鬼哭迷世のフェルネグラート

トンテキ

五十八話 魔人もどき


「が……はっ……」

 もはやまともに息をする事すら叶わない。そんな苦しみを味わいながら、エイジは自らが叩きつけられた壁にもたれかけ、目の前までゆっくりと歩いてきた莉緒を見上げる。
 その目はとうに見えていないのだろう。もしくは、形だけは捉えられる、といった程度か。目の前の少年が、無様な自分の姿を見て嘲笑っているのか、それとも憐れんでいるのかも分からない。実際は、表情などありはせず、ただ無表情にエイジを見下ろしている莉緒がいるだけなのだが。

「……一度獅哮を受けているだろうに。想像は出来なかったのかね」

 あの技は、莉緒が密着状態で放つ打撃技、獅哮の発展形だ。常人とはかけ離れた身体能力に加え、エクリプスギアを身に纏って更に身体能力を上げた状態で初めて使う事が出来る、限定的な技。
 とはいえ、あんなものを普段の姿で使用されれば、それはそれで問題な気もしないではないが。

「何はともあれ、これで終いだ。何か言い残す事は?」
「……」

 慈悲からの言葉では無い。彼のそれは単なる好奇心だ。魔人は死ぬ間際に何を思い、そして何を残すのか。かつて彼が戦った魔人達からそんなものを聞く事すら叶わなかった。いや、口にする事自体を許さなかった。ただ無慈悲に、無情に、冷徹に、莉緒は彼らの命を奪っていった。だからこそ、今ここにきてふと疑問が湧いたのだ。この者達は、死ぬ間際に一体何を思うのだろう、と。
 莉緒のそんな好奇心に対し、エイジは小さく口を動かしている。何か言葉を発しようとしているが、上手くいかないらしい。一枚防御を挟んでいたとはいえ、絶招をまともに受けた以上、もはや体を動かす事に留まらず、口すら動かないのだろう。
 だが、ゆっくりと、ゆっくりと、口を動かし、ようやくエイジは、小さな声で言った。

「つ、ぎは……、ふつうの、い、えに……、うまれたいな……」
「……そうか」

 その言葉を聞き、莉緒もまた、小さく言葉を返す。そして、未だ小さく上下をするエイジの胸に拳を当て、そのまま……貫いた。
 鈍い音が鳴り響き、やがてエイジの目から光が失われていく。完全にその双眸から命が感じられなくなると、そこにいたのは、既に何も言わぬただの骸だった。

「俺も……、そう思うよ」

 莉緒とエイジ達、魔人達の境遇は驚く程似ている。ただ、使命に燃えた後に堕ちて行ったか、人の望みに答えていく内に自分を無くしたかの違いだ。前者はやがて自身に力が無い事を思い知り、魔人の力に手を染め、後者は力はあれど心が伴っておらず、やがて本来は虐殺の限りを尽くす筈の人格が代わりを担った。
 救われたのがどちらか、と聞かれれば、間違いなく後者と言うだろう。だが、人として純粋に理想を追い求めたのは前者だ。だが、いずれも事を為した場所が悪かった。
 再び人の為に拳を握った少年に、あくまで自身の理想の形として人を救おうとした少年。共通点など、ほとんど無い。だが、両者がぶつかるのは必然だったのかもしれない。
 まっとうな家に生まれていれば、戦う必要など無かった。それは莉緒自身が何度も反芻した事だろう。だが、ここまで来てしまった以上、後悔したところでどうしようも無い。それならば、逃げるにしろ、立ち向かうにしろ足を止める訳にはいかない。

「……」

 今一度、骸となったエイジを見下ろす。
 一歩間違っていれば、今こうやって見下ろされていたのは自分だったのかもしれない。そんな事を思いながら。

「いや、考えても仕方ないね」

 そうだ。立っているのは莉緒であり、エイジでは無い。
 哀愁にふけっていたところでどうしようもない。倒すべき相手は倒した。後は、当初の目的である皐月を連れて帰るのみ。なのだが……

「……」

 莉緒の視線が阿弥達を見送った洞窟の奥へと向けられる。その目はどこか嫌なものを見るかのようなものだ。
 しばらく洞窟の方を眺めていた莉緒だったが、やがて覚悟を決めたのか、彼もまた、阿弥達を追って洞窟の中へと入っていく。これまでの激闘の痕を、二人の魔人の骸に背中を向けて……



「こんのぉ……とぉ!?」

 距離を詰めようと前傾姿勢をとった阿弥の鼻先に掠めるのは、アイオーンが持つ異形の剣とはまた別の形の剣だ。しかしながら、そちらは禍々しい黒では無く、どこか幻想的な青みがかった銀色の直剣だった。それが阿弥の鼻先だけでなく、遠距離攻撃で援護しようとする義嗣や、雲雀や奈乃香のサポートに入ろうとする皐月の行動を阻害していた。

「しぶとい……」

 そんな彼女達の眼前、とはいえ、ゆうに二十メートル程離れた場所で、アイオーンが長剣を握り直しながら、忌々し気にそう呟いた。
 阿弥達特戦課の面々は、エイジとグラスとの闘いで疲弊こそしていたものの、平時と同じように動く事自体に問題は無かった。むしろ、通常時の動きよりも幾分か劣ったものなのにも関わらず、アイオーンとほぼ互角の戦いを繰り広げられている事に驚くべきだろう。普段であれば、彼は強いのかもしれない。それこそ、エイジやグラスが歯が立たないレベルで、だ。しかしながら、今の彼は霊脈から力を吸い上げる事に注力している為か、本来の実力を発揮できない。
 その事を考えれば、今一気に攻め立てるのが一番なのだろうが、いかんせんそのいかにも攻撃寄りな武装とは裏腹に、やけに防御が硬い。エイジのような物理的な硬さではなく、攻撃を仕掛けられない、といった硬さだ。今しがた見せた剣を飛ばす遠距離攻撃だけでなく、地面から刃を生やし、それと同じ要領で宙に突然複数の剣が現れ、どのような攻撃も簡単に防がれる。言うなれば、攻撃寄りになったエイジと言ったところだろうか。
 問題は、懐に潜り込めばチャンスがあったエイジとは異なり、こちらは本領が近接戦というところだ。流石にその得物の大きさから、グラス程の速度は出せないものの、それでもその剣の大きさを考えれば十分すぎる程素早い剣速で薙ぎ、突き、斬り払ってくる。強襲が得意な阿弥ではあるが、そもそも打ち合いとなると膂力がそこまで強いわけではないので打ち負ける。かと言って、そのスピードで死角からの急襲を行おうとしても、それはそれで飛来する剣によって阻まれる。
 ならば、とこの中で最も防御力と攻撃力に長けた奈乃香が突っ込もうとするも、それを防ごうと複数の剣が彼女に襲い掛かる。一つ一つ打ち落としていってはキリが無い。
 奈乃香は何を思ったのか、周りに剣が浮いているにも関わらず、そのままアイオーンへと突っ込んで行く。当然、彼女を串刺しにしようと地面から、何も無い空中から、そしてアイオーン正面から半透明の剣が襲い掛かる。

「はぁぁぁぁぁぁぁ……」

 そんな危機的状況に、ようやく奈乃香はその場で停止するも、既に彼女は囲まれている。急いで皐月が奈乃香への攻撃に対処しようとしたその時、直前まで溜めるような動作をしていた奈乃香が、自身の足下に向かって拳を振り下ろした。

「なっ!?」
「ちょ、無茶苦茶過ぎるでしょ!?」

 まさかの自分に向かってきていた剣を一掃するという暴挙に出た。それは、彼女が普段ヴィーデの群れによく放つあの一撃とほとんど同じものだが、今回はそこまで火力が必要無かったのか、もしくはいつもの威力が出せる程の力が残っていなかったのかは分からないが、噴き出した炎は控え目だった。だが、そんな状態でも急接近して来ていた剣を全て飲み込み、打ち落とすどころか、その場で蒸発させてしまう。これには流石のアイオーンも茫然としていたが、すぐに我に返り、即座に追加の剣を出す。だが、やはり霊脈の方に力を取られているからか、速度が遅い。
 出てしまえば一気に加速する。ならば、踏み込むべきはここだろう。
 左からは阿弥、右からは奈乃香が一気に接近する。防御に対応するだけの速さ、力はあれど、防御力自体は大した事は無い。そう確信しての行動だ。

「チィッ!」

 その舌打ちは自身の思い通りに戦況を描けない苛立ちからか、宙から剣を出すのを諦めたアイオーンは、元々持っていた右手の長剣と、新たに引き出した左手の長剣を構え、二人を迎え撃つ。
 二種類の異なる金属音が広間に鳴り響く。ドーム型になっているせいか、これだけ騒がしいにも関わらず、その音はよく響き渡っていた。

「こ、のっ……!」
「ん~……!!」

 阿弥と奈乃香、双方が純粋に力で押し込もうとしているのに対し、アイオーンもまた、力でそれを押し返そうとする。その力比べは流石魔人、と言うべきだろう、阿弥と奈乃香二人がかりでも彼を完全に押し切る事は難しい。
 だが、忘れてはいけない。ここにいるのは特戦課の守護役全員だ。

「なっ!?」

 唐突に阿弥と奈乃香が押し込んでいた得物を引き、後ろに大きく下がる。前につんのめるアイオーンに向かって、一本の矢が彼を正確に貫こうと飛来する。

「舐めるなぁ!!」

 が、それは地面に突き立てられた長剣によって防がれる。小細工もここまで、と思っていたのか、その動作は少し緩慢さが見られる。すると、次の瞬間、彼の周囲にいくつものナイフが浮き上がり、その切っ先が全てアイオーンへと向けられている。
 義嗣が矢を防がせ、視界を奪った後、聖が四方から一気に攻撃を仕掛ける。そう、方向も攻撃手段も異なる波状攻撃。これにより、アイオーンは完全に自身のペースを特戦課の面々に握られる事となった。
 いくら大量のナイフとはいえ、必ずどこかに穴はある。それを瞬時に見抜き、そこから自身目掛けて飛んでくるナイフを避けようとその唯一の穴をかいくぐったアイオーンに待っていたのは……
 八相に構えた雲雀の姿だった。

「しまっ……」

 無理な体勢で抜けた為か、アイオーンの重心は完全にずれ、次の回避行動に繋ぐのはあまりにも困難な状態だった。

 偶然、では無い。これらは全て、特戦課の綿密な作戦によって計画された事である。
 円月輪を身に纏った雲雀が一歩踏み出す。一歩、とは言っても、その大きさは通常の踏み込みの何倍もあるでろうものだ。もはや簡易的な縮地と言ってもいい。そして、そこから繰り出されるのは、東郷家秘伝、必殺の示現流。

「チェストオオオオオオォォォォォォ!!」

 清楚且つ、おっとりとした普段の彼女からは到底聞く事の出来ない、猛々しい叫び。それに怖気づいたか、はたまた単に雲雀の動きが速すぎた為かは分からないが、アイオーンの反応が一瞬遅れる。示現流の前での一瞬は、それ即ち死を意味する。
 野太刀の一撃を防ごうと長剣を横にするも、雲雀の一撃は盾として突き出された剣を易々と叩き切り、その奥にいたアイオーン毎両断した……。

「現代アクション」の人気作品

コメント

コメントを書く