ドラゴンさんは怠惰に暮らしたい

わんた

退院

 病棟にある清潔な白いベッドの上に、大型のリュックを置き、病院で購入した下着や歯ブラシといった小物を詰め込んでいる。家から着替えを持ってきてくれる家族や友人はいないので、入院中に必要な物を病院で購入したのだ。最低限の量にしぼったんだが、地味に痛い出費だった。

 どんどん、財布の中身が軽くなっていく。健康であることが、究極の節約術になるとは、入院するまで気づけなかった。本来であれば、健康に気をつけて生きていこう! となるはずなのだが、半ば強制的に夢の国へ連れて行かれる俺は、はて、どうすればよいのだろう?

 働かなければ死ぬが、働くと過労で倒れる。解決の糸口が見つからず、八方塞だ。ため息ばかりが出る。

 どんどん暗い思考に陥っていく。このままでは、しばらく抜け出せなくなるといったところで、一人の女性が救ってくれた。

「今日、退院なんですね」

 聞きなれた声がしたので、手を止めて後ろを振り返る。
 予想通りの人物が入り口に立っていた。

「小早川さん?」

 俺の店でバイトとして働いている女性だ。頭の上で結んだ長い黒髪が、歩くと、馬の尻尾のようにユラユラ動いていた。

 彼女は背が小さく胸が大きい。胸のことはコンプレックスに思っているのか、今みたいに少し大きめのTシャツを好んで着ていて、胸のサイズが分からないようにしている。少し子供っぽいファッションだ。

 そんな見た目なので、酔っ払いに絡まれることが多い。たぶん、抵抗力が低いと思われるんだろうな。だがそんな不埒な男共は、必ず痛い目を見る。彼女は中学から高校までの6年間、空手を習っていたのだ。そこら辺に歩いている男性より強い。少なくとも俺より腕が立つのは間違いないだろう。この前もセクハラした男を撃退したと、バイト仲間に語っていたのを今でも覚えている。

 セクハラをするような酔っ払いなど、軽くあしらえてしまう。知れば知るほど外見とのギャップが大きい。バイト仲間には、それが魅力的と力説する人もいるらしいが、俺にはネコ科の猛獣にしか見えなかった。

「もしかしてお見舞いに?」
「そうですよ。忘れ物を取りに戻ったら店長が倒れてて、驚きました。救急車を呼んだのは私なんですよ。倒れた人を見るの初めてだったので泣きそうになっちゃいました」
「それは……ご迷惑をおかけいたしました」

 この一言で、意識が戻るまでの空白の時間に、なにがあったのか理解できた。真面目で実直な彼女のことだ。面倒だと思わず、すぐに救急車を呼んでくれたのだろう。

 まさかバイトに迷惑をかけてしまう日がくるとは思わなかった。
 いや、違う。現在進行形で迷惑をかけているか。

「倒れた後の店は大丈夫でしたか?」
「聞いてくださいよ!!!」

 小早川さんにしては珍しく、眉を吊り上げて思い出したように怒りだす。
 声もやや大きく、怒りに呼応して血色も良くなっているように感じられた。

「本部から店長代理がきたんですが、アイツ最低なんです! 態度は悪いし、何より女性のバイトに手を出そうとするんですよッ!! 許せません!!」
「お、おぅ……」
「私もお尻を触られそうになったので、思いっきり抓ってやりました! もう、耐えられないので早く戻ってきてくださいよー!」

 その握りこぶしはなんだ! 絶えられないって、そっちの意味なのか!?

「何より、店長じゃないと調子でないですしね」

 それは、俺にとって意外な一言だった。
 水が地面にしみこむように、心の中を侵食していく。

 人に求められる。ありきたりな言葉だが、俺にとっては、どんなものよりも必要だったらしい。体の奥底から久しく忘れていた活力が沸いてくる。

 単純だなと、笑いたければ笑えば良い。自分でもそう思っているからな。

「そう言ってもらえるのは、すごく嬉しいですね。退院したらすぐに復帰するので、もう少しだけ我慢をお願いします」
「はい! 待ってますね!!」

 和やかに笑う小早川さんは、俺の背を軽く叩いた。
 女性に触れられるのはいつぶりだろう?

 バイトには女性も多いが、事務的な会話しかしてないので、異性との接触は非常に困惑する。プライベートの時間に出会って、こんな会話をするなんて思いもしなかった。

 ううん、違うな。
 俺が勝手に壁を作っていたのだろう。

 将来に希望が見出せず、趣味は捨て、勝手に諦め、チャレンジすることを面倒だと尾模様になってしまったのだ。

 それに、客が店員を人としてみないと嘆いていたが、俺もバイトを便利な駒としか見ていなかった。店長になってから二年。ようやく、気づけた。彼女たちは人であり、心がある。職場から一歩離れれば、こんな風に話すこともできるのだ。

 生活に余裕がないからと、勝手に絶望していた己を恥じる。
 些細な気づき一つで、世界はこうも変わるのか。

 別に恋人や友人ができたわけではない。今更、欲しいと思うのはおこがましいだろう。だが、誰かに必要とされることぐらいは、許されて欲しい。都合の良い男として扱われたとしても、孤独に生きるよりかはマシだからだ。

「あぁ、任せろ」

 なぜかこの時だけは、ドラゴンのように何かに気を使うわけでもなく、自然と飾らない素の口調だった。

「意外です! 店長って、そんな話し方もするんですね」
「嫌な気持ちにさせてしまったのであれば、申し訳ない」
「いえ! ちょっと驚いただけです! えーっと、今の感じで大丈夫ですから! 元に戻さなくて!」
「そうなのか?」
「そうなのですッ!」

 焦っているのか、顔を赤くしながら両手を忙しそうに動かしている。職場では落ち着いて行動する小早川さんらしくない、そう思ったところで勘違いしている自分気づいた。

 俺が知っているのは職場だけだ。プライベートではこんな感じなのかもしれない、と。少なくとも「らしくない」と言い切れるほど、仲が良かった事実などどこにもないのだ。そう思ってしまうことが、そもそも彼女に対して失礼だろう。

 深く考えるのはよそう。否定しても相手の気分を害するだけだし、今の口調でよいといっているのだから、あえて変える必要もない。言葉通りに受け取っておこう。

「これから退院の手続きですよね? 何か手伝いましょうか?」
「申し出はありがたいが、荷物は少なくてね」

 話しながら荷物をつめていたリュックを片手で持ち上げる。登山用リュックで容量は大きく、数少ない着替えや入院中に購入した小物がすべて入っている。

「ダメですよ! 治りかけが一番危ないんですから!」

 風邪じゃないんだからといいかけたところで、リュックを奪い取られた。取り返されないように素早く背負い込むと、リュックのずれ落ちを防止するチェストストラップをつけて位置を調整した。

「駅まではご一緒しますから」

 背の低い女性が、大きく黒い登山用リュックを背負っている姿は、アンバランスであり、そして魅力的だった。さらに胸のサイズを強調させるためだけにあるような、体を横断するチェストストラップの存在も忘れてはならない。

 普段隠されている胸が、ここぞとばかりにその大きさを主張しているのだ。
 噂で大きいとは聞いていたが、ここまでとは。

 抗いがたい魅力を感じてしまうが、このまま見つめていては失礼になる。

「支払いをしてくる」
「私は外で待ってますね」

 俺は逃げ出すようにして病室を出ると、支払い手続きを進めるのであった。

◆◆◆

 予想していた以上に財布を軽くしてから、小早川さんと一緒に駅に向かう。

 大通りの歩道を歩いていあるが、午前中ということもあり、行きかう車は少ない。空は青く澄んでおり、今日は暑そうだ。

「店長、体調は問題ないですか? 辛かったら遠慮なく言ってくださいね」
「もう大丈夫。迷惑をかけた分、これから働きで返すさ」

 せっかくプライベートの時間を過ごしているのに、仕事に結び付けてしまうのは悪い考え方だな。直したいところだが、仕事以外の話題なんて思いもつかない。まさか夢の国の話をするわけにもいかないし、話のバリエーションが少なすぎる。

 こんな面白くない男につき合わせてしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

「早く、あの代理店長を追い出してくださいね!」
「安心してくれ。明日は出勤するから、それで終わりだ。すべてが元通りになる」

 そんな男の会話に乗ってくれる性格の良い娘と出会えるなんて、もう二度と訪れないかもしれないな。

「それは嬉しいんですけど、本当に無理だけはしないで下さいね」

 歩きながら覗き込むようにして俺を見つめてきた。
 Tシャツの隙間から肌がチラリと見えてしまい思わず顔を背けると、何を勘違いしたのか、回り込んで後を追ってきた。

「約束ですよッ」
「分かった、約束するから!」

 早々に根負けしてしまったが、所詮、口約束だし、しばらくしたら忘れてくれるだろう。解決するように努力はするが、恐らく果たされることはないだろうからな。その方がお互いに良い。

 いつか、また倒れる。最悪、死んでしまうかもしれない。それは避けたい未来ではあるが、受け入れる覚悟はできている。

「信じてますからね」

 俺の心情を知ってか知らずか、これ以上、迫ってくることはなかった。
 スッと後ろに下がると、先ほどと同じ位置に戻る。
 代理店長に帰ってもらうために必要とされているとは分かってはいるが、嫌な気分はしなかった。

 その後は小早川さんから話しかけることはなく、俺も話題がないのでお互いに無言で歩く。駅に着くころには途切れながらも雑談ができるようになっていたが、先ほどまでと違いぎこちなさが残っていた。

「ここで大丈夫だ」
「はい。気をつけて帰ってくださいね」

 駅前で荷物を受け取り小早川さんを見送った。
 人ごみに隠れて姿が見えなくなったので、改札に入りホームで電車を待つ。
 するとズボンから着信を知らせる振動があったので、携帯電話を取り出してディスプレイを確認する。

『今日はありがとうございました。復帰のお祝いを用意して待っていますから』

 アフターフォローまで完璧かよ。
 他人の親切に慣れていないので、困惑を超えて恐怖すら感じてしまうが、なぜかディスプレイに映りこんでいる俺の口元は緩んでいた。

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