豆腐メンタル! 無敵さん

仁野久洋

八月一日留守無敵⑦

「そうか。無敵さんがそう思うのならそれでもいい。しかし、それが本当にいい方法だとでも思っているのか?」


 俺はふふん、と鼻にかけた笑みをこぼして無敵さんをぞんざいに見下した。


「こ、こわいぃ……」


 すると、無敵さんはぷるぷると小動物よろしく震え出した。すげぇ涙目。もう泣く。すぐ泣く。絶対泣く!


「ご、ごめんごめん。ほ、ほら。怖くないよー?」


 俺は両手の人差し指で自分の頬を突き、ママの味がするキャンディを舐めている少女のように舌を出した。
 はっ。な、何をしているんだ、俺は。咄嗟だったとはいえ、これはあまりにもアホ過ぎる!


「ほんとう?」


 ぐし、と鼻を鳴らした無敵さんが上目使いに俺のアホ面を見つめる。「幼稚園児かっ、テメーはぁ!」とか怒鳴りそうになるのをなんとか堪え、俺は「うん。もちろんだよー」と愛想笑い。


「よかったぁ」


 ほ、と胸を撫で下ろす無敵さん。俺もつられて息を吐く。
 いや、「よかったぁ」じゃねーよ。話が進んでねーじゃんか。この子、かなりの怖がりみたいだな。大声で思考回路を麻痺させるという、説得における“力技”は使えないってことか。でも、今のは大した威嚇になってなかったと思うけど。デリケートな子だな。
 そこで、ぽん、と俺の頭に豆腐が浮かんだ。それも白く艶やかな絹ごし豆腐だ。そして無敵さんと重なった。ふ、と俺の口から笑みが漏れる。


「なにがおかしいの?」
「あ、いや。なんでもない」


 無敵さんの怪訝な視線を遮るべく、俺は慌てて手を振った。


「それよりも、だ。サバンナ行くとかアホなこと言ってないで、もう教室に戻ろうぜ。すぐに入学式だって始まるんだからな。講堂に行く方が先決だ」


 この高校では、一旦新入生を教室に集めたあと、HRでの説明を経て、入学式へと移行する。今は二、三年生が合同で始業式を行っているところだ。
 あと、ここって入学初日に在校生が新入生にちょっかいをかけることで有名なんだよな。しかし、昔からのその伝統も、二年前から入学式と始業式が分けられたことで、消滅したって聞いたけど。
 かなり派手な伝統だった、ということだろう。俺たち新入生にとって、多分いいことではなかったはずだ。


「いやです。あたしはサバンナへ渡ります。そして、ライオンさんに救ってもらうのです」


 無敵さんは、決意を秘めた拳を固めた。俺は正直げんなりしたが、辛うじて表情には出さずに堪えた。
 はぁ。やれやれ。それじゃあ、言弾の二発目を発射するとしようか。ちなみにこの《言弾》というのもある大ヒットゲームのパクリだ。なんだよ。思っているだけなんだからいいだろ、別に? と、自分で自分に言い訳する。


「それだけどさ、無敵さん。サバンナへ渡ったあとは、どうやってライオンに会うつもり?」
「えっ?」


 無敵さんがきょとんと首を傾げた。
 この反応だと、やっぱりその辺までは考えていなかったみたいだな。愚かなヤツよのぅ。フヒヒヒ(下衆顔)。


「サバンナって言えばアフリカだろうけどさ。例えばインドでもアフリカでも、野生のライオンって国定公園とかにいるんだぜ。そりゃあ日本じゃ考えられないくらいに広大な公園だから、侵入するのは容易いかも知れない。でも、そこに行くまでにはいろいろと煩雑な手続きだって待っている」
「そ、それってどういう……?」
「つまりさ。ライオンに食べられようと思ったら、こっそりと公園内に入り込んで、徒歩でキャンプやらしながら探さなくちゃならないってこと」


 そこまで言うと、無敵さんは「うーん」と苦しそうに唸りだした。
 よしよし。分かってきたみたいだな。《現実の厳しさ》ってやつが!


「車で探すことが出来れば簡単だけど、そんな理由でライオンに会いたいとか言って、協力してくれるドライバーがいるとでも思う? 嘘をついて真っ当な業者に頼んでも、当然安全第一になるはずだ。密猟者なら請け負ってくれるかもだけど、そんなやつらが信用出来る? それに、サバンナやらサファリやらには、もちろんパロトールしている管理者だって常駐してる。彼らに見つからないようにもしなくちゃならない」


 無敵さんは「むむむむむ」と腕を組んだ。
 そろそろいいか。さっきの自己紹介で思ったけど、この子はやたらと人に気を遣うタイプなのかもしれない。もしそうなら、これでとどめを刺せるはずだ。


「それに第一“アシ”がつく。無敵さんがアフリカに渡ったって記録は残るんだ。じゃあ、いつまでも帰国しなければどうなる? 捜索願だって出るだろ? 捜査が始まれば、誰かがアフリカにまで行かなくちゃならない。死体が見つかれば、運搬だって必要だ。金もかかれば人手も時間も相当かかる。これって迷惑な話だろ?」
「め、迷惑っ……!」


 無敵さんの目がくわ、と見開かれた。うわ。目、でけぇ。


「迷惑。迷惑ぅ……。あ、あたしは、迷惑を、かけたく、ない……」


 無敵さんは、がっくりと肩を落として項垂れた。それはもう、見るからに「しょぼーん」としたたたずまいだった。こんなに見事な「しょぼーん」には、そうそうお目にかかれない。てか、初めて見た。そして見たくなかった。
 こんなに気の毒な姿を見せられちゃ、こっちもしょんぼりしてきちまう。でも、やっぱりそういうことか。どういう理由があるんだか知らないが、この子は自分をとてつもなく卑下している。名前を知らせることはおろか、生まれてきたことさえも謝罪してしまうくらいなのだから。
 きっと“存在”すること自体が、人に迷惑をかけていると思い込んでいるんだろう。……待てよ。そんな馬鹿な。生きているだけで迷惑な人間なんているのか? 何があったらこんな風になれるんだ?


「……ま、いいか。俺には関係の無い話だ」
「ふぇ?」


 俺のひとり言に反応し、無敵さんが顔を上げた。
 なんて頼りない顔だ。自信なんて、微塵も無さそうな表情だ。さっき大きく見開かれた瞳も、暗さを印象付ける長めの前髪に隠れてしまっている。なんてイライラするやつなんだ。俺の一番嫌いなタイプだ。
 何も出来ないからとか容姿が劣っているからとか頭が悪いからとかいろいろと言い訳をして、それをちっとも改善しようとしないやつら。ぶつぶつと文句ばかり垂れまくり、そのくせ努力は人一倍に嫌う怠慢の安住者。
 こんなやつらが、この世にはたくさん、たくさん生きている。そう思う度、俺は核ミサイルの発射ボタンが欲しくなる。


「なんでもない。さ、教室に帰ろうぜ。みんな心配して待ってるから。よりよい自殺の方法は、また後日にでも考えろ。これ以上、迷惑かけたくないならな」
「あう。わ、わかりましたぁ……」


 くるりと踵を返した俺の背で、無敵さんのか細い返事を受け取った。
 ふぅ。なんとかなったか。他のクラスのやつらには見られずに済んだし、これなら俺のこれからの学園生活に支障は出まい。
 あれだけ大声で叫んでも、他の教室から出てくる人間はいなかった。他のクラスもHRしてただろうし、そこの担任が無視さえしてくれれば、生徒も動けなくなるからな。特に、今日は入学初日なんだから。




 これが俺と無敵さんとの《トークバトル》第一戦になったのだった。とりあえず、初戦は俺の勝利だろう。だがしかし。これはあくまでも初戦なのだ。俺と無敵さんとの戦いは、この後、まだまだ続くこととなる。


 そして、この初戦についても、まだオマケがついていた。




「ん? どうしたんだ、無敵さん?」


 少しだけ進んだ後、無敵さんはぴたりと足を止めていた。俺は振り返り訊ねる。無敵さんはスカートの前の両手をもじもじもじもじと動かしてしたので、俺の足はイライライイライラと床を叩いた。
 無敵さんは俯いたまま、俺にとっては全く意味不明なことを言い出した。


「あ、あのぅ。手を、つないでもらってもいいですか?」
「は? なんで?」


 いや、本当に全く意味が分からない。ここで俺と手をつなぐ必然性が見出せない。









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