鬼哭迷世のフェルネグラート

トンテキ

八話 始まりか、それとも……


 放課後に行っていた情報統制の会議からたった数時間しか経っていないにも関わらず、皐月達を取り巻く環境は大きく変化していた。
 曰く、何故今回のヴィーデの出現を感知出来なかったのか。曰く、人がヴィーデを操っていたように見えたのは、一体何だったのか。
 前者に関しては、例の魔人による細工だと考えるのが妥当だろう。実際、あのエイジと名乗った少年は、傍らにいたヴィーデを従えていただけではなく、何も無い場所からヴィーデの大群を出現させて見せた。まず確実に、何らかの超常的な力を用いているとは思われるが、少なくとも特戦課のデータベースに該当する技術は記録されていない。幸いな事に、エイジは自身への攻撃を防いだ=生身は人と変わらないか、それと同等に傷を負えば行動に支障が出るものだと考えられる。ならば、やりようはあるだろう。
 問題は後者だ。厄介な事に、エイジと戦っていた姿を一部の民間人が目撃していたようで、その報告が皐月達の耳にも届いている。幸いなのは、目撃した人物がその目撃談を他者に話す前に特戦課に申し出た事、そしてその人物を迅速に回収出来た事だ。
 ヴィーデは自然災害。そういう認識を持つ民間人にとって、人がヴィーデを操っている、という情報がもたらすのは混乱だけではない。例えそれまでそういった事実を一切認識していなかった彼女達に厳しい言葉を投げつける輩や、その情報を悪用して世間を混乱させようとする人間は必ず現れる。だからこそ、そういった事態になる前に当事者と接触し、その口を封じる事が出来たのはこれ以上無い幸運と言える。
 口を封じた、と言っても、暗殺といった物騒な事ではない。単に周りに言いふらすような事をすれば、罪に問われるぞ、と釘を刺したに過ぎない。とはいえ、鞭だけではいずれ限界がやって来る。飴として、金一封を握らせることで、その場はなんとか収める事に成功した。

「はぁ……疲れた……」

 阿弥が非常に重い溜息を吐きながら、ソファへとその身を沈ませる。彼女の対面には、阿弥と同じかそれ以上に動き回っているはずの奈乃香が、平然とした表情でお茶菓子に舌鼓を打っていた。

「体力おばけめ……」
「ふぇっ!? お化け!! どこ!?」

 何やら見当はずれな勘違いをしている様子の奈乃香。お茶菓子を口いっぱいに頬張った顔で辺りを見回すものの、彼女の言うお化けとやらはどこにもいない。

「……ゴクン、何もいないじゃないですか~、阿弥先輩変な事言わないでくださいよ~」
「……はぁ」

 能天気なのか、それとも単に事態を理解していないのか。しかしながら、そんな奈乃香の様子を眺めていると、一人悩んでいた事が馬鹿らしくなってくる。阿弥の胸中は決して穏やかなものではなかったが、目の前の少女のおかげか、それともせいだとでも言うべきか、今まで張り詰めていた物が一気に緩んでいく音が聞こえた。

「そういえばアンタ」
「んぅ?」

 阿弥もまた、テーブルの上のお茶菓子に手を伸ばし、煎餅を一枚齧ったところで思い出したように口にする。

「あの魔人男が逃げる直前、もうエレクトラムは溜まってたわよね? 何で撃たなかったの?」
「はにをでふか?」
「口に物入れてしゃべんじゃないわよ……。いつものやつ、ほら、あの炎がバーってでるやつ」
「……ごくん、ハイパーファイアートルネードスプラッシュクラッシュの事ですか?」
「え、何? それが技名? 長いし意味おかしいし、何より語呂悪くない?」
「え~、そうですか? かっこよくないですか?」
「アンタの私服もそうだけど、ネーミングセンスも疑わなきゃならんのか……。まぁいいや、それで、何でそのファイアー何とか使わなかったのよ? あの時もう使える状態だったでしょ? 一発目から結構時間経ってたし」
「ん~……」

 阿弥の問いかけに、奈乃香は口にかりんとうを咥えたまま考え込む……のだが、いかんせんその姿からか、真剣に考えているようには見えないのは仕方の無い事なのだろうか。

「どうして、って聞かれても、これって答えは無いんですよね。何だろ、あの人は違う、って思ったから? あれ? 何でだろ?」

 しきりに首を傾げている様子を見るに、どうやら彼女自身も何故あの場で攻撃しなかったのかが分からないらしい。無意識にストップをかけていた、という事だろうか。それとも、彼女に攻撃を躊躇わせる何かがあったのだろうか。

「……何か、本人が答えを持ってないのはどうかと思うけど、アンタは考えるよりも感じろ派だから仕方ないのかもね」
「えへへへ~、それほどでも~」
「……これを褒められてるって捉えられるのもある意味才能だと思うわ」

 若干呆れ気味ではあったが、阿弥の表情は幾分か柔らかいものになっていた。憑き物が落ちた、という程では無いが、それでも奈乃香と話す事で少しは気持ちに整理が付いたのか。果たして、会話と言えるような内容であったかどうかは不明だが。

「あ、皐月ちゃん」
「ん?」

 奈乃香の視線の先には、こちらに手を振りながら歩いて来る皐月の姿があった。彼女の方も大方仕事が終わったようだ。顔にはいつも奈乃香といる時に浮かべている笑顔が浮かんでいたが、心なしか疲れが見える。

「お疲れ~」
「お疲れ様です、先輩」
「そっちはどうだった? 何か言われたりした?」
「そうですね、やはり事前に察知できなかった事を責める声はチラホラ見受けられました。とはいえ、私達に向かって怒鳴られても、担当じゃないのでどうとも言えないと言いますか……」
「まぁ、その辺は仕方ないわね。実働部隊と観測班は別だもの。にしても、少しくらいはスルーしないと疲れるわよ?」
「ですが、やっぱり皆さん不安だと思うんです。そんな中で私達の対応まで適当だと、不安だけではなく、不信感まで与えかねません。ですので、街の皆さんの心情を考えると、こういうところはきっちりやるべきかと」
「全く、そんな気遣いばっかりしてちゃ、すぐ倒れるんじゃない? 聞いた話だと、家に来た親戚の接し方にも四苦八苦してるそうじゃない」
「それは……」

 阿弥の言う親戚とは、十中八九莉緒の事だろう。打ち解ける事はおろか、まともに会話すら出来る気のしない彼の少年の顔を思い出し、その表情を曇らせる。放っておいても害があるわけでは無い。皐月や妹達と必要以上に関わる事も無いし、このままいけばそう遠くない未来に彼は家を出、そのまま彼女達と関わる事無くフェードアウトしていくだろう。莉緒の存在を疎ましく思っているのならば、喜ぶべきではあるが、皐月達は別に悪く思っている訳ではない。

「何なら、アタシがガツンと言おうか?」
「阿弥先輩の場合、物理的に手を出しそう」
「ほう? なら手始めに、アンタで試してみようかしら……?」
「ほら、やっぱり!!」

 ウヒャー、と奇怪な声を上げながら、頭を守ろうとする奈乃香。しかしながら、腕の隙間から見える表情は目の前で怒髪天を衝いている先輩を恐れているのではなく、どこか楽しそうな笑みを浮かべていた。

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