異世界ヤクザ -獅子の刺青を背負って行け-

万怒 羅豪羅

第87話/Sweep

第87話/Sweep

「よっと。これで、一丁上がりだな」

俺が喉元から手を離すと、獣人の男は倒れこんで激しくむせこんだ。あたりには獣人たちが死屍累々と折り重なっている。なんだか申し訳ないが、先にケンカを売ったのはこいつらだ。

「さて、ごくろうさま、ユキ。後はどうやって、こいつらをとっちめてやろうかしらね」

アプリコットが残虐な笑みを浮かべる。それを見た山羊男はあざだらけの顔を青くした。

「おいアプリコット、何もこれ以上……」

「あら。やるなら徹底的が、私たち裏社会に生きる者のルールじゃない。ねぇ、アンタたち?」

アプリコットが質問を投げかけると、獣人たちはすくみ上った。山羊男が必死の形相で訴える。

「も、もう勘弁してくれ!この通り、俺たちはもう指一本も動かせねぇよ!」

「そう?その割によく回る舌だけど。ならいっそ、その舌から引っこ抜いてやろうかしら?」

山羊男はいよいよ漏らし出しそうな顔になった。

「ゆ、許してください……同じ耳付きのよしみじゃないか」

「そのよしみを襲ったのは誰っつってんのが分かんないのかしら。ねぇ、あたし、今すっごいイラついてんのよ。言葉には気を付けた方が身のためだと思わないの?」

う、うわ。アプリコットは尻尾を不機嫌そうに揺らして、ものすごい剣幕だった。見ているこっちまでドキドキするくらいだ、睨まれている獣人たちからしたら凄まじいプレッシャーだろう。

「ひ……す、すみません」

「謝れなんて一言も言ってないわ。どう落とし前を付けるのかって言ってんのよ」

「そ、そう言われても……見てのとおり、俺たちには差し出せるもんなんてありませんよ。金目の物なんて、ひとつまみも持ってないですし……」

「ふーん。じゃあ、ケジメは死をもって付けるってことね」

アプリコットは足元に転がっていたツルハシを拾い上げた。山羊男の顔が真っ白になる。それは見守る俺たちも同様だった。

「あ、アプリコットちゃん。いくらなんでも……」

「あ?ウザいから口を挟まないでくれる?」

あまりの乱暴な物言いに、スーは口を開いたまま固まってしまった。
いったいどうしちまったんだ。そんなにアプリコットは腹を立てていたのだろうか?困惑する俺と、アプリコットの視線が一瞬だけ合う。その刹那、アプリコットは眉尻を下げると、瞳をきゅっと細くした。
今のは……彼女からのメッセージだろうか。その表情はすぐに怒気をはらんだものに戻ってしまったが、何か策があっての行動なのかもしれない。俺は慎重に、ことの行く末を見守ることにした。

「さて。まずはアンタからいっとく?」

アプリコットはツルハシをぐいと突き出すと、その切っ先を山羊男に突き付けた。

「まっ、待ってくれ!こんなことしても、何の得にもならないじゃないか!」

「あら、あたしだってこんなことしたくないわよ。けど、こうでもしなきゃ腹の虫がおさまらないもの」

「み、見逃してくれ!ここを見逃してくれたら、後で必ず金を持ってくる!ここで殺したら、なんにも手に入らないぜ!」

「信用できないわね。今ここで工面しなさい」

「そ、そんなこと言われましても……」

獣人たちは一斉にポケットをごそごそやり始めた。しかし集まったのは、ほんの数枚の硬貨だけだった。こいつら、本当に一銭も持ち合わせていないらしい。貧乏なんてもんじゃない、奴隷か囚人のような扱いだ。

「アンタねぇ、バカにしてんの?子どもの小遣いじゃないのよ?」

「で、ですけど姉さん、ほんとにこれが今の限界なんですよ」

「なら、あんたたちの兄貴に泣きつきなさいな。そいつらなら、金もたんまり持ってるでしょ?」

その瞬間、山羊男の顔色がさっと変わった。獣人の間にもざわめきが広がる。

「そ、それは……で、できません」

「ふぅん?兄貴に迷惑かけるくらいなら、死ぬほうを選ぶってわけ?」

「ちっ、ちげぇます!そんなこと兄貴に頼んだら……それこそ、殺されちまう」

山羊男は自分の腕を抱くと、ガクリとうつむいた。自分の言った言葉にひどくおびえているようだ。

「ずいぶん“部下思い”の兄貴なのね。けど、そいつについてくと決めたのはアンタたちでしょ?現に今だって、兄貴の命令であたしたちを待ち構えていたんでしょうし。だったら兄貴のために最期まで尽くしたらどう?」

「ちが、違う!俺たちはそんなんじゃない!」

山羊男はガッと顔を上げた。
違う、か。俺は獣人たちが革命のために、進んでファローファミリーに参入しているのだと思っていたが、こいつらはそうじゃないのだろうか。

「何が違うっていうの?」

「そ、そりゃあ最初は、兄貴の言う新しい社会のためについてこうと思ったさ。けど、“アレ”を見ちまったら、もうそれすらどうでもよくなっちまった……」

「アレ?……何のことよ」

「アレは……あの人の趣味だ。そうとしか思えない。あの人は泣き叫ぶ声を聞いて、確かに笑っていたんだ……」

「……」

「見たことあるか?人がぶっ壊れちまう瞬間ってやつを……あいつのあの時の顔が、今でも焼き付いて離れねぇんだ……」

山羊男は深くうなだれる。それは他の獣人たちも同様だった。

「だから、あの人に頼ることはできない……けど、どうにか金は工面する!どうか見逃してくれ!」

山羊男は地面に額を擦りつけんばかりに、深々と頭を下げた。それを見た獣人たちも、はっとしたようにそれをマネた。
アプリコットは冷たい目で獣人たちを見下ろしている。だが、その口元はニィ、と曲げられていた。ど、どういう意味の笑みなんだろう。

「……アンタたち、自分たちが差し出せるものはタマくらいしか無いってことは、理解しているのかしら」

「そ、それは……」

山羊男が言い淀む。

「だから、アンタたちのこれからの人生を担保にしてもらうわ」

「は?」

山羊男は顔を上げると、ぽかんと口を開けた。

「アンタたち、ここを立ち去りなさい。二度とマフィアと関わらないっていうなら、見逃してあげてもいいわ」

「え……いやけど、しかし……」

「わかんない?二度とあたしたちに敵対すんなって言ってんの。次に立ち塞がるようなことがあれば、そん時はもう情け無用よ」

「け、けど……俺たちに行くあてなんて……」

「へぇ?今ここで死ぬのと、とりあえず生きていけるのなら、選ぶまでもないと思うんだけど。それとも、考え直した方がいいかしら?」

「め、滅相もない!ありがとうございます、ほらお前ら、とっとと行くぞ!」

山羊男は弾かれたように立ち上げると、ほれほれと獣人たちを急かし始めた。

「おら、早く立つんだよ!いつまで腑抜けてやがるんだ!」

「け、けど兄貴。ここを離れたら、いったいどこに行きゃいいんすか?」

「知るか!そん時に考えりゃいいんだよ!今は命あっての物種だ!」

「そ、そんな……」

獣人たちは不安そうな顔をしながらも、いそいそと立ち上がっていく。アプリコットが未だに、不機嫌そうな表情でツルハシを握っているからだ。
獣人たちはなるべく俺たちから(というよりアプリコットから)離れるように、壁に張り付いて歩いていた。
俺はアプリコットに近づくと、そっと耳打ちした。

「アプリコット、ほんとに怒ってるのか?」

「ん?そんなわけないじゃない。演技よ、えんぎ」

あっけからんと、アプリコットは言い切った。

「な、なんだ……一瞬どっちか分からなかったよ」

「あら、どういう意味か分からないけど。いちお、褒め言葉として受け取っとくわね。けどスーには悪いことしちゃったわ」

スーをちらりと見ると、まだビクビクと怯えているようだった。無理もない、あの剣幕は俺でもビビる。

「けど、なんだってこんなことを?」

「見てのとおりよ。こいつらをマフィアから引きはがしたかったの」

「え?」

「ここにいたら、どうせ死ぬまでこき使われるでしょ。犯罪に関与して、これ以上獣人のイメージを悪くするのも避けたいし」

ああ、なるほど。アプリコットははなっから、ここの獣人たちを救うことだけ考えてたんだ。怒ったふりも、乱暴な仕草も、獣人たちをビビらせて言うことを聞かせるためだったんだな。

「あ、ちょっとアンタ」

アプリコットは、すごすごと立ち去ろうとする山羊男を呼び止めた。

「へ?な、なんですか姉さん。俺たちゃ今すぐにでもここを離れますよ、ホントです!」

「んなことわかってるわよ。それより」

アプリコットは声のトーンを落とすと、山羊男だけに聞こえるようにささやいた。

「行く当てがないなら、パコロに行きなさい。国境の港町よ」

「は?パコ……え?」

「ほら、さっさとなさいな!モタモタしてると、こいつでケツをかち割るわよ!」

アプリコットがツルハシの先で地面をつつくと、山羊男はヒィ!と悲鳴を上げてすっ飛んでいった。

「まったく……世話が焼けるわ」

「……きみもたいがい、お人好しだよな」

「なんのことかしら?さっぱり分からないわね」

アプリコットはわかりやすく尻尾を揺らした。
その露骨な照れ隠しに俺がくくく、と笑った、その時だ。

「おいおい……職務放棄とは、いい度胸してんじゃん」

なに?
聞き慣れない男の声が、どこからか響いてくる。その声を聞いた途端、獣人たちはサッと顔色を変えた。

「ま……まさか。この声……」


俺がきょろきょろしていると、アプリコットがあっと声を出した。

「ユキ!あそこよ!」

アプリコットの指したのは、俺たちがいる数十メートルほど先、廊下の真ん中だった。そこには顔に大きな刺青を入れた男がいた。少なくとも、味方じゃなさそうな雰囲気だな。
その男の姿を見ると、獣人たちはいよいよ真っ青になってガタガタ震え始めた。山羊男が歯の根の合わない声で言う。

「じ、ジェイの兄貴……」

なに?あいつが、ソーダの言っていたジェイなのか。

「おーい!お前ら、俺たちじゃなくて、そのヤクザ共に着いたってことなんだよな!」

ジェイは大声で叫ぶ。獣人たちに話しかけているらしい。だが獣人たちは、震えるばかりで一言も発せない。それを知ってか、ジェイは大きくうなずいた。

「そっかぁ。じゃあしゃーないなぁ。うん」

ジェイは背中に手を回すと、筒のような物を肩に担いだ。まるでバズーカみたいだな……バズーカ?

「っ!おい、まさか!」

「ひゃはははは!ならまとめてゴミ掃除だ!」

つづく

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