呪歌使いリンカ(の伴奏者)の冒険譚

葵東

第一楽章 吟遊詩人の少年(3)

 ラッドは弓の糸巻きを回し弦を張る。馬の尾毛を使った弓の弦は毎回緩めるために必要な手順だ。
「小僧、まだなのか?」
 分隊長が急かした。
「良い音色をご所望との事なので、念入りに準備しております」
 声帯も緊張が解けている。ラッドは探りを入れてみた。
「ところで分隊長さんはどちらのご出身で?」
「そんな事を聞いてどうするのだ?」
「外国の歌もいくつか存じていますので、もしかしたら故郷の調べが出来るかと」
「ほう。ムサニ公国だ」
「相済みません。そちらの曲は知りませんで」
「ラデキ大公ぐらいは知らないか?」
「申し訳ございません、そちらも」
 曲どころか国名も初耳だ。大陸東部の新興国は共にルガーン帝国から独立した仲間なので知っているし、大陸中央はクラウト王国など有名な国々。知らないとなると西方辺境地域のどこかだろう。
(わざわざ大陸を横断して、貧乏国で盗賊?)
 何やら訳ありのようだが、今は演奏に集中する。
 地面に胡座あぐらをかいてフィドルのボディを脚に置き、左手でネックを持った。ストラップで吊れば立ったまま演奏できるが、脚に置いた方が安定するのだ。最後の演奏、少しでも良い音にしたい。
 肺の空気を全部吐き切り、大きく吸い込む。
 決まった手順を終える頃には体も解れていた。
 左手で弦を押さえ、右手の弓を弦に当てる。
――客の目を見ろ息を聞け。求めている物を与えるんだ――
 外国人の好みは不明。となれば主賓は手下。言葉からして地元民のはず。
 ラッドは弓を引いて旋律を奏で始めた。出だしはスローテンポ。低い音色に声を合わせる。


 ♪暗黒時代それは災厄の歴史
  悪逆非道ルガーン人の支配♪


 手下達が顔をしかめた。
 オライア人の誰もが不愉快になる題材だからだ。


 ♪太陽神の末裔と称し君臨す
  忌まわしきはルガーン帝国
  民人は奴隷にされ蹂躙さる
  嘆き悲しみ地を覆い尽くす♪


 ラッドが生まれた頃まで、オライア共和国を含む大陸東部は軍事国家ルガーン帝国の領土だった。支配階級のルガーン人は異民族を奴隷として「家畜以下に扱っていた」と聞く。
 ラッドにとっては「歴史」だが、大人達にとっては今なお心が痛む「過去」である。それを歌われれば否応無しにトラウマが蘇り、不快になるのだ。
 だから手下達の反応はラッドの望む所である。
 前段で不快になればなるほど、後段で爽快感が増す。
 客の感情を操る事は「吟遊詩人に必須の技術」なので叩き込まれた。
 ラッドは曲を明るく転調する。


 ♪冬に巡り来た寒い風吹く朝
  帝都は皇帝の城に重臣集う
  現れし皇帝冠無く縄打たれ
  平伏して帝国の敗北を告ぐ
  その縄端を握る者現れ出で
  鈴が鳴る声で高らかに宣す♪


「やめろ!」
 怒声があがるもラッドは手を止めない。
 この吟遊詩「解放の朝」一番の見せ場で止めるなどあり得ない。


 ♪本朝をもちルガーン帝国は
  我がクラウト王国に併合す
  金色の冠金色の髪碧玉の瞳
  後の大王――


 不意の衝撃が左肩を襲い、ラッドは突き飛ばされた。反射的にフィドルを庇って背中から倒れる。
”だいじょ~ぶ? フィドルこわれてな~い?”
(妄想は本体より楽器の心配か?)
 だがある意味正しい。怪我は放っておいても治るが、楽器は傷一つで音質が落ちる。だから身を挺して庇ったのだ。
 ラッドが路面から見上げると、分隊長が足を降ろす所だった。どうやら蹴り倒されたらしい。
”なんだよ~! えんそうのじゃますんな~っ!”
 妄想だけは威勢が良いが、ラッドは自分のヘマに凹んでいた。
(客の反応に気づかないなんて、お師匠様が見たらパンツ一枚で町を一周させられる)
 口癖のように言われただけだが、もしこんな基本中の基本が修業中に出来なかったら、確実にやらされただろう。
 分隊長の怒りに手下達も驚いていて、黒髭がご機嫌を伺う。
「お頭、どうしたんで? せっかくの見せ場が――」
「黙っていろ!」
「へ、へい」
 オライア人なら誰もが歓迎するこの歌に、外国の魔法使いは相当腹を立てていた。
 ゆっくりとラッドは身を起こす。
「これは失礼しました。お気に召さなかったようで」
「ああそうだ。大いに気分を害したぞ」
「それではお口直しに次の曲を――」
「もう良い。小僧、貴様は俺様を怒らせたのだ」
 分隊長の目に嫌な光が宿っている。いじめっ子の目に灯る、嗜虐的な光が。
「だから楽器は――」
 鼠をいたぶる猫の声で言った。
「――小僧、貴様の手で壊せ」
「嫌だ!」
 考えるより先に言葉がラッドの口から飛び出す。楽器を壊すなど論外だ。
「そうか。嫌なら仕方ない。俺様が魔法で消し炭にしてやろう――」
 魔法使いは歯を剥きだして口を歪ませ、いびつな笑みを浮かべた。
「――貴様ごとな!」
「ふぇ?」
「死にたくなければ小僧、自分の手で楽器を壊せ!」
「い……嫌だ……」
「ならば死ね!」
 分隊長は長杖を振りかざした。そして不思議な言葉を口にする。
「ゲイダールダムーデヨ、ボイモールユエ――」
 魔法の呪文とラッドには分かった。故郷の町で占術師が口にしていた呪文とは相当違うが。
「――マスーズ=ジンクの名に於いて我は求む。火のマナよ宿りたまえ!」
 杖から火が噴きだし、杖頭が炎に包まれた。
”まほうだ~、まほうだよラッド~”
「そんな事は分かっている! あの炎がフィドルもろとも俺を焼くって事も!」
 死が駆け足で迫ってくるが、ラッドには為す術がなかった。
(吟遊詩人は野垂れ死ぬものと覚悟していたけど、まさか故郷を出て半月で焼き殺されるだなんて――)
「これが最後だ。小僧、楽器を壊せ!」
”こわしちゃダメだよ~!”
 ラッドはフィドルを抱きしめた。
 楽器は命の次に大切な商売道具だ。これ無しでは稼げない。生きてゆけなくなる。だが、いくら大切でも楽器は命の次なのだ。命の方が大切なのは言うまでもない。
 ラッドの心は決まった。
「い、や、だぁっ!!」
 声を限りに叫ぶ。
 楽器を壊したりしたら、吟遊詩人としての魂まで壊してしまう。
 生まれつきのハンデを、吟遊詩人になる事で乗り越えられたのだ。吟遊詩人である事を止めたら、今までの人生を否定する事になる。そして未来の自分さえも。
「ラドバーン=キースキンは吟遊詩人だ! 吟遊詩人でなくなるくらいなら、吟遊詩人として死んでやる!」
「上等だ小僧、死ねぇ!」



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