呪歌使いリンカ(の伴奏者)の冒険譚

葵東

第三楽章 至宝の歌姫(2)

 階段を登った三階の廊下に背の高い初老男性が立っていた。灰色の燕尾服を着たその男性は執事のバノンである。灰色の髪をきっちり分けて撫でつけ、口髭を綺麗に整えていた。
 目指す部屋は廊下の奥だが、進むには彼に話を通さねばならない。それが彼の主人が決めた規則であった。
「これはこれはリンカ様。お嬢様に何かご用向きで?」
「うん。盗賊魔法使いを捕まえたから、お金の件は町が負担するって」
「それは朗報でございますな。その旨お嬢様にお伝えいたします」
「伝言を頼みに来たんじゃなくて、レラーイに会いたいんだけど」
「申し訳ございません。ただ今お嬢様は入浴中でして、お客様の来訪はご遠慮いただいております」
「昼間にお風呂? 寝る前に湯冷めしちゃうじゃない」
「ご心配はご無用にございます」
「それじゃあ、出るまで待たせてもらおうかな」
「申し訳ございません。本日は予定が立て込んでおりまして、リンカ様に割くお時間はございません」
「そんな!」
 困るリンカの背後でトウシェが口を開いた。
「……弁済を町が肩代わりしたことで、先生が責任を果たしたことを確認してもらえますか? それなら入浴中でもできるはずです」
「申し訳ございません。くつろぎの時間に、そのような不快な話題をお耳に入れる事はできかねます」
「……明日の公演までにまだやるべき事があった場合、取りかかりが遅れて間に合わなくなって困るのは、レラーイです」
 初めて執事の口髭が張りを失った。
「やむを得ませんな」
 執事が片手を挙げると、壁際の椅子に座っていた娘――侍女が立ち上がり、廊下を奥へと向かった。
「何も言わないんだ」
 感心するリンカに、執事は心なしか自慢げに言う。
「今のやり取りを聞いてなお説明を要する者になど、ハルトー家に仕える資格はございません」
 奥の部屋に入った侍女はすぐ戻って来た。執事の前に来ると深々と頭を下げ、執事に――リンカにではなく――告げた。
「お嬢様がお二人を通せとおおせです」
「それではどうぞ」
 執事は脇に避け、恭しく片手で行く先を示した。
 やっとリンカは足止めから抜けられたのだ。


 廊下の一番奥の部屋、ドアを押し開けて入ったその場でリンカは硬直した。
 バスタオルを巻いただけの娘がソファに座っているではないか。
 侍女が二人、彼女の頭をタオルでせっせと拭いて長い髪を乾かしている。本人は香茶のカップを手に涼しい顔。その娘「オライアの至宝」と称される歌姫レラーイ=ハルトーが言い放った。
「いつまで開けっ放しにしていますの? 本当に礼儀知らずな方々ですわね」
 リンカが戸口で立ち止まっているのでトゥシェが入れずにいる。慌てて弟子を入れドアを閉めた。
 香茶と思っていたが、香りからして紅茶らしい。カップを口にしつつレラーイは言う。
「それで、どのようなご用件でしたかしら?」
「町長さんに頼まれた盗賊魔法使いを捕まえたから、弁償は町がしてくれますって、聞いてなかったの?」
「まだ町から何もありませんわ」
「町長さんが請け合ってくれたから間違いないよ」
「貴方の言葉を鵜呑みにするほど、あたくしは浅はかではありませんことよ。役場からの連絡を待ちなさい」
 レラーイはのんびりと紅茶を口にする。この国では町長でさえ手が届かない紅茶を。
「役場から連絡が来たら、それで終わり?」
「まあ、あたくしが昨日何と言ったか、もうお忘れですの? まさか記憶喪失とでも?」
「ええと、弁償しろ……だったっけ?」
 レラーイはカップを侍女が持つ皿に置いてから、大げさにため息をついた。
「貴方のような野蛮人に記憶を確かめるだなんて、あたくしも浅はかでしたわ」
 歯がみするリンカに、後ろからトゥシェが口添えしてくれた。
「……まずは壊した舞台装置の修繕と、公演延期の補償をなさい――です」
 感情を出さずに語るので違和感が凄い。
「ありがとう、トゥシェ。で、役場から連絡が来たら補償が済んだって事になるから、それで終わりでしょう?」
「まあ、貴方は耳がお悪いの? 最初の『まずは』も聞こえなかっただなんて、同情を禁じ得ませんわ」
「そ、そうだね。で、どういう意味?」
「耳だけでなく頭までお悪いようですわね。次があるとの意味でしてよ」
「まだ何かあるの?」
「まあ、まるであたくしが無理難題を吹っかける加害者であるみたいな物言い。言語道断ですわ! あたくしは被害者でしてよ」
 リンカが口ごもる後ろで、トゥシェが歯ぎしりするのが聞こえた。レラーイが鋭い視線を向けると、優秀な弟子は気配を感じさせないほどの沈黙で答えた。
 レラーイが根負けしたように視線を逸らせた。否、二人の侍女が離れたのだ。髪を乾かす作業が終わったらしい。長い金髪を垂らした姿は、昨日とはかなり印象が違う。髪型がまるで違うこともあるが、何より裸同然だからだろう。
 侍女の一人がタオルを片付け、もう一人は両手で木箱を持って来た。
 リンカの額に軽く引っ張られる感覚が生じた。侍女が箱を開けるとその感覚が強まる。魔力覚が反応しているとなると、なんらかの魔法が使われているのだ。
(でもトゥシェが何も言わない)
 自分より魔力覚が鋭い弟子が黙っているのだから危険は無いだろう。
 侍女は親指ほどの筒を何本も取りだすと、それにレラーイの長い金髪を巻き付けはじめた。一つ二つなら髪かざりにも見えなくもないが、それが十本を越えると珍妙なので、リンカの口から笑いが漏れた。
「野蛮人にはこの髪筒の価値が分からないようですわね」
「ああ、ごめん。それが魔法具だって事は分かったけど、何なの?」
「魔法の髪結い道具でしてよ」
「そりゃそうでしょ。髪を巻き付けるのが靴磨きの道具なわけないじゃん」
「本当に物を知りませんのね。まさに無知蒙昧。これはクラウトの高貴な女性に大人気の魔法具でしてよ。最新の髪型にできますの」
「クラウトでそんなの着けている人、見た事ないけど」
「まあ、あなたみたいな田舎者でもクラウト王国へ行った事があるだなんて、思いも寄りませんでしたわ」
「悪い? 先月までいたんだよ。で、そんな筒、見た事ないんだけど」
「閑話休題、話を戻しますわ。舞台が修繕されても、今晩公演できない事実は変わりませんわ。楽しみにしてくださったファンの方々へのお詫びがまだでしてよ」
「うん、そうだね」
「……先生、納得しないでください」
 後ろでトゥシェが言う。別に師匠を盾にしているのではない。他人の視線が苦手なのだ。いつもフードに隠れ声も潜めている。対人恐怖症なのだろうとリンカは推測しているが、本人が打ち明けるまでは触れないと決めていた。
「……公演延期の補償も町が肩代わりしています」
「金銭面では、ですわ。ですが明日来られない方々に、お金を渡せばお詫びが済むだなどと、貴方はお思いですの?」
「……それも含めた補償です」
「貴方は法律家ですの?」
「……たとえ被害者でも、法律を超える要求をする権利はありません」
「でもトゥシェ、楽しみにしていたんだよね、ファンの人たちって」
「……先生は人が良すぎます。子供を助けようとしただけなのに」
「まだそんな世迷い言を言いますの? 確かに解体中の足場は崩れましたわ。ですけど職人の誰も子供なんて見ていませんのよ。それとも貴方が見たとでも?」
「……僕は近くにいませんでした」
「見てもいないのに良く断言できますわね」
「……先生は嘘をつきません」
「あらそう? なら夢でも見たのでしょうね。白昼夢とか妄想を」
「……たとえ先生に非があったとしても、損害以上を要求する権利は被害者にはありません」
「この場合の被害者はファンの方々でしてよ」
「……ではその被害者と僕たちとで話さないといけませんね。部外者は黙っていてください」
「あたくしはファンの方々の代弁者でしてよ!」
「……被害者から委任状でも託されているのですか?」
「そ、そのような物、無くてもあたくしに任せるに決まっていますわ」
「……法律に基づいた補償はされます。それで不足なら、それは法律の不備です。不満はこの国の立法府――執政院でしたか、そちらに上げてください」
 一瞬にしてレラーイの顔が青ざめた。口ごもり、目を泳がせている。
 触れてはいけない部分をトゥシェが突いてしまったらしい。
「もういいよ、トゥシェ。ありがとう」
「……しかし先生、彼女は図に乗っています」
「私が悪いんだから、とにかく言い分を聞こうよ」
「……分かりました」

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