鬼哭迷世のフェルネグラート

トンテキ

四十二話 増援?


 轟音が鳴り響く。それも、一度や二度では無い、立て続けに、だ。
 廃ビルから突き抜けて、隣のビルに飛び込んだグラスは、立ち昇る土煙に一瞬敵の姿を見失う。が、この状況で馬鹿正直に不意打ちを狙う気など無いのか、それとも必要無いと判断したか、莉緒が土煙を突き破って拳を振りかぶる。
 体勢を崩した状態でその拳を避ける事は簡単ではない。これを双剣で上手くいなし、次の肘、膝、冗談蹴りを次々と捌くも、逆に言えばそれが精いっぱいだった。
 しかし、足に上手く体重が乗っていない事を瞬時に見抜くと、まるで足下を払うかのように双剣を薙ぐ。すると、莉緒が前方宙返りの要領でそれを避けるが、グラスはそれを待っていたかのように空中にいる莉緒の体を斬……ろうとするが、即座に防御の構えをとる。

 ミシリ、と嫌な音が鳴った。

 簡単な話だ。下段を前方宙返りで避けた莉緒は、その勢いを利用して最上段からの踵落としを見舞っただけ。そして、彼女が今防いだのは一段目。つまり……

「……」

 少し、その口の端が持ち上がった気がした。が、それを確認する暇もなく、莉緒の振り上げられたままの右足がグラスのガードの上から彼女の頭頂部を狙う。

「……こんのぉ!!」

 強引に腕を動かしたグラスは、防いだ初段の足を横に振り払うようにして軸をずらし、二発目の踵落としを何とか躱した。踵落としをすかされた莉緒は、そのままの勢いで回転しながら地面に着地、受け身をとって即座に立ち上がる。
 ここまで幾度となく攻防を続けてきたにも関わらず、その顔に疲労は見られない。むしろ、グラスがここまで一方的に付かれた様子を見せているのが不自然に思える程だ。
 別段、ここまでグラスが防戦一方だったわけでは無い。時に隙を突き、時に防御が間に合わない高速の連撃、時に大振りな攻撃に合わせるようにカウンターを行ってきたが、そのどれもが決定打にはならなかった。
 しかしながら、それは莉緒とて同じ事。先ほどから何度も攻め手を見せるも、そのどれもが彼女に決定打を与えずに終わっている。グラスが莉緒の動きに慣れて来た、というのもあるだろう。が、問題は別にある。

「一年のブランクは辛いなぁ……」

 そういう事だ。極端な話、体を動かす事自体はこれまで何度もしてきた。が、命の取り合いとなれば話は別だ。それに沿った動き、構え、受け、色んなものが必要になって来る。
 たった一年、されど一年、だ。あれだけ身に刻んだ事もあってか、相手の攻撃に対処する事自体は難しくは無い。が、どうも攻めに関する感覚がすっぽりと抜けているようだ。先日のエイジのように、動かない相手であれば駆け引きも何もあったものでは無いが、こうも縦横無尽に動き回られては、普通の動きをしていてはいつまでたっても捉えきれない。
 言ってしまえば、相手が悪い、という事だ。
 かつての記憶を頼りにここまで模索してきたものの、そろそろ決めなければ、面倒毎が増えかねないという懸念がある。それは、このグラスに限った話ではない。

「……しゃーない」

 莉緒が小さく呟きながら構えをとる。それはここまでやってきたファイティングポーズと何ら変わったところの見られないものだった。だが、どちらかというと自然体から急激に技を仕掛けてくる事が多かった莉緒の戦い方を知っているグラスは、唐突にその場で構えをとった莉緒に対し、警戒心を抱いている。
 そんなグラスの警戒心を真正面から打ち砕くように、莉緒が構えたまま、一歩前に踏み出す。
 一歩、とは言っても、成人男性の歩幅、なんてものでは無い。まるで瞬間移動でもしたかのように高速で相手の懐まで潜り込み、そして……

「フッ!!」

 衝撃波を生み出す程の正拳突き。それも、その一発で終わる、なんて事は無く、次々へと連続技に派生していく。しかも、手数を多くする、という目的に連撃ではあるが、その一発一発が尋常では無い威力であるのが目に分かる程の風音を吹き鳴らしている。
 簡単に当たらないのであれば、当たった一撃で沈む程の威力を常に出していればいい、という事だろうか。だが、その思惑通り、莉緒の拳や足はその一発一発がまともに受ければ決定打どころか、致命傷になりかねない勢いを持っている。エイジであれば防御壁のおかげで大したダメージにはならないだろうが、グラスは違う。
 未だ莉緒の動きに最大限の警戒心を見せるグラスであったが、そこで不意にある事に気付く。一撃に重点を置いた莉緒の動きだが、当然、そんな威力重視の攻撃の後には、それなりの隙が生まれる。その隙は、初段であれば微々たるものだが、連撃を繰り返す度に隙が大きくなっていくのが分かる。

「……」

 当たれば致命傷。しかし、避ければ好機。この事に気付いたグラスは、静かに、だが虎視眈々と莉緒の攻撃を捌きながら、機会を窺っていた。

「ふぅ……、っ!!」

 深く息を吐いた後に、再び莉緒がグラスに向かって大きく踏み込む。何度も見たその光景に、グラスは落ち着いて対処を行う。拳、肘、肩、膝、足刀、これらを必殺の間合いで放たれるも、その全てを完璧とも言える所作で防ぎきる。当然、動きを見切っているのだから彼女が受けるダメージなど微々たるもので、決定打はおろか、グラスの体に大きな枷をする事すら叶わない。
 こうして、莉緒の動きを完全に見切った頃、その瞬間は突如としてやって来た。
 相も変わらず無表情ではあるものの、その動きは確かに疲労のせいか、鈍ってきている。それは当然ながら、攻撃動作そのものを鈍らせるだけではなく、その後隙も大きくしていた。
 上段への蹴り。これまでなら、そこから次の技が派生していたが、足が少しふらついたのか、派生はせず、そのまま体勢を整えようとする。これ以上の好機は無いと悟ったのだろう。これまで最小限の動きで避け続けていたグラスの動きが加速し、莉緒の背後をとった。
 莉緒の動きを観察し、それに最小限の動き、体力の浪費で対応してきたからこそできる瞬間的な加速。一撃一撃に固執し、知らず知らずの内に体力を消費させられていた莉緒としては、完全に予想外の動きだっただろう。グラスに背後をとられた際の動きは、決して反応出来ているとは言えないものだった。

「もらっ……!!」

 完全にとった。そう確信しただろう。寸前まで見れば、誰が見てもそうとしか思えない。……が、天は彼女に微笑まなかった。
 突如として視界外から飛来した物体に、突き出していた腕を斬り落とされそうになるも、直前に体全体でその場に停止、思いっきり後ろに飛ぶ事で難を逃れる。

「……チッ」

 即座に自身との距離をとったグラスを見て、莉緒は小さく舌打ちをする。そして、飛来した物体、円月輪が窓の外へと戻っていき、その後数秒程したところで、二つの影が飛び込んできた。

「ちょっと、無事!?」
「莉緒さん、大丈夫!?」

 飛び込んできたのは、おそらくここまで飛ばして来たであろう阿弥と奈乃香、そしてあの円月輪を見るに、建物の外には皐月がいるようだ。二人は目の前数メートル先にいるグラスを目にして、驚いた表情をしていた。

「アンタ、こないだの……!!」

 引き際に兄から言われて仕方なく、と律儀に自己紹介をして帰っていった事を思い出しているのだろう。あの時は、あの場にいる誰もが一瞬変な子、という認識を持ったが、この場面では、そんな暢気な事は言ってられない。

「保泉兄、下がってなさい!! その子はアタシが……」
「俺は兄じゃ無いんだけど……。それより、冗談じゃないよ。横槍を入れられただけじゃなく、邪魔までしようっての? いい加減にしてくれないかな!」
「はぁ? 邪魔って、アンタ、危ないところを助けてもらってその言い草? 少しばかり魔人とやりあえるからって、調子に乗ってるんじゃないの?」

 売り言葉に買い言葉、魔人を目の前にしながらも、莉緒の悪態に対して阿弥が言い返す。二人の間に険悪な空気が漂うが、そんな事はお構いなしに奈乃香がグラスに向かい合う。

「ねぇ、あなたの目的は何? お兄さんみたいに、私達と戦う事……じゃないよね? 何か理由があるんだよね?」

 それは以前、エイジにも行った問いかけだ。あの時はまともに相手をされず、一笑に付されたが、グラスは奈乃香と歳も近そうに見える。もしかすれば、今度こそ対話が成功する、そんな淡い期待をもっての問いかけだったのかもしれない。
 が、そんな奈乃香の想いは届かず、グラスの目はただ莉緒を睨み続けている。そこには明確な殺意や敵意があったが、この状況で手を出すような愚を犯さない、と言う風に、ジッと睨んでいるだけだ。いや、もしかすれば、莉緒の今の言葉、その真意に気付いたのかもしれない。

「……やっぱり、お前はここで殺しておくべきだった」

 ようやく開いたその口からは、確かな殺気の籠った怨嗟の言葉が漏れる。しかし、彼女はそれ以上の事は告げずに、そのまま背後の暗闇へと姿を消していく。

「あ、待って!!」

 奈乃香が手を伸ばすも、その手がグラスの服を、手を掴む事は出来ず、ただ空を虚しく握りしめるだけだった。

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