鬼哭迷世のフェルネグラート

トンテキ

十六話 その身の行く末


 結局、あれからすぐに開放されたものの、莉緒の疲労はピークに至っており、帰りの車内においても、普段から皐月とはほとんど会話をしようとしないが、それが更に加速するように口を一度も開く事は無かった。……単に疲労と眠気のせいで口を開く元気すら無かった、と言えばそれまでだが。
 屋敷に到着した莉緒と皐月を待っていたのは、この家の主人である辰吉と、その妻楓《かえで》だった。
 どうやら、帰りが遅い皐月の事を心配しての出迎えだったようだが、どうやら様子がおかしい。莉緒が小さく礼をして、その横を素通りしようとすると、腕をガシッ、と掴まれる。少々前につんのめるも、何とか振り返った莉緒の顔は、めんどくさそうな表情を隠そうともしていなかった。

「待ちなさい、莉緒く……そんな嫌そうな顔をしないでくれないか?」
「……失礼」

 曲がりなりにも、この家の家主であり、自身を引き取ってくれた相手にその態度はどうかと改める。まぁ、今でこそこうしてまともに触れ合う事が出来るものの、ここに来た当初は莉緒の境遇も含め、あまり良い顔をされていなかったのも事実だ。とはいえ、そんな心境でこうして衣食住を提供してくれているのだ。感謝こそすれ、嫌悪感を出すなどもっての他だろう。

「で、何か用ですか? さっさと部屋に戻りたいんですけど」

 改めたと思いきやこれだ。

「君に言いたい事があってね。皐月一人だけならこうして待ってる事は無かったんだが、妻がどうしても、と」

 神妙な顔つきの辰吉に、どこか察しがいった莉緒は、掴まれている腕をそれとなく外し、彼の目の前で頭を下げる。

「……お嬢さんを危険な目に会わせて申し訳ありませんでした」

 だが、その行動が完全に予想外だったのだろう。辰吉と楓、そして彼らの後ろにいた皐月が驚いた顔を見せている。

「……いや、今回危ない目に会ったのは君だろう。蘭から聞いた。何やら危ないところを助けてくれたようだな。あの子の我儘でこんな目に会ったにも関わらず、命を救ってくれた、と」
「そうですよ。私も沙羅から聞きました。ヴィーデの気を引いて、あの子達が逃げる時間を稼いでくれたらしいですね。本当に、ありがとうございます」

 楚々とした所作で頭を下げる楓。その育ちの良さが皐月にも受け継がれているのだろう。行動一つとっても、親子と分かる程だ。下の妹二人に関してはまた別の話だが……。

「……自分はあくまで庇を借りている身分に過ぎません。与えられた役目すら果たせていないんです。そうやって頭を下げる必要などありませんよ」

 頭を下げた状態の楓に、静かにそう告げる。この言葉について、謙虚と捉える事も出来る。しかし、それは立場上の行動であって、決して善意では無いと言っているのと同じだ。
 もしかしたら、辰吉や楓はこれを機に、莉緒とまっとうに接しあう関係を築こうと思っていたのかもしれない。しかし、当の本人から投げかけられたのは、義務で行った事である、という冷たい言葉だった。
 その言葉を耳にして、どこか悲しそうな表情を浮かべる楓。辰吉に関しては、あまりにも予想外な言葉だったのか、茫然としていた。反対に、彼らの背後にいた皐月はやっぱりか、とどこか予想はしていた、といった反応をしている。
 そんな二人に黙って一礼をし、静かに自身の部屋へと戻っていく莉緒。その背中を、三人は何も言わずにジッと見つめていた。



 自分の部屋へと戻ってきた莉緒だったが、何故か中には入らずにドアの数メートル前で立ち尽くしていた。答えは簡単、先客がいたからだ。

「あ、お帰り」

 莉緒が居室にしている小さな離れの壁にもたれかかっていたのは、先に帰宅していた蘭だった。

「……」

 返事は無い。それどころか、一瞥しただけでその脇をすり抜け、部屋の中に入ろうとする莉緒を慌てて蘭が引っ張って止める。

「ちょちょちょ、ちょっと!? 待って! 多分ていうか、絶対怒ってると思うけど待って!!」
「…………はぁ」

 長い長い沈黙の後、ようやく莉緒の口から出た物は、重すぎる程の質量を持った溜息だった。

「何? さっさと寝たいんだけど」
「うぐ……、そりゃまぁ、私のせいでこんな時間まで長引いたのは確かだけどさ……」
「そう思うなら、ここは何も言わずに通すべきじゃないの?」
「そういうわけにもいかないんだって」

 蘭がようやく莉緒の服の裾を離す。彼女は少しばつの悪そうな顔になりながらも、莉緒を見上げる。

「お母さんとお父さんからも言われたと思うんだけど、よく考えたらちゃんとお礼してなかったなって」
「……礼、ね。俺がちゃんと止めていればあんな目には会わなかった。そう考えなかったの?」
「何それ。流石にそこまで性根が腐ってるつもりは無いんだけど」

 莉緒の言葉に少しカチンと来た様子。しかし、ここで待っていた本来の目的は忘れていない。

「正直、色々と迷惑をかけたと思う。だから、ごめんなさい。あと、助けてくれてありがと」
「……」

 少し顔を赤らめながらそう言った蘭を前に、莉緒は一体何を考えるのだろうか。少なくとも、目の前の少女の少し恥じらいがちな姿を見て、一縷の情程度は湧いているのだろうか。ただ無表情に蘭を見下ろす莉緒の顔からは、何の考えも感じ取る事が出来ない。

「……罵倒された方が楽だったんだけどね」
「? 何か言った?」
「いんや。別に何も。で? それで用は終わり?」
「あ、ちょっと待って。一個お願いがあるんだけど、いい?」
「……何?」

 あからさまに嫌そうな顔を浮かべる莉緒。一応、蘭は家主の娘ではあるのだが、そんな彼女のお願いにこうも露骨に嫌悪を浮かべるのはこの少年くらいだろう。

「あのさ、莉緒さんヴィーデに素手で殴りかかってたじゃない? あれ、私も教えて欲しいなぁ~、なんて」
「はぁ?」

 思わず素っ頓狂な声を上げた莉緒の事を、誰も責めは出来まい。莉緒のあの技の数々は、そう簡単に習得できるものではない。それは、素人目で見ても同じ事だろう。蘭はそれを教えろ、と言うのだ。

「……いや、無理」
「あれ? そんな事言っていいの? それじゃ、あそこで何があったか、お姉ちゃんに話しちゃうよ?」

 表情が一変し、にやにやと厭らしい笑みを浮かべる。……まぁ、浮かべている本人が中学生女子、それもそれなりに整っている容姿である為か、そこまで嫌味な感じでは無いが。

「いいよ」
「え?」
「だから、いいよ、って」

 しかし、そんな蘭の笑みも、莉緒から帰ってきた想定外の返答を聞き、瞬時に固まってしまう。

「ちょっと待って……、ちょっと待って。あの時、私に話さないように、ってやったでしょ? 何であの時はダメで今はいいの!?」
「簡単な話、あの時は事態が混乱してたから、情報を錯綜させないようにする為だった。今なら別にそんな事言われても、まともな判断が出来る大人なら、それが事実かどうかは簡単に判別出来る。……まぁ、まず信じる人なんていないだろうしね。ヴィーデを素手で《《殴れる》》一般人なんて、まずありえないし」
「むぅ……、確かに」
「大方、頭が混乱した状態でヴィーデの注意を引いていた俺を見間違えた、とでも言われるのがオチだよ。だったら、どうするのが一番か、分からない程馬鹿じゃないでしょ?」
「……」

 不満げに唇を尖らせる蘭。そんな彼女を前にして、ようやく莉緒の表情が緩む。まるで、妹を宥める兄のように。

「それに、俺のアレはまともな人が使うようなものじゃないんだよ。それこそ、何年も修行を積むか……人から外れるか」
「……どういう事?」
「分からないならそれでいいんだ。とにかく、それに関しては無しの方向で。それ以外なら俺に出来る事はある程度融通利かせるから、さ」
「……言ったね?」

 尖らせていた唇がニヤリ、と半月状に変化する。それを見た瞬間、莉緒は一瞬でやってしまった、という表情に変わる。
 どうやら、彼は年下の少女に弱い様子。今まではここまでまともに接する事が無かった為、ある程度は隠す事が出来ていたが、少し緊張が緩んだ為か、意外なところで弱点が露見した。

「やっぱ今の無し」
「だ~め~。もう言質とりました~」
「……油断したなぁ」

 しかしながら、言ってしまったものは仕方ない。ここは諦めたのか、どこか遠い目をしている莉緒とは反対に、蘭は実に楽しそうな目で彼を見ていた。

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