豆腐メンタル! 無敵さん
三日目七谷水難事件③
「おおおおおお、おはよぅ、ございぃ、ますぅ」
カララララ、と思い切り悪く教室後ろのスライドドアを引き開けて、無敵さんが入って来た。そーっとそーっと、物音を立てないように忍び足で泥棒のように侵入してくる無敵さん。彼女が歩いたあとには、なめくじみたいにぬめぬめと光る道が出来ている。
無敵さんは今、泥棒のようななめくじになっていた。……せっかく登校してきたところ悪いけど、もう帰ってくれないかな、こいつ。
「お、おはよぅ、無敵、さん……?」
「お、おは、よ……」
辛うじて挨拶を返した者もいたが、大半のクラスメイトが硬直していた。ばっしゃんばっしゃん、びっちょんびっちょんと床を騒がしく叩きまくる大粒の水しぶき。それは無敵さんの髪やスカートの端、手に提げられたカバンの底などから容赦なく滴り落ちていた。
「お、おはよ、ホズミくん。あの、き、昨日は……」
「……………………」
俺は絶句していた。「え? あたし、どこか変かな?」って感じで俺を見るな。お前、頭のてっぺんから足のつま先まで、全てが完全におかしいから。それがデフォルトとかいうなら話は別だが。
でも、昨日家に行った時も濡れてたっけ。そうか。こいつはこれが正常な状態なんだ。きっとそうに違いない。
「ああ、おはよう。昨日は急に帰っちゃってすまなかった。結局聞けなかったけど、昨日ってどうして学校休んだんだ?」
俺など比べ物にならないほどに水浸しとなっている無敵さんだが、これが正常であるならば問題はなにもないので、俺は普通に会話することにした。
「か、帰っちゃったのはいいんですけど。その様子だと、水無人くんから無事に逃げきれたみたいで良かったです」
にぱ、と笑う無敵さん。前髪が顔に張り付き、完全に目を隠してしまっているので口元でしか表情は確認出来ないけど、多分笑っているんだろう。
「あー。まぁ、な。ずいぶん危険なやつみたいだから、もう絶対に会いたくない。で、昨日学校を休んだ理由は? 俺、そのせいでお前の家まで行ったんだが」
「そ、そうだったんですか? そういえば、ホズミくんこそ、昨日はどうして制服なんか? 学校は、昨日休みでしたよね?」
「いや、学校じゃなくて、お前が休んでたんだろう?」
「え? 違いますよ。学校が休みだったんですよ?」
「は? 何言ってんの、お前?」
どうにも会話が噛み合わない。てか、こんなずぶ濡れになってる子と普通に話すってのがもう異常。ああ、イライラする。突っ込みどころがあり過ぎるのに触れないようにするのって、こんなに気持ちが悪いんだな。
「何って……? ほら、昨日はこの高校の創立記念日だったでしょう? それでお休みだったんです」
無敵さんは水をぼたたたた、と垂らしながら力説した。
「はぁ? おま、それって誰から教えられたの?」
突っ込む所は一つ一つ消化していこう。まずはこれだ。昨日から気になっていた学校を休んだ理由。でも、まさかこんなアホな理由だったとは思わなかった。どこの世界に新学期二日目を創立記念日休校にする学校があるんだ。騙されてんじゃねーよ。気付けよ、この馬鹿。
しまったな。話が長くなりそうだ。先に携帯を返してもらえば良かったが……。
「誰って。阿久戸くんですけど」
「阿久戸……?」
思いがけない名前に、俺は教室最前列へと視線を流した。窓際一番前の席には、春風を受けてさらさらと髪を遊ばせる阿久戸志連の後ろ姿がある。
阿久戸は何人かの女子に囲まれ談笑していた。阿久戸の口から爽やかに軽やかに歌うように発せられる言葉たちは、会話でワルツを踊っているようだ。
その光景に、俺はぞくりとした悪寒を走らせた。ねとねととしたワームが、背中を這いずり回っているようだ。直後。
「はーい。二人だけの世界に入っているところ悪いけど、そろそろ菜々美も口出しするねー。無敵さん、ものっそいずぶ濡れなんだけど、タオルとか持ってるのー?」
「ふふふ、二人だけの世界なんか作ってねぇっ!」
俺と無敵さんの間に割って入ったのは、七谷菜々美だった。
「つーか、なんで不機嫌になってんの? 無敵さんを心配し過ぎなんじゃないか、七谷? こいつの場合、これがデフォルトなんだから、そんな心配いらねーよ」
「んなワケあるかっ」
ぺしん、と七谷に頭をはたかれた。ああ、こういうのって久しぶりかも。結構嬉しいもんなんだな。こういう気を使わない扱いって、いざされなくなると寂しいらしい。
「あ。タ、タオルは持ってないです、けど」
「んじゃ、菜々美がひとっ走りして、また持ってきたげるよ。待っててね、無敵さん。でも、これって一枚じゃ足りそうにないねー。たははは」
言うが早いか、短すぎるスカートを際どいところまでひるがえし、七谷はまた職員室へと走っていった。一部の男子たちから「おおお」という喚声が上がったので、七谷のスカート丈にドギマギしているのは俺だけじゃあなかったらしい。安心したぜ。俺は普通だったのだ。
「それにしてもお前、俺と同じで、その水かけられたの玄関前だろ? 上を見たか?」
玄関は校舎のど真ん中にある。下駄箱を上がってすぐ階段があり、踊り場を経て二階へと至る。その二階に上がってすぐの所が、玄関の直上。そこには窓があるのだ。俺たちにかけられた大量の水は、まず間違いなくそこからぶちまけられたはずだ。
こんだけピンポイントにこれだけの水を降らせようと思えば、三階だと難しい。感じた水圧から考えても、二階からと見るのが妥当だろう。ということは、こんなイタズラをした犯人は二年生である可能性が高い。二階は二年生の教室が並んでいるのだから。
俺たち一年生がそんなところにいたら不自然だ。三年生でもちょっと変だなとか思うだろう。その違和感は犯人の特定を早める結果をもたらすに違いない。バレるのが嫌なのであれば、そんな危険は犯すまい。
もし、バレたくないのであれば、だが。
「いえ。み、見てないです。あ、あたし、何が起こったのかしばらく分かんなくって」
「だろうな。俺もしばらく硬直した」
と話しているにも関わらず、無敵さんは廊下側から二列目、前から二番目の席へ、のろのろと歩いてゆく。そこは入学初日“だけ”、無敵さんの席だった場所だ。俺の右隣に席が替っていることを、無敵さんは知らない。昨日、休んでいるのだから。
すぐに教えてあげればいいのだが、「あいつ、そのまま元の席に収まらないかなー?」という希望に、俺は縋った。が。
「あ、あの、あの」
と、元の自分の席に座っている女子に、小声でおずおずと話しかけようとしている無敵さんを見ていたら。
「無敵さん。貴様の席はそこではない。ホズミの隣が新しい貴様の席だ」
と、黒野が冷たい声音で言い放った。
「へ? そ、そーなんですか? で、でも、どうして?」
びくっと肩を震わせて、そろりと振り返る無敵さん。良く知らない人にいきなり怖そうな感じで話しかけられ、相当動揺しているようだ。
「どうして、だと? それは、貴様が阿呆だからだ。そんなことも分からないのか。この愚図が」
「は、はひぃっ! すすす、すいませんごめんなさいすいませんごめんなさいっ!」
がくがくと震える無敵さんから、水がしぱぱぱぱ、と飛び散った。震え方が電動歯ブラシみたいだ。超音波とか、絶対出てる。
「ち。なぜ、そうすぐに謝る? なにをそんなにびくびくとしているのだ? いいから座れ。貴様が無駄に動けば、教室が無暗に水浸しになってゆくのだからな。私はそういうのが我慢ならん。さぁ、分かったら速やかに座るんだ」
「お、おい。黒野」
視線は本に固定したまま、黒野は容赦なく無敵さんを責めたてる。これにはさすがに無敵さんが気の毒に思えた。
こいつ、委員長キャラだとばかり思っていたが、どうやら毒舌キャラだったらしい。ヤバい。ラノベの中であればわりと好きなキャラだけど、現実には出会いたくなかったぞ。
カララララ、と思い切り悪く教室後ろのスライドドアを引き開けて、無敵さんが入って来た。そーっとそーっと、物音を立てないように忍び足で泥棒のように侵入してくる無敵さん。彼女が歩いたあとには、なめくじみたいにぬめぬめと光る道が出来ている。
無敵さんは今、泥棒のようななめくじになっていた。……せっかく登校してきたところ悪いけど、もう帰ってくれないかな、こいつ。
「お、おはよぅ、無敵、さん……?」
「お、おは、よ……」
辛うじて挨拶を返した者もいたが、大半のクラスメイトが硬直していた。ばっしゃんばっしゃん、びっちょんびっちょんと床を騒がしく叩きまくる大粒の水しぶき。それは無敵さんの髪やスカートの端、手に提げられたカバンの底などから容赦なく滴り落ちていた。
「お、おはよ、ホズミくん。あの、き、昨日は……」
「……………………」
俺は絶句していた。「え? あたし、どこか変かな?」って感じで俺を見るな。お前、頭のてっぺんから足のつま先まで、全てが完全におかしいから。それがデフォルトとかいうなら話は別だが。
でも、昨日家に行った時も濡れてたっけ。そうか。こいつはこれが正常な状態なんだ。きっとそうに違いない。
「ああ、おはよう。昨日は急に帰っちゃってすまなかった。結局聞けなかったけど、昨日ってどうして学校休んだんだ?」
俺など比べ物にならないほどに水浸しとなっている無敵さんだが、これが正常であるならば問題はなにもないので、俺は普通に会話することにした。
「か、帰っちゃったのはいいんですけど。その様子だと、水無人くんから無事に逃げきれたみたいで良かったです」
にぱ、と笑う無敵さん。前髪が顔に張り付き、完全に目を隠してしまっているので口元でしか表情は確認出来ないけど、多分笑っているんだろう。
「あー。まぁ、な。ずいぶん危険なやつみたいだから、もう絶対に会いたくない。で、昨日学校を休んだ理由は? 俺、そのせいでお前の家まで行ったんだが」
「そ、そうだったんですか? そういえば、ホズミくんこそ、昨日はどうして制服なんか? 学校は、昨日休みでしたよね?」
「いや、学校じゃなくて、お前が休んでたんだろう?」
「え? 違いますよ。学校が休みだったんですよ?」
「は? 何言ってんの、お前?」
どうにも会話が噛み合わない。てか、こんなずぶ濡れになってる子と普通に話すってのがもう異常。ああ、イライラする。突っ込みどころがあり過ぎるのに触れないようにするのって、こんなに気持ちが悪いんだな。
「何って……? ほら、昨日はこの高校の創立記念日だったでしょう? それでお休みだったんです」
無敵さんは水をぼたたたた、と垂らしながら力説した。
「はぁ? おま、それって誰から教えられたの?」
突っ込む所は一つ一つ消化していこう。まずはこれだ。昨日から気になっていた学校を休んだ理由。でも、まさかこんなアホな理由だったとは思わなかった。どこの世界に新学期二日目を創立記念日休校にする学校があるんだ。騙されてんじゃねーよ。気付けよ、この馬鹿。
しまったな。話が長くなりそうだ。先に携帯を返してもらえば良かったが……。
「誰って。阿久戸くんですけど」
「阿久戸……?」
思いがけない名前に、俺は教室最前列へと視線を流した。窓際一番前の席には、春風を受けてさらさらと髪を遊ばせる阿久戸志連の後ろ姿がある。
阿久戸は何人かの女子に囲まれ談笑していた。阿久戸の口から爽やかに軽やかに歌うように発せられる言葉たちは、会話でワルツを踊っているようだ。
その光景に、俺はぞくりとした悪寒を走らせた。ねとねととしたワームが、背中を這いずり回っているようだ。直後。
「はーい。二人だけの世界に入っているところ悪いけど、そろそろ菜々美も口出しするねー。無敵さん、ものっそいずぶ濡れなんだけど、タオルとか持ってるのー?」
「ふふふ、二人だけの世界なんか作ってねぇっ!」
俺と無敵さんの間に割って入ったのは、七谷菜々美だった。
「つーか、なんで不機嫌になってんの? 無敵さんを心配し過ぎなんじゃないか、七谷? こいつの場合、これがデフォルトなんだから、そんな心配いらねーよ」
「んなワケあるかっ」
ぺしん、と七谷に頭をはたかれた。ああ、こういうのって久しぶりかも。結構嬉しいもんなんだな。こういう気を使わない扱いって、いざされなくなると寂しいらしい。
「あ。タ、タオルは持ってないです、けど」
「んじゃ、菜々美がひとっ走りして、また持ってきたげるよ。待っててね、無敵さん。でも、これって一枚じゃ足りそうにないねー。たははは」
言うが早いか、短すぎるスカートを際どいところまでひるがえし、七谷はまた職員室へと走っていった。一部の男子たちから「おおお」という喚声が上がったので、七谷のスカート丈にドギマギしているのは俺だけじゃあなかったらしい。安心したぜ。俺は普通だったのだ。
「それにしてもお前、俺と同じで、その水かけられたの玄関前だろ? 上を見たか?」
玄関は校舎のど真ん中にある。下駄箱を上がってすぐ階段があり、踊り場を経て二階へと至る。その二階に上がってすぐの所が、玄関の直上。そこには窓があるのだ。俺たちにかけられた大量の水は、まず間違いなくそこからぶちまけられたはずだ。
こんだけピンポイントにこれだけの水を降らせようと思えば、三階だと難しい。感じた水圧から考えても、二階からと見るのが妥当だろう。ということは、こんなイタズラをした犯人は二年生である可能性が高い。二階は二年生の教室が並んでいるのだから。
俺たち一年生がそんなところにいたら不自然だ。三年生でもちょっと変だなとか思うだろう。その違和感は犯人の特定を早める結果をもたらすに違いない。バレるのが嫌なのであれば、そんな危険は犯すまい。
もし、バレたくないのであれば、だが。
「いえ。み、見てないです。あ、あたし、何が起こったのかしばらく分かんなくって」
「だろうな。俺もしばらく硬直した」
と話しているにも関わらず、無敵さんは廊下側から二列目、前から二番目の席へ、のろのろと歩いてゆく。そこは入学初日“だけ”、無敵さんの席だった場所だ。俺の右隣に席が替っていることを、無敵さんは知らない。昨日、休んでいるのだから。
すぐに教えてあげればいいのだが、「あいつ、そのまま元の席に収まらないかなー?」という希望に、俺は縋った。が。
「あ、あの、あの」
と、元の自分の席に座っている女子に、小声でおずおずと話しかけようとしている無敵さんを見ていたら。
「無敵さん。貴様の席はそこではない。ホズミの隣が新しい貴様の席だ」
と、黒野が冷たい声音で言い放った。
「へ? そ、そーなんですか? で、でも、どうして?」
びくっと肩を震わせて、そろりと振り返る無敵さん。良く知らない人にいきなり怖そうな感じで話しかけられ、相当動揺しているようだ。
「どうして、だと? それは、貴様が阿呆だからだ。そんなことも分からないのか。この愚図が」
「は、はひぃっ! すすす、すいませんごめんなさいすいませんごめんなさいっ!」
がくがくと震える無敵さんから、水がしぱぱぱぱ、と飛び散った。震え方が電動歯ブラシみたいだ。超音波とか、絶対出てる。
「ち。なぜ、そうすぐに謝る? なにをそんなにびくびくとしているのだ? いいから座れ。貴様が無駄に動けば、教室が無暗に水浸しになってゆくのだからな。私はそういうのが我慢ならん。さぁ、分かったら速やかに座るんだ」
「お、おい。黒野」
視線は本に固定したまま、黒野は容赦なく無敵さんを責めたてる。これにはさすがに無敵さんが気の毒に思えた。
こいつ、委員長キャラだとばかり思っていたが、どうやら毒舌キャラだったらしい。ヤバい。ラノベの中であればわりと好きなキャラだけど、現実には出会いたくなかったぞ。
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