ドラゴンさんは怠惰に暮らしたい

わんた

第1話夢の中では怠惰に暮らしたい

残業続きで疲れた体は休息を求めていた。
食事も取らず、倒れるようにして古びた薄い布団に横たわる。


目を閉じて数秒。気絶するようにして意識を失い目覚めると、周囲の風景はワンルームの小さい部屋から芝生が生い茂る広場に変わっていた。目の前には石造りの城があり、ここが王城の中庭であることを示している。


俺の体も人間から大きく変わっていた。


全身は10m以上あり真っ白い鱗に覆われ、トカゲののような姿に蝙蝠のような皮膜の翼と長く太い尻尾が生えている。頭の横から伸びる二本の角。太くたくましい後ろ足と、やや短い前足。ドラゴンと聞けば誰もがイメージするオソドックスな姿だ。


そう、夢の中で俺はドラゴンとして生きていた。
しかもこれが初めてではない。いつ頃かは忘れてしまったが、寝るたびに夢の世界ではドラゴンとして活動するようになっていた。


多くの物語にあるように生物の頂点に近く、夢の世界では神に等しい力を持つとも言われている。いや、実際に持っている。


俺はホワイトドラゴンと呼ばれる種類で、鱗が最も堅く、血液には治癒能力が備わっており、これを材料にしてポーションを作れば、死者すら蘇るほどの効果が出るらしい。


そんな俺は先代の王と交渉して、巨体な体がすっぽりと入る中庭を住処に指せてもらっている。日当たりが良く心地よい風が吹くこの場所は、お気に入りの住処だ。


「天気が良いですね」


話しかけてきたのは十代半ばの女性だ。名前はクレア、確か今年で成人になるはずだから14歳だったか?


長い金髪にやや垂れ目の翠の瞳。常に穏やかな笑みを浮かべて、血なまぐさい争いとは無縁そうな顔をしている。この国の第三王女だ。


王城に住む人間はみな、俺のことを怖がって近づこうともしない。たまに話しかけてくるヤツもいるが、無視し続ければ数日で来なくなった。


この体では会話は出来ないし、どうせ目が覚めたら終わってしまう関係だと割り切って一人の世界を過ごしていたのだが、それでも通い、話し続けてきたのが彼女だ。ここ数年は毎日のようにきている。


夢の住人に興味のない俺でも顔と名前は覚えてしまった。


「今日もお邪魔させてもらいますね」


彼女の背後に控えていた侍女たちが白いテーブルと椅子を持ってくる。
俺の顔の近くに置くと、クレアが座った。


別の侍女が紅茶と焼き菓子を置いてから、数メートルほど離れて控えるようにして立つ。


洗練された連係プレイは何度見ても飽きない。


「アップルパイですか、良い香り。できればシロ様にも食べてもらいたいのですが……」


クレアがチラリと俺のことを見る。
犬のような名前を名付けたのは彼女だ。


ドラゴンは食事の代わりに空中の魔力を吸収することで栄養を補給している。一般的な食事をすることも出来るが、なくても生きていけるのだ。


現実世界では食事代を稼ぐために死ぬほど働いているんだ。
夢の中ぐらいゆっくりと惰眠を貪っていたい。
俺は目を閉じることで拒否の意思を示した。


「残念です」


何度の繰り返されてきたやりとりだ。つぶやいた言葉は口だけで、心から落胆しているわけではない。


マナーのお手本になるような動作で紅茶を一口飲むと、再び口を開く。


「もうすぐ、国を出て結婚しなければいけません。こうやってお茶を楽しむ日々も残りわずかだと思うと寂しいですね」


そういえば大分前に婚約が決まったと言っていたな。あれは何年前の話だ?


初恋が実の兄だったと、告白したついでに報告していたので……もう、五年も前になるのか。


クレアを盗み見るようにして目を半分開く。


表情は少し陰っているが、悲しんでいる様子はない。
王族としての覚悟、いや、これは諦めだな。現実世界の俺が毎日のように浮かべている表情をクレアもしていた。


「王族の務めだと理解していますし、シロ様みたいに自由に生きたいとは言いません。ですが、もう少しだけこの生活を楽しみたかった。贅沢な望みだとは理解していますが、そう思わずにはいられないのです」


この国において王女など外交カードの一つでしかない。特にクレアのように見た目麗しい娘であれば、使わない手はないだろう。


幼少期は手厚い保護を受け、平民では経験できない苦労のない暮らしをしていたんだ。かわいそうだとは思わない。


人の言葉が話せるのであれば、頑張って小作りに励んでくれと激励を飛ばしてやってもいい――が、唯一名前を覚えている人がいなくなってしまうのは少し寂しいといえば、寂しい。夢の住人だとはいえ、その程度の情は沸いていた。


「こんな弱音を吐いていたなんて、お父様に知られたら怒られてしまいます。シロ様は秘密にしてくださいね」


人間の言葉は理解できてもしゃべることは出来ないと知っているくせに、馬鹿なことを言う。


現実世界ならともかく、夢の住人の秘密なんて少ししてしまえば忘れてしまう程度の興味しかない。


だからいつも通り無視をしようと思った。しかし、今日はなんとなく、そうしたくないと思った。


「グァ」


小さく鳴いて返事をしてから、目を完全に開く。
クレアはカップを持ったまま動きが固まっていた。


予想通りだ。なんせ五年間ずっと壁に話しかけているようなものだったからな。相手が反応するとは思ってもみなかったのだろう。


「し、し、シ……ロ様が……お返事……を?」


カシャっと陶器同士が衝突した音が聞こえた。
持っていたカップをソーサーの上に落としたようだ。


マナーを徹底的に学んだ彼女としては大失態に入る。だが今はそんなことは気にならないらしい。


侍女が慌てて拭いているのもかまわず、俺をじっと見つめている。


このまま偶然反応しただけと思わせるのもありだが、そんな気分ではない。


もう少し驚かしてやろう。このときなぜか、そんな気持ちがフツフツと湧き上がっていた。ドラゴンが神に近しいというのであれば、これは神の気まぐれだ。誰もが納得できる理由など一切無い。


たまたま目の前に居る人に、興味を持っただけなのだから。


「クゥ~」


凶暴なドラゴンからは想像できない甘えるような声を出して、鼻先をクレアに近づける。


手を出したり止めたりして戸惑うような動作を繰り返してから、「えいっ!」と小さな可かけ声と共に俺の鱗に触った。


「ドラゴンの鱗は少し冷たいんですね」


クレアは満足そうに微笑んでいた。


人ならざるこの体では、彼女の体温も柔らかい肌も感じられないが、閉ざしていた心が暖まるのを感じる。


もう何年も他人の肌に触れていない。彼女の何気ない行為は埋もれていた懐かしい記憶を蘇らせてくれた。


気分は悪くない。むしろ良い方だ。
気まぐれをもう少し続けようと思うぐらいには。


ドラゴンは生まれてからすぐに種族特有の魔法が使える。誰に教わることなく、呼吸するかのごとくだ。


もちろん俺も例外ではない。


寝るたびにドラゴンの夢を見るようになってから、人知れず何度も使ってきた。今更、驚くこともなければ緊張することもない。ただの作業としてこなしていくだけだ。


脳内に浮かぶ魔法リストの中から、俺の気分にふさわしいのを一つ選ぶと顔を持ち上げる。


クレアが少し寂しそうな表情をしたが無視だ。


右腕を前に出して爪の先端を彼女に近づける。間違って傷つけないようにゆっくりと進めて、目の前で止める。


当の本人は笑顔のままだが、周囲に控えている侍女たちは怯えながらも驚いている。器用な人たちだ。だんだんと騒がしくなってきた。


夢の世界でぐらいは静かに暮らしたいんだ。さっさと終わらせるか。


爪の先に小さな魔方陣が浮かび上がると、粉々に砕け、光の粒子となってクレアの体に吸収された。


「あっ……!」


これは初めて使う魔法。
地上に住む生物ではドラゴンだけが使える魔法だ。


クレアの手の甲に牙をモチーフにした二本線のアザが浮かび上がっていた。


これはドラゴンの加護。身体能力が強化され、俺が使える魔法を二回だけクレアも使えるようになった証だ。


ホワイトドラゴンは特性として防御魔法が得意なので、たいした攻撃魔法は使えないが、その代わりに強力な回復魔法や、防御結界。さらには人間の精神を高揚させるような精神系の魔法まで使える。王族にとっては、こっちの方が使い勝手は良いだろう。


加護を授けた時点で、必要な知識は脳内に共有される。何をされたか理解できたのだろう。クレアは感動に包まれているようだった。


もう用事は済んだ。惰眠を貪ろうとするか。


夢の中でも寝れることに違和感を覚えながらも、頭を地面に下ろすと静かに目を閉じた。

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