キノは〜ふ!

七月夏喜

第2話 キノと マコと亜紀那さん その3


 長く広い廊下を進むとキノの部屋がある。ベッドやクローゼットの位置など、レイアウトは全て朝と同じだ。違うのは全てのものが女の子ものに変わっていることだ。

「何なんだ、これは?」

 呆気に取られ、鞄が落ちた。クローゼットを開けると多彩な衣装や靴が整然と並んでいる。今朝まで男の部屋だったとは信じられない状況だ。

「まっ、まさか!」

 キノは慌てて、クローゼットの奥へ入った。

「何、何?」

 マコもついていく。キノは立ち止まった。

「いっ、いや。マコはいいから、何でもない」

「変なもの、隠しているでしょ」

 マコは訝しげな顔をする。

「違う違う。さあ、戻ろう」

 マコの視線を体で遮りながら、素知らぬ顔で戻るキノだが、ちょっと後ろを気にしていた。マコの背中を押してクローゼットから出る。
 クローゼットから出た振りをして、マコは体を反転し中に入ろうとした。キノは慌てて、扉を押さえる。

「キノ。あなた、相当、変なもの、隠しているわね」

「だっ、だから、何でもないって!」

 鼻息荒くキノは、扉の前から動かない。

「わかった、わかった」

 マコは諦めた。

「でもマコ、どうするんだ。泊まるなんて嘘言って」

「嘘じゃない、本気だけれど」

 目を丸くしてキノは驚く。

「今日は泊まっていくわ」

 マコは言う。

「ど、どうして?」

「これからのことを知っておかなくちゃ」

「何の?」

「ばかね。キノ、女の子のこと学校の保健体育程度しか知らないでしょ」

「そっ、そんなことないよ!」

「本当?」

 マコは疑いの眼差しだ。

「例えば…」

「例えば?」

「そう、子供の作り方とか」

 マコからパンチが飛ぶ。

「なっ、なんだよ!」

「だから、男ってだめなのよ! すぐそんなことしか、思いつかないなんて!」

「なんでだよ! しようがないさ! 僕は男なんだから!」

 胸に手を当ててキノは叫んだ。

「男って何よ! キノは女の子よ!」

 二人とも睨んだままだ。そのまましばらく時間が過ぎていく。

「男をなめるなよ」

 キノは一端目を伏せて、真顔になった。海原の時と同じように、真一直線にマコを見つめる。

「男だったら、どうするのよ」

 マコも強気だ。キノの視線を受けても反らさない。キノはマコに近づいた。あまりの接近に、彼女は後ずさりする。キノは一歩前進する。またマコは後ろに下がる。ゆっくりとキノは、間合いを詰めた。背後にはキングサイズのベッドがあり、マコに行き場がない。

 と、ベッドのフレームに足を引っかけて、マコはふんわりとした羽毛の肌掛け布団へ倒れた。キノはマコの両手を押さえ、四這いになって覆い被さる。マコは抵抗するが、身動きがとれなくなった。キノの長く細いしなやかな髪が、マコの顔や髪に落ちていく。マコの乱れた黒髪とキノのクリーム色の髪が、ベッドの上で混ざりあう。

「僕の姿がどうであれ、中身は今までと同じ男だ。男だったら、目の前にこんな可愛い女の子がいて」

「……」

「しかも、ずっと想っていた子がいたらどうする」

「……」

「僕は、マコを守りたい。ずっと、ずっと守っていきたい」

 マコの抵抗していた力が抜ける。

「ずっと……、守ってくれるの?」

 キノは目を閉じて、ゆっくり頷いた。口元を引き締めた色白の顔は、赤く火照っている。

「男として」

 キノの押さえている力も抜けた。

「何か……、したい……?」

 ゆっくりとマコは押さえられていた手を抜く。そしてキノの細長い髪を、両手でかき上げた。

「キスする?」

 そのまま両手は顔を包み込む。その紅潮している頬は、次第にマコに近づいていった。堪らずキノが薄目を開くと、マコの淡いピンク色の、艶のある小さな唇が、その仕草を待っている。キノの心臓が次第に高鳴った。キノは触れたと思った。


 触れた感触が違う。指?


「はい、そこまでぇ」


 マコとキノの唇の間に、手が挟み込まれていた。

「乙女の唇は、素敵な殿方のために取っておくものですよ」

「わああああぁぁぁ!!」

 キノは叫んで、仰け反って、ベッドから落ち、化粧台で頭を打った。

「亜紀那さん!?」

 マコはベッドから飛び起きる。ベッドの側に亜紀那は正座していた。

「亜紀那さん! なっ、何してるの!」

「それは、こちらの台詞です、キノ様。随分ノックしましたが、お返事がないので、お具合でも悪いかと失礼ながら入室いたしました」

「そっ、そう」

 キノの髪はくしゃくしゃだ。マコは手櫛で乱れた髪を元に戻している。

「もう、マコ様もご一緒なのに」

「すみません……」

「とにかく、お二人とも高貴な方でらっしゃるのだから、節度をわきまえて行動していただきませんと」

 亜紀那は二人を見つめながら言った。

「では、お食事がご用意できていますので、お着替えになったらおいで下さい」

 亜紀那は立ち上がり際に、マコに囁いた。

「だから、キノ様の独り占めはいけませんよ」

 マコは亜紀那が通り過ぎて行くのを見つめていた。
 パタリと扉が閉まり、部屋の中が静かになった。
 キノとマコはベッドの端に少し離れて座っていた。二人とも言葉が出ない。そのまま少し時間が過ぎた。

「嘘じゃ、ないよ……」

 キノが口火を切った。

「わかってる。でも……」

 マコは口元を引き締める。

「でも?」

「こういうことは、やっぱりよくないかも」

 彼女は窓の外を揺れる木々の枝を、眺めていた。

「あり得ないから?」

「そう。キノを男だと見る人は、いないわ…」

 困った顔に、キノはなった。

「信じたくないけど、今はそうだね」

「今だけならいいけど……。やっぱり、今日帰るね」

「うん……」

 扉を開けた時、マコは振り返る。キノはずっとベッドの脇に座っていた。マコに手を振る手は、幾分か力無く見えた。


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