鬼哭迷世のフェルネグラート

トンテキ

三十七話 かつての話


「あぁ、ごめん莉緒君。ちょっと待ってくれるか?」

 特戦課の本部から出ようとした莉緒に声をかけたのは、本部のデスク担当の男性だ。デスク担当とは言っても、それは襲撃時以外の時の話であり、実際はオペレーションなどを担当するサポート要員でもある。
 そんな彼が、一体何を? と疑問に思っている莉緒を前に、男性は手元のファイルを開く。

「悪いとは思ったんだけど、君の事を少し調べさせてもらったんだ。以前調べた時は、一般人という事しか分からなかったからね。で、今回改めて特戦課のデータベースで照合したんだが……」

 男性が難しげな表情を浮かべる。手元の資料に一通り目を通した後、その視線を莉緒へと戻した。

「君の情報が一切無かったんだ。消されていた痕跡も見当たらない。けど、さっきの言葉が嘘とも思えない。君の話はどこまでが本当で、どこまでが嘘なのか知りたくてね」

 パタン、とファイルを閉じた男性の表情は、非常に険しいものだ。少なくとも好奇心で聞いているわけでは無いのだろう。彼の役目はオペレーションとはいえ、その一言が彼女達の命運を左右する事だって無いとは限らない。故に、不確定要素となりかねない莉緒の情報は、出来る限り精査しておきたいのだろう。
 そんな彼に対して、莉緒はつまらなそうに口を開く。

「どこまでって……、全部ホントに決まってるじゃない」
「だけど、事実君の事が記載されているものが無かった。可能性として考えられるのは君が嘘を吐いているか、それとも俺達がアクセス出来ない深層部分にあるかだ」
「そりゃあ、保泉莉緒で検索しても何も出てこないよ。この名前はここに来てからの名前なんだから」
「……え?」

 鳩が豆鉄砲でも食らったような顔になる男性職員。彼を前にして、莉緒は小さく溜息を吐くと、頭痛でも押さえるかのような仕草をしている。

「まさか……、本庁から抜けて来た当初と今、同じ名前だと思ってたの?」
「そりゃあそうだろ、人の名前なんてそう簡単には変えられないし、何より政府のデータベース上では、名前と顔写真が登録されている。それも、一年に一回は更新されているし、君の名前だって登録が……」
「ウチのじいさんはどこ誰?」
「は? いや、そりゃあ保泉家の当主だから……」
「そ。それこそ、現代日本の経済界を牛耳っている大物なんだから、政府のデータベースを書き換える事なんて、簡単じゃあないけど不可能でも無い。それに、俺は非公式の存在だったからね」
「それってどういう……」
「おい、來沢! 何かあったのか!?」
「え? いや、それは……」

 こちらに気付いた巌に声をかけられ、途端に慌てだす男性職員。何とか誤魔化そうと、莉緒の方を見るが……いない。どうやら一足先に立ち去ったようだ。
 踏み込みが早ければ、逃げ足も速い様子。結局、謎が深まっただけで、彼が真実に到達する事は無かった。



「よっ、と……」

 九十九第一学舎を後にした莉緒は、本来であれば一緒に帰るべき皐月を待たずに一人外に出ていた。当然、彼に対する特戦課の尾行は未だ続いていたが、もはや隠す必要が無い莉緒にとって、彼らを撒く事は赤子の手を捻るも同然だった。
 特戦課の工作員を撒いた莉緒は、とある建物の屋上に来ていた。そこからは、昨日魔人と戦ったショッピングモールが一望する事が出来る。それどころか、街の中でも有数の高さを持つこのビルからなら、これまで莉緒が魔人と交戦した場所を視界に収める事すら可能だった。

「さて、と」

 端末のカメラアプリを起動すると、今度はそこから見える景色を次々とフレーム内に納め、画像として保存していく。そして、手元で一覧画像のように並べると、それらを見比べたところで、エイジと戦った時に感じたもの、それが間違いではなかった事を確信する。

「やっぱり……」

 エイジは、襲撃はするものの、人にはほとんど手を出さず、周囲の建物ばかりを破壊していた。莉緒は最初、それは彼が内心人を殺す事に恐怖を抱いているからと思っていたが、どうやらそれは要因の一つでしかなかったようだ。
 無差別に周囲の建物を破壊しまわっていたあの行動、あれは決して嫌がらせや、鬱憤を晴らす為にやっていた事ではない。必要だったのだ、その場所を更地にする事が。

「霊脈に沿って……、また随分と綺麗に壊したもんだね」

 そう、エイジ達魔人の目的は、地下を通う霊脈の上を更地にし、エネルギーを効率的に伝導させる為の行為だったのだ。
 あのショッピングモールや、以前莉緒達がヴィーデと遭遇した住宅街なんかもそうだ。あれらの場所は全て霊脈の上、超自然的なエネルギーが満ち溢れる特殊なホットスポットだった。
 それらの上に建てられた建造物を破壊し、エネルギーの伝導率を上げる、という事は、彼らがそのエネルギーを使って何らかの行動を起こそうとしている、と言っているものだ。そして、莉緒にはその行動に心当たりがあった。

「まぁ、だから何だ、って話なんだけどさ……」

 心当たりはある。しかし、それを明らかにし、解決み導く義務は今の・・莉緒には無い。それは特戦課かれらの役目だ。引退した莉緒には、もう関係の無い話だ。例え、魔人達の行動が、この街全てを恐怖に陥れようとも。
 とはいえ、先程特戦課の話した通り、喧嘩を売られるならば、それを買う事も吝かではない。元々、性格的にはかなり好戦的なのだ。売り言葉に買い言葉で殴り合いを始めたとしてもおかしな話ではない。
 結果的に、それらの行動が特戦課の益に繋がっている事が莉緒には我慢ならないのだろう。内心では、魔人がやって来たとしても、無視してやろうか、などと思っていたりもする。
 ……しかしながら、それは例の霊脈上にいれば、の話だ。どこに何があるかが分かった以上、莉緒がそこに近づく事は無い。わざわざ見えている地雷を踏み行くほど、愚かではないつもりだ。
 端末の地図アプリ上に図を描くようにしていくつかのポイントをマークしておく。最近の携帯端末は便利なものだ。こうしてマーキングをしておくだけで、その場所に近づいたらアラームが鳴るよう設定する事も出来る。こうしておけば、わざわざ莉緒からその場所に近づく事も無くなるわけだ。

「……」

 ふと、莉緒が考え込む。今、その頭の中では特戦課が握っている情報がどの程度なのかを考えていた。
 莉緒の素性を調べようとして、馬鹿正直に今の名前で検索をかける程度には素直なレベルだ。下手をすれば、魔人の目的が霊脈だという事にも気付いていない可能性がある。
 一応、伝えておくべきか、一瞬そんな事が頭を過ぎったのだろう。しかしながら、その表情はすぐに馬鹿な事を考えていた、とでも言うようなものになっていた。
 彼らに霊脈の事を教えたところで、何が出来る? どう対処する? 莉緒には到底思いつかないものの、ロクな事にならないのは目に見えている。なら、ここはそっとしておくのが最善だろう。どのみち、彼らが魔人に対抗するのは不可能に近い。微かな希望を持たせ、それが最終的に絶望に変わるくらいなら、最初から何も知らない方がマシだろう。それも一つの優しさというものだ。
 まるで、良い事を言った、とでも言いたげに首を縦に振っている莉緒。良い事を、というが、その口は終始閉じたままで、独り言すら呟いていなかったのだから、その仕草は不気味以外の何物でもなかった……。

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