鬼哭迷世のフェルネグラート

トンテキ

十八話 改めて


「おかえりなさいませ、莉緒様」
「……」

 校門を出てすぐの場所に、黒塗りの高級車とその傍らに立つもはや見慣れた初老の男性に出迎えられ、莉緒の表情は非常に渋いものになっていた。
 別段、この執事長、立淵が嫌いなわけでは無い。この学校では一学生としてそこまで目立たずにやっていこうと思っている莉緒にとっては、こういう行動を取られると否応なしに視線を集める事になる。色々と特別な事情があり、教師からも色んな意味で特別扱いを受けている莉緒が目立たず、なんて無理しか無いように思えるが、存外教室での彼は大人しいものだ。佳樹や奏、奈央と話す時以外には基本的に口を開く事は無い。本当に最低限の受け答えくらいしかしない。
 そういった少し特殊ではあるが、実際はそこまで目立たない生徒Aを目指している莉緒の目の前で待っている男性の存在は、そんな彼の思惑を一撃で粉砕しかねない威力を持っている。

「はぁ……」

 深い溜息を吐いた後、出来る限り目立たず、そそくさと車の中へ乗り込む莉緒。一瞬、普段の強情さを前に出し、歩く事も考えただろうが、ここでそのやり取りをするよりも大人しく乗車した方が早いうえに目立たないと判断したのだろう。特に何かを発する事は無かったが、素直にその意図を汲んだ莉緒に、立淵は少しばかり驚きを覚えていた。

「では、皆さまの下へ行きましょうか」
「……」

 嫌そうな表情を隠しもしない。皆、とは言わずもがな、特戦課の事だ。昨日の一件で、莉緒の安全を喫する為にこうして毎日放課後に特戦課のある九十九第一学舎に向かうよう言われていた。
 普段の莉緒であれば、何を言われようとも従う事はまず無かっただろう。しかしながら、この件に関しては保泉の家自体が理解を示している為、こうして立淵を送迎に向かわされ、逃げ道を潰されていた。

「そんな顔をなさらないでください。皆さん、個性的ではありますが基本的にはいい方ばかりですよ」
「……随分と物知りですね」
「旦那様が特戦課絡みで仕事をする事もありますので。特に今の特戦課を仕切っている三綴阿弥さん、この方は非常にタフな人でして、家があまり裕福では無いのですが、家の事もこなし、尚且つ学業の優秀、特戦課でも隊長を務めている方です。……まぁ、少々先走り気味な面もありますが、人間、多少欠点があった方が愛嬌もあるというものです」
「……そうですか」
「はい、そうですとも」

 莉緒の素っ気ない態度に対して、腹を立てた様子も見せず、立淵は特戦課に所属するメンバーの事を話す。しかし、莉緒は興味が無い……わけでは無さそうだが、どうにも反応が薄い。そもそも、特戦課と聞いた時でさえ、あまりいい表情はしなかった。

「莉緒様と同年代の方もいらっしゃいますよ。先ほど言いました三綴さんもそうです。と、言うよりも、そもそもメンバーが高等部中心で構成されているので、半数以上は莉緒様と同年代、という事になりますね」
「高校生だけなんですか?」
「いえ、下は流石にいませんが、上は大学生の方がおります。それぞれ十九歳と二十一歳だったかと。どちらも、九十九第一からそれほど離れていない国立の大学に通っていらっしゃいます」
「ふぅん……」

 莉緒の目が細められる。どことなく、その目には哀愁が漂っているようにも見えた。

「昨日は色々立て込んではいましたが、皆さん莉緒様の事を心配しておいででした。ですので、不安に思われる事は何も無いと思いますよ」
「……」

 ただただ、莉緒は無表情で外を眺めていた。先ほど哀愁を感じさせていた目も、今では感情一つ映し出していない。
 その様子を、バックミラー越しに見つめながら、立淵は少し困惑した表情でハンドルを握っていた。



「さて、わざわざ足を運んでもらって申し訳ない。しかし、学校が違う以上、ウチのメンバーを護衛にやる事も出来ないし、何より君の周りに何か大きな変化があるだけで友人に勘繰られかねない。被害者を増やす訳にもいかないんだ、勘弁してくれよ」
「は、はぁ……」

 出迎えたのは、やはり熊のような圧力を常時放っている巨躯を持ちながらも、それを気にするだけの繊細な心を持つ巌の姿だった。その後ろには、年長組の二人も付いている。
 ひらひらと手を振りながら柔和な笑みを浮かべる雲雀と、何やら高速で端末のパネルを叩いている聖。何とも対照的な二人だ。
 巌に連れられ、特戦課が拠点としている建物に入る莉緒。中では、明らかに学校関係者ではない者まで働いているのがチラホラ見える。が、どちらかと言えば政府の公的機関に学校が付属している、という形が正しいので、彼らからすれば、学生がこんな場所にいるのがおかしいと思っているのかもしれない。
 しかしながら、莉緒の姿に物珍しさを示す者はいれど、すぐに作業に没頭する職員達。そんな彼らの傍を通り過ぎながら、辿り着いたのは昨日案内された応接室とはまた違う場所だった。
 中に入ると、既にそこには四人の姿がある。円卓を中心として、それを囲むように座る彼らに巌が一言挨拶をすると、莉緒を席に案内し、自分は奥へと向かう。

「やっと来たわね。待ちくたびれたわ」
「そうは言っても、莉緒さんはここの生徒じゃありませんし、学校もここから近くはありません。遅れてくるのは仕方無い話では?」
「ならいっそ、ウチに転校してくればいいじゃない」
「そんな簡単にはいきませんよ……」
「そうだぞ。そうほいほいと転校されてこられちゃ、毎年何十倍もの倍率を叩きだしている入学試験を潜り抜けた生徒達に申し訳が立たない。転校するなら、せめてそれなりに理由が無いとな」
「何十倍もの……ねぇ……」

 阿弥の目が奈乃香を捕らえる。相変わらず、彼女は空腹なのか、卓の上に事前に準備されていたお茶菓子を頬張っている。

「ふぇ? どうかしたんですか?」
「いいや、何も」

 確かに、奈乃香の成績で合格出来る程度、と思うだろうが、そもそもこの学校はエスカレーター式だ。試験があると言っても、初等部に入るまでであり、それ以降進学に試験は無い。とはいえ、実力考査などはある為、そこで規定の点数をとれなければ留年というシステムもあるにはあるのだが……。奈乃香には皐月という優秀な友人がいた為か、そこまで苦労はしていないようだ。

「まぁ、転校云々に関しては、とりあえず保留でいいわ。問題を片付ければいいわけだしね」

 そう、問題だ。莉緒がここに来るように言われた理由として、その身が狙われているという事が挙げられる。彼女達はそれを解決、ないしは莉緒の身を護衛する責任がある。……当の本人は、朝一人で出るなどイマイチ現実を理解していない節があり、それを矯正する為にもこうして色んな人物に話を通し、ここに来ざるを得ない状況にしたわけだが。

「そうですね、莉緒さんの生活を元に戻すのであれば、問題を解決するのが一番かと」
「とは言ってもねぇ……、あいつに対抗できる手段が今のところ思いつかないからどうしようも無いんだよねぇ。あぁそういえば、アンタあの魔人に一発食らわしたじゃない? アレどういう状況で成功したのか詳しく教えてくれない?」
「どういう状況と言われても……、単に不意打ちをしたとしか」
「不意打ち、ねぇ……」

 訝し気な視線が莉緒の体を突き刺す。自分達が出来なかった事をやって見せた莉緒に対する不信感からか、阿弥の目は厳しいものだ。それに対し、莉緒はあくまで普段の態度を崩さない。主に保泉邸での態度、ではあるが。

「それに関しては推測だが、おそらくあの魔人はエレクトラムの反応を感知する事が出来るのかもしれない。莉緒君が不意打ちに成功したのは、ギアを持たない一般人だから、という理由なら説明がつくんじゃないか?」
「ん~……、そう言われてみれば確かに」

 阿弥が腕を組んで考え込んでいる。巌の言葉にも一理はある。一般人が殴れた事に疑問を持つのではなく、一般人だからこそ出来た、と考えれば自然と言えるだろう。

「一先ず、莉緒さんがあの魔人に攻撃出来た事は置いておいて、これからどうするという話ですが……」
「しばらくは今日と同じようにここに来てもらう事になるだろう。出来れば外出も控えてもらいたい。それと、朝通学する際は徒歩で学校に向かっているそうだが、送迎を受けてもらえると我々としても助かる」
「朝、一緒に行くのでしたら、私もいますし、何かあれば対処も可能だと思います。……ですので、絶対に、朝一人で行くのは止めてもらえますか?」
「……」

 鋭い視線で皐月が莉緒へと視線を向ける。そんな彼女の視線から逃げるように顔を背けた先にあったのは、義嗣の姿だ。何故か、彼は少しウンザリした表情でそこに座っていた。

「お? そこのチェリーボーイが気になるのか?」
「ちょ! 聖さん、変な事言わないで下さい!!」
「おっと、こいつは失礼。もう経験済みかい」
「そこ、下世話な話を続けるなら、放り出すわよ」

 阿弥に睨まれると、一切悪くないはずの義嗣が身を縮こまらせ、聖の方はというと舌をペロリと出し、明らかにおどけている風な様子を見せる。

「……」

 そんな彼らの様子を無表情で眺めていた莉緒だが、その目は義嗣ではなく、聖の方へと向いていた。まるで、何かに気付いたかのようだ。

「しかし、だ。いくら莉緒君の身が危ないとはいえ、長期間に渡って人手も時間も割く訳にはいかない。出来れば早めに魔人から狙われるような事が無くなればいいんだが……」
「それなら簡単じゃない。狙われてる本人を差し出せば問題自体は片付くわよ」
「先輩!!」
「冗談よ。ただ、手っ取り早い方法って言うなら、似たような手段にはなるけど」
「聞こうか」
「シンプルな話、囮作戦ってやつよ」
「囮って……、ちょっと待って下さい!!」

 特戦課の役目として、第一に民間人の安全の確保がある。阿弥の提案は、その役目を根底から覆すものだ。守るべき対象を餌にし、敵を誘き出そうと言うのだから。

「それでは、莉緒さんに万が一が起こらないとも言えません! 何より、民間人を戦いの場に連れ出すなんて……」
「そんな事は百も承知よ。でも、元々はと言えば、そこの民間人が戦闘に介入したのが事の発端でしょ? だったら、今更民間人もどうも無いんじゃない。てっとり早いうえに、事が上手く行けば、この状況から脱せられる。餌にするのは心苦しいけど、その代わり護衛として東郷先輩を付けるから、身の安全は問題無いと思っていいわ」

 ひらひらと、手を振りながら莉緒に笑顔を向ける雲雀。一見すれば優しそうではあるものの、こういった場面だと頼りないと思われなくも無い。が……

「気を付けろよ、少年。あいつは示現流の免許皆伝だから、お痛なんてしようもんなら、その腕斬り捨てられるぞ」
「聖さん、あまり物騒な事は言わないで下さいね~?」
「おぉ怖い怖い」

 さっきと変わらないおどけた様子の聖。しかし、阿弥に叱られた時とは違い、その声音の中には、微かに恐怖が混じっている。お調子者を震え上がらせる彼女が本気で怒れば、一体どうなるのだろうか。

「で? 囮作戦をやるのは分かったが、具体的にはどうする? 奴の防御壁の前では、エクリプスギアの攻撃はほとんど通用しなかっただろう?」
「そうねぇ……、何か破壊力のある攻撃手段でもあれば……」

 チラリ、と阿弥はその目をお茶菓子を一通り堪能し終えた奈乃香へと向ける。ゆっくりとお茶を啜っているその姿は、まるで縁側に座っている老婆のようだ。……一応、この中で皐月と並んで最年少の筈なのだが。

「……奈乃香ちゃん」
「んぅ? なぁに?」
「はぁ……」

 阿弥が深い溜息を吐く。メンバーの中でも随一の火力、殲滅力を持つ奈乃香ではあるが、本人はこんな様子だ。本番に強い、というのも頼りがいのある部分ではあるが、こういう打ち合わせの場などで話を聞いていない事がよくある為、結局自分のやりたい事を優先する傾向があり、阿弥はそこに頭を悩ませていた。

「……一応聞きたいんだけど、アンタ、あの魔人の防御壁、突破出来る?」
「あの……魔人……」

 その言葉を聞いた瞬間、奈乃香の表情が暗くなる。説得が上手く行かなかった事を思い出しているのだろう。奈乃香にとっては渾身の説得ではあったが、いかんせん相手が悪かった。
 しかしながら、基本的には人間に対してはヴィーデ程の敵意を向けられない奈乃香としては、エイジの敵対心はかなり堪えたと見える。

「アンタの心中は分かってるつもりよ。でも、アイツを倒さないと、もっと多くの人が困るの。今目の前にいる人間もそう。だから、可能かどうかだけでいい、奴の防御壁をどうにか出来るかどうかだけ教えなさい」
「……」

 奈乃香は答えない。手元のお茶をジッと見つめて何かを考えている。エイジを倒さなければいけない、という事実に葛藤しているのか、それとも……

「……いける、と思います」
「いつものやつで?」

 そう問いかけると、奈乃香は首を横に振る。

「ハイパーファイアートルネードスプラッシュクラッシュは、力を一気にぼーんってするイメージなんですけど、それをもっとぎゅっとすれば、あの防御を壊すだけの力になると思います」
「……ごめん、イマイチ理解出来ない。保泉、翻訳お願い」
「要は普段使う技は、着地点を中心に広範囲に力を拡散させているんですが、それを一極に集中させればあるいは……という事だと思います」
「あ~、なるほどね……」

 奈乃香の語彙力はこの際置いておくとして、一応の光明が見えた事に、一同は一筋の希望を抱く。
 そんな中、ふと莉緒が口を開こうとしたその時、

「話し中すみません! 襲撃です!!」

 オペレーターが会議室に乱入してきた事で、莉緒の口が開かれる事は無かった。

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