鬼哭迷世のフェルネグラート
四十話 刃の追撃者グラス
結局、からかったせいもあってか、ご相伴に預かれなかった莉緒は泣く泣く財布の紐を緩め、今後は節約しないといけない、なんて事を考えながら一人帰路に着いていた、そんな時だった。
「っ!?」
上半身をのけぞらせ、背後から唐突に突き出された刃の一撃をかわす。交差の一瞬、水月への一撃を試みたが、どうやら回避が得意なのは相手も同じのようで、存外簡単に避けられる事となった。
「白昼堂々と物騒な世の中になったねぇ」
反撃を警戒してか、即座に距離をとった襲撃者に対し、莉緒はそんな事を口にする。しかし、殺気が全身から漲る相手に対し、そのセリフはどうかと思うのは、間違ってないだろう。
襲撃犯は、フードを深くかぶり直し、双剣を構える。どうやら、こちらの少女は兄とは違って人の命を奪う事に躊躇が無いようだ。
「……兄様からの命令。お前だけは、先に殺しておく」
目深にかぶったフードの向こう側、まだあどけなさを残した少女の声で殺意が籠った言葉を吐くのは、以前エイジとの戦闘中に乱入してきた魔人の一人、グラスだった。
「それはそれは、魔人に優先順位を付けてもらえるなんて、随分と光栄な事じゃないか」
双剣を構えるグラスに対し、莉緒はあくまで余裕の姿勢を崩さない。しかし、半身を引いているところを見るに、警戒はしているようだ。
このまま真正面からぶつかっても、莉緒が負ける事はほぼほぼあり得ない。実力的には、そこまで差が開いているのだ。だが、それに素直に付き合う莉緒でもない。何より、彼にはこのままグラスと戦い、彼女を打倒したところでメリットは無い。せいぜい、今後の生活が多少平和になるくらいだろう。
いや、一般人であれば、それがどれだけ重要かは考えるまでも無い。が、今目の前に魔人が佇んでいるこの少年にとっては、魔人の事など自身の力でどうにか出来る事の一つに過ぎない。その為、彼らと遭遇しようがしまいが本人にはあまり関係が無いのだ。
とはいえ、それはこれまでのように不可抗力でかち合った場合の話。今回のように明確に莉緒が目的となっている場合、これまでのように避けようと思えば避けられる、が通用しない。一度や二度、撃退が叶ったとしても、その後また会わないとは限らない。場合によっては、一日おき、なんて事も考えられる。
「……迷惑な話だね」
魔人に付き合う事は、デメリットこそあれど、メリットなど一切無い。まさしく、迷惑千万な話、というわけだ。
「……それは、こっちも同じ事。お前を殺しておかないと、計画が潰されかねない」
「そんな面倒な事しないよ……。君らは君らで自由気ままにやってればいいんじゃないかな。いちいちつっかかられたら、こっちにその気が無くても相手をしなきゃなんないんだからさ」
「……だったら、さっさと殺されれば、私達の手間も省ける。そっちも絡まれる心配も無くなる。ウィンウィン」
「その理屈だとこっちは負けてるんですけど!」
「……なら、仕方ない」
無機質な金属音が音を立てる。次の瞬間、少し離れた場所にいたグラスの姿が消え、どこに行ったかを確認しようとした隙に、莉緒の背後をとる。
「……手加減は、しない」
「それは俺も同じだよ」
背後をとったその瞬間、グラスは勝利を確信するが、それは甘い希望に終わる。薙いだ双剣は、刃ではなく腕の部分で止められ、あまりに早く動いたせいか、体勢が上手く整っていないところに、莉緒の一撃が襲い掛かる……が、流石にそれを真正面から受ける程防御力に余裕は無いようだ。
「めんどくさいな……」
エイジとは異なり、正面からの戦闘を避け、相手の死角に回り込んで不意を打つタイプなのだろう。こういうタイプはどんな形であれ、面倒極まり無いものだ。いかんせん、攻撃する瞬間が最も安全だと分かっているだけに、あらゆる攻撃に対処出来る状態を維持すると、なかなか隙を見せてくれない。本庁にいた頃の莉緒ならまだしも、一年のブランクを持つ今の彼には、あの動きを完全に捕らえるのはなかなか難しいものだ。
「このやり方は好きじゃ無いんだけどね」
好き嫌いがあろうとも、時にはそれを振り払ってでもやらねばならない時がある。今がそう、とまで言う気は無いが、このすばしっこい相手を確実に仕留めるには、手段を講じてなどいられない。
「……私は狩人。狙った獲物は絶対に逃さない」
「へぇ、そう。なら、狙った事を後悔させないとね」
「……ふ、出来るものなら!!」
こうして、人気の無い夕方の市街地の外れで、本気の殺し合いが始まった。
既に何年も前から使われていないのだろう。おそらく、付近一帯では有名な心霊スポットにでもなってそうな廃墟となったビルの中で、青と赤の光沢を放つ刃と、黒いグローブを嵌めた拳がぶつかり合っていた。
「くっ……!」
拳で弾かれ、その勢いを利用して即座に後方へと跳躍して距離を開く。が、それは間違いだった。
次の瞬間、ゆうに十メートル以上は離れていた筈が、たった一度瞬きをしただけで、その体が目と鼻の先に突如として現れた。いや、床を踏み抜こうとするほどの勢いと共に、彼女の前に踏み込んできた。
「とっ……」
「……ってない!!」
その構えから繰り出される拳を、上体を逸らす事でかわす事に成功すると、今度は天井に空いた穴と、壁を使って上階へと昇っていく。逃げの一手、にも見えるが、これもまた作戦だ。こうした上下運動は、慣れていない者からすれば非常に体力の使う移動になる。平地を一キロ歩くのと、上り坂を一キロ歩くのでは使う筋肉や一踏み事に体に掛かる重力も違ってくる。その為、こういった特殊な移動手段を盛り込んでいけば、普段こういった戦い方をしない人間にとって、ただただ体力を消耗させられ、更には時間のロスさえ強要される。時間稼ぎとしては、上等な手段と言えよう。相手がひたすら追いかけてくる場面であれば、の話だが。
「……??」
追って、来ない。回り道をしているのか、とも思ったが、どうやらそうでは無いらしい。ただ、先程と全く同じ場所で、上階にいるグラスを黙って見上げる莉緒の姿がそこにあった。
そう、莉緒の目的は、別段グラスを仕留める事じゃない。あくまで、彼女が売ってきた喧嘩を買い、尚且つその場で息を止められれば上々、というだけだ。別に追いかけているわけでは無いのだから、彼女の作戦に乗る必要もない、という事だろう。どのみち、グラスの目的が莉緒である以上は、最終的には彼女自身が莉緒の目の前に足を運ぶ必要がある。この作戦は、最初から破綻していたのだ。
「……冷静な奴」
そんな風に悪態を吐くも、莉緒が追ってくる気配は無い。いや、そもそも聞こえているかどうかも怪しい。動く必要も無ければ、話す必要もない。莉緒にとって、今のグラスは降りかかる火の粉ではあれど、手で払いのけられる程度のものだ。
そう言われてるようにも思えるのか、グラスは一瞬厳しい表情をした後に、再び莉緒の前へと立つ。どのみち、彼女が戻らなければ、莉緒はその場で待っているか、戦意が無いと判断して立ち去るだろう。
「何だ、降りて来たんだ。軸さえずらしていれば、俺の攻撃なんて簡単に避けられるんだから、ず
っと上にいればいいのに」
「……そんな事したら、帰っちゃうから」
「バレてら」
図星だったもようで、莉緒の口が小さく歪む。しかし、そんな状況でさえも戦闘態勢を崩す事は無い。
それを見てか、グラスもまた、剣を構える。
単純な戦闘力で言えば、実のところグラスはエイジよりも低いように思える。その理由として、攻撃手段が双剣である事、エイジのように高い防御力で防ぎ、自身はその中から安全に攻撃する、という事が出来ないところにある。しかし、彼女にはその分高い技術と俊敏性が備わっており、エイジとは別の方向で厄介極まりない戦闘力を有している。
だが、エイジにしろ、グラスにしろ相手が悪すぎる。
どんなに堅固な防御壁であれ、内側に直接ダメージを叩き込める打撃を持ち、一瞬だけならそれこそ瞬きすら追いつかない速度で相手の懐に踏み込み、四方八方から縦横無尽に攻撃を放たれてもいなすだけの技術を持つ。相性、実力的な意味でも、莉緒は明らかに彼らにとって最悪の相手と言えよう。
「……やっぱり、お前はここで殺しておかなきゃいけない」
「そう言う割に、ヴィーデを使わないのはどういう事かな? やる気になっているように見せて、実はそこまでやるつもりはないとか?」
普段ならば、必ずと言っていい程近くにいる筈のヴィーデだが、今日は何故だか一度も目にしていない。いつもなら、それこそどれだけ殲滅しても次から次へと湧いてくるのに、今日に至っては影も形も見当たらない。
「……あの子達は別の場所で陽動。邪魔が入らないように」
「なるほど、嬉しいもんだね。それじゃあ、俺が独り占め、というわけだ」
この状況を維持する為に、別の場所で騒動を起こしている、という事だろう。確かに、理には適ってはいるが、その分莉緒にぶつけた方がもっと楽に終わったのでは、というのは思ったとしても口にしてはいけないのだろう。実際、莉緒もそう思っている。
とはいえ、邪魔が入らない、というのは襲われた側からしても好都合だ。下手にターゲットが分散するよりも、こうしてお互いが狙うべき相手を注視していた方がやりやすい。図らずして、グラスの作戦は、莉緒にも有利に働くものだと、この時の本人は気づいていなかった。
「それじゃ、続きと行こうか!!」
先ほどとは異なり、自分から攻めて来た莉緒に、一瞬驚いた表情を隠せないグラス。しかし、踏み込みが甘かったのか、軸をずらせば簡単に避けられる。そうだ、一打目は避けられた。
「っ!?」
瞬間的に体が反応し、再度横に飛び退くようにしてその場から退避する。今しがた行った回避行動のように、ただ軸をずらすだけじゃない。今のは危機を前にした時の回避行動だ。だが、常人では反応するのも難しいであろうグラスの回避行動に、莉緒はピッタリとくっついている。一撃入れるまでは離れない、そう言いたげな表情と共に。
咄嗟にグラスが双剣で拳をいなし、がら空きになった胴を切り裂く……、事も叶わず、つい前のめりになった顔が思いっきりその場で跳ね飛ばされる。膝だ。
蹴り上げられた勢いを利用し、後ろに大きく距離をとる。少しふらつきながらも、何とか両足で立ったグラスだが、その口からは赤い筋が伸びていた。蹴られた衝撃で口の中でも切ったのだろう。
「今のも間一髪で見切った……。いい動体視力してるじゃない」
「……」
果たしてそれは純粋な称賛か。莉緒の言葉に対し、もはやグラスは何も口にしない。いや、言葉を発する事が出来ない。
少しでも油断すれば負ける。そんな相手を前に、彼女の緊張感はピークに達していた。
しかし、だからといって止まる莉緒ではない。
これより、第二ラウンドが始まる……。
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