呪歌使いリンカ(の伴奏者)の冒険譚

葵東

第一楽章 吟遊詩人の少年(1)

 紺碧の海を映したような深い青の空に、少年の悲鳴が響いた。
「これだけは許してください! 楽器は吟遊詩人の命なんです」
 の少年ラッド――ラドバーン=キースキンは涙混じりに訴えた。楽器ケースを必死に抱えて。
 だが黒髭の盗賊は容赦しない。体格に物を言わせ、モロコシ髪の華奢な少年を振り回した。継ぎ当てたシャツの肩がピリっと音を立てる。
「寄越せ!」
「許して!」
「ぶっ殺すぞ!」
「はぅわっ! ごめんなさい」
 たまらずラッドは革張りのケースを手放してしまった。奪った盗賊が拍子抜けな声を出す。
「なんだ? デカいくせに軽いじゃねえか」
「て、丁寧に扱ってください」
「だまれガキ!」
「ひぅっ!」
 足をもつれさせてラッドは転んだ。音楽家の繊細な手の平には土の路面でさえ痛い。立ち上がろうとしたが体は思うように動かなかった。歯がガチガチ鳴っている。命の危険に身がすくんでしまったのだ。
(なんて意気地無しなんだ、俺は)
 そう自己卑下したとき、舌足らずな声が脳内に響いた。
”ラッドなさけな~い”
 妄想少女のルビである。リアルで友達がいないラッドは脳内に友達を作っているのだ。その妄想がしゃしゃり出てきた。
”あんなやつら~、やっつけちゃえ~”
「ルビ、ちょっと黙っていて」
「なにぃ、黙れだと!?」
「ごめんなさい!」
 小声を聞きつけた黒髭に怒鳴られ、ラッドは首をすくめた。
(父さん母さんごめんなさい。次男は残念な人間に育ってしまいました)
 妄想の友達と会話する、かなりイタい人間に。
 加えて己の不運を嘆いた。
(やっぱり俺は幸運神フィファナに嫌われているんだ)
 貧弱な体に生まれた事もそうだし、行き交う人もいない田舎道で盗賊に出くわした事もそうだし、極めつけが乗合馬車の客がラッド一人だけな事だ。他に獲物がいないでは、見逃されるはずもない。
(分不相応に馬車なんて使うんじゃなかった)
 一刻前の自分を呪うも時既に遅し。
 ラッドの未来は最良でも身ぐるみ剥がされ一文無し、最悪なら殺される。
 漂泊の身である吟遊詩人は全財産を持ち歩いている。音楽しか取り柄が無いラッドが楽器を奪われ無一文になったら、たちまち飢え死にだ。
 故郷を発って半月足らず、ラッドの人生にフィナーレが流れ始めた。
 さらに妄想少女が追い打ちをかける。
”フィドルとりかえせ~、ラッド~!”
 妄想に無茶振りされる不条理に、ラッドはため息をつくしかなかった。


 黒髭が留め金を外してケースを開けた。弦楽器フィドルの木製ボディが陽光を照り返す。
「直射日光は避けてください」
「だまれガキ!」
「ふひゃい!」
 黒髭は頭目らしき男に楽器を見せた。
「お頭、良さげですぜ」
「お頭ではない。分隊長だと何度言えば覚えるのだ?」
「へいへい、ジンク分隊長どの」
 しゃがれ声で「分隊長」と称した男は身の丈ほどある杖を持ち、黒いローブを着ている。
(あいつは魔法使いなんだろうな)
 乗合馬車の御者が石のように固まっているのは、魔法をかけられたからに違いない。
 手下は黒髭ら四人。手斧や小剣で武装し、雨ざらしの革服である。
(魔法が使えるなら盗賊なんてしないでも稼げるだろうに)
 この国では魔法使い自体が珍しい。故郷の港町には占い師一人しかいなかった。
 訳ありそうな魔法使い――分隊長が無遠慮にフィドルを手に取った。
「手垢が!」
「ガキ!」
「ごめんなさい!」
 縮こまったラッドに分隊長が問いかけてきた。
「小僧、この楽器は値打ち物か?」
「あ――」
(妙なイントネーションだな。外国人か?)
 引っかかりを感じて口ごもった間が幸いし、思考する余裕が生まれた。
(素人に楽器の価値なんて分かるはずがない。よし、それなら――)
「それは、師匠のさらに師匠からのお下がりで、中古の中古の使い古しです」
「金にならんのか?」
「買い手がいますかね、こんな田舎で。音楽家なんて酒場の流しか、俺みたいな吟遊詩人くらいしかいませんよ。見てのとおりの貧乏人です」
「そうか、金にならんのか」
 まんまと分隊長がミスリードに引っかかったので、ラッドはほくそ笑んだ。
(楽器さえ残れば生きてゆける)
 ラッドの心に希望が灯った。
「金にならんのなら、ぶっ壊して薪にでもするか」
「やめてーーー!!」
 ラッドは絶叫した。
「良く乾いているから暖炉にぴったりだな」
「それはクラウト製の高級品です!」
「中古の中古なんだろ?」
「年月が経っても劣化しないのは高品質の証です。安物は一代限りでお下がりにならないんです」
「つまり値打ち物なんだな?」
「はい。だから壊さないでください」
「と言う事は小僧、俺様に嘘を言いやがったんだな?」
「嘘は言っていません。俺が話した事は全部事実です」
「だ、だが安物だと言ったじゃないか」
「安物とは言っていません。お下がりで中古で使い古し、これは全部事実です。値打ち物だと言わなかっただけで『安物だ』なんて嘘は言っていません」
 嘘をつく、それはお師匠様が定めた「吟遊詩人の御法度」の一つである。その為にラッドは「印象操作により誤解を誘う技術」ミスリードを教え込まれた。
 まだ事態を飲み込めない分隊長に、黒髭が呆れ声で言った。
「お頭、吟遊詩人の言う事なんか真に受けんでくださいよ。口先商売ですぜ」
「あ、ああ、吟遊詩人だったな。くそ、引っかかったのか」
 ドブネズミを見る目で分隊長に睨まれ、ラッドは首をすくめた。
(これで愛用の楽器ともお別れか……)
 機転を利かせたのに状況を変える事ができず、ラッドは自分の無力さに打ちのめされる。

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