鬼哭迷世のフェルネグラート

トンテキ

三十一話 鬼


 土煙が舞い上がる。つい今しがた、エイジによって操られた瓦礫が、一点に集中して突っ込み、それらが地面に着弾して巻き起こしたものだ。そして、その中央には、本来彼女達がその身を挺してまで守る筈の一般人がいた。

「……莉緒、さん」

 つい数秒前まで、莉緒が立っていた場所を見ながら、エイジが高らかに声を上げる。

「く……、はははははは!! どうだ、これで!? どうだ、守るべき人間が死んだぞ!!」
「……このっ!!」
「保泉!!」

 莉緒が死んだ、その事を再度認識した皐月の顔が茫然としたものから、怒りに変わる。が、そんな彼女の肩を掴んで止めたのは、阿弥だ。皐月とは違い、その表情は冷静そのものだった。

「先輩、ですが……!!」
「乗るのは駄目よ。奴の思惑にいちいち乗っかる必要は無いわ」
「……ギリッ」
「今は落ち着きなさい。ここで取り乱せば、またアイツを逃がす事になりかねない……」
「先輩は……」
「ん?」
「先輩は何でそんなに冷静なんですか……!!」

 皐月の鋭い眼光が、阿弥を睨みつける。その目にはどこか、不信感のようなものも混じっているように思える。

「一般人を囮にする……、それだけでも私達の役目やポリシーからは外れています。ですが貴女はそれだけでは飽き足らず、巻き込むのも承知で宇佐美先輩に攻撃を命令したり、あまつさえこうして見殺しにしたにも関わらず、落ち着け、などと言う。先輩は! 魔人させ倒さればそれでいいと言うんですか!? 一般人を巻き込んでも、敵が死ねばそれでいいと!?」
「……」

 皐月の怒りは何も目の前にいる先輩だけに向けているものではない。それに苦言を呈したにも関
わらず、彼女の指示を止める事すらままならなかった。半ば強引に決定した事とは言え、止める機会はあった筈だ。にも関わらず、撃たせてしまった。撃つように命令させてしまった事は、莉緒が死んだと認識したその事実と共に、彼女の胸を抉っていた。

「いやしかし、感謝して欲しいものだ!!」

 そんな皐月の言葉に水を差すように口を出したのは、誰であろうエイジだ。彼はどこか舞い上がっているかのような様子だ。いや、自棄になっている、とも見えるが、とにかくこれまで常に冷静を装っていた彼とは思えないような状態だった。

「本来、君達が巻き込んで殺した、となるところをボクがわざわざ見殺しにした、になるように手を加えたのだから!!」
「……」
「あぁでも、そもそも死人に口無し。例え君達が彼を巻き添えにして殺したとしても、本人は既に死んでいるんだ。何とでも言えるだろうね。正義感をはき違えた馬鹿な一般市民が乱入し、ボクからの攻撃を庇った、とか? いや、そもそも民間人として扱うかどうかも怪しいところだ。ボクらに情報を流す密偵、とでもするつもりだったのかな?」

 エイジの言葉を聞いた皐月の手が、悔しさか、それとも怒りからか、血が滲む程強く握りしめられている。だが、その口から反論らしい反論は出なかった。当然だ。皐月自身はそんな事、露程も考えていなかったが、他の者達はどうか分からない。何しろ、莉緒はこれまでの来歴のほとんどが分かっていない。本人も喋ろうとしない為、もしも政府からそのように情報操作などされれば、一般人は容易に信じ込むだろう。そして、莉緒は晴れてこの街に災厄を運んで来た疫病神と認識される。

「そういう段取りだったんだろう?」

 随分と含みのある言い方で、阿弥に向かって問いかける。しかし、阿弥は答えない。

「まぁ、いいさ。彼の事はいずれみんなの記憶から消え去る。こんなところで真意を問いただしても仕方ないしね。それじゃ、君たちもボクが直々に……」
「人の死に方とか、死んだ後とか、色々想像膨らまさせた後にそれは無いんじゃない?」

 空気が凍り付いた。何故か、この場において、聞こえる筈の無い声が、ホールいっぱいに響き渡ったからだ。
 阿弥と皐月に向けていた目を、つい先ほど自身が瓦礫で貫いた場所に移す。土煙はとうに晴れており、本来であれば、その中心に彼が転がっている筈だ。

 筈、だった。

 誰もいない、何も無い。いやしかし、目を移した場所から少しばかり奥の瓦礫へと目をやると、そこには何食わぬ顔で瓦礫に腰かけている莉緒がいた。多少、服が汚れたり、かすり傷があるものの、その姿は無傷と言っても過言ではないものだ。

「なん、で……」
「ん? 何? もっとちゃんと言ってくれないと分からないよ?」

 絞り出すように出した声は、辛うじて言葉と分かる程度のものだった。そんなエイジに対し、莉緒は首を傾げるだけだ。

「何故……、生きているっ!?」

 言葉を失う、そんな表現が似合う程、目の前の光景に驚愕しているのが見て分かる程だったエイジだったが、今度こそ、その口からは今最も優先されるべき言葉が発せられた。だが、その問いかけに対して、莉緒は逆に不思議そうな表情を浮かべている。

「え、ホントに自覚無かったの?」

 だが、莉緒のその一言が全てを物語っていた。目の前の少年が生きているのは、この少年が何かしたからではない。エイジ自身が問題だったのだ。

 ……いや、どこかで理解はしていたのだろう。エイジが、人を殺せない・・・・・・事を。

「おかしな話だとは思わない? あれだけ派手にやっておいて、死人はゼロ。それも一回や二回だけじゃなく、ここまで君らが関与したと思われる襲撃全て、だ。どんだけ鈍くてもこれじゃあ気付くよ」
「……」

 エイジは俯き、その表情は陰に隠れて見る事が出来ない。だが、その行動自体が、莉緒の言葉を肯定しているという事に、本人は気づいているのだろうか。

「それを根性無しと罵るつもりは無いけどさ、それで魔人だ、なんて名乗っても説得力無いよ? いいとこ、魔人もどきじゃない?」
「……るさい」

 地面に落ちていた袋を拾い、その中身を確認する莉緒。先ほど奏に強制的に選定された服がその中に入っているのだが、どうやら中身は無事のようだ。その様子にどこかホッとした表情を浮かべる莉緒に向かって、エイジが吠える。

「うるさいいいいいい!!」

 エイジの周囲に展開される方陣が、周りの瓦礫から鋭い物を集め、再びそれらを莉緒へと向ける。先ほどとは異なり、その瓦礫の槍の穂先からは、確かな殺意を感じられる。しかし、それを前にしても、莉緒は普段と変わらぬ態度を維持している。

「数を向けたところで、一つ一つが必殺じゃ無ければ意味なんて無いよ。魔人なんて言うけど、おたくには向いてないんだよ。ここは一つ、人生を思い返す旅にでも出てみる事をお勧めするよ」

 そう言いながら、右手に服屋の袋を引っ掛け、左右にぶらぶらと振り子のように振っていた莉緒。しかし、彼の右手は、唐突に襲い掛かった瓦礫の槍による急激な重量変化により、大きくバランスを崩した。

「……」

 何てことは無い。ただ、莉緒がずっと横に振っていたそれが目障りだったのだろう。エイジは瓦礫の中の一つを使い、莉緒の持っていた袋を……吹き飛ばした。
 持ち手を残し、三々五々に散った袋の中身は、流石にエイジの攻撃の威力に耐えられなかったのか、もはや原型を留めているとも言い難い形状に成り果てていた。

「その気になれば、いつでも君を殺せる事を忘れては困るな。君はもどき、などと言ったが、ボクはれっきとした魔人だ! 使命の為ならば、大量殺戮者にでも何でも……っ!?」
「俺はさ」

 ある意味で腹を決めた、そんな風に莉緒に向かって言い放っていたエイジだったが、莉緒が発する得も言われぬ雰囲気に飲まれ、思わず口を噤んだ。

「怒るのが嫌いなんだよ」

 吹き飛ばされ、辺り一面に散乱した袋の中身を見つめながら、莉緒は感情の感じられない声で淡々と告げる。そうだ、声に感情は無い。しかし、袋の残骸を見つめるその目は、この街に来て、彼が一度も見せたことの無いものだった。

「疲れるでしょ? 怒るのって。それが自分の為だろうと、他の人の為だろうと。だからさ、俺は何をされても、何を言われても怒らない、相手を恨まない、って昔決めたんだよ」

 莉緒が決して怒りの表情を見せない理由、それがここに来てようやく語られる事となった。だが、何故今それを? というのは、対峙しているエイジだけじゃない、莉緒の様子を窺っていた阿弥や、皐月もそう思っている筈だ。

「けどさ」

 だが、ここに来てそんな事を話す理由など、とうに分かりきっている。

「駄目だね、やっぱり。こうやって、一線を越えられるとさ」

 感じているのだ、怒りを。それも、ここまでずっと溜め込んでいたものも全て。

「……あぁ、そうだ。お前が俺の譲れない一線を越えると言うなら」

 ゆっくりと、莉緒が振り返る。その顔がどうなっているかなど、言われずとも分かっている。

「俺は、鬼になるぞ」

 刹那、凄まじい轟音が鳴り響く。
 先ほどの宇佐美の攻撃が再開された、とも一瞬思われたが、あれも確かにかなり凄まじい音を伴っていたが、こんな地を揺らす程の低い音では無い。
 遥か後方からの援護の音で無ければ一体何なのか?
 その音が、莉緒が地面に踏み砕いた音だと分かったのは、一瞬前まで自身の力に囲まれ、莉緒に対し、完全に優勢な状況にあった筈のエイジが壁を貫き、吹き飛ばされた事に気付いた時だった。

「ぐぅっ……!」

 咄嗟の事ではあったが、あの一瞬でよく防御壁を展開出来たと褒めるべきだろう。しかしながら、展開出来たのは前面のみ。後方は咄嗟の事だったのもあるが、まさか防御壁ごと・・・・・もっていかれるとは思っていなかったのだろう。

「何? 今の……」

 上で見ていた阿弥と皐月も、一瞬の事だった為か、何が起きたのか全く分かっていなかった。少なくとも、今現在土煙が晴れたその中心、浅いクレーターの上にいる莉緒が、彼女達にとっては見慣れた姿になっている事くらいしか分かっていない。
 クレーターの中心で、深く構えた莉緒が口を開く。

「来い、魔人もどき。その首引っこ抜いてやる」

 黒衣の鬼が、琥珀色の目を煌めかせながら、そう言い放った。

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