鬼哭迷世のフェルネグラート

トンテキ

二十九話 目的


「あぁ……もう、最悪……」

 地面に仰向けになって寝っ転がりながら、遥か上空の快晴っぷりを睨みつけ、莉緒が小さく呟いた。
 このショッピングモールは、広さだけでなく、高さもそれなりのものだ。もしも頭から落ちれば、いかに頑丈な莉緒とて、無事では済まなかった可能性も高かったが、どうやら杞憂に終わったようだ。
 しかしながら、元いた場所から随分な高さを落ちて来た莉緒は、ずっと上を見上げながら、面倒臭そうに溜息を吐く。

「荷物は……無事かな」

 ゆっくりと立ち上がり、服についた埃を払う。意外にも、服への汚れは相当なものだが、怪我らしい怪我は見受けられない。ほぼ無傷、という事だ。一般的には奇跡、というのだろうが、こと莉緒においては、それが当てはまらないとある理由がある。言ってしまえば、その身体能力の高さだろう。
 とはいえ、あの高さから落ちたのだ、多少は痛めたのだろう、肩をぐるぐると回している。まるで肩こりをほぐすかのような……、傷を負っていたとしても、十中八九ここで負ったものではないだろう。

「ん?」

 そうこうしていると、視界の端に何やら蠢くものが映る。こんな場所に、逃げ遅れている者などいないだろう。となると、その答えはただ一つ、ヴィーデだ。

「……」

 一瞬、その姿を見た莉緒がファイティングポーズをとろうとするも、ここで下手に戦いでもすれば、上から見られる可能性がある。そういう理由もあってか、莉緒は手を下ろす。そう、逃げるのではなく、構えを解いたのだ。
 何故か? 簡単だ、莉緒の目の前にいるヴィーデは、莉緒へ攻撃しようとはせず、周囲の建物を壊す事に徹している。眼中に入っていない、という事では無いだろう。事実、莉緒を見た一瞬ではあるが、ヴィーデは彼に体を向け、今にも飛び掛かろうとしていたのだ。
 それが何故か、一瞬で戦意を喪失するという奇怪な現象に変わり果てた。首を傾げていた莉緒だが、ここで不思議な行動をするヴィーデを観察していても仕方が無い、という事で、さっさとこの場を離れる事にする。
 案の定と言うべきか、ヴィーデがこちらに意識を向ける事は無い。やはり、ヴィーデの、魔人の目的は人では無いという事だ。ならば、一体彼らの目的は何なのか……。

「……まさか」

 莉緒が何かに気付いたのか、その視線が足下へと向けられる。いや、正確にはその先、つまり地下だ。

「だとするなら……、ちょっとマズいね……」

 魔人の目的に心当たりがあるようだ。だとしても、だ、莉緒にこの場をどうにかする事なんて到底出来ようはずも無い。実力が無い、というわけでは無い。先日の襲撃の際、蘭達を守る為に戦った事を考えれば、複数ならともかく、一体二体くらいならどうとでもなる筈だ。
 そんな状況で、莉緒は……

「……まぁ、関係無いし、いいかな」

 見て、見ぬふりをした。
 原因が、要因が分かっているのにも関わらず、だ。莉緒はそれらをスルーし、ここから出る手段を模索する。
 出る、とは言っても、馬鹿正直に出口から出る、なんて事はここに落ちて来た経緯を考えると、ほぼほぼ不可能と言ってもいい。なんなら、出入り口はヴィーデが占領しているか、もしくはなんらかの手段で塞がれている可能性もある。
 いやしかし、魔人の目的が人命でないとすれば、出入口が塞がれている可能性というのも、もう一度再考すべきだろう。彼らが望んでいるものが、この時点では完全に分かっているわけでは無い。であれば、一縷の望みに賭けるのも一興と言ったところか。
 一先ずは、この埃っぽい階層から抜け出すのが先決か。そう考えた莉緒は、傍らの荷物を手に取りながら、重い腰を上げる事にした。



「避難状況は?」
『良くて五十パーセント程……。まだ半数近くがあの中に取り残されている状況です』
「冗談じゃないわね……」

 ヴィーデがまるで巨木に集る蟻のようにモールの壁をよじ登る姿を、少し離れた建物の屋上から見ていた阿弥が、ウンザリしたような声色でそう呟いた。

「範囲はそう広くはない。けど、とにかく密集率がとんでもない事になっていそうですね」
「何でまた、こんな日にこんな場所に来るのかねぇ……」
「人が多いところに引かれて、とかでは?」
「目立ちたがりなのも大概にしてくんないかしら。いちいち相手するのも疲れんのよ」
「それをここで言われましても……」

 クレームを入れるのならば、魔人に直接すべきだろう。こんなところでぼやいていたとしても、事態が好転する事はまずあり得ない。更に言うなら、彼女達の仕事は、あの蟻のように蠢いているヴィーデを一体一体確実に倒していく事だ。しかし、あの光景を見た今、彼女達のやる気は大地すれすれを飛行している。

「とはいえ、残り四十パーセント程の人たちの避難を完了させるまでは派手に動く事は出来ません。まずは避難誘導が先でしょう」
「分かってるわよ。はぁ……、こういうのはウサミミとか、雲城院とかの仕事だってのに……」
「今こちらに急行しているとの事です。ですが、いない人に文句を言っても仕方ないですよ。さっさと終わらせて帰りましょう」
「分かってるわよ」

 不満たらたら、やる気など微塵も感じられないが、エクリプスギアを纏った瞬間に、その顔つきが一瞬で変わる。

「まずは出口塞いでる奴からやるわよ」
「はい!!」

 飛び出す少女達。彼女達の向かう先は、正面にある入り口で、おそらくこのモールの中で最も大きな通用口でもある。しかし、現在そこはヴィーデによって塞がれており、そこを目指して避難していた人達をせき止めている状態だ。まずは、そこから除去していく。

「いきます!!」

 皐月が構える。その両手に持っているのは、例の奈乃香の拳の威力を上げた円月輪だ。しかし、今回は前回のような用途で用いるのではなく、武器本来の使い方を行う。つまり……、投げるのだ。
 皐月の手から離れた円月輪は、緩やかに弧を描いたと思いきや、途中から一気に加速し、集まっているヴィーデの横っ腹に襲い掛かる。切断武器なうえ、投げる際に独特な技法を用いる円月輪は、高速回転しながら敵に向かっていく。刃物が刃を滑らせるようにして高速で移動するとどうなるのか、誰しもが一度は握った事のある包丁を思い出せばその結果は考えるまでも無いだろう。
 ヴィーデの群れに横から飛び込んだ円月輪は、そのまま複数のヴィーデを切り裂き、飛び込んだ反対側から回転しながら飛び出してくる。帰ってきた得物を再び投擲し、再び集まっているヴィーデを一網打尽にしようとするが、一度食らったものを二度三度と受けるつもりは無いのだろう。集まっていた敵が一斉に散会する。確かに、これでは狙いを付けた一体ならともかく、他の個体に当たる確率は低いだろう。ここに皐月しかいなければ、の話だが。

「はぁぁぁぁっ!!」

 散会し、個体となったヴィーデを横から飛び込んできた阿弥が一体ずつ斬り捌いていく。流石は一家の家事全般を担っているだけはある。その包丁捌き……いや、刀捌きは、散会したばかりのヴィーデに一切の抵抗を許さず、次から次へと斬っていく。まるで踊っているかのよう、などとこの場合は表現すべきなのだろう。しかし、阿弥のそれは、敵を確実に、最速で屠る為のものであり、とてもでは無いが華麗とは言えない。
 しかしながら、二人のコンビプレーにより、あれだけいたヴィーデももはや数えられる程度の数にまで減少し、塞がれていた入り口も、その奥でこちらの様子を覗き込んでいる民間人を確認出来るレベルにまで解放する事が出来た。

「ほら、今の内よ! さっさと出てきなさい!!」

 一通りヴィーデを倒した阿弥が、残ったものも入り口からは少し離れている事を確認すると、モールの奥へと向かって大きく手招きを行う。客達は、一瞬躊躇った様子を見せたものの、入り口にいるのが特戦課の人間だと分かると、我先にと出口へと向かって走って来る。ようやく到着した警備隊が、そんな彼らの避難誘導に当たっていた。

「よし、これで残りの四十パーも達成かしらね」
「だと良いんですが……、あれ?」

 片手間でヴィーデを切り裂きながら、阿弥がようやく一息つける、とでも言いたげに息を吐いていた。もう一度言うが、ヴィーデと戦いながら、だ。
 そんな彼女の傍に付いていた皐月だったが、正面入り口から逃げてくる民間人の中に、ある人影を見つける。皐月は、阿弥に少し席を外す事を告げると、その人物へと近づいていく。

「あの……」
「クソッ!! 離せ!! あのまま置いてなんか行けるか!!」
「駄目だよ!! まだ中にはヴィーデが沢山いるんだから、逸原君まで危険な目に会っちゃうよ!!」
「ふざんけんな!! だったらあいつはどうするんだよ……!!」
「え~っと……」

 どうやら取り込み中のようだ。しかし、喧嘩にしては様子がおかしい。皐月が近づいた三人の内の一人、唯一面識、というよりは一方的に知っていただけだが、背の高い少年が、腕を抱きかかえ、必死に留めようとする二人の少女の腕を振り払おうとしている。平時であれば、単なる痴話喧嘩のようにも思えたが、今は状況が違う上に、何やら不穏な言葉が聞こえた。

「あの、すみません!」
「え……あ……」
「何だよ!! って、特戦課か……?」

 少し声を張った甲斐があったのか、ようやく揉めていた二人組が皐月に気付く。皐月の姿はエクリプスギアを纏った状態だ。一目見ただけで特戦課だという事は、それこそ子供だとしても分かる事だ。
 しかし、こういった状況において、大抵の民間人は、彼女達の姿を見れば安堵の表情を浮かべるものだが、目の前の少年達は違っていた。

「貴方は確か、この間学校への送迎の際、莉緒さんと一緒にいた人ですよね?」
「!! 保泉の事を知ってんのか!?」
「え、えぇ、まぁ……。私も保泉ですから……」

 いくら特戦課のメンバーと言えど、身長が百八十近い男性に迫られればその迫力に押されるというもの。だが、そんな皐月の様子もお構いなしに、少年――佳樹は彼女の肩を掴んで迫る。

「保泉がまだあの中にいるんだ!! 逃げる途中で下に落ちて……」
「……莉緒さんが中に?」

 佳樹の言葉を聞いた皐月の表情が変わる。莉緒が今日の訓練を無理だと言い張ったその理由がモールに遊びに行くことだったから、というわけでは無い。いくら特戦課について訓練の真似事をしていたとはいえ、彼は一般人に過ぎない。そんな莉緒があの中に取り残されている、というのだ。それも、話を聞けば、怪我をしている可能性も十分にあり得る。

「どの辺りではぐれましたか?」
「ここから少し中に入ったとこだ。そこで他の客に押されて手すりから下に落ちたんだ……」
「どれくらい下に落ちたか、などは分かりますか?」
「それは……」

 佳樹が黙りこくる。人の多さで確認出来なかったのもあるのだろう。彼らがその目で莉緒の姿を見たのは、落ちる寸前の姿が最後だ。

「ごめんなさい……。私達もどこまで落ちたかは確認してないの。ただ、あの位置だともしかしたら一番下まで堕ちてるかもしれない。そうなると……」
「怪我では済まない……、ですよね?」

 こくり、と奏が頷く。
 街中に作るからといって、縦に大きくしたのが間違いだったと言えるだろう。しかしながら、このモールのおかげで街が活気付いているのも確かだ。設計者を責める事は誰にも出来ない。

「……三綴先輩、聞こえますか?」
『聞こえてるわ、どうかした?』

 残党狩りをしていた阿弥に連絡を取る。外はおそらく阿弥が対応しているヴィーデが最後だろう。しかし、中にはどれだけいるか今のところ不明だ。だとしても、このまま放っておくわけにもいかない。

「中に莉緒さんがいるそうです。ですので、私がこのまま中へ突入し、莉緒さんを確保して来ます」
『え、は? いや、ちょっと待って、どういう事?』
「どうやら学友の方々と一緒に来ているところを巻き込まれたそうです。話を聞くところによると、かなりまずい状況のようですので、私が中に入って……」
『アイツ、アタシの訓練サボって遊んでたっての!?』

 明らかに予想外のところで怒髪天を衝いている阿弥。いや、彼女の性格ならおかしくは無いか。裏を返せば、莉緒の事を信用していると取れも……流石に無いだろう。

「そ、それはまた後でお願いします。ですので、私が莉緒さんの救出に向かいます。先輩は引き続き避難の方を……」
『もう少しでうさ耳と七草が到着するわ。外はアイツらに任せて、中に行くならアタシも行くから』

 有無を言わせぬ迫力が、端末越しに伝わって来る。彼女にここまで言わせる人物はそうそういない。何だかんだと言って、阿弥もまた莉緒の事を心配しているのだろう。でなければ、ここまで強く言う事は……

『アタシの指導をぶっちぎるなんて、土下座でもさせないと気が済まないわ』

 ……どうやら、皐月が二重の意味で莉緒の体を心配する必要が出て来たようだ。
 この様子では、皐月の心労が尽きる事は当分無いだろう。

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