鬼哭迷世のフェルネグラート

トンテキ

五十五話 人と人


「双葉っ!!」

 ここしかない、そう判断したグラスが躍りかかるも、すぐさまその動きに対応し、更には宙に浮き、無防備な状態の彼女の胸を拳で貫くのをただ見ていたエイジは、思わずグラスの本当の名、かつて彼女がグラスと名乗る際に、捨て去った筈のその名を叫んでしまう。
 以前、彼女から独断で莉緒を襲撃した後に、エイジはその時の莉緒の行動を事細かに分析する為、その情報を受け取っていた。その中には、最後の最後に彼がしようとしたカウンターも含まれている。
 この戦いの中、その事が頭から抜けていたわけでは無い。むしろ、彼のカウンターを警戒して、グラスにも事前に慎重な攻撃を心掛けるよう、再三に渡って伝えていた。莉緒の拳の威力は、直接受けた自分が一番よく分かっているからだ。
 だが、ここに来て一握りの焦りが慎重さを失わせた。動きが苛烈でも、頭の中は常に冷静なグラスが、莉緒の予想外の実力に焦燥を見せていたのは明らかだった。そんな彼女が、ほんの少しでも隙を見れば、それを最大の好機と捉え、突っ込んで行くのもエイジには分かっていた筈だった。
 止められなかった。いや、そんな余裕すら無かった。
 むしろ、グラスの攻撃で終わるとさえ思っていた。その結果が、これだ。

「……」

 ずるり、と物言わぬ骸と化したグラスの胸から腕を引き抜く莉緒。真っ赤に染まった右腕は、もはや自分の血か、グラスの血で染まっているのすらも判別がつかない程だ。
 おそらく、次はエイジの番だろう。だが、その事で恐怖しているのではない。彼はただ、妹の最後をこんな形で迎えるなど、思っていなかったのだろう。いや、頭のどこかではあっただろうが、まさかこんなに早く来るとは思っていなかった。
 故に、その事実を理解した瞬間、エイジは動きを止めた。それは、妹が殺されて動揺し、そのまま無策にも猪突猛進を仕掛けるような馬鹿ではないという事を知らしめる……というわけではない。ただ、妹の死があまりにも唐突過ぎて、頭が真っ白になって動けなかっただけだ。
 そして、莉緒はそれを見抜いていた。

「……家族の死が受け入れられないか?」

 エイジが冷静じゃない事も知っていた。故に、その言葉はどこか彼を追いつめるかのようなものだ。

「……妹が殺されて、何も感じないような血も涙も無い生き物に成り下がったつもりは無い」
「そうだな。でなきゃ、そんなひどい顔はしない」
「は……?」

 頬に触れる。莉緒の顔があまりにも哀れなものを見つめる目だったからだ。そして、莉緒の言った言葉の意味を理解した。
 笑うとも、泣くともつかない表情をしていた。ひどい、と言えばひどいものだ。何せ、泣き顔でもないにも関わらず、その目はただただ涙を流し続けていた。

「それが、俺があんたらを魔人もどき・・・と言った答えだ。……本物の魔人なら、仲間どころか家族が殺されたところで悼みも、悲しみもしない。あんたはまだれっきとした人間だよ」

 莉緒はこれまで一度たりとも彼らを魔人、と呼ばなかった。常にその名称の後ろにもどき、と付けていたが、その理由がこれだ。莉緒が鬼神であるにも関わらず、その本能が書き換わっているのと似ている。が、エイジがこうして見せているのは、失って補填されたものではなく、彼が本来持っている感情だ。莉緒とは似て非なる存在。それが魔人もどきだ。

「それに、魔人とは力の概念そのもの。破壊という衝動のみを内包する存在だ。自己を最上位と認識しているせいか、保身に走る事はあれど、他者を守る事などあり得ない。過程に破壊があれど、その最終目的が人類の救済である時点で、君らは魔人じゃなかったんだよ」

 妹が殺され、尚且つその状態で無慈悲な勧告を受ける。だが、莉緒にそこまで言われてもなお、エイジの目は死んでいない。むしろ、彼の目は、これまで以上に感情に満ちていた。

「憎しみか、恨みか……。ま、どちらにせよ、やる事は一つだ」

 そう、エイジが莉緒の言葉でどんな風に目覚めたにせよ、お互いが行うのただ一つのみ。エイジは役目を、莉緒は皐月を連れ帰りがてらに降りかかってきた火の粉を払う。お互いがお互いを敵と認識している以上、これは避けては通れない道だ。

「そうか……、ボクはまだ、人間だったんだな……。なら、人間として、お前と戦おう。妹の……双葉の仇を、そして、人にとって最大の脅威となる鬼神を討つ為に!!」
「来い、人間。俺を殺してみろ!!」

 たった一人の人と、鬼神がぶつかり合う。お互い譲れないものがある、などと大層な事を口にはしないだろう。だが、一方は目的を果たす為の最大の障害として、そしてもう一方は、それを脅威と認識し、ただ倒す為だけに拳を振るう。
 お互いに退く、という言葉の存在しない戦いだった。



「場所はここでホントに大丈夫なの!?」
「多分……。横道も無かったですし、この先にいるとしか……」
「おっと、そうこう言ってる内に着いたようだぜ」

 アイオーンを追っていった特戦課一同は、長い長いトンネルの中を進んでいた。しかし、予想以上の長さを持つトンネルに、そろそろ阿弥がウンザリし始めた頃に、ようやく視線の先に光が見えた。おそらくあの光の場所が終点だろう。というより、終点でなければ困る。ただでさえ、彼女達の体はエイジとグラスとの闘いによって疲労や傷が激しいのだ。これ以上体力を消耗させられれば、本命のアイオーンとの戦いにも支障が出かねない。故に、その光を目の当たりにした一同は、喜び半分、緊張半分で光に先に臨む。そこに何があろうとも。

「うわぁ……」

 一番最初に入った奈乃香の口から漏れたのは、おそらく感嘆の声だろう。何せ、ドーム型になったその広場全体に、水晶のような結晶が張り巡らされていた。いや、これは張られているのではない。壁が結晶そのものなのだ。

「どうなってんの、これ……?」

 その場にいた全員が息を呑む。美しい光景ではあったが、その結晶の壁はどこかくすんで見えた。それもそうだろう。彼女達の目の前でその結晶から光を奪う張本人がいるのだから。

「……何故、ここにいる」

 項垂れていたアイオーンだったが、特戦課の面々が来た事に気付くと、ゆっくりと顔を上げる。その顔には、明かな疲労の色が見える。特に戦闘などをしたわけではないにも関わらず、何故彼はそこまで消耗しているのか。
 考え得るものとしては、壁一面の結晶から光を奪い取っている事だろうか。この光の正体を特戦課のメンバーは知らない。知っているはずも無い。何せ、今現在アイオーンが何をしているのかさえ理解出来ていないのだから。

「エイジとグラスは何をしている……」
「二人共、今現在考え得る最悪の相手と戦ってるわよ」

 言わずもがな、莉緒の事だろう。確かに彼らにとっては、実力的な意味で言っても最悪に近い相手だ。実際、彼女達がこの場に来ることが出来ている時点で、あの二人が増援に苦戦している事を想像するのは容易い。

「……あの少年か。只者ではないとは思っていたが、まさか概念魔装を身に纏ったあの二人を前に互角以上に立ち回れるとはな。人とは、なかなか侮れないものだ」

 実際のところ、エイジとグラスが相手にしている人物と比べれば、彼らの方がよっぽど人間らしいと言える。だが、ここにいるアイオーンがその事実を知る事は無い。

「それじゃ、こっちはこっちでやりましょうかね。随分と辛そうな顔をしてるみたいだけど、今なら幸福すればまだ情状酌量の余地はあるわよ」
「クックック……、面白い冗談を言うものだ」
「はぁ? アタシがどんな冗談を言ったってのよ。もしホントにアタシが言ったってなら、今頃ここにいる連中はみんな爆笑必至よ?」

 静かに笑うアイオーンを前に、阿弥はそんな風に言って見せるが、傍から見ればそれが相手から油断を誘う為のものである事が分かる。そして、それはアイオーンも承知しているらしく、彼女のとぼけた口調に対し、鋭い視線を送る。

「私が今やっている事は、この街に住む全ての人間の命を奪う事……、それよりも遥かに大きな被害を出しかねないものだ。それを見てなおも、情状酌量などという言葉が出てくるのならば、遠慮なく続けるといい。私はそれに対し、ノーと言いづづけるだけの事だ」
「あぁ、そう。じゃ、アタシ達も相応の対応をさせてもらうだけの事よ。聞けばアンタ、それやってる最中はまともに動けないらしいじゃないの。だったら、このままサンドバッグに……」
「先輩、待って!」

 武器を構えようとした阿弥の手を止めるのは奈乃香だ。彼女が何をしようとしているのか、ここまでの行動を見てきたらおのずと分かる事だろう。しかし、彼らは奈乃香が思っているよりもずっと重いものを背負ってきた。その事に今更口を挟むつもりは無いだろうが、それでも彼女は聞かなければならない。

「多分、もう、戦わないなんて選択肢は無いと思う。でも、これだけ聞かせて。あなた達の本当の目的は何なの? それは全体に、今やらなきゃいけない事なの?」
「……目的は、以前エイジから聞いている筈だ。我々の最終目標は人類の救済。その為の前段階を今現在進行している途中だ。それと、今やらなければいけない事なのか、と言ったな? そもそも、今やらなければいつやればいい? 人の存在が完全に間違いだと、人自身が気づく頃か? それとも、人が完全に滅びた後、か? そんな段階になってようやく腰を上げているのでは、あまりにも遅すぎる。それに、計画自体はとうの昔から進められている。三年前に都心特区で起きた大崩壊も、その一つだ」
「やっぱり……、あの事件はアンタ達が!!」

 怒りからか、武器を手に飛び掛かろうとした阿弥を、後ろにいた皐月が止める。握られた自分の腕を見て、冷静に返るものの、それでもやはり、表情は怒りに歪んだままだ。

「やっぱり? おかしな話だ。世間一般では、あれは自然災害と認定されている。魔人が関与したという話は……」
「知り合いから聞いたのよ。魔人が確認されてたって。アタシの父親は、アンタ達に殺されたのよ!!」

 今明かされる衝撃の事実。今だ激高した様子の阿弥に対し、アイオーンは冷ややかな視線を送るだけだった。

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