鬼哭迷世のフェルネグラート

トンテキ

五十三話 殿


 先に動いたのはグラスだった。目の前の少年がどれだけ大仰な名前で呼ばれていようが、以前と変わらぬ姿である以上、莉緒がグラスのスピードに真正面から付いて行くのにも限界がある。更に言えば、今現在彼女は概念魔装を身に纏っている状態だ。あの時と同じ莉緒であれば、圧倒する事すら可能だろう。……あの時と同じであれば、の話だが。
 抜き放った自身の身の丈程もある双剣を軽々と手先で回すと、持ち前の速度で一気に莉緒との距離を詰める。以前の廃ビルでの戦いで見せたもの以上の速度に、莉緒は反応出来ない。

 否、反応する必要など無かった。

 薙いだ右腕をその場で即座にいなすと、その速度のせいか、想像以上についた勢いに乗った事もあり、少し姿勢を低くすれば余裕をもって彼女の懐に潜り込む事が可能となる。
 速いからといって、わざわざその動きに付き合う必要も無い。引き込み、体勢を崩し、必殺の一撃を入れればそれでいいだけの話。莉緒の動きは、まさにそれを体現したものだった。
 いなした右腕の下、脇腹の辺りまで潜り込むと、目の前のがら空きの胴目掛けて肘を抉りこむ。通常であれば、グラスの体は概念魔装に守られ、中途半端なダメージは全てかき消される。が、莉緒の踏み込みと、グラスのスピードによってつけられた勢いが合わさり、彼女の脇腹を抉りこんだ肘の威力は尋常でないものへと変貌する。

「……ぐ、あっ!?」

 それだけの威力の攻撃を受けても、彼女の小柄な体躯が吹き飛ぶ事は無い。いや、違う。この場合は吹き飛んだ方がダメージは小さい。そうならないように、莉緒が彼女の体の中で衝撃を留めたのだ。単なる打撃であれば、その体は宙に舞い、今ほどのダメージは受けていなかっただろう。だが、彼は肘で抉ったのだ。衝撃が逃げないように、逃がさないように。

「グラス!!」

 即座にエイジが妹を守るために複数の銅板を飛ばす。陣を作り、その中心から熱線を飛ばすだけが彼の攻撃手段ではない。銅板は光を反射する。つまり、手元から延びた光線が複数の銅板の反射を返して莉緒へと突き刺さる……筈だった。
 莉緒は未だ掴んだままだったグラスを蹴飛ばし、近くの銅板へと叩きつける。当然、叩きつけられた方はその衝撃を殺しきれず、本来あるべき場所からずれる。その予想外の動きに狼狽えたエイジを莉緒が見逃す訳も無く、その瞬間に一気に距離を詰める。
 だが、待ち受けていたのは指示を受けていない銅板達だった。まるで壁のようにエイジの前に連なると、突き出された莉緒の拳を防ぐ。凡そ人の拳で銅板を殴ったとは思えないような音が鳴り響くが、当の本人は手を痛めた様子は無く、また銅板にも傷一つ付いていない。

「どれだけ威力が高かろうと、内側に直接衝撃を伝える事が出来ようと、これならどうしようもあるまい!!」

 そう、莉緒の獅吼、所謂寸打ちは敵の体が衝撃を伝える物体と繋がっていなければ意味は無い。それがあって初めて、内側に衝撃を伝えられるのだ。
 それが封じられた以上、莉緒がエイジにダメージを与えられる事は無い。銅板に阻まれている隙に、エイジが莉緒の周囲を囲む。今度は反射など必要無いと判断したのか、円陣を組んだ複数の銅板の中心から青い光が漏れる。これらが放たれれば、まともな防御手段を持たない莉緒など、一瞬で蒸発するだろう。当たればの話だが。

「そうか、なら、これでどうだ?」

 莉緒が再び大地を踏みしめる。が、それは前へと踏み込む利き足の右ではない。後ろに引いている左足だ。それがしっかりと地に着き、そして……

「ッ!!」

 カァン、という甲高い音と共に莉緒の拳が触れていた銅板が勢いよく弾け飛んだ。飛んで来た銅板を咄嗟に躱したエイジだが、その時点で莉緒へと向けていた攻撃の為の集中は途切れている。熱線が吐き出される事は無く、防御も破られた。
 銅板の壁が崩れると同時に、再び莉緒は踏み込む。前に、エイジの目の前へと。拳が届けば一撃で終わる。だからこそ、彼はあそこまで必死になって防御に徹していたのだ。
 しかし、莉緒の拳があと一歩で届く、といったところで、彼は即座に横へ向き直り、正面から襲い掛かって来る刃をいなした。

「……チッ、勘の良い!!」

 復帰していたグラスが、勢いを付けて莉緒へと刃を薙ぎ払っていたのだ。流石に刃そのものを腕で受け止める事はしない。いかな莉緒とて、傷一つでは済まないだろう。故に、受け流す。一撃、二撃と連撃を重ねられても、グラスの手をよく見てどこからどういう軌道で迫って来るのかを認識しながら。
 足は速くとも、手も早いとは限らない。よく見ていれば負えない速度でもない。ならば、一撃一撃確実に対応するまでの事。

「っ!」

 今度は逆にそれを読まれ、右の薙ぎと思いきや、寸止め、その下から掬い上げるように左の剣が上って来る。
 防ぐ事は容易だ。だが、その程度で済ませる程莉緒は甘くない。
 裏拳で寸止めされた右手の剣を弾く。基本、双剣で使用する剣は叩き切る事を目的として作られていない為、拳でも十分に弾ける。尚且つ、刃は引き切るものが前提とされているので、垂直にぶつければ拳に傷を付ける事も無い。
 弾かれた右に連れられて、左の軌道が変わる。そちらを踏みつけると、顔へ向かって蹴りを放つ。薄皮一枚、まさしく紙一重と言えるその距離に、グラスは攻撃後の崩れた体勢になっている莉緒を追撃するべく刃を引き戻そうとしたその時、不意に後頭部に衝撃が走る。蹴り抜いた足を折りたたみ、その状態で踵を当てていた。
 以前の廃ビルので踵落としよりも威力自体は高くない。が、それでも後頭部という人体の中でも一際危険な場所にダメージを受けたのは事実だ。グラスの足下がふらつく。
 そこへ手を出すのはエイジだ。攻撃のフォーカスを莉緒に絞り、上手くグラスに当たらないように調整する。もはや火力などと言っていられる状態ではないのか、銅板から発せられる攻撃に集中性は無い。ただ、その場で拡散するように放たれるのみだ。
 流石に面で制圧されればいかに莉緒とて迂闊な行動はとれない。即座にグラスを離し、回避行動をとるも、グラスから離れた途端、エイジの攻撃は激しさを増していく。どうやら、離れずにグラスを盾にするのが正しかったようだ。しかしながら、それを今更悔やんでも遅い。どのみち、人一人を盾にしながら動くなど、そこまで器用な事は莉緒には出来ない。出来るのはただ一つ、踏み込んで、叩き込むのみだ。

「チィ、ちょこまかと!!」

 右に左に、と常に動いている莉緒を捉えるのが難しいのか、エイジは苛立った様子で銅板を操っている。それもそうだろう。そもそも莉緒の動きは激しいものや、大げさなものではなく、あくまで最低限の動きで避けているに過ぎない。当たらないからと言って、更にむきになったところで、一気に接近して叩く。グラスはともかくとして、エイジに関してはこの方法でも十分に決定打を与える事は可能だ。
 案の定、あまりにも簡単に避けられる為、焦ったのかエイジの操作に乱れが出る。詳しく言えば、これまでは波状攻撃を主体としていたものが、だんだんと集中的になってきたと言えば分かりやすいだろう。
 多方向からの一点集中は、一見すると避ける事が困難に思えるが、狙っている場所はその名の通り一点である。そこを見極め、適確なタイミングでかわせばさして問題は無い。むしろ、闇雲でも先ほどまでのような波状攻撃の方が厄介だ。
 莉緒が足を止めると、全ての銅板の向きが彼へと向けられる。刹那、銅板から放たれた無数の熱線が莉緒を焼き払おうとほぼ同時に発射される……が、この瞬間こそ、莉緒が待ち望んだものだった。
 熱線が命中する直前、前方に大きく踏み込む。たった一歩。しかしながら、達人のそれは一歩で数メートルは移動すると言う。また、縮地と呼ばれる技術も存在しており、莉緒のそれはただ踏み込んだだけにも関わらず、まるで瞬間移動でもしたような速度でエイジの目の前に現れる。
 防御は……間に合わない。

「クソッ!!」

 武装の全てを攻撃に回していた弊害か、今彼を守るものは概念魔装によって変わったその衣装のみだ。これだけでも相当な防御力を誇るだろうが、残念ながら莉緒に対し、身に纏う防御兵装は最悪と言っても過言ではない程相性が悪い。咄嗟に腕を交差させ、莉緒の拳を防ごうとするも、そんなもので止まるのならば、そもそもここまで苦戦はしていない。
 次の瞬間には体の骨は砕かれ、最悪貫かれる……そう覚悟はしたが、予想に反して攻撃が来ることはなかった。

「……らぁぁぁ!!」

 復活したグラスが莉緒に襲い掛かっている。だが、やはり先ほどのダメージが少なからず効いているのか、その剣に威力は感じられない。しかし、エイジにとってはその一瞬の時間稼ぎだけで十分だった。
 すぐさま手元に銅板を戻すと、近接戦に臨む莉緒を彼の範囲から引き剥がす。グラスの動きが存外予想外だったのか、一度距離を離して様子を見る莉緒。グラスはまだ視点が定まってはいなかったものの、やはりダメージとしては浅かったのか、おそらくすぐに復帰してくるだろう。そうなると、再び二体一の形となる。
 ここしかない。そう判断した莉緒は、後方でようやく復活した奈乃香達に向かって声をかける。

「もう回復しただろ、行け!!」

 唐突に莉緒に声をかけられた側は驚き、更に彼と対峙していた魔人二人は、一瞬そちらに気を取られる。何とも分かりやすい。
 その一瞬の隙を突いて、再び接近、今度はダメージが消えにくいボディを狙うも、やはり頭へのダメージはとうに消えていたのか、グラスにかわされ、彼女の飛び退った後に、その背後からエイジの熱線が襲い掛かる。莉緒もまた、これを後ろに下がる事で回避すると、心配そうな目で見つめる皐月に顔だけを向ける。

「今ならまだ準備中の可能性が高い。さっさと行け! じゃないと、俺が蘭にへそを曲げられる」

 そうだ。莉緒はあくまでここに皐月を迎えに来たに過ぎない。言ってしまえば、魔人の事はただのついでに過ぎない。こんな事にこれ以上時間をかける訳にもいかない、という事だろう。莉緒の叱咤に押され、皐月は阿弥達と共にアイオーンが消えた奥の洞窟へと入っていく。

「させないっ!!」

 咄嗟にエイジが皐月達を阻もうと攻撃をしかけるが、それに立ちふさがるのは莉緒だ。

「……やっぱり、準備の最中は無防備になるんだな。お前らが必死に守ろうとしているのがその証拠だよ」
「グッ……」

 莉緒の過去の経験からしても、今現在準備中のアイオーンはほぼ無防備と言ってもいいだろう。力の行使は出来たとしても、八割がた霊脈へのアクセスにとられているせいで、二人のように全力で戦うのは困難なはずだ。……今ならば、彼女達にも勝機はある。

「それに、お前らはここで仕留める。これ以上引っ掻き回されても面倒だしな」

 背後の洞窟を庇うかのように莉緒が立ち、再び構える。先ほどとは逆の構図、しかしながら、二人がそれを突破するのは至難の業だ。

「……上等」

 立ち向かうのは二人の魔人、迎え撃つはたった一人の鬼神。
 どちらかが斃れるまで終わらない戦いが、再び始まる……。

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