感謝されたかったからではない。ましてや責任を負わせるなど論外だ。
「助けたかったのは私で、私は自分の目的を果たしたんだ」
それが間違いだったなど、決してない。
リンカは空を見上げた。夕日が神殿の陰に隠れようとしている。
「大丈夫。私が正しかったって、お天道様は見ててくれたから。だから私は大丈夫」
次、失敗しなければ良いだけなのだ。
茜色に染まる空に黒い点が見えた。動いている。近づいているのだ。
それが何か目では判別できなかったが、リンカには分かった。
「トゥシェ!」
立ち上がって短杖を振る。
♪レイ・フィオール(飛翔)♪
空高く舞い上がり、黒い点へと突き進んだ。
近づくと人間が二人重なっているのが見て取れる。トウシェが太った男を背負って飛んでいるのだ。汗にまみれ息を切らせて。
「大丈夫!?」
リンカが側によると、弟子は切れ切れに言う。
「……間に……合いました……」
「ありがとう、もう大丈夫だから」
トゥシェを助け、芸人を舞台裏に下ろした。
すぐ執事のバノンが来て「水を」と指示した。係が持ってきた水をリンカはトウシェに飲ませ、バノンは意識が無い芸人に頭からかけた。
トゥシェは咳き込みながら水を飲み干し、芸人は咳き込んで息を吹き返した。
「……これで、先生は……」
「うん、助かったよ」
「……良かった……」
張り詰めていた緊張が解け、安心したのかトゥシェは意識を失った。疲労の限界だったのだろう。
「ありがとう、トウシェ」
リンカの心は感謝の気持ちで満ちあふれた。自分の為にここまで尽くしてくれる人がいるのだ。
そんなリンカに執事が重々しく語りかける。
「残念な結果になりましたな、リンカ殿」
「どうして? 芸人さんは間に合ったじゃない」
「この有様でございます」
大柄な芸人は目を回し、呂律も回らない状態だ。
「空の旅は、飛べない人間には刺激が強すぎたようでございます」
「少ししたら回復するんじゃないの?」
「万全でない以上、舞台には上げられません」
「レラーイに聞いてよ」
「舞台前のお嬢様を煩わせる程の事ではありません。私めの責任に於いて彼の登壇は控えさせます」
「あれだけトウシェががんばったのに」
「残念ながら、一流の芸ができない以上は失敗と言わざるを得ません」
「そんな……私じゃお客さん笑わせられないよ」
「致し方ありません。それがお嬢様の決定でございますゆえ」
これ以上話しても埒が明かない。リンカは最悪の舞台に立つしかないのだ。
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