鬼哭迷世のフェルネグラート

トンテキ

十三話 非常事態


「妹達って……、蘭ちゃんと沙羅ちゃん? あれ? でも、今日は確か……」
「えぇ。家で預かっている親戚の人に迎えに行ってもらってるの。どこを通るかは、事前に伝えておいたから、そっちに行ってくれていれば問題無いんだけど、この辺りは私がまだ蘭と一緒に歩いて帰っていた時に近道で使っていたところだから……」
「指示した道を通らず、その近道に入る、と? 流石に保泉家のお嬢さんが、そんな迂闊な事するかねぇ?」
「あの子、結構腕白だから……」
「あ~……」

 奈乃香は思い当たる節でもあるのだろう。どこか遠い目をしている。彼女もまた、蘭に振り回された人物の一人のようだ。

「どのみちそこには行くんだろ? だったら、その時確認すればいいんだ。今はとにかくこの分散している敵を片っ端からどうにかしないと……」
「あぁもう、分かってるから急かすな!!」

 義嗣が突っ込んだ事で、阿弥が再度誰がどこへ向かうかを選定し始める。しかしながら、皐月の目は画面に表示された地図に釘付けだ。

「何なら、アンタだけでもそこに行く?」
「……いえ、私はあの子を信じます。数もそこまで多いわけでは無いので、今はとにかく敵が密集している場所に行きましょう」
「……」

 口ではそう言っているものの、内心は気にしっぱなしなのだろう。だからこそ、こうして阿弥を急かし、早く終わらせて妹の下へと駆け付けたいのだ。何も無ければそれでよし、もしあった場合は……彼女は未来永劫後悔する事になるだろう。

「……はぁ、分かった。一先ず、最優先ポイントから各々順に回っていきなさい。保泉の妹がいるであろう場所が最終ポイントよ」

 阿弥の言葉に、全員が力強く頷いた。



 一方、その頃、蘭と沙羅に連れられて横道に外れた莉緒達だったが、何やら周囲がおかしい事に気付く。

「蘭ちゃん、一ついい?」
「蘭で良いよ。そんな、他人行儀な。で、何?」
「ちょっと気になったんだけど、ここって普段からこんなに静かなの?」
「え?」

 莉緒がそう言うと、今初めて気が付いたのか、蘭もまたその場に立ち止まって辺りを見回している。確かに、人一人見かけないどころか、野良猫一匹すらいない。
 小さな路地と言っても、ビルとビルの隙間のような極端に狭いものではない。あくまで、通りよりも細い、小さいという意味であって、車がすれ違う程度なら問題無く行える幅はある。
 更に言えば、この辺りはこういった道が無数にあり、その両側には家が立ち並んでいる。そう、住宅街だ。夜というにはまだ早く、少しばかり空がオレンジがかってはいるものの、沙羅と同年代の子供が外に出て遊んでいてもおかしくはない時間帯だ。よしんばこの辺りはそういった事に適さないとはいえ、多少の人通りはあるだろうし、何より普通に車が通る事の出来る道だと言うのに、車両が一台も通らないのは流石におかしい。

「ん~……、前はもっと人がいたんだけどなぁ……。一応、私もお姉ちゃんも保泉の人間として表に顔は出しているから、それなりに知名度はあって、私達の顔を見れば挨拶してくれる程度には人がいたと思うんだけど……」

 蘭はそう言っているが、残念ながらここまでで出会った人はゼロ人だ。車すら通らない。ゴーストタウンだと言われれば納得しかねないレベルだ。

「何かイベントでもあるのかな? それでみんな出払ってるとか?」
「地域一帯で? それにしては登りもポスターなんかも見当たらないけど……」

 蘭も莉緒も、事態の異常を察知したのか、周囲を見回すだけではなく、近くの民家を覗き込んで中を確認するなど、本当に人っ子一人いないのかどうかを確認している。
 流石にそれに沙羅を付き合わせるのは悪いと思ったのか、少し手持無沙汰にはさせてしまうが、妹の小さな手を放して、少し先まで様子を窺いに行く蘭。……そこで、彼女はこの事態の原因を目撃してしまう。

「ッ!?」

 ソレ・・が目に映った瞬間、即座に曲がり角の陰に隠れる。見えたのは一瞬だけだ。そして、それはこちらからであって、向こうからじゃない。
 今なら、引き返すだけでやり過ごせるかもしれない。この一瞬でそう判断した蘭は、踵を返そうとした。

「お姉ちゃん、どうしたの?」
「しー……!」

 少し心細そうな妹の声が背中にかけられる。そこまで大きな声ではないが、この静寂に包まれた住宅街では、十分すぎる程の声だ。

「沙羅、こっち」
「??」

 妹の手を握り、反対方向へと向かう。向かう先には、莉緒が端末に視線を向けながら、壁にもたれかけて待っていた。

「何か分かった? こっちは何も……」
「ごめん、話は後で。今は早くここから離れないと!」

 乱暴に莉緒の手を掴むと、二人の手を引きながら元来た道を引き返す。

「お姉ちゃん?」

 少し不安げな声色の沙羅と、何も言わずに手を引かれるがままに付いて行く莉緒。そんな二人を引っ張りながら、蘭は大通りに出ようと元の道を辿るも……足が止まった。

「??」
「どうしたの?」

 正確には角を覗き込んで、されるがままだった二人を押しとどめた、といったところか。今度は二人の背中を押し、近くの民家へと入っていく。とはいえ、家自体は鍵がかかっており、屋内に入る事は出来ない。その為、敷地には入れど、庭先など外から壁で阻まれて、中が見えない場所へとその身を移す。

「ねぇお姉ちゃん。勝手に入ったら怒られるよ?」
「ごめん沙羅、今は少し静かにしてて」

 普段は見せない鬼気迫る表情に、沙羅は思わず口を噤む。すると、次に見えないはずの塀の向こう側に視線を向けていた莉緒が、蘭に聞こえるか聞こえないかギリギリの小さな声で問いかける。

「何か見たの?」
「……」

 蘭は答えない。いや、この場合、この街に住んでいるものであれば答えは容易に察しがつく。だが、莉緒はこの街に来てまだアレ・・と遭遇していない。いや、そもそも遭遇する方が珍しいのだ。本来であれば、ソレ・・が目に入る場所に出現する前に警報が鳴り、それに従って避難をするのが一般的だ。しかし、このシステムには欠点があった。
 一般に流通している通信端末には、妨害電波内でも受信できる機能が備わっていない。つまり、警報が鳴らなかった蘭達は、それが現在進行形で跋扈している場所に自分から入っていったのだ。こんな事なら、大人しく姉の指示したルートを通っていればよかった、と今更後悔するだろうが、もう遅い。

「!!」

 塀の向こう側で音が聞こえた。人の歩く音ではない。何かを引き摺るような音。すかさず、塀の内側へと隠れて、万が一覗き込まれても見つかりにくいようにしておく。昔ながらの塀であるためか、ところどころ意匠として穴のようなものが見られる。そして、そこから外が、いやソレ・・が見えてしまった。

 ヴィーデ。

 一般的にはそう呼称される異形の怪物。それが今、塀の向こう側で異様に長い首をあちらこちらへと何かを探しているかのように伸ばしている。
 探しているのは人間だろうか? しかしながら、ここら一帯は既に避難警報のおかげでもぬけの空となっている。うろついたとて、ここで人が見つかるとは思えない。警報が鳴らなかった人間がいれば、の話だが。
 蘭が端末を取り出す。そこに表示されているのは、圏外の二文字だ。個々のヴィーデが妨害電波を出している訳ではない。必ず一体、それ担当の個体がいるのだが、本来であれば、その個体が妨害電波を発する前に警報が鳴らされる。当然、事前に察知する事が出来れば、それに応じて、という形にはなるが、今回は完全に間が悪かったようだ。
 不安な表情を隠せない沙羅が、塀の向こう側で闊歩しているヴィーデを見て、蘭の手を強く握りしめる。蘭もまた、すぐそこに異形の怪物がいるという事実に、恐怖と不安に駆られるも、妹の存在により、心を強く保つ事が出来ている。一人であれば、どのような行動をとったか分からないだろう。
 とはいえ、複数人いたところで、状況は変わらない。あのヴィーデという怪物は、触れた物を灰と化す性質を持っている。いや、正確には攻撃したもの、だろう。ただ触れられるだけならば問題は無い。無いはずだ。
 幸い、あの個体は足が速いとは言えない体をしている。首は長いものの、首から下はずんぐりむっくりな体形だ。全速力で走れば逃げ切れるかもしれない。そう、思っていた蘭だが、その直後に目の前でヴィーデがとった行動により、その希望は儚く打ち砕かれる事になる。

 川を飛び越えたのだ。

 川と言っても、有名な川ほどの大きさでは無く、あくまで生活排水を流す為の幅十メートル程のものだ。しかし、それでも橋を渡らずに、川の上をジャンプで飛び越すのは人間であっても困難を極める。それを、助走も何もつけずに飛び越えたのだ。どう考えても無理があると思われるその体で、足で。
 例え全速力で走ったとしても、あのジャンプ力ではすぐに追いつかれてしまうだろう。

「……」

 どうすべきか、蘭は頭をフルに回転させ、この状況を打開する為の策を考える。九十九第一学舎はこういった事態を想定した授業を行う事もある。だが、不幸な事にその授業を受けられるのは高等部になってからだ。基本的に、初等部と中等部は「守られる側」であって、対処手段を教わる事は無い。先程からジッとヴィーデの様子を窺っている莉緒に関しても同じだろう。彼が通っているのは、普通の学校。少なくとも、ヴィーデと遭遇した際の対処方法など教わるはずも無い。いや、もしかしたら避難訓練事態は受けているかもしれないが、所詮は避難だ。この場で役立つ事は無い。

「っ!?」

 ごそり、と塀のすぐ向こう側で何かが動く音がした。もはやそれが何か考えるまでも無いだろう。自分達がここにいると気付かれる訳にはいかない。そう思った蘭は、息を潜め、隣にいる二人にも同じようにするよう伝える。
 ぬぅ、と塀の上をヴィーデの首が跨いだ。まるで仮面でも張り付けているかのような顔を、右へ左へと向けながら、家の敷地内の様子を窺っている。幸いにも、蘭達が隠れているのは、塀のすぐ傍だ。真下へと視線を向ければ、すぐに見つかってしまうだろうが、ヴィーデが見るのは家屋の方ばかり。すぐ下にいる蘭達には一切気付かない。
 その様子がどれだけ続いたか。五分も無かったかのように思える。しかしながら、ただジッと息を潜めて隠れている彼女達にとって、その数分はひたすら長く感じただろう。
 確認し終えたのか、ヴィーデの首が音もなく塀の向こう側へと戻っていく。未だすぐ傍の脅威は消えてはいないが、それでもホッとした表情を浮かべる蘭と沙羅。そして、この場から逃げる為、ヴィーデの様子を確認しようとして、塀に空いた穴から向こう側へと視線を向けると……

 目があった。

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