鬼哭迷世のフェルネグラート

トンテキ

三十二話 踏み込み、打ち抜くだけ


 もはや人とは思えない空気を纏いながら、ゆらり、と莉緒がエイジに近づいていく。

「クソッ!!」

 周囲の瓦礫が浮き上がる。それらの周囲に方陣が現れたかと思うと、次の瞬間には急速に加速し、瓦礫の散弾が莉緒へと襲い掛かる。が……

「はぁ!?」

 当たらない。それも、大きくかわしているのではなく、体を少しずらす、といった最低限の動きのみで避けていく。先が見えている、などと言うわけでは無いが、莉緒のそれは完全に瓦礫の動きを予測しているものだ。
 一通りの攻撃を避けると、今度は莉緒が構える。先ほどの一撃、咄嗟に防御出来たからいいものの、アレを生身で食らうとどうなるか分からない。人によっては爆散するんじゃないかと思うような一撃だった。

「チッ!!」

 ドン、と再び轟音が響く一瞬前に、エイジが防御壁を展開する。今度は吹き飛ばされない。背後が壁だから、というのもあるだろうが、何より彼の防御壁は地面にアンカーを撃ち込み、容易には動かせないように改良されている。これならば、確かに莉緒の拳は受け止められるだろう。実際、彼の手は、防御壁に阻まれ、エイジに届く事は無かった。

「何が来るのか分かっていれば、対策のしようはある。君もまた、彼女達と同じみたいだな!!」

 その拳を受け止めた事で勝ちを確信したエイジの口角が吊り上がる。莉緒の周囲に、先程の瓦礫とは違うシルエットが浮かび上がる。それらは、今までの瓦礫の雨霰ではなく、確かな形を持っていた。それぞれが鋭利な穂先を持つ、三角錐ような形をした槍だ。それらが全て、莉緒に焦点を当て、その場で浮遊していた。

「……あぁ、そう。じゃ、これはどうだ?」

 しかし、エイジは知らなかった。莉緒には、外殻を破壊せずとも、内側に直接叩き込む技がある事を。
 エイジが一斉に莉緒へと攻撃を行おうとしたその時、莉緒の足がその場で数センチ地面にめり込み、次の瞬間……

「ガッ……!?」

 防御壁に守られていた筈のエイジが、背後の壁を破壊し、その向こう側へと吹き飛んだ。
 ばらばらと地面に落ちる槍には一切目も暮れず、莉緒は崩れかけた防御壁を踏み砕き、その向こう側へと足を進める。

「何が……」
「大陸なら寸勁、この国なら寸打ち……、まぁ、正直呼び方なんてどうでも良いけどさ。どれだけ防御が硬くても、内側に直接ダメージが行けば、壁なんて関係無いんだよ」
「ぐぅ……」

 起き上がろうとするエイジ。しかし、莉緒の一撃が効いたのか、体が全く言う事を聞こうとしない。

 獅哮しこう、それが莉緒の放った技の名前だ。その原理は、本人も語った通り寸勁……なのだが、その威力は桁違いのものだ。その名前の由来として、放たれた瞬間、獅子の咆哮のような音が響く事から、その名前が付いたと言う。以前、蘭の目の前まで迫ったヴィーデの顔を貫通させたのも同じ技だ。あの時は、体勢が不安定だったこともあり、貫通するに留まったが、本来であれば、その衝撃が満遍なく伝わると、吹き飛ぶだけに留まらず、体の内部から破壊する。
 エイジは防御壁こそ役には立たなかったものの、そもそも完全に密着していないとそこまで威力の出る技では無い。故に、こうして壁を破壊する程度に吹き飛ぶだけで納まったが、直接その身に受けていれば今頃どうなっていたかは分からない。
 だが、一番恐ろしいのは、平然と人間に向かって使用した莉緒自身だろう。
 動けないエイジを前に、莉緒が一歩ずつ確実に近づいていく。そんな彼から離れようとその場から後ろずさろうとするも、背後は壁だ。更に言えば、先程のダメージが想像以上に重く、体も満足に動かない。

「……鬼、とは、言い得て妙、だね」
「言い得て妙、とは?」
「強い力を、敵を殺す為だけに使う……。まさしく、鬼そのものじゃないか……」

 エイジは、目の前にいる莉緒が鬼のような、ではなく、まさしく鬼そのものだと言っているのだ。彼の言葉を聞き、一瞬つまらなそうな表情になると、無情な声色で言い放った。

「だから、そう言っているじゃない。俺は鬼だと。鬼のような人間になるんじゃない。そもそも、根底の意識が違う。君の目の前にいるのは、正真正銘人の形をした鬼だ。それだけは事実だよ」
「ぐ……化け物め……」
「お互い様だよ。そもそも俺は、踏み込み、打ち抜いただけ。それだけで死ぬ人間が脆いだけだし、単に鍛え方が足りないとも言えるね」

 エイジは、歯噛みをしながらようやく気付いた。そもそも、莉緒は全力で殺そうとはしていない。ただ、彼が言ったように、踏み込んで、拳を叩きつけたに過ぎない。その行動に一切の殺意は無く、しかしその目は殺気に満ちており、むしろあの一撃のお陰で、莉緒という存在がいかに厄介なものであるかを思い知ら締める事となった。
 殺す意思があろうとも、自制が効くという事だ。
 エイジとはまるで違う。殺す意思はあれど、脳が、手が、そして自身の心が、それを拒否する事を制御出来ない彼とは違い、もはやその存在そのものが殺意の塊となりながらも、敵を殺さないという選択肢を持つ莉緒。正反対と言っていい彼らは、それぞれの在り方を示すように、今の立ち位置にいる。その構図は、決して揺るがないであろうお互いの意思を示しているかのようだ。

「……殺せっ!」
「あぁ、殺すよ。別に生かしておく理由も無いしね」
「殺す必要も無いだろ! ボクは君に何をした!? いや、むしろあれだけやっても一切怒る様子の無かった君が、ただの買い物袋を吹き飛ばされただけで何故そこまで怒る!?」
「ただの、ねぇ……」

 どこか悲哀に染まる目をエイジに向けながら、莉緒は小さく呟く。彼にあの袋をただの、と言われた事に悲しんでいるわけでは無い。莉緒が手にしていたそれが、どういう意味を持つのか、彼が知らない事を憐れんでいるのだ。

「あれは、俺がようやく手に入れた日常の欠片なんだ。それを吹き飛ばされでもしてみなよ。誰だって怒るさ」
「日、常……?」

 意味が分からない。エイジの表情は暗にそう告げている。しかし、莉緒がそれ以上口を開く事は無い。ただ、ゆっくりと腕を振り上げる。その手は手刀を形作っており、それがエイジの頭に振り下ろされるだけで、彼は絶命するだろう。
 最後まで、莉緒の逆鱗に触れた理由を理解せずに逝く。まるで、その手がスローモーションのようにゆっくりと振り下ろされ……

「莉緒さん、ストップ!!」

 直前に、莉緒の体が羽交い絞めにされ、その行動を制止される。莉緒の体を羽交い絞めにしているのは、先程まで上で見ていた皐月だ。後ろから抱き着く形で莉緒を止めた皐月は、そのままの体勢で莉緒を後ろへと引き摺って行く。入れ違いになるように、阿弥が壁にもたれかかるエイジに近づき、彼の顔を覗き込む。

「大丈夫、まだ生きてる」

 遠目からだと、エイジの生存はいまいち分からなかったようだ。無理も無い。彼は口を開いていたとはいえ、ずっと俯いたままだった。その状態では、死んでいると思われても仕方ないだろう。

「アンタねぇ、いくらなんでも殺す必要は無いでしょ!!」
「……俺ごとやろうとしていた人間の言葉とは思えないね」
「時には必要な犠牲ってもあるわ。アタシはそう判断しただけ。抗議なら後でいくらでも聞く。どうせ、こっちもアンタに聞きたい事は山ほどあるしね」

 チラリ、と莉緒を横目で見ながら、阿弥が通信端末を耳に当てる。どうやら、魔人を捕らえた事を報告するようだ。だが、そんな彼女を見ていた莉緒は、まだ自分を羽交い絞めにしている皐月に小さく言った。

「……あの人、あそこから退けた方がいいよ」
「はい? それってどういう……」
「先人の忠告は大人しく聞くべきだと思うな!!」

 皐月が答え終わる前に、莉緒がつま先を地面に抉りこませ、そのまま地肌を剥がすようにして蹴り上げる。蹴り上げられた瓦礫が、阿弥へと向かって飛び……いや、違う。直前に彼女の頭上目掛けて飛来した何かに命中し、その場で爆散した。

「きゃっ……!?」
「何!?」

 すぐさまその場から離れ、エイジから距離をとる阿弥と皐月(+莉緒)。だが、壁にもたれかけていた筈のエイジがいない。あの一瞬で移動したとは思えず、どこに行ったのか探していると……いた。

「エイジがここまで……。誰の仕業だ?」

 フードの奥から聞こえるくぐもったその声は、以前エイジを制止し、彼に帰る様に促した男性の声だった。エイジやグラスとは違い、完全にその体もローブのような衣装に包まれ、見かけだけなら男性か女性かも判別が付きづらい。声でようやく男性と分かるが、それも本当の声かどうかは怪しい。
 その魔人は、阿弥と皐月に目を配らせ、そして最後に、ようやく解放された莉緒へと視線を向けた。

「見ない顔だな。お前、一体何者だ? この街の特戦課は一通り情報があるが……お前に関しては見た事が無い。その身に纏っているのはエクリプスギアか? なら、何故お前の情報が無い?」
「そりゃあ、俺はここの所属じゃないからだよ。それに、仮に正式な守護役だとして、中央の連中が自分達の手駒を無条件で開示する筈無いよ」
「中央……お前、都心の……!!」
「都心って、都心特区の事ですか? 東京の?」

 隣にいる皐月が莉緒にそう問いかける。が、彼は答えない。しかし、その沈黙は、目の前で浮遊している魔人が言っている事が事実だと言っているも同義だ。

「だとしたら?」

 首を傾げて、まるで馬鹿にでもするかのように口を歪ませている。しかし、莉緒のその目だけは笑っていない。その目は、目の前の敵がいずれ生み出すであろう隙を、虎視眈々と狙っていた。

「……時期的には一致しない事も無い。ならば、お前が……、そうか……」

 何やら一人で納得した様子の魔人を前に、阿弥と皐月はクエスチョンマークを浮かべる事しか出来ない。魔人の言葉を唯一理解出来るのは莉緒のみだが、彼もまた、くだんの魔人に視線を向けたままで、何一つ発しようとはしない。

「……一人で納得してるとこ悪いけど、続けるの? それともこのまま尻尾巻いて逃げるのかしら?」

 辛辣な言葉を吐く阿弥だが、その目はどこか憎悪に染まっているものだ。思えば、莉緒が巻き添えになる事も厭わずに魔人を殺そうとしたのだ。ここまで上手くいかないとなると、積もりに積もった物ば爆発するのは当然と言える。

「いや、まさかそんなもの・・・・・がいるとは思わなかったからな。ここは退かせてもらう。願わくば、そこの鬼とは戦わない事を望むがな」
「あ、ちょっと!! せめてソイツは置いてけ!!」
「仲間を置いていく馬鹿がどこに……、あぁ、一般人を犠牲にしてでもエイジを殺そうとした者に言ったところで仕方の無い話か」

 吐き捨てるようにそう言った魔人は、背後に何やら黒い膜のようなものを張ると、その中へと半身を沈めた。……が、何か思い出したかのように再び莉緒達に向き直る。

「あぁ、言い忘れていた。私はアイオーン。こうして名乗る事に意味があるとは思わないが、この名を忘れるな。お前達を救済へと導く者の名だ」

 そう言って、アイオーンは背後の漆黒の空間へと消えて行った……。

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