鬼哭迷世のフェルネグラート

トンテキ

五十四話 央莉という少年


 鬼神。

 その字の通り、日本においては猛々しい神の事をそう呼ぶ風習がある。だが、今この場においては、その名は別の意味を持つ。
 守護者、裁定者、もしくは……代行者。
 鬼神は単一に対する称号では無い。れっきとした役目である。
 だが、その役目は鬼神の名の通り、人がまともな精神で行えるものでは無い。
 その内容とは……場の掃除である。
 掃除、と聞けば、あくまで不要な物を捨て、その場を綺麗にする、という認識でしか無いだろう。だが、この場合、鬼神が掃除するのは物ではなく者。つまり……人である。
 簡単な話だ。鬼神となったその人物は、その本能が良しとするまで人を掃除……虐殺し続ける。そこに一切の感情は無く、ただ役目だからという理由で人は殺され続ける。
 しかしながら、莉緒がそんな事を行ったという記述は今のところ存在しない。過去に魔人を殺した、というのは本人の口からはまだだが、エイジが代わりに代弁してくれた。
 だが、彼が虐殺に加担した事はおろか、自らの手で行った事すら無かった。有史以来、鬼神となった人物は皆等しく虐殺を行い、どんな結末になろうともその役目に殉じて来た。であれば、何故莉緒だけが、鬼神となりながらも、その役目を果たさず、こうして正気を保っているのか。
 理由は簡単だ。

 正気ではないからだ。

 正確に言えば、正気ではなかった、と言うべきだろう。
 鬼神に呑まれた人間達は、皆が皆、まともだったとは言い難い。しかし、そのどれもが、自身の役目を理解したその時には、れっきとした自我を持ち、欲を持ち、責任感を持っていた。
 だが、莉緒が鬼神として目覚めた時、彼にはまっとうな自我などほとんど無かった。否、持てるような状態では無かった。
 何せ、人の為と思い行った行動にケチを付ける、なんてレベルでは済まない程の謗りを受け、人々の為に戦おうとすると、後に助けた者達から財産を傷つけられた、などといった心無い請求などを受ける事も多々あった。全員が全員そうだったわけではないが、例え一部ではあったとしても、まだほんの十三やそこらの少年には辛い仕打ちである事には変わりは無い。
 そんな状況で真っ当な人格が育つはずも無く、いつしか莉緒は自身の守護役としての役目を事務的に果たすだけの機械と化していた。
 そんな折に、彼は鬼神となるも、本来であれば人格や精神が乗っ取られ、然るべき存在になる筈が、莉緒には人格は無く、精神は既に朽ち果てており、鬼神としてだけではなく、人としての死を迎えてるも同然だった。
 そんな彼に、鬼神を授けた者は躊躇った。動いてはいるが、こんなもの命令に沿って動くだけの機械に過ぎない。これでは、人のこれまでの行いに対する反省を促すだけの恐怖や絶望をまき散らす事は出来ない。そう判断したが、一点だけ、誤算があった。
 強かったのだ。どうしようもなく。
 次点として選定されていた人間が、全くと言っていいほど敵わないレベルで、だ。
 齢十三、四の少年が何故ここまで強くなれたのかは分からない。が、これ以上の人間が今後出てくるとは限らない。
 であれば、壊れていても、いや、壊れているからこそ、彼に任せるべきだ、と。
 このような経緯で鬼神となった莉緒だが、幸か不幸か、その力の強さは、莉緒の人格や精神をまともな人間と同等のものに修復する程のものだった。そう、壊れていた莉緒が、人として戻ったのだ。いや、戻った、という言い方は違うだろう。あくまで、元と同じように作り直された、と言うべきだろうか。
 そうして、鬼神の力によって人格や精神を修復された莉緒は、本来持つべき殺戮本能を持たず、何故か代わりに胸の内にあった闘争本能を抱き、かつての戦いへと赴いていた……。



「くそ、やっぱり捉えきれ……!?」

 悪態を吐く暇があれば、手の一つでも動かせ、そう言いたげなグラスがエイジを突き飛ばす。一瞬後に遅れてその場を通り過ぎる莉緒の拳を間一髪で避けると、グラスが莉緒へと躍りかかる。
 二度、三度と斬りかかるも、その悉くが弾かれる。まるで、どの方向から攻撃が来るか見えているかのようだ。実際のところ、別段未来予知などを使っているわけでは無く、体の各部位の動きから、その先を予想し先回りをしているだけの話だ。彼が使うのは現代武道ではなく、古流の技。熟練に到達すれば、そういった人間離れした動きも可能になる。その分、血の滲むような努力をしたのは明らかだが。

「逃がすか!!」

 そう、逃げられはしない。後ろに下がるグラスにぴったりと張り付き、足を踏み込み、決定打を与えるべく狙いを定める。が、やはり防御に回ったグラスはなかなか捉えられない。その見た目から、防御面は貧弱と思われがちだが、それはエイジのように真正面から受け止めれば、の話だ。防ぐのではなく、避ける事に集中すれば、彼女を捉える事はそれだけで至難の業と化す。事実、この状態の莉緒でさえも、本気で回避に回ったグラスを追いかける事はしない。どうしようもないからだ。
 そして、復帰したエイジによる援護で、再び場は膠着する。
 莉緒の役目は何もこの二人を仕留める事では無い。あくまでこの場をもたせる事だ。先に行った皐月達が、何の気兼ねも無くアイオーンと戦う事が出来るようにするのが莉緒の役目だ。

「結局また、人の為、か……」

 自嘲するように笑みを浮かべながら呟く。あれだけ色んなものから逃げておきながら、何一つ変わっていない自分に嫌気が差しているのだろうか。ここに来たのも、蘭から頼まれたのであって、自分から皐月を助けに来たわけでは無い。そんな事は分かっていた筈だ。
 いや、そうでは無い。
 彼にとって、誰に頼まれたか、なんてのは関係無い。ただ、行くべき先を指し示してもらい、その先へと行くかどうかを選んでいるだけに過ぎない。でなければ、本庁から逃げるようにして出奔などしなかっただろう。
 どこを向いても暗闇の中しか指し示されなかった本庁には、一切の感情を持っていない。彼らは莉緒を利用するだけしておいて、人々から寄せられる批判や誹謗中傷から守ろうとすらしなかった。活動していた彼の名前や顔を伏せておく、という対処方法はとっていたものの、活動していた守護役が彼一人であった為、実質莉緒に向けられているのと同じだ。
 それは今でも変わらない。特戦課からの要求を突っぱね、協力などもっての他だ。だが、蘭から、人から救いを請われればそれはまた別の話。重かろうと、動かろうと、何としても求める声に答えるだけだ。
 故に、彼は拳を握る。何としても、皐月を連れ帰る為に。

「そこだっ!!」

 エイジが執拗に莉緒の足下を狙っている。彼の動きが常に地面に足を着けている事に気付いたのだろう。その考えは確かに間違ってはいない。事実、莉緒のあらゆる動作は地に足を着けた状態で行われる。それは、彼の技が自分の力のみでなく、地を使った技が故の事だ。しかと大地を踏み、体全体で一つの技を完成させる。師より受け取り、そして磨かれ抜いた技の数々は、人の基本姿勢である二足歩行の状態で敵を確実に屠る為の殺人拳。だが、足が地に着いていなければその技が必殺になる事は無い。
 エイジはがむしゃらに、それでいて一極をひたすらに狙う。莉緒の足が常にどちらか浮いている状態になるように、だ。
 それを続けていれば、やがて莉緒の体勢は崩れる。崩れたその時こそ、これ以上無い好機だと、彼は理解していた。だからこそ、何度も何度も執拗に足下を狙い続ける。やがて莉緒が、彼の目論見を看破したとしても、それは続けられた。
 いかに策を弄したとて、それが見破られればそれまでだ。故に、エイジのその行動も、莉緒が彼が何をしようとしているのか理解した時に、既にやる意味は皆無と化していた。
 しかし、ほんの一瞬、ただの一瞬の隙に賭け、同じ事を繰り返す。ただその時が来るのを、ひたすら待ち続ける。
 流石の莉緒もそろそろ痺れを切らしたのか、エイジの攻撃を見切ったと思いきや、突如として熱線に混じって何かが飛んでくる。咄嗟に防いだが、完全に熱線の事しか考えていなかったであろう莉緒の腕に、それ・・が突き刺さった。

 グラスの剣だ。

 鮮血が舞い、突き刺さった剣に気をとられた莉緒は、思わずその動きを止めてしまう。奇しくも、剣が刺さったのは右腕、つまり利き手だった。

「……今!!」

 利き手を封じ、また剣が刺さった勢いで体勢を崩している莉緒に、ここが好機とばかりに飛び掛かるグラス。これ以上のチャンスはもう舞い込んでこない、そう言いたげに、今出せる最高の速度で莉緒の目の前まで飛び込んでいく。
 しかし、この時彼女は完全に忘れていた。
 莉緒の戦法が、隙は自然に出来るものではなく、自分から作り出すもの、と。
 今しかない好機と、莉緒の負傷によって頭がいっぱいだったのもあるだろう。だが、ここに来て彼女は踏み込んだ、踏み込んでしまった。

「……あ」

 右手で薙いだ剣は、いとも容易く避けられ、更には手首を掴まれて動けないように固定される。そして、胸に当てられるのは、負傷している筈の右手……。

 再び、血が噴き出す。

 だが、今度は莉緒のものでは無い。それはグラスの……小さな魔人のものだった。

「双葉っ!!」

 エイジが彼女に向かって悲痛な声で叫んだ。だが、その声はグラスの耳には届いていない。届くはずも無い。
 胸を貫かれ、その身がゆっくりと意識と共に落ちていく少女が最後に見たのは、自分の胸を穿ち、血に塗れながら嗤う、鬼神の姿だった。

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