豆腐メンタル! 無敵さん

仁野久洋

三日目七谷水難事件⑫

「ふっ。黙っているということは、負けを認めたに等しいな。では、宣言通り、俺はお前の号令には従えない。とはいえ、今後のことを考えると、それでは困る。従って、不本意ではあるが、号令だけは優しい俺が、お前の代わりにかけてやってもいいだろう。正常なクラス運営の為、お前が『お願いします、宗像様』と言えば、の話だが。まぁ、武士の情けというやつだ。ふふふ。ふはーっはっはっはっはっは!」
「くっ……」


 宗像の高笑いが、さざめく波紋のように広がってゆく。こいつ、やはり波紋使いか。


「ち。なんだよ、ホズミめ。せっかく立ってやったっていうのによ」
「あーあ。なーんか、期待外れっていうのー? しらけちったな、あたしー」


 さっき立ちあがってくれた者たちも、口々に俺への不満を吐き出した。
 宗像への最初の反応で、俺の手は尽きていた。俺はもろに“知らない”という反応を見せてしまっていたのだから。そのせいで“嘘八百”が封じられ、その場で適当に想像して答えることが出来なくなった。
 最初の一手を誤った。ただそれだけで致命傷を負っていた。気付いた時にはもう遅い。もう取り返すことは出来ない。このミスは、もう、どうにも出来ない……。


「はははは。一体何をそんなに悩んでいるんだ、ホズミ? お前、難しく考えすぎなんじゃあないのか?」
「後藤田?」


 敗北を悟り、絶望していたところへ陽気に語りかけてきたのは、リアルに変態な後藤田だった。どうやら俺を助けてくれるつもりのようだが、どうにも期待出来ない自分がいる。


「始業時の号令なんて、普通に考えて礼儀だろ? 教えを乞うんだから、お願いしますという気持ちを込めて礼を示しているわけだ。それ以上でも以下でもないと俺は思うが、そうだろ、宗像?」


 予想通りだ。後藤田の意見は思った通り的外れ。


「はぁ? そうだろじゃねーよ。んなこた分かってんだよ、後藤田とやら。問題は、なぜそれを一斉に、号令の元に行うのかってことだろが? 言っておくが、効率的だからって答えは間違いだぜ。だってそうだろう? 効率的な礼儀なんて返って無礼だとしか思えねぇ。みんな、そんなあったりまえのところは最初っからすっ飛ばしてんだ。議論を一段階手前まで引き戻してんじゃねぇよ、このボケが」
「ボボボボボ、ボケッ? ぎゃ、ぎゃふぅーーーん!」


 後藤田は宗像からの容赦ない反撃に遭い、昔懐かしい悲鳴と共に轟沈した。
 こいつ、ちょっと素直すぎだ。言うこと成すこと分かりやすくてもう安心しちゃうレベルだわ。……でも、もし。もし、友達にするのなら……。俺は、こういうヤツの方がいい。


「……そうだな。クラスを正常な状態にするのも委員長の務めだ」


 覚悟を決めた俺は、宗像に正対し、しっかりと目を見つめた。
 人に『お願いします』と頭を下げるのは嫌じゃない。ただ、強要されてそうするのが嫌なだけだ。しかし、この場合は嫌だと言っていては収まらない。プライド? あるさ。でも、俺のプライドは、自分を守るためにあるんじゃない!
 心は決まった。俺はゆっくりと、宗像に、頭を――


「待ってください、ホズミくん」
「え? 無敵、さん?」


 がっしと俺の肩を掴んでその動作を阻んだのは、目を見開いた無敵さんだった。おい。お前、また顔が近すぎるから。あと、目。
 開くな! 眩しい! お前の目、なんでそんなにキラキラしちゃってんだ! その目で見つめられると、心臓がバクバクして気持ち悪くなるんだよぉ!


「宗像くん。その問い、あたしが答えてもいいですか? 副委員長として、委員長を助けるのは当然だと思いますけど、どうでしょう?」


 タオルをばさっと取り払った無敵さんは、すぐに線になった目を、宗像へと向けていた。


「ダメだ」


 が、宗像はにべもなく拒否した。ぴしっとポーズを決めて。


「そうですか。ごめんなさい。あ、あたしなんかが意見するなんて、やっぱりダメに決まってますよね? あたし、ウジ虫よりも役に立たない人間だし。し、死んだ方がいいですもんね」


 それを無敵さんはあっさり承諾。
 うおおおおおい! おま、助けてくれるんじゃねぇのかよ!? 弱過ぎだろ、お前のメンタル! そこ、どうにかしてくれよぉ! なんだよ、さっきの無駄な盛り上がり! 俺、お前のこと、ちょっとかっこいいとか思っちゃったんだぞ!


「いーえ。ありですよー、宗像くん」
「む? 留守先生?」


 黒野によって窓際に追いやられていた留守先生が、いつ戻ったのか教卓から宗像に微笑みかけていた。


「なぜなら、ホズミくんの号令を拒否した場合、次にその役を担うのは、宗像くんじゃおかしいわ。そこは副委員長さんになるのが自然でしょ? でも、その副委員長さんがあくまでもホズミくんでの号令を望み、こうして後を引き受けたのなら、あなたはこれを受ける義務があるのよ」
「なっ! しかし!」
「宗像くんはこれを卑怯だとか思うのかも知れないわね。でも、違うわ。そうじゃない。だって、これは始めから『クラス委員チーム』と『宗像くん個人』との、話し合いという戦いなの。人と人とが戦う時には、スポーツであろうと戦争であろうと、必ずその場に相応しい、適したルールが存在するの。それは最初に説明されないかも知れないけど、現実社会でのこういった戦いは、常にこうしたものなのよ」
「うっ……!」


 にこやかにして訥々とした留守先生の講釈に、宗像は。


「分かりました。これは、俺の考えが足りていなかったということか。いいでしょう。無敵さんの挑戦、受けて立とうじゃないか!」


 宗像は「キャシャーーーーンッ!」とか叫んでなんとも歪なポーズを決めると、不自然な感じでちょっと飛んだ。クラスのみんなは、そんな宗像をもう見ないようにしている。みんな、顔が不自然に横向いてるもん。


「うん、潔いいい子ですね、宗像くん。はい、では、無敵さん」
「は、はは、はいっ」
「思う存分、語ってね」


 留守先生が、万人の心を蕩けさせる笑顔で無敵さんへと手を差し伸べた。しかも、ぱちんとウィンクのおまけつき。このウィンクの方が無敵だろ!


「はいっ!」


 無敵さんらしくもない小気味のいい返事には、気迫というべきものが宿っていた。 




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