ドラゴンさんは怠惰に暮らしたい
第7話ドラゴンの怒り
夢の世界では惰眠を貪っているが、現実では働き詰めだ。
夢の中で寝るとは、なんとも不思議で意味がわからないことだが、現にできてしまっているのだから、凡庸な俺はその事実を淡々と受け入れるしかない。
二重生活をするようになってから、どのくらい経過したのだろう?
過労死寸前で入院して以来だから、ああ、もう三年は経つのか。
あの頃は精神的に追い詰められていた。ついに幻覚を見るようになったと、焦って医者に相談したこともあったな。
結局、働きすぎだといって診察は終わってしまった。その後も定期的に来てくれとは言われたが、夢の国は快適で、いつのまにか心の支えにもなっていた。
だから、幻覚だろうがこの生活を続けると決めたんだっけな。
それからは起きては働き、寝てからドラゴンで惰眠をむさぼる日々が続いていた。夢の世界を冒険するつもりはなく、ただ癒しの場として過ごすことに充足感を覚えていた。
それで十分だったはずなんだけど。
「はぁ」
閉店した店舗で、小さくため息をついた。
他には誰もいない。一人きりだ。
そんな生活もそろそろ終わりかもしれない。ちょっとした親切心を出した俺が原因だとしても、あそこまで騒ぎが大きくなると、誰が想像できただろう?
これからクレアを筆頭に話しかけてくる人は増えてくるだろう。今までより、お互いの距離が近くなるのは間違いない。
余計な心労を抱えたくないから無視していたのに、一回のミスで変わってしまうとは、なんとも残念だ。
「城を出て行くか?」
今日の売上を打ち込んでいた手を止める。
一瞬よい案だとは思ったが、俺がいなくなった後のクレアを想像するとそんな気にはならなかった。
威嚇して人を寄せ付けないのも同じだ。結局、竜の巫女だと担ぎ上げられているクレアが悲しい思いをしてしまう。
うたた寝しながらクレアの話を聞く。そんな生活が気に入っていたんだ。そのお礼、というわけではないが、やはり彼女が悲しむような選択はしたくない。
「すぐに大きく変わるわけでもないか。しばらく様子を見よう」
誰にも相談できず、問題を先送りにすると決めた。
そうと決まれば少しは気持ちが楽になる。
手早く仕事を終わらせると、勢いよく立ち上がった。
さっさと帰って夢の国に行こう。のんびりとした時間が俺を待っている!
「あっ」
急速に視界が暗くなり、足元がおぼつかなくなった。よろめいて倒れそうになる。壁に手を当てて体制を整えようとするが、力が入らない。
仕事は忙しい。毎日サービス残業の日々だ。普通の人よりかは働いている自信はあったが、身体を壊すほどとは思わなかった。あのときに比べてまだ余裕があると油断していたのかも。
踏ん張ろうとするが、意志に反して動かない。
壁に体ごと当たると、力なくずり落ち、横たわる。
これは死んだか。死因は過労死になりそうだ。
それで何も問題ないところが、俺の人生を象徴しているように感じられる。心配をかける相手もいなければ、走馬灯を見るような思い出もない。パッとしない人生だったな。
頬から床の冷たさを感じながら、視界がぼやけていき、意識は途絶えた。
◆◆◆
暗闇に光が差し込む。明るくなったことで目を開いていることに気づいた。
レンズが合わずに周囲がぼやけているが、身じろぎせずに待っていると、徐々に輪郭がはっきりとしてくる。
青く広い空に石造りの城が目に入った。近くには城壁があり、青臭い臭いにつられて下を見れば、日を浴びている芝が目に入る。
あんな倒れ方をしたのに観察する余裕があるのは、この体が人ではなくドラゴンだからだ。夢の世界にいるので、とりあえず生きているのだろう。
次、目覚めたときにどうなっているか不安で仕方がないが、今更慌てても意味がない。どうしようもないのだ。
とはいえ惰眠をむさぼる気にすらならない。
今すぐ眠って現実世界に戻りたい気持ちもあるが、あの後どうなったのか考えると、このままでいた方が良い気もする。
ある種の諦めが俺の気持ちを徐々に支配し始めた頃に、非常に不快で、傲慢な声が聞こえてきた。
「ほぅ。コイツがバスクールを守護しているドラゴンか」
至る所に細かい刺繍が施されている服は一目で高級だと分かる。光り輝くような金髪に澄んだ青い瞳。服の上からでも分かる引き締まった肉体は、彼が戦える人間だと主張していた。
悩み事を抱えているときほど、厄介なことが舞い込んでくるものだ。ドラゴンの体では初めて感じる見下される視線に苛立ちを感じる。
コイツを食べるふりでもすれば驚いて逃げ出すか? そんな物騒なことを考えていると、クレアが慌てて走り寄ってきた。
「フェリックス様、ドラゴンではなくシロ様です」
男性の一歩後ろに控えるようにして立つ。
王女が誰かに仕えるような、下手に出る態度からすると、フェリックスと呼ばれた男性はかなり身分が高いか、もしくはそうしなければならない特殊な事情があるのだろう。
「トカゲの名前を覚えるほど、我は暇ではない。ドラゴンで十分だ」
顔を向けることなく即座に否定するフェリックスに対して、さらに言葉を重ねようとしたクレアだが、睨みつけられると下を向いて黙ってしまった。
あきらかにパワーバランスがおかしい。一国の王女相手にとっていい態度ではないだろ!! 腹の底から怒りがフツフツと湧き出てくる。
これは家族や友達が目の前でバカにされ、傷つけられた怒りだ。彼女の痛みは俺の痛みだと、心が叫んでいるような感覚に感情が突き動かされそうになる。
意識したことはなかったが、どうやら俺はクレアを特別な人だと思っていたのか。
思い返せば心当たりはいくつもあるので、気づいてしまえば自然と受け入れることができた。
「おい。こいつはお前の言う事なら聞くんだろ? 見下されているのは気に入らん。頭を下げさせろ」
ちっ、お前、そろそろ黙れよ。お望み通り頭を下げて押しつぶしてやろうか?
「で、ですが……」
「口答えする気か?」
「…………いえ、そういう訳では」
「愚図め、さっさと行動しろ。それとも、二度言わないと分からない無能なのか?」
怒りの限界を超えると、逆に冷静になれるもんだな。
俺の中ではすでに敵のカテゴリに入ったフェリックスだが、ここで攻撃したらクレアに迷惑をかけてしまうのは間違いないだろう。
どうするべきか悩んでいると、いつの間にかクレアが俺の前にいた。
「この愚かなクレアのお願いを聞き入れてもらえないでしょうか」
「グルルル」
俺は顔を向けると、返事の代わりに小さく音を鳴らした。
「私の婚約者をご紹介しますので、シロ様のお顔を近くで拝見させてください」
こいつが、クレアを泣かせたこの男が、婚約者だというのか!!!
国王が認めようが、俺は決して認めない。
これは嫉妬でもなんでもない。単純にコイツと一緒になって不幸になるイメージしかわかなかったからだ。
今晩辺りにでも闇討ちしてやりたいところだが、この体は目立つ。実行するのは簡単だが、犯人がバレてしまったら大事だ。時間をかけてでも分かれる方法を探すか。
いや、そんなことより、クレアに恥をかかせてはいけない!
さっさと可愛らしいお願いを聞かなければ。
俺はゆっくりとクレアの前に頭を下げると、親しみを込めた優しい手つきで、頬の鱗をなでてくれた。しばらく感じることもなく、忘れてしまっていた幸福感に包まれる。
「よくやった。我は――」
邪魔者が近づいてきたので、俺の魔力を飛ばして威嚇すると、足をガクガクと振るわせて言葉が止まった。
”消えろ”
そんな想いを込めた魔力を再び飛ばす。
「ひぃ」
情けない声を上げて腰が引ける。
「フェリックス様?」
「き、急用を思い出した。戻るぞ」
プレッシャーに耐えられず、顔を真っ青にして、躓くようにして逃げ出してしまった。クレアは俺に対して、申し訳なさそうな表情を浮かべながらも追いかけてしまった。
少しやりすぎてしまったか? いや、舐められたままでは調子に乗るだけだ。お灸をすえる意味ではちょうど良かっただろう。
圧倒的に情報が不足している今だからこそ、この程度で勘弁してやったが、ドラゴンの怒りがこれで終わりだと思うなよ。
人の言葉が発せない声帯を恨みながら、フェリックスをどうやって追い詰めるか思考を巡らせていた。
夢の中で寝るとは、なんとも不思議で意味がわからないことだが、現にできてしまっているのだから、凡庸な俺はその事実を淡々と受け入れるしかない。
二重生活をするようになってから、どのくらい経過したのだろう?
過労死寸前で入院して以来だから、ああ、もう三年は経つのか。
あの頃は精神的に追い詰められていた。ついに幻覚を見るようになったと、焦って医者に相談したこともあったな。
結局、働きすぎだといって診察は終わってしまった。その後も定期的に来てくれとは言われたが、夢の国は快適で、いつのまにか心の支えにもなっていた。
だから、幻覚だろうがこの生活を続けると決めたんだっけな。
それからは起きては働き、寝てからドラゴンで惰眠をむさぼる日々が続いていた。夢の世界を冒険するつもりはなく、ただ癒しの場として過ごすことに充足感を覚えていた。
それで十分だったはずなんだけど。
「はぁ」
閉店した店舗で、小さくため息をついた。
他には誰もいない。一人きりだ。
そんな生活もそろそろ終わりかもしれない。ちょっとした親切心を出した俺が原因だとしても、あそこまで騒ぎが大きくなると、誰が想像できただろう?
これからクレアを筆頭に話しかけてくる人は増えてくるだろう。今までより、お互いの距離が近くなるのは間違いない。
余計な心労を抱えたくないから無視していたのに、一回のミスで変わってしまうとは、なんとも残念だ。
「城を出て行くか?」
今日の売上を打ち込んでいた手を止める。
一瞬よい案だとは思ったが、俺がいなくなった後のクレアを想像するとそんな気にはならなかった。
威嚇して人を寄せ付けないのも同じだ。結局、竜の巫女だと担ぎ上げられているクレアが悲しい思いをしてしまう。
うたた寝しながらクレアの話を聞く。そんな生活が気に入っていたんだ。そのお礼、というわけではないが、やはり彼女が悲しむような選択はしたくない。
「すぐに大きく変わるわけでもないか。しばらく様子を見よう」
誰にも相談できず、問題を先送りにすると決めた。
そうと決まれば少しは気持ちが楽になる。
手早く仕事を終わらせると、勢いよく立ち上がった。
さっさと帰って夢の国に行こう。のんびりとした時間が俺を待っている!
「あっ」
急速に視界が暗くなり、足元がおぼつかなくなった。よろめいて倒れそうになる。壁に手を当てて体制を整えようとするが、力が入らない。
仕事は忙しい。毎日サービス残業の日々だ。普通の人よりかは働いている自信はあったが、身体を壊すほどとは思わなかった。あのときに比べてまだ余裕があると油断していたのかも。
踏ん張ろうとするが、意志に反して動かない。
壁に体ごと当たると、力なくずり落ち、横たわる。
これは死んだか。死因は過労死になりそうだ。
それで何も問題ないところが、俺の人生を象徴しているように感じられる。心配をかける相手もいなければ、走馬灯を見るような思い出もない。パッとしない人生だったな。
頬から床の冷たさを感じながら、視界がぼやけていき、意識は途絶えた。
◆◆◆
暗闇に光が差し込む。明るくなったことで目を開いていることに気づいた。
レンズが合わずに周囲がぼやけているが、身じろぎせずに待っていると、徐々に輪郭がはっきりとしてくる。
青く広い空に石造りの城が目に入った。近くには城壁があり、青臭い臭いにつられて下を見れば、日を浴びている芝が目に入る。
あんな倒れ方をしたのに観察する余裕があるのは、この体が人ではなくドラゴンだからだ。夢の世界にいるので、とりあえず生きているのだろう。
次、目覚めたときにどうなっているか不安で仕方がないが、今更慌てても意味がない。どうしようもないのだ。
とはいえ惰眠をむさぼる気にすらならない。
今すぐ眠って現実世界に戻りたい気持ちもあるが、あの後どうなったのか考えると、このままでいた方が良い気もする。
ある種の諦めが俺の気持ちを徐々に支配し始めた頃に、非常に不快で、傲慢な声が聞こえてきた。
「ほぅ。コイツがバスクールを守護しているドラゴンか」
至る所に細かい刺繍が施されている服は一目で高級だと分かる。光り輝くような金髪に澄んだ青い瞳。服の上からでも分かる引き締まった肉体は、彼が戦える人間だと主張していた。
悩み事を抱えているときほど、厄介なことが舞い込んでくるものだ。ドラゴンの体では初めて感じる見下される視線に苛立ちを感じる。
コイツを食べるふりでもすれば驚いて逃げ出すか? そんな物騒なことを考えていると、クレアが慌てて走り寄ってきた。
「フェリックス様、ドラゴンではなくシロ様です」
男性の一歩後ろに控えるようにして立つ。
王女が誰かに仕えるような、下手に出る態度からすると、フェリックスと呼ばれた男性はかなり身分が高いか、もしくはそうしなければならない特殊な事情があるのだろう。
「トカゲの名前を覚えるほど、我は暇ではない。ドラゴンで十分だ」
顔を向けることなく即座に否定するフェリックスに対して、さらに言葉を重ねようとしたクレアだが、睨みつけられると下を向いて黙ってしまった。
あきらかにパワーバランスがおかしい。一国の王女相手にとっていい態度ではないだろ!! 腹の底から怒りがフツフツと湧き出てくる。
これは家族や友達が目の前でバカにされ、傷つけられた怒りだ。彼女の痛みは俺の痛みだと、心が叫んでいるような感覚に感情が突き動かされそうになる。
意識したことはなかったが、どうやら俺はクレアを特別な人だと思っていたのか。
思い返せば心当たりはいくつもあるので、気づいてしまえば自然と受け入れることができた。
「おい。こいつはお前の言う事なら聞くんだろ? 見下されているのは気に入らん。頭を下げさせろ」
ちっ、お前、そろそろ黙れよ。お望み通り頭を下げて押しつぶしてやろうか?
「で、ですが……」
「口答えする気か?」
「…………いえ、そういう訳では」
「愚図め、さっさと行動しろ。それとも、二度言わないと分からない無能なのか?」
怒りの限界を超えると、逆に冷静になれるもんだな。
俺の中ではすでに敵のカテゴリに入ったフェリックスだが、ここで攻撃したらクレアに迷惑をかけてしまうのは間違いないだろう。
どうするべきか悩んでいると、いつの間にかクレアが俺の前にいた。
「この愚かなクレアのお願いを聞き入れてもらえないでしょうか」
「グルルル」
俺は顔を向けると、返事の代わりに小さく音を鳴らした。
「私の婚約者をご紹介しますので、シロ様のお顔を近くで拝見させてください」
こいつが、クレアを泣かせたこの男が、婚約者だというのか!!!
国王が認めようが、俺は決して認めない。
これは嫉妬でもなんでもない。単純にコイツと一緒になって不幸になるイメージしかわかなかったからだ。
今晩辺りにでも闇討ちしてやりたいところだが、この体は目立つ。実行するのは簡単だが、犯人がバレてしまったら大事だ。時間をかけてでも分かれる方法を探すか。
いや、そんなことより、クレアに恥をかかせてはいけない!
さっさと可愛らしいお願いを聞かなければ。
俺はゆっくりとクレアの前に頭を下げると、親しみを込めた優しい手つきで、頬の鱗をなでてくれた。しばらく感じることもなく、忘れてしまっていた幸福感に包まれる。
「よくやった。我は――」
邪魔者が近づいてきたので、俺の魔力を飛ばして威嚇すると、足をガクガクと振るわせて言葉が止まった。
”消えろ”
そんな想いを込めた魔力を再び飛ばす。
「ひぃ」
情けない声を上げて腰が引ける。
「フェリックス様?」
「き、急用を思い出した。戻るぞ」
プレッシャーに耐えられず、顔を真っ青にして、躓くようにして逃げ出してしまった。クレアは俺に対して、申し訳なさそうな表情を浮かべながらも追いかけてしまった。
少しやりすぎてしまったか? いや、舐められたままでは調子に乗るだけだ。お灸をすえる意味ではちょうど良かっただろう。
圧倒的に情報が不足している今だからこそ、この程度で勘弁してやったが、ドラゴンの怒りがこれで終わりだと思うなよ。
人の言葉が発せない声帯を恨みながら、フェリックスをどうやって追い詰めるか思考を巡らせていた。
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