ある男の年末セレナーデ

七月夏喜

その1



 薄暗い部屋の中、置き時計のベルの音がけたたましく鳴った。


 ゆっくり手を伸ばし、アラームのスイッチをオフにする。洗面所で髭を剃っていたので、時計に水滴が少し付いた。丁度、午前五時四五分である。今日は少しばかり早く目が覚めてしまっていた。いつもより冷たい風が、窓の隙間から漏れている。


 カーテンを少しだけ明けて、窓から外を見た。牛乳を配達する自転車のサドルの軋しんだ音が通り過ぎていく。今朝は結構冷えたに違いない。窓枠に流れ落ちた結露の水滴の粒が昨日よりも多いように思えたからだ。






 今日は今年最後の仕事だ。


 一年のけじめとして一日悔いが残らないようにしたい。明日が正月だからとて何が変わるわけではないが、やり残したものがないようにしたいのだ。区切りを意識することは大事なことだと思う。終わりがなければ、頑張る意志も弱い。ゴールを定めないと意識の集中力を欠いてしまう。


 男は激しく顔を洗い、ゆっくりと息を吸い込み、手のひらで両頬を叩いた。朝の儀式であり、気合いを入れるまじないである。


 テレビのスイッチを入れる。いつも通り朝のニュースが始まる。この時間帯は、大晦日だとしても番組内容に変わりはない。ただ明日に向けた準備のコマーシャルだけはうるさくなっていた。裸電球に点る明かりが妙に沈んで見えた。


 巷のご用納めの二十八日が過ぎた頃から見かけぬ人の往来が増えた。なんだか賑やかだったが、三十日の交通情報では、帰省のピークは過ぎたと言っている。とたんに通り行く人も減っていった。


 六時を回った。


 ひとり身の自分にとって、町から人が少なくなって行くことに侘びしさを感じられずにはいられない。だが、いつもの騒がしさから解放され、静かな空間にいることもまた快感があった。自分の存在など気にかけている者などいない。


 両親も早くに亡くし、世話になった親戚も縁遠くなった。兄弟もいなければ、伴侶もいない。日雇いの職場では伴にする仲間はいる。しかし現場がひと段落ついたら、またいつ逢えるかはわからない。元来無口で人見知りする性格だから、天涯孤独に近い存在でも苦にはなっていなかった。逆に静寂な空間に身を置いているせいか、時折そんな存在に、苛立ちを覚える時がある。


 そんな雑踏の中に存在する人間に幸福というものは何だろうか。


 何を糧に生きているのか。


 己は誰のために生きているのか。


 この先自分を待つものは何だ。


 季節の移り変わりは感じるが、将来の行く末がわからない。毎日同じ事の繰り返しが何とも愛想のないことか。


 などと自問自答に無性に無力感を感じる。人のためと豪儀なことは思わないが、ささやかながらでもどこかに痕跡が残ればいいのだが。



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