鬼哭迷世のフェルネグラート

トンテキ

三十三話 離別を求


『……諸々理解した。そのアイオーンと名乗った魔人と、莉緒君に関してはこれから調べる事にしよう。後始末が終わり次第、本部に戻ってくれ』
「……はいはい」

 どこかウンザリとした表情を浮かべながら、阿弥が返事をしている。あまり乗り気でないのは彼女の顔を見ずとも分かる。魔人を逃した事が一番の要因だろうが、何故だかそれ以外にも原因があるように見える。いや、その原因とやらは一目瞭然と言える。先ほどから、彼女は一度たりとも莉緒に視線を向けないのだ。
 近くの瓦礫に腰を下ろしていた莉緒は、その場で待機命令が出た為、こうして退屈なのにも関わらず、特戦課のメンバーが後始末を終えるのを待っている。
 そんな彼を、遠目で見つめていた聖は、隣で作業を進めている義嗣に耳打ちする。

「しっかし、あいつが都心特区所属の守護役ねぇ……。言われてみりゃあ、あの異常な体力とか、その片鱗は見え隠れしてたよな? 何で気付かなかったんだ?」
「言われてからようやく気付く、なんてよくある事です。それより、さっさと手を動かして下さい。この後の本格的な片付けは他がやるとしても、残って被害にあった人がいないかどうか調べないといけないんですから」
「へいへい、全く、真面目だ事で」

 そう言いながらも、聖の手は口を動かしている間も絶え間なく動き続けていた。彼は、投擲用のナイフを操り、周辺の瓦礫の下から微細な振動などを感知している。そう、これが聖の能力と言える。ナイフの精密操作に加え、ナイフに伝わる振動や感触を情報として受信する。攻撃にも使えるが、その本質は感知能力、と言えばいいだろう。

「ほいよ、ここには無し。ってか、最初にあの二人が突入する頃にはもうほとんど避難が終わってたらしいじゃねぇか。だったら、今更こうやって探したところで、無意味なんじゃないのか?」
「万が一、という事もあります。子供が取り残された、なんて話も聞きませんが、それでも念には念を入れておくべきです」
「ま、それもそうか」

 口では何だかんだと言いながらも、こうして職務をきっちりと果たす辺り、やはり年長者らしい。こういうところを強調していけば、皆に頼られるいい兄貴分になると思うのだが、本人曰く柄じゃないとの事。

「では、ここはこれで終わりです。お疲れ様でした」

 現在進行形の聖達とは違い、皐月や一緒に行動している奈乃香は比較的そういった被害の少ない場所だったのか、予定から大幅に早く終わっていた。奈乃香は犠牲者がいなかった事を喜んでいるのか、終始嬉しそうな表情を浮かべているが、対して皐月は複雑な顔をしていた。

「皐月ちゃん、どうかした?」
「え? いや、何でもないけど……」

 下から覗き込んでくる奈乃香に驚きながらも、皐月は何でもない風を装う。だが、そんな事をしたところで、長年の友人の目は誤魔化せない。

「え~、そんな事無いよ。さっきから莉緒さんの事チラチラ見てたし、絶対何かあるんじゃない?」
「いや、まぁ、あると言えばあるんだけど……」

 実際のところ、阿弥もそうだが、皐月自身も莉緒を問い詰めたい気持ちでいっぱいだった。何せ、彼の経歴が明らかになったのだが、まさか中央、都心特区で彼女達と同じように特戦課のメンバーだったなどと、誰が想像しただろうか? 更に言えば、それをここまで一度も明かさずに一緒に暮らしていたのだ。信頼されていない、と言われればそれまでだが、それにしても限度というものがある。

「でも、莉緒さんも私達と同じ特戦課だったんだね。びっくりしたな~」

 その言葉に含みは無い。ただ純粋に驚いているだけだ。しかし、今は逆にその純粋さが皐月を責める。

「そうだね……」
「でも、それならどうしてこの街に来たんだろ? 都心特区はまだ復興の最中だし、ヴィーデも結構出るって聞くから、一人でも守護役が多いと助かると思うんだけどなぁ」
「そういえば、何でだろうね?」

 そうだ、結局のところ、一番の問題はそこだ。仮にも魔人を撃退出来るだけの実力がある人間が、何故中央の特戦課にではなく、この街にいるのか? もしかすると、他地区の特戦課の状況を調べるように言われているのかもしれない、というのが第一に上がったが、それにしては皐月達との接触があまりに少なすぎる。もし、調査云々が目的であれば、逆に皐月や阿弥に近づくのが道理だろう。しかし、莉緒は彼女達と共にいる事を極端に嫌がっていた。となると、その線は消すべきだ。

「何か、辞めたい理由があったのかな……」

 特戦課を辞める。本来であれば、それが一番最初に来るであろう理由ではあったが、何故かこうやって奈乃香に言われるまで、皐月の頭からは抜け落ちていた。

「ねぇ、ちょっと」

 奈乃香の言葉を聞き、再び深い思考に落ちかけた皐月だったが、そんな彼女に阿弥が声をかける。何やら、表情が芳しくない。

「あのバカ、どこ行ったの?」
「「え?」」

 気付けば、瓦礫の上に座っていた筈の莉緒の姿が、どこにも無かった……。



 薄闇になりかけの夕暮れ時。
 小高い丘を登っていく道路の端を、手に持った端末に文字を打ちこみながら、隣町へと続く道に沿って歩く影が一つ。
 端末の画面には、自身を心配している友人のメッセージに対し、無事を報告する旨の返信がされている最中だった。直接声を聞く事は出来ないが、画面の向こう側では三人が心底安堵している様子が頭の中に浮かんでいるのであろう。その口元が小さく緩む。おそらく、月曜日に学校に行けば質問の嵐だろう。それこそ、言い訳の一つも思い浮かぶ余裕が無いほどに。
 しかし、おそらく莉緒がもう友人達と言葉を交わす事は無い。
 幸い、彼らに知られる事は無かったが、それでも、莉緒の正体を知った人物がいる。その時点で、彼がこの街にいる事は出来なくなった。
 ふと、画面に出て来た「また月曜日に」という文字を見て、思わずその指が止まる。少し迷ったものの、最後には、また、と返し、メッセージアプリを閉じる。

「これで、終わり」

 終わりだ。保泉家での居候も、ようやく得た日常、そこで出来た友人との関係も。
 莉緒がこうして何もかもを捨て去り、その街から突然姿を消すのは今に始まった事では無い。都心特区を出てからの一年とちょっと、日本全国色んな場所に住み、そして数か月もすればその街から離れるという事を続けて来た。だから、今回も今までと同じだ。
 そう、思っていたのだが、端末の画面、メッセンジャーアプリのアイコンを名残り惜しそうに見つめるのは、彼にしては珍しく、この街に未練の一つでも出来たという事か。
 だからと言って、これまでの慣例を破るつもりは莉緒には無い。メッセンジャーアプリから目を離し、その視線は通話ボタンへと向けられる。
 その街から出るか否かを決めるのは、当然莉緒自身だが、彼の年齢はまだ十七歳だ。保証人などがいなければ、賃貸を借りる事は不可能だし、何より移動先への根回しもある。莉緒一人では、到底そんなところまで手が回らない。
 故に、街から出る際は、とある人物に手を貸してもらう手筈になっている。
 耳に当てた端末から、三回程呼び出し音が鳴った後、ガチャリという音から数秒遅れて、向こう側から重く、非常に貫禄を感じさせる声が耳に届く。

『何だ、お前から連絡してくるとは珍しいじゃないか。……いや、そうでも無いか。こういう時は大概……』
「そういう事。もうこの街にはいられない。またどこか別の場所に連れて行って欲しい」

 電話の相手は莉緒の祖父――保泉ほづみ景久かげひさだ。莉緒の祖父という事は、辰吉の父という事になる。つまりは、現保泉家の当主といったところだ。
 その界隈の人間が見れば卒倒しそうな光景ではあるが、莉緒の口ぶりから、こうして祖父に頼み事をするのは初めてでは無い様子。先ほどの保証人や根回し云々かんぬんはこの景久が行っている、という事だ。

『何でまたこんなに早く? 当初の予定では、少なくとも一年はいる、という話だったろう?』
「事態が二転三転する事なんて今に始まった事じゃないでしょ。単なる心変わり……だとでも思ってくれればいいよ」
『心変わりねぇ……。言っとくが、お前を今のところに捻じ込むのは結構苦労したんだ。引っ越したい、なんて言われて、はいそうですかと簡単には頷けん。何せ、親戚だからとはいえ、本家筋だ。方々からの抗議の声を握り潰すのにどれだけ奔走した事か……』
「けど、俺のお陰で本庁から有利な条件で仕事のバックアップを受けてるんでしょ? なら、それに見合う報酬分くらいは請求しても悪くないと思うんだけど」
『馬鹿言え、十分すぎる程手は尽くしてやっただろう? これ以上は流石の儂でも厳しいわ』
「……だったら、何でそこまで苦労するような場所を紹介したんだよ。どうせいずれこうなる事は分かってたんだから、もっとやりやすいところで良かったんじゃ無いの?」
『お前に全うな生活を遅らせる為だ』
「……」

 景久の言う全うな生活とは、言わずもがな普通の人のように暮らす事を指しているのだろう。別段難しい事とは思えない。しかし、莉緒はそんな景久に対し、何も言葉を返す事が出来なかった。

『お前がこれまでどういう扱いを受けて来たのかは分かっている。その口からだけではなく、実際に中央にも問い詰めた。割と厳しめにな。だが、だからこそ、だ。お前はいい加減普通の人間の生活に戻るべきだ。これまでがどうだった、などという話はもう聞かん。お前に必要なのは、これからだ。……辰吉から連絡があったぞ。莉緒が、お前が心を開いてくれない、と。過去の事で意固地になるのはもうやめろ。そろそろ先に進む時だ』
「……」

 景久の言葉が莉緒にのしかかる。とある理由から、叔父家族との関係性を最小限に抑えていたが、それを今更解禁しろ、というのはあまりにも勝手な話だろう。いや、それ以前に、莉緒はとっくに外堀を埋めかけられていた事にここでようやく気付いた。そして、そうするように仕組んだのは、自身が唯一頼りになると判断した実の祖父だったのだ。

『お前さんが初めて儂の所に来た時、その口で言ったな? これまで逃げずに戦ってきた、その果てがこれだ、と。まるで深いうろのような目で。だったら、今更逃げるな。それも、お前を迎え入れようとしてくれる人物から』
「……随分と言ってくれる」
『そうか? 儂に言わせてみれば、せっかく環境を整えてやったのに、自分から過酷な方へと進んでいるように見えるがな』

 莉緒が住みやすくしてくれているのは確かだろう。実際、初めは少し抵抗があったものの、すぐに叔父一家は彼を歓迎すると言った。だが、それを拒んだのは誰でもない莉緒自身だ。自ら茨の道を進んでいる、と言われ、反論など出来ようはずもない。

「別に、わざと過酷な方へと進んでいる訳じゃないよ。ただ……」
『ただ?』

 言うべきかどうか逡巡する様子が見られた。だが、それも一瞬の事、その冷たい視線と共に口から発せられたのは無情な言葉だ。

「そういうのは、見てるとぐちゃぐちゃに壊したくなるんだ」

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