ドラゴンさんは怠惰に暮らしたい

わんた

第3話現実世界での生活

目を覚ました俺は、ゆっくりと体を起こす。


小さな部屋には畳が敷かれ、中心には古びた木製のローテーブルが鎮座している。他にも本や服などがころがっており、整理整頓はされていない。収納場所がないので、畳の上に置きっぱなしになっているのだ。


テレビや電子レンジ、冷蔵庫といった、現代社会を生きる上で必要な家電は一切ない。会社から支給されたスマートフォンがなければ、現代が昭和だと言われても誰も疑問を抱かないだろう。


仕方がない、お金だないんだ。薄給で働いているので、今を生きるので精一杯なんだよ。


せんべいのように薄くなった布団から立ち上がり、台所で顔を洗って歯を磨く。


正面の鏡を見ると、そこには冴えない男性――俺の顔があった。


夢の世界のように美しくも凶暴な姿をしているドラゴンではない。どこにでもいそうな顔に、短い髪、ヨレヨレのスウェットを着ている。土日は手入れをサボって伸ばしっぱなしにしたヒゲが生えているので、これが個性と言えば個性か?


だがそんな状態で職場に行くわけにも行かず、電子カミソリで手早く剃る。


ものの数分で出かける準備は終わったが、外に出る気がしない。


人生の大半を過ごす職場に行くのが億劫なのだ。任された仕事、給与、人間関係、その全てが嫌で仕方がない。


なら、辞めれば? と、無責任に言うヤツもいるが、それは平均以上の能力を有している人だけが取れる贅沢な行為であり、残念ながら俺には当てはまらなかった。


無能な人は一度辞めてしまえば、再就職は望めない。今より良い条件の仕事に就けるなど、夢の中でドラゴンとして暮らすより現実味のない話だ。そんな俺でも生きていけるのだから、無能にも優しい日本に生まれて本当に良かった。


意を決して、立て付けの悪いドアを開けると、太陽のまぶしい陽射しが突き刺さり、思わず目を薄める。


「憂鬱な月曜日の始まりだ」


誰にも頼らず一人で生きている。そのちっぽけなプライドだけを抱えて、俺は嫌々ながらも職場へと向かった。


◆◆◆


格安居酒屋の仕事は多忙を極める。
アルコールで理性のたがが外れた人間など、動物と何ら変わらない。


酔っ払いからオーダーを受け取り、運ぶだけでも様々な事件に遭遇する。アルコールによって前後不覚になっているヤツなど可愛いものだ。


トイレにこもって他の客に迷惑をかけるヤツや女性がトイレに行っている間に飲み物に怪しい液体を購入する男性。急性アルコール中毒でぶっ倒れる若いヤツなど、例を挙げればきりがない。酒を飲んでしまえば皆、本能、欲望に忠実になるのだから、動物園や幼稚園と、さして変わりがないだろう。


いや、無駄に体や声が大きく、客という立場があるだけ、たちが悪いか。


現実逃避しながらも、仕事になじんでしまった体は自動で動く。


「いらっしゃいませ!」


入り口の近くにいた俺は、ドアが開いた音を聞くと条件反射的に挨拶をした。


振り返ると、スーツを着た三十代と思われる男性が視界に入る。無造作のように見えて、ワックスできっちりと整えた髪型。一目で高級品だと分かるスーツと革靴。自信に満ちあふれた表情をしており、顔の造形も良い。女性が抱くイケメンサラリーマンを体現したような来店者だ。


底辺の居酒屋には相応しくない見た目に疑問をいただきつつも、視線は隣にいる女性へ移り、そのまま止まった。


高校生だと思われる制服を着ていたからだ。


顔を見る限り、大人がコスプレしている線は薄いだろう。悪いが、肌や髪の艶が違う。


二人の関係は兄妹? それとも親戚か? いや二人の関係はどうでも良いか、仮に援助交際……今だとパパ活か? それだとしても、店には関係ない。見えないところでどうぞご自由にしてください、出来れば警察に捕まってくださいってやつだ。


それより制服を着用した女子高生が、居酒屋にいるという事実が問題である。


仮にお酒を飲まなかったとしてもクレームにつながるからだ。


クレームは全て社員の責任になる。つまり俺。本部からお小言だけで済めば良いが、最悪の場合は俺のクビが飛ぶかもしれない。


クソッ、月曜日から面倒ごとを持ち込みやがって!


怒りを叩きつけたい気持ちを押し殺して、笑みを浮かべる。


「お客様。未成年のご来店は遠慮させていただいております」


「酒は飲まないなら大丈夫だろ?」


大丈夫じゃないから言ってるんだよ!!!


「申し訳ございません。他のお客様とのトラブルの元になりますので」


「それは大丈夫だ。俺が責任もって対応する」


何度言えば分かるんだよ! 大丈夫じゃないから言ってるんだよ!!!
お前は、帰る以外の判断するんじゃねぇよ!!


口元が引きつるのを感じながらも、俺は一歩も譲らない。ちっぽけな生活がかかっているからだ。


「申し訳ございません。お店のルールでして……」


「融通が利かないな。知り合いの店は大丈夫だったぞ」


知り合いの店と、チェーン店を比べるなよ!
いい年して社会の仕組みすら分からねぇのかよ!!
お前はその面だけで生きてきたのか? それは楽な人生だなぁ!!!


と、湧き上がってきた怒りは全ては瞬時に忘れて、気持ちを切り替える。そうすれば、絶対に感情が表に出ない。これが無能な俺が身につけた処世術だ。


「申し訳ございません……」


頭を下げて、会話を打ち切る。
上から文句を垂れ流してくるが全て無視だ。言葉として認識しなければ、何を言われても気にならない。この体勢のまま耐えるだけ。嵐が過ぎ去るのを待つばかり。


「おじさま、他の店にしません?」


狙い通り、女子高生の方がしびれを切らしたようだ。


おじさまが発言が非常に意味深で、興味がそそられる。二人の距離感も近いし、考えれば考えるほど怪しく見えるが、やはり俺には関係ない。厄介者はさっさと目の前から消えて欲しいと、祈るだけだ。


「小汚い店だが、ここしかない」


お上品な女子高生を案内しても、良いことは何もないよ?


飯はまずいし、酒は薄い。金を持っていないヤツラが、慰めのために入るような店なんだから。住む場所が違う。さっさと納得して、帰ってくれ。


「でも、店員さんは、ああ言っていますし……」


「だが、他の店は満員だった。今更、別の店は探せないぞ」


小汚いと言われて軽くムカつきもするが、事実なのでそんなに気にはならない。それより月曜日なのに満員? 週末でもないのに珍しいな。団体が貸し切っているのか?


「私が料理を作るので、家で食べませんか?」


「面倒じゃないか?」


「こう見えて、料理は好きなんです。もう遅い時間なので簡単なものしかできませんが、それで良ければ作らせて欲しいです」


「……そこまで言うなら、家で食べるか」


考え事をしている間に話がまとまったようだ。さっさと帰れ。そして二度と来るな。心の中で呪詛を吐いていると、目の前にいた二人は立ち去った。


散々文句を言った俺に、何も言わずにだ。


こんな店で働いている店員なんて、同じ人だとは思っていないのだろう。会話機能を備えた機械のように扱われる。たまにそういう客に出会うから不思議だとは思わないが、傷つきはする。


客と店員。たったそれだけの差なのに、物のように扱われるのは、存在を否定されているようで辛いからだ。


「ありがとうございましたー!」


とはいえ、文句を言っても仕方がないので、頭を上げて元気よく見送る。


姿が完全に見えなくなると、フロアに戻り注文を取る作業に戻った。


その後も、嫌な客、迷惑な客は後を絶たなかったが、職場で培った忍耐力を駆使してなんとか乗り越えると、いつの間にか閉店の時間になっていた。


最後まで残っていたバイトを見送り、本日の売り上げを計算する。
いつも通り、問題なし。本部への報告も既に終わった。


急いで着替えると、店を出てドアにカギをかける。


「やっと終わった。帰ろう」


早く寝て夢の国に行きたい。俺にとって現実こそが否定するべき世界であり、夢の世界こそが理想である。生きる上での心の支えなんだから誰にも文句は言わせない。


歩き出した頃には、仕事中の出来事はキレイさっぱりと忘れ、夢の国への思いだけが募っていた。

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