鬼哭迷世のフェルネグラート

トンテキ

二話 保泉


 少しでも進めておいた方がいい。そう言われ、時間になってもなかなか帰してもらえなかった莉緒が自宅に着いたのは、とうに夜の蚊帳が下り、街灯が無ければ一寸先は闇、と言ってもおかしくはない時間帯だった。
 自宅と言っても、莉緒の立場は家主の息子ではなく、あくまで居候に過ぎない。また、諸々の理由から家主一家との接触は必要最低限に、とここに住むうえでの成約を交わしている以上、莉緒が何時に帰って来たとしてもその行動に口を出す事は無い……はずだ。
 いつものように使用人用の裏口から入り、中へ進んでいく。使用人の姿は見当たらない。時間も時間だ、既に大半が帰宅しているのだろう。とはいえ、中には住み込みの使用人も何人かおり、そういった人達のほとんどが家の事情を理解している。
 そう、莉緒がこうやって裏口からひっそりと帰って来る事を知っている者も当然ながら存在していた。

「随分と遅いお帰りですね」
「……ただいま帰りました」

 暗がりから滲み出るように現れた初老の男性に向かって一礼すると、そのままその傍を通り過ぎようとする莉緒。しかし、男性はそんな少し余所余所しい様子の莉緒に向かって制止をかける。

「せめていつ頃帰る、などの連絡をいただけないでしょうか? そうしていただけるなら、こちらとしても色々と用意を……」
「いつもと同じです。必要ありません。それでは、これで」

 暗がりの中、男性に向けられた目は先ほどまで学校で談笑していたものとは全くの別物だった。何一つ感じられない瞳で見つめられた男性は、何も言い返せずに莉緒の背中を見送る。
 この家に来て三か月程。莉緒は一度としてこの姿勢を崩した事は無い。
 保泉本家によって、半ば押し付けられるようにしてこの家に預けられた莉緒は、当初その出自からあまり歓迎される存在ではなかった。それは、一族の中でも比較的穏健派なここでも同じ事だ。しかし、それは莉緒とて分かっていた事。彼が最初に言い放った言葉は、

「家人には、必要最低限以外の接触を行わない事を約束します」

 この一言だ。

 そして、それは三か月経った今でも破られてはいない。
 一緒に食卓を囲う事はおろか、世間話ですら必要無いと言う。それどころか、家の者達に姿を見せない事がほとんどで、その言葉通り、接触そのものを避けていると思われる。
 そんな莉緒にあてがわれたのは、一時倉庫代わりに使用されていた離れだ。倉庫、とは言ってもそこまで収納があるわけでは無く、あくまで一時的に置いておくだけの場所だっただけに、その広さは大したものではない。六畳一間、せいぜいその程度の大きさだ。
 無駄に広い屋敷の廊下を抜け、ようやく自室の離れに到着した。……と思いきや、莉緒の目が少し細められる。月光に照らされ、莉緒の行く手を阻むかのように立ち塞がるとある人物のせいだ。

「……何か用?」
「……我が家の門限は十八時です。例外はありますけど、それはしっかりと連絡があればの話です」
「……で?」

 御目麗しいとはこういう事なのだろうか。艶のある黒髪に、ピンと張った背筋。そして、十人に聞けば十二人が美少女、いやそれこそ淑女と言いそうな容姿を持った少女――保泉ほづみ皐月(さつき)が、そこに立っていた。
 しかし今は風呂上りなのだろう、いつもは丁寧に束ねている髪も、今は無造作に纏めているだけだ。それに若干頬が上気し、ただでさえ大きな胸部が、今は少ない布地で覆われているのみが故か、年頃の青少年には目の毒と言える程の主張を見せている。が、莉緒の視線はただただ目の前の少女が向けてくる鋭い目に向けられている。

「連絡が無いと心配する、という話です。ただでさえ普段どういう行動を取るのか分からないんですから、せめて連絡の一つくらいは入れて欲しい、というのが父からの伝言です」
「そう」

 一言、どころかそれこそ反応した、程度の返答を返して少女の脇を潜り抜けようとする。が、服の裾を掴まれ、止められた。

「絶対にしない、って顔してますよ」
「面白そうだね。部屋に戻ったら鏡でも見てみるよ」
「そういう事じゃ……!」

 ひらり、と身をかわし、皐月の手から逃れると、振り返る事も無く自身の居室へと戻っていく。先程の使用人と同じく、こうして後ろから見つめる事しか出来ない皐月は、言い様の無い不甲斐なさを感じていた。
 どれだけ言葉をかけようとも、それをまともに受け取る事はしない。ただ、他愛の無い言葉を返すだけで、莉緒に会話を継続しようという意思は無い。
 彼が何故、そこまで自分達とのコミュニケーションを拒絶するのか、少なくとも皐月には分からない。この家を恨んでいるのか、はたまた別の理由があるのか。
 本人が口を開かない以上、彼女にそれを知る術は無かった。



「おや、今日は早いじゃないか」

 翌朝、テーブルに着いて食事をしていた皐月と妹二人――蘭と沙羅に、声をかけるのは壮年の男性だ。彼は手に持ったタブレット型の端末をテーブルの上に置くと、使用人が静かに前へと差し出す料理に手を付ける。

「おはようございます、お父さん」
「……おはよ」
「おはよ~、お父さん」

 淑女然とした皐月とは異なり、妹二人のリアクションは本当に同じ環境で育ったのか、と聞きたくなるものだ。蘭はローテンション気味に、沙羅は声をこそ張るものの、少しツンとした顔をしている。が、ちょくちょく横目でチラチラと見ているのが分かる。

「あぁ、おはよう」

 対して、父と呼ばれたのは文字通り彼女達の父親であり、この家の家主、保泉ほづみ辰吉(たつよし)だ。非常に落ち着いた様子を窺わせる男性であり、皐月と並べるとこの父にしてこの娘あり、と言わしめる程だ。
 保泉、と言えば、居候をしている莉緒の姓も保泉であるが、彼らの関係は辰吉が莉緒の父の弟、つまり叔父という事になる。皐月や蘭、沙羅とは従姉妹の関係だ。しかしながら、莉緒の父が駆け落ちした後に、莉緒が生まれた為、本来の姓は別にある。しかしながら、それを名乗る必要は無いうえ、世話になっている以上は合わせるとの事で莉緒の姓は彼らと同じものになっている。

「やはり莉緒君はいないのか……」

 テーブルを見回す辰吉だが、そこに預かった甥の姿は無い。これに関しては今に始まった事では無く、莉緒がこの家に来てからずっとだ。共に食卓を囲えないというのは、信用されていないという事に他ならない、とは誰が言っただろうか。

「莉緒様なら二時間程前に出発されましたよ」
「相変わらず早いな……」
「通われている学校が、ここからかなり遠いですからね。送迎の打診もしてはみたのですが、その結果は御覧の通りです」

 莉緒の通う学校はこの家からかなり離れている。それ故に、朝遅刻をしないようにするのであれば、こうして他の誰もがまだ寝静まっている頃に家を出る必要がある。とはいえ、送迎が禁止されているわけでは無く、また家の立場上、豪奢な車で学校の前に乗り付けたとしても、文句を言う人間はほとんどいないだろう。にも関わらず、莉緒は車での送迎を頑なに拒否し続けている。道草を食う、というのも通学の醍醐味ではあるが、昨日の帰宅時間を考えると、あまり見過ごせたものではない事も確かだろう。

「まぁ、食事を共にする、というのはまた今度でもいいだろう。今はまず会話を続かせる事が先か」
「そうですねぇ……」

 この家で預かる事になった当初は、家人、使用人その全てが歓迎していない様子ではあった。しかし、こうして共に生活し、彼が保泉家に害をなした事は一度として無かった。時には使用人の手伝いすらする事もあったのだが……、彼はここに来た当初から何一つ変わらなかった。
 保泉莉緒と、どうやって打ち解けるのかが、この家において目下の問題であった。



「それで、お前は一体いつからそこにいた?」
「ん~……一時間前くらい?」
「アホか!?」

 他にも通勤、通学途中の人が歩いていく中、佳樹が自宅の前でずっと待っていた莉緒に朝一から突っ込みを入れる。

「百歩譲ってここで待つのはいい。いいが、せめて十分前とかにしてくれ!! それが出来ないなら、むしろ家の中に入っても構わないから呼んでくれ!! 俺が近所の人から変な噂されるんだよ!!」
「気が向いたらね~」
「善処します、くらい言え!! てか、お前の家、あっち方面だろ? 俺の家に寄ってたら遠回りじゃねぇか」
「別に良いんだよ。その為に家を早く出てるんだし」
「これが健気な優等生系幼馴染だったら萌えるんだが……、お前じゃ無理だ!!」
「ゲームのやりすぎだよ。たまには外に出ないと」
「休みの日に俺を振り回しまくっている奴の言う事か!?」

 なんとも賑やかな朝である。

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コメント

  • 姉川京

    ここまで読んでみましたが、これからの展開が楽しみです!

    これからもお互い頑張りましょうね♪

    あともし宜しければ僕の作品もよろしくお願いします!

    1
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