豆腐メンタル! 無敵さん

仁野久洋

阿久戸志連宣戦布告③

 こ、こいつ、絶対に大丈夫じゃないぞ! いろんな意味で!


「な、なんで? それ、どういう意味で訊き返してんの?」


 声が震えた。宗像に投げかけられていたものとは比較にならないほどの白い目を、俺は一身に浴びている。それは白いスコール。とか思うとなんだか喉が渇いてくる。あの白いシュワシュワした液体が飲みたくなった。この言い回し、なんかエロい。


「だ、だって。大丈夫かって訊かれたら、そ、そっちのことだと思っちゃうじゃないですか? あ、あたし、こんな公衆の面前で求められたりしてるのかなー、って」
「いや。思わないから。それ、お前だけだから」


 こいつの頭、エロ妄想が圧迫してんじゃない? ちょっとした刺激で、それがすぐに飛び出てくるのがその証拠。キーワードが『大丈夫か?』とか、もう末期レベル。お前の地雷、一体どこに埋まってんの? 普通の会話さえ迂闊に出来ないじゃん、こんなん。


「そ、そんなこと無いと思います。だって、だって、き、昨日、あたしは、ホズミくんに……。は、裸、を……」
「え? おい、待て。ちょっとちょっと待て、お前、ここでそんなこと言ったら」


 昨日あったとんでもないことをクラスメイトたちに発表するという果てしない愚挙に出そうな無敵さん。俺は体裁など気にしている暇も考える時間もなく、それを阻止しなければならなかった。なのに。


「えっ? なになに? 昨日? 裸? 何があったの、二人? 教えてー、無敵さーん」
「な、七谷っ!」


 並んで立っている俺たちの間にごりごりと割り込んで来た七谷が、無敵さんに続きをせがんだ。


「待て! お前、変なとこに食いつくなよ! 今はそんな話している場合じゃねぇだろぉ!」
「何を焦ってんのー、オトっちゃーん? 怪しい。怪しいなー。いいから言っちゃいなよ、無敵さん。オトっちゃんなら、菜々美が、ほら、この通り。押さえておいてあげるからっ」
「ぐああ。おま、おい、そんなにひっついたら!」


 俺は後ろに回り込んだ七谷によって、羽交い絞めにされていた。
 速い! おかしい! こいつの動きも尋常じゃねぇぞ! それより、俺の背中になんだかぽよよんとした感触が! 首筋には、七谷のほっぺたが! 吐息が! なんとも変な気持ちにさせられるいい匂いが! ぶっちゃけ凄く気持ちいいけど! 凄く名残惜しいんだけれども! とにかく無敵さんを止めないと!
 そう思いじたばたともがくも、七谷の拘束からは逃れられない。
 なんだこいつ! 見かけからは想像もつかない凄い力だ! 俺、男としての自信を失いそうなんだが!


「そ、そんなに知りたいですか? じゃ、じゃあ、仕方がない、ですよね」
「なんでだっ!? 何にも仕方がなくないぞぉ!」


 そして、とうとう無敵さんの唇が、あの忌まわしくも官能的な出来事を、クラスメイトたちに知らしめた。
 おお、神よ。あなたは、なぜ、何ゆえに、ここまで俺に過酷な試練を強いるのですか? やっぱりラブコメ神だからですか? いつか、いつの日にか、俺がそちらに行ったなら……、絶対に殺してやろうと思うので、覚悟しとけよコノヤロー!


「……だからあたし、もうお嫁に行けない体にされたんです! ホズミくんの視線によって!」


 泣き崩れる無敵さん。女子からの耳を劈く悲鳴が上がる一年三組。もはやそれは超音波。窓ガラスとかビリビリに震えてる。


「ほえー……」


 とだけ言ったあと、ふわふわとした白いもやっぽい塊を口から出した留守先生はフリーズした。これ、多分魂が抜けかけている。留守先生には、エロ耐性が無かったらしい。
 あれー? おかしいなー? 昨日、俺を意のままに操ったあのテクニックはなんだったのー? もしかして、ハウツー本で得た知識―?


「……げ、下劣なヤツめ」


 宗像は口をへの字にしているものの、顔が真っ赤に染まっている。こいつ、結構シャイだった。


「もうサイテー! ホズミって、どこまで腐ってやがるのよ!」
「ドSでホモで、視姦魔で! あいつ、もしかしたらあたしたちも、もう視線で穢しているのかもしれないわ!」


 女子、談。うわぁ。それはひどい男ですねぇ。ははははははは。


「マジかよ。いいなぁ、ホズミ。無敵さん、体だけなら相当いいセンいってるよな」
「でもよ。密室で二人きりだぜ。そんなことがあって、本当に見るだけで帰るかぁ?」


 男子、談。まぁな。確かに、あれからあんな話さえしなけりゃあ、俺も帰ってなかったかも。


「う? い、いででででで! お、おい、七谷!」


 七谷の羽交い絞めが急にきつくなった激痛に耐えかね、俺は声を上げていた。ほんとになんて力だよ。まるで万力に締め付けられているようだぜ。いたたたたた。


「うるさい。覗き魔に痛いとか訴える権利は無いよ」
「いだーっ! ち、違う! あれは事故だ! 見たくて見たわけじゃあない! しかも、くっきりとは見えてない!」
「うそ。本当は見たかったでしょ?」
「んなことはねぇ!」


 断言した。実は誘惑に完敗していたが、それを正直にゲロするほど、俺は愚かではない。


「でも。ホズミくん、あたしのバスタオルが落ちるのに気付いて、『うわあああ』とか叫んでいながら、目はちっとも閉じようとしてませんでしたよ?」
「ほら、やっぱり」
「ぎゃああああ! いてぇーっ!」


 首の骨がそろそろボキボキという悲鳴を上げ始めた。死ぬ。マジで死ぬ。このままでは殺されるぅ! こいつ、なんでそこまで怒ってんだよぉ! な、なんとかしなければ。口でなんとかしなければ!


「ぐああ。な、七谷。そこまで覗きに対して怒りに燃えるということは、お前はきっと正義感の溢れる素晴らしい人ってことなんだろう。し、しかし。覗きと同じく、今、お前が振るっている暴力だって、社会的には罰せられるべき悪じゃあないか?」


 これでどうだ。いくら悪事が見逃せないからって、それに悪事で対抗してはダメだろう。七谷にこれを気付かせ、羽交い絞めを解除させてやる。という俺の作戦は逆効果だった。なぜか火に油を注いでいた。


「違うし。菜々美、正義感なんてほんのちょっぴりしか持ってないし。それに、心の痛みに見合う罰って、与えるのが難しいもんでしょ? 特に“覗き”なんてダメージじゃさ。だからこの暴力はその代わり。こっちはしばらくしたら何事もなかったように元通りになるんだから、罰としては軽いでしょ?」
「違うのかよ! じゃあなんだってそんなに怒ってやがんだよ!」


 ラノベであれば、ここは『俺のことが好きなんじゃね?』ってことになるけれど、つい二日前に会ったばかりの、しかもこんなに可愛い女子に、すでに好かれているとか考えてしまうほど、俺は自惚れたりしていない。俺の容姿って一目惚れをされるほどでもないし、実際、そんなことは一度も無い。
 でも、一目惚れでなければ、という可能性を考えれば、前にも会っているってことになる。
 が。
 俺は、ここへの入学以前、七谷に会った記憶は無い。忘れている場合もあるかもだけど、こいつの可愛さはかなり印象に残るはず。
 待てよ。そういえばこいつ『変わらないね、オトっちゃん』って言ってなかったか? 俺、こいつと会ったことが、ある……? つーか。


「がはーっ! そんなの全然納得出来ねぇ! 抵抗出来ない状態で説得しても、俺のが圧倒的に不利だったー!」


 羽交い絞め、続行中。意外な理論武装を施された七谷の意志は固かった。反して、ほどよく大きな七谷の胸は柔らかい。天国と地獄が同居する俺の背中は、今やサタンと釈迦如来が手を取り合って激しいブレイクダンスをしているかのようなカオスだったけど、もうそれを楽しむしかないよね!
 と、脳内快楽物質を無理やり分泌させていた俺の耳に、女子たちの他愛ない会話が入って来た。他愛ない? そう思ったのは一瞬だけだったのだが。


「あ。そっか。無敵さんがさっき言ってたセリフってさ」
「あー。わたしも思ったー。あれ……」
「そうそう。あれって絶対『少女探偵セリカ』の決めセリフだよね」


 少女探偵セリカ? 結構昔にやってた推理ドラマだな。そういえば主人公の探偵少女、推理パートになると、よく『そうかも知れません。でも、そうじゃないかも知れません』っていうセリフで、犯人役を追い詰めていたっけ。だから宗像もおちょくられていると感じて、あんなに怒ったってわけだ。


 しかし、あれを無敵さんが真似してた? この場面で? 自己紹介で死にたくなるような無敵さんに、そんなことする余裕があるとも思えないんだけど。
 てゆーか、宗像を追い詰め始めた無敵さん、ほとんど別人になってたけど。まさしく『セリカ』が乗り移ったかのように。こんなにはっきりと意見を主張出来るなら、人前であんなにビビる必要だって……。


「そういえば。『セリカ』って……」


 七谷の怪力に抗い、ぎりぎりと鳴る首を無敵さんへと向けてみる。
 あのドラマがやっていたのは、五年前。そして、主人公のセリカを演じていたのは、なんと若干十歳の、本当の少女だった。『少女探偵セリカ』を最後に、ぷっつりと姿を消してしまったが、あの少女が成長したら、ちょうど俺たちと同じ学年くらいなはずだ。
 記憶の棚を引っ張り出すまでもない。俺はあのドラマが好きだった。正確に言えば、主演の少女が好きだった。芸能人全般、アイドルにさえさして興味の無かった俺が、あの子のドラマだけはきっちり録画してDVDにちゃんと焼いて保存までしていたくらいに。


 いや、しかし。あのキラキラとした彼女と、無敵さんの地味さでは、いくらなんでもギャップがありすぎだ。あの、キラキラとした、瞳、とは……!





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