汚れた雪
汚れた雪
片手に持った暖かい缶コーヒーを飲み、深く息を吐く。
今は2月中旬。出た吐息は白く、俺の認識では、一年で最も寒い月なので、手はかじかむ。一応、缶コーヒーがそれを和らげてくれてはいるが。
「はあ……」
また息を吐く。が、これは缶コーヒーを飲み、一息ついたものではなく。
「ゆき……」
この寒さが、自分は孤独なんだとそう言っているようで、自然と気が重くなる。
それは本当の事で、また、悲しい。
ズルズル、と鼻水を啜ると、少しずつ降り出してきた真っ白い雪が目に写る。
そういえば昼間の天気予報でやっていた。丁度この時間帯からかなりの雪が降るはずだ。
そんな事を思い出した俺は、風邪をひかない内にと、五分も歩けば着くであろう自宅へと歩を進めた。
◇◆◇
去年の今頃、高校一年生だった俺には彼女がいた。
そいつは小さい頃からの幼なじみで、西川雪という。
丁度小学校三年の頃だったか。授業で名前の由来を発表しよう、なんてものがあった。
そこで初めて雪の名前の由来を聞いた。
雪が生れたて日は、年一番と言えるレベルの豪雪で、そんな日に生れたものだから、豪雪にも勝つような元気な体、そして雪のように真っ白な心であって欲しいという思いを込め、名前を付けられたらしい。
なんて、昔の事を思い出しつつ。また、ため息が漏れる。
何でこうもため息ばかり。ため息をつくと幸運が逃げていく、なんて言葉もあったか。
だが、既に幸運なんて……。
俺は去年の今から一週間後、雪の誕生日に別れを告げられた。
あれは何でだっけか。今でもよく分からない。
唐突にそれを突きつけられた俺は、痛い程、心臓が激しく鳴り出した。急速に包まれる不安感。俺はどうしてと、顔を歪ませながらも問う。
しかし、返ってきたのは、本当に好かれているのか分からない、という言葉。
なんで。
確かに俺は。明確にそれを示した事はないかもしれない。だが俺は、世界中の誰よりも雪を愛していた自信があるし、精一杯の努力をし、これから支え合っていきたいと、そう思っていた。
なのに、何故。
そんなぐるぐる回る思考に対し、雪が返すのは、私が悪い、の一点張り。
好きな人が出来たんであろうか、とも最初に思った。
しかし、それがもし本当であるならば、と想像するだけで、どうしようもなく怖くて。ついにそこには触れず。
結局。真意を測れない俺にはどうしようも出来ず。それが彼女の幸せに繋がるのならばという偽りの言葉を伝え。双方涙を流しながら別れ話は終了となった。
それから、1ヶ月経ったか、経っていないか。そこは定かではないが、どうやら彼女、いや、雪には新しい彼氏が出来たらしい。
それを知った俺は、家に帰り着くと泣いた。それも盛大に。
辛くて、たまらなかった。でも同時に、やっぱりかとも思った。
思えばその可能性が一番高かった。
何故なら雪は、二桁届くか届かないか、くらいは過去現在を通して彼氏がいたのだから。
昔はそんな感じじゃなかったんだけどな。
恋愛のれの字も知らないようなアホの子で、天真爛漫、元気溌剌、といったような女の子で、クラスの人気者。
弟同士が仲良く、その関係で俺らはよく遊んだりもしていたし、学校でも当然仲が良かった。その頃から俺はもう雪の事が好きだったと思う。まあ、その頃は、クラスの別な、運動神経抜群の男の子と付き合ってしまったんだけれども。
当然、それに気付いた俺は驚き、悲しんだ。
大好きだった雪が既に他人のモノになっており、勝手に自分が雪の隣にいると思っていたが、それがぶち壊されたのだから。
それから雪は何人か彼氏を作ったらしい。だが、それでも俺は心が折れる事なく、雪を諦めなかった。
そして、中3の冬。
俺は、ようやく雪を自分のモノにすることが出来た。
やっと雪を手にした時は、本当に夢じゃないのかと疑ったものだった。
しかし、人生の絶頂だったとも言えるその瞬間は、すぐに下り坂へと変化していく。
別れたのだ。
別れた理由は、俺がその頃思春期というのもあった。
付き合う前から、雪とは普通に話していた。しかし、付き合うとなると違ったらしい。
極度に緊張した俺は、ろくに雪の顔も見ることが出来ず、呆れられ、本当に好きなのかと疑われ、別れを告げられたのだ。
その宣告に、最初は絶望にまみれ、食を取ることもままならないようなザマだった。
しかし、その原因となったのは自分自身。ろくに大好きな雪の顔も見れず、話さず、その想いをしっかり伝えられなかったのが悪い。
反省した俺は、更に魅力的になって雪の彼氏の座に返り咲く為に、付き合っていた頃の悪い点を反省、スキルアップさせていった。
そしてやっと、別れてから一年後、見事雪の彼氏になったのだった。雪はその間も、何人か彼氏を作っていたらしいけれども。
俺はそれでも構わなかったのだ。
幾度か雪が彼氏と遊んだのを見た事がある。男友達と遊んでいる所を見た事だってあるし、その延長線上。
付き合っている時は、今は自分の彼女であるから、そんな事は関係ないと思っていたから。
まあ、結果また別れてしまったんだけど。
と、こんな感じで、二回も別れ、最後の別れから一年程経った今でも、あの頃を思い出す。
いい加減女々しいぞ、俺。とは思っていつつも、それを止められず。結局、色々と考えないよう、教師から出された宿題を適当にこなし、そろそろ遅い時間なので、明日の為にと寝た。
◇◆◇
一週間後。丁度雪の誕生日で、別れたあの日だ。
そこで、俺は見てしまったのだ。
やはり、悲しみ、後悔といった感情とともに、根強く記憶に残っている今日は、俺の心を揺さぶりる。それを紛らわせるために、夕方から街へと出ていた。
そこで俺は、やけ買い、とばかりに貯めてあったバイト代や、正月に貰ったお年玉で色々と買い物をしていた。
向かったのは街で一番大きなショッピングモール。その規模のお陰か、欲しい物はほぼあったし、当初予定していないものも買う事が出来た。その間も、何処か悲しみを感じ、目一杯楽しむ、という事は出来なかったのだが。
多分それは、来る途中降り始めた真っ白い雪が、あの頃を思い出させるからだろう。
その後、何を思ったのか、俺は雪との、思い出の地へと向かっていた。
思い出の地、とは言っても、大したエピソードがあるわけでもない。
ただここが、この街の定番である、デートコースの最終地点で。ショッピングモールの帰りに、ここに立ち寄り、いい感じの雰囲気になる、という街のカップルを見習い、俺もデートで実践した、というだけだ。
結果は、せっかくいい雰囲気になったのに、途中で俺がチキンっぷりを発揮し、台無しにしたのだが。
そんな訳で、帰り道の途中でもあるし、重い荷物もあるしで、休憩がてらという建前を元に、俺はそこへと向かった。
向かう途中で、色々渦巻く感情。また考えてしまって、その度に自分を攻めるのだが、そうしているとようやく着いたようだ。
いつものベンチに座ろうとして、それをよく見てみれば、少し離れたベンチでカップルがいちゃついている。
使おうと思っていたベンチが使えない以上、建前上、ここに居座る事も出来ない。俺は、そのカップル達を出来るだけみず、またもや心で女々しさを発揮しつつも、そこを通り過ぎようとした。
が、やはり多少なりとも、意識はしてしまうもので。俺は、チラッと、ガン見はしないが視界を向けてしまったのだ。
すると、
「っつ!!!!!」
キスをしていた。
それも、ただの、見ず知らずの人ではなく、彼女が。
俺が愛していた、大好きだった雪が。
気を保たないと、モノが出そうだ。それほどに衝撃的で、耐えられない。
幸いにも、両者目を瞑っていて、俺を見ているということはない。
だから、俺は足早にそこを立ち去り、少し離れた路地で、物影に隠れて、塞き止めていたモノを吐き出した。必然的に、白く降り積もった雪が汚れる。
「おえっ、ぐふっ、うっ、うっ」
もし、これが人目につく時間帯だったのならば。通行人達には、目から涙を流し、鼻や口からもモノを垂れ流した俺の姿が映っただろう。
しかし、既に日を越えそうな時間帯。気にするほどの余裕もないし考えられないのだが、周りを気にする事なく俺は色々と吐き出した。
そして、しばらくすると。
疲れきった俺は、とりあえず近くの公園へ行く。不快感を伴う胃液はうがいをして取り除き、落ち着くために缶コーヒーを飲む。
「はあ……」
深い、深い息を俺は吐く。それと同時に、目から零れた涙が、白く降り積もった雪へと落ちていく。
普段は落ち着くから飲んでいるそれは、今回ばかりは役に立たなかったようだ。
さっきの出来事は、一生モノのトラウマだろう。
どこかで、頑張ればまた雪の隣に、なんて幻想が打ち砕かれた。
初めてこの目で、雪が誰かと口付けを交わす所を見たのだ。
あの美しい、愛しい雪の唇に。知らない男が。
思い出すとまた吐き気がしてきて、死にそうなくらい。襲いかかる先程の光景に、グルグルと視界が。
そんな俺は、近づく二つの足音に気付かなかったのか。
「あれ?春君?」
「っつ!!!」
忘れる訳のない、愛しき人の声。
声が耳に届いた瞬間、バッと顔を上げ、先程も目にした雪の姿を捉える。
「こんな所で、どうしたの?」
きっと、雪は知らないんだろう。俺があの瞬間に居合わせた事を。
そう、俺に問う雪は、先程キスをしていた、彼氏であろう男と腕を組んでいる。
何故、ここに。いや、雪は俺の近所だから、自然と帰る道も一緒になる。
そして俺は、雪を見て、聞かれた事に言葉を返そうとする。
しかし、雪を見た瞬間、すぐあの光景が目に浮かび、動悸が激しくなった俺は、
「あっ!春君っ!」
グラグラ揺れる視界のせいでつまづきながら、最愛の人、雪からーー
ーー逃げた。
今は2月中旬。出た吐息は白く、俺の認識では、一年で最も寒い月なので、手はかじかむ。一応、缶コーヒーがそれを和らげてくれてはいるが。
「はあ……」
また息を吐く。が、これは缶コーヒーを飲み、一息ついたものではなく。
「ゆき……」
この寒さが、自分は孤独なんだとそう言っているようで、自然と気が重くなる。
それは本当の事で、また、悲しい。
ズルズル、と鼻水を啜ると、少しずつ降り出してきた真っ白い雪が目に写る。
そういえば昼間の天気予報でやっていた。丁度この時間帯からかなりの雪が降るはずだ。
そんな事を思い出した俺は、風邪をひかない内にと、五分も歩けば着くであろう自宅へと歩を進めた。
◇◆◇
去年の今頃、高校一年生だった俺には彼女がいた。
そいつは小さい頃からの幼なじみで、西川雪という。
丁度小学校三年の頃だったか。授業で名前の由来を発表しよう、なんてものがあった。
そこで初めて雪の名前の由来を聞いた。
雪が生れたて日は、年一番と言えるレベルの豪雪で、そんな日に生れたものだから、豪雪にも勝つような元気な体、そして雪のように真っ白な心であって欲しいという思いを込め、名前を付けられたらしい。
なんて、昔の事を思い出しつつ。また、ため息が漏れる。
何でこうもため息ばかり。ため息をつくと幸運が逃げていく、なんて言葉もあったか。
だが、既に幸運なんて……。
俺は去年の今から一週間後、雪の誕生日に別れを告げられた。
あれは何でだっけか。今でもよく分からない。
唐突にそれを突きつけられた俺は、痛い程、心臓が激しく鳴り出した。急速に包まれる不安感。俺はどうしてと、顔を歪ませながらも問う。
しかし、返ってきたのは、本当に好かれているのか分からない、という言葉。
なんで。
確かに俺は。明確にそれを示した事はないかもしれない。だが俺は、世界中の誰よりも雪を愛していた自信があるし、精一杯の努力をし、これから支え合っていきたいと、そう思っていた。
なのに、何故。
そんなぐるぐる回る思考に対し、雪が返すのは、私が悪い、の一点張り。
好きな人が出来たんであろうか、とも最初に思った。
しかし、それがもし本当であるならば、と想像するだけで、どうしようもなく怖くて。ついにそこには触れず。
結局。真意を測れない俺にはどうしようも出来ず。それが彼女の幸せに繋がるのならばという偽りの言葉を伝え。双方涙を流しながら別れ話は終了となった。
それから、1ヶ月経ったか、経っていないか。そこは定かではないが、どうやら彼女、いや、雪には新しい彼氏が出来たらしい。
それを知った俺は、家に帰り着くと泣いた。それも盛大に。
辛くて、たまらなかった。でも同時に、やっぱりかとも思った。
思えばその可能性が一番高かった。
何故なら雪は、二桁届くか届かないか、くらいは過去現在を通して彼氏がいたのだから。
昔はそんな感じじゃなかったんだけどな。
恋愛のれの字も知らないようなアホの子で、天真爛漫、元気溌剌、といったような女の子で、クラスの人気者。
弟同士が仲良く、その関係で俺らはよく遊んだりもしていたし、学校でも当然仲が良かった。その頃から俺はもう雪の事が好きだったと思う。まあ、その頃は、クラスの別な、運動神経抜群の男の子と付き合ってしまったんだけれども。
当然、それに気付いた俺は驚き、悲しんだ。
大好きだった雪が既に他人のモノになっており、勝手に自分が雪の隣にいると思っていたが、それがぶち壊されたのだから。
それから雪は何人か彼氏を作ったらしい。だが、それでも俺は心が折れる事なく、雪を諦めなかった。
そして、中3の冬。
俺は、ようやく雪を自分のモノにすることが出来た。
やっと雪を手にした時は、本当に夢じゃないのかと疑ったものだった。
しかし、人生の絶頂だったとも言えるその瞬間は、すぐに下り坂へと変化していく。
別れたのだ。
別れた理由は、俺がその頃思春期というのもあった。
付き合う前から、雪とは普通に話していた。しかし、付き合うとなると違ったらしい。
極度に緊張した俺は、ろくに雪の顔も見ることが出来ず、呆れられ、本当に好きなのかと疑われ、別れを告げられたのだ。
その宣告に、最初は絶望にまみれ、食を取ることもままならないようなザマだった。
しかし、その原因となったのは自分自身。ろくに大好きな雪の顔も見れず、話さず、その想いをしっかり伝えられなかったのが悪い。
反省した俺は、更に魅力的になって雪の彼氏の座に返り咲く為に、付き合っていた頃の悪い点を反省、スキルアップさせていった。
そしてやっと、別れてから一年後、見事雪の彼氏になったのだった。雪はその間も、何人か彼氏を作っていたらしいけれども。
俺はそれでも構わなかったのだ。
幾度か雪が彼氏と遊んだのを見た事がある。男友達と遊んでいる所を見た事だってあるし、その延長線上。
付き合っている時は、今は自分の彼女であるから、そんな事は関係ないと思っていたから。
まあ、結果また別れてしまったんだけど。
と、こんな感じで、二回も別れ、最後の別れから一年程経った今でも、あの頃を思い出す。
いい加減女々しいぞ、俺。とは思っていつつも、それを止められず。結局、色々と考えないよう、教師から出された宿題を適当にこなし、そろそろ遅い時間なので、明日の為にと寝た。
◇◆◇
一週間後。丁度雪の誕生日で、別れたあの日だ。
そこで、俺は見てしまったのだ。
やはり、悲しみ、後悔といった感情とともに、根強く記憶に残っている今日は、俺の心を揺さぶりる。それを紛らわせるために、夕方から街へと出ていた。
そこで俺は、やけ買い、とばかりに貯めてあったバイト代や、正月に貰ったお年玉で色々と買い物をしていた。
向かったのは街で一番大きなショッピングモール。その規模のお陰か、欲しい物はほぼあったし、当初予定していないものも買う事が出来た。その間も、何処か悲しみを感じ、目一杯楽しむ、という事は出来なかったのだが。
多分それは、来る途中降り始めた真っ白い雪が、あの頃を思い出させるからだろう。
その後、何を思ったのか、俺は雪との、思い出の地へと向かっていた。
思い出の地、とは言っても、大したエピソードがあるわけでもない。
ただここが、この街の定番である、デートコースの最終地点で。ショッピングモールの帰りに、ここに立ち寄り、いい感じの雰囲気になる、という街のカップルを見習い、俺もデートで実践した、というだけだ。
結果は、せっかくいい雰囲気になったのに、途中で俺がチキンっぷりを発揮し、台無しにしたのだが。
そんな訳で、帰り道の途中でもあるし、重い荷物もあるしで、休憩がてらという建前を元に、俺はそこへと向かった。
向かう途中で、色々渦巻く感情。また考えてしまって、その度に自分を攻めるのだが、そうしているとようやく着いたようだ。
いつものベンチに座ろうとして、それをよく見てみれば、少し離れたベンチでカップルがいちゃついている。
使おうと思っていたベンチが使えない以上、建前上、ここに居座る事も出来ない。俺は、そのカップル達を出来るだけみず、またもや心で女々しさを発揮しつつも、そこを通り過ぎようとした。
が、やはり多少なりとも、意識はしてしまうもので。俺は、チラッと、ガン見はしないが視界を向けてしまったのだ。
すると、
「っつ!!!!!」
キスをしていた。
それも、ただの、見ず知らずの人ではなく、彼女が。
俺が愛していた、大好きだった雪が。
気を保たないと、モノが出そうだ。それほどに衝撃的で、耐えられない。
幸いにも、両者目を瞑っていて、俺を見ているということはない。
だから、俺は足早にそこを立ち去り、少し離れた路地で、物影に隠れて、塞き止めていたモノを吐き出した。必然的に、白く降り積もった雪が汚れる。
「おえっ、ぐふっ、うっ、うっ」
もし、これが人目につく時間帯だったのならば。通行人達には、目から涙を流し、鼻や口からもモノを垂れ流した俺の姿が映っただろう。
しかし、既に日を越えそうな時間帯。気にするほどの余裕もないし考えられないのだが、周りを気にする事なく俺は色々と吐き出した。
そして、しばらくすると。
疲れきった俺は、とりあえず近くの公園へ行く。不快感を伴う胃液はうがいをして取り除き、落ち着くために缶コーヒーを飲む。
「はあ……」
深い、深い息を俺は吐く。それと同時に、目から零れた涙が、白く降り積もった雪へと落ちていく。
普段は落ち着くから飲んでいるそれは、今回ばかりは役に立たなかったようだ。
さっきの出来事は、一生モノのトラウマだろう。
どこかで、頑張ればまた雪の隣に、なんて幻想が打ち砕かれた。
初めてこの目で、雪が誰かと口付けを交わす所を見たのだ。
あの美しい、愛しい雪の唇に。知らない男が。
思い出すとまた吐き気がしてきて、死にそうなくらい。襲いかかる先程の光景に、グルグルと視界が。
そんな俺は、近づく二つの足音に気付かなかったのか。
「あれ?春君?」
「っつ!!!」
忘れる訳のない、愛しき人の声。
声が耳に届いた瞬間、バッと顔を上げ、先程も目にした雪の姿を捉える。
「こんな所で、どうしたの?」
きっと、雪は知らないんだろう。俺があの瞬間に居合わせた事を。
そう、俺に問う雪は、先程キスをしていた、彼氏であろう男と腕を組んでいる。
何故、ここに。いや、雪は俺の近所だから、自然と帰る道も一緒になる。
そして俺は、雪を見て、聞かれた事に言葉を返そうとする。
しかし、雪を見た瞬間、すぐあの光景が目に浮かび、動悸が激しくなった俺は、
「あっ!春君っ!」
グラグラ揺れる視界のせいでつまづきながら、最愛の人、雪からーー
ーー逃げた。
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