異世界ヤクザ -獅子の刺青を背負って行け-
第85話/Tempest
第85話/Tempest
「……遅いぞ、ジェイ!」
「いやぁー、悪いわるい!」
まったく悪びれていない様子で、きちんと身なりを整えたジェイが部屋に入ってきた。
「ったく……父さん、全員揃いました」
十字の瞳の男、クロは、きちっとお辞儀をした。
絨毯の敷かれた室内には、大勢の黒服たちが勢ぞろいしている。それもひとえに、目の前の一人の男が、鶴の一声を上げたからだった。
「あぁ……」
ひどくかすれた声が、天幕の向こうから聞こえてきた。上半身は幕に遮られて見えないが、その下からは身なりの良さそうなスーツがのぞき、シルクの手袋が上品に光を反射していた。
「息子たちよ……よく……集まってくれた」
その声を聞き、男たちはいっせいに頭を下げた。
「今日……お前たちを、呼んだのは……他でもない。今起こっている……ヤクザとの……抗争のことだ」
「はい、父さん。承知しています」
「この前報告した、チョロチョロここを嗅ぎまわってるヤツらのことだろ?」
クロとジェイがそれぞれ答える。ほかの黒服たちは黙ったままだ。彼らもそれなりに高い地位の者たちだったが、ここまで自由にファーザーと話せるのは、クロとジェイと、あともう一人だけだ。
「そうだ……我ら……ファローファミリーがプレジョンを獲る日は近い……ここでつまらん茶々を入れさせては……ならん」
「もちろんだぜ、親父。心配すんなって、あんな死にぞこないくらい、大したことねぇよ!」
「油断するな、ジェイ……奴らは……奇妙な術を、使う……」
「あん?奇妙な、術……だって?」
「そうだ……クロ イツ、お前は直接……やりあったことがあったな?」
「はい。奴らの力は人外で、面妖な……そして恐ろしく強力なものでした」
「うむ……心してかかれ、息子たちよ……総力を持って……奴らを叩き潰すのだ。一滴の血も残してはならん……」
「はい!」
男たちは、再び一斉に礼をした。天幕の向こうの気配が消えると、男たちは一人、また一人と扉を開け、部屋を後にしていった。残ったのはクロとジェイだけだ。
「まったく、親父も心配性だよな?あんなこといちいち言わなくたって、俺たちなら大丈夫だってのに。なあクロ?」
「どうだかな。俺やお前はともかく、他の連中は不安が残る。父さんもそれを分かっていたんだろう」
「かぁー!マジメだねぇ、お前は。ま、お前らしいっちゃらしいか」
ジェイは大げさに手振りをすると、部屋の扉に手をかけた。
「んじゃな、クロ。俺はもう行くぜ。“強敵さん”を迎え撃たなきゃいけないからな」
ハハハという笑い声は、扉がバタンと閉まると同時に聞こえなくなった。
自分一人になった部屋の中で、クロはおもむろに口を開いた。
「……もう出てきたらどうですか、“クイーン”?」
「……バレてたの?」
気まずそうな声とともに、部屋のカーテンの奥から一人の少女が顔をのぞかせた。丸っこいはちみつ色の瞳の娘だ。同じ色の髪を、腰のあたりまで伸ばしている。
「ええ。おそらく、父さんも気づいていたと思いますよ」
「そっか……あと、その呼び方。やめてよね」
「しかし……」
「二人っきりの時は敬語もやめてって言ったじゃない。忘れちゃったの?」
「……わかった、“キュー”」
「よろしい」
キューと呼ばれた少女は、満足げにうなずいた。細い髪がサラリと揺れる。
「それで、どうした?お前がここに顔を出すなんて」
「うん……やっぱり、ちょっと気になっちゃって」
「……例の、ヤクザとの交戦のことか」
「うん……」
はぁ……クロは内心でため息をついた。またこのお嬢さんの悪い癖だ。血なまぐさいことなど俺たちに任せておけばいいものを。
「ねぇ、やっぱり……」
「さっきも聞いてたんだろう。父さんの意思は決まった。ヤクザは根絶やしにする。これがファミリーの決定だ」
クロが強めに言うと、キューはぐっ、と言葉を詰まらせた。
「……どうして。一度は見逃そうって話になったじゃない」
「状況が変わったんだ。奴らは逃げずに、戦うつもりらしい。なら、ファミリーは容赦しない」
「なんで……負けるってわかってるでしょう……?」
「奴らはそういう生き物なんだ。俺たちとは根本から違う」
「もう、クロはすぐそういうこと言う。同じ人間じゃないの」
キューはぷくっと頬を膨らませる。子どもっぽいしぐさに思わず吹き出しそうになった。
「もう諦めろ。この戦争はあいつらが滅ぶまで終わらない。なんでそこまでこだわるんだ?」
「だって……いちお、いいだしっぺだし……」
キューはスカートのはしをいじりながらぼそりと言った。
首都を離れるヤクザは止めず、後追いもしない。一度決まったファミリーの方針は、キューの発案によるものだった。クロもまさか通るとは思っていなかったから、その時は驚いたものだ。
さすが、クイーン。ファミリーの実質ナンバースリーにして、唯一の……
「“お父様”、約束するって言ったのに……」
「“娘”のお前の頼みだから、聞いてくださったんだ。文句を言うな」
そう。ファーザーを、“本当の意味で”父と呼べるのは、キューただ一人だけだ。もっとも、今は、だが……
「……“ケイ”兄様がいれば、もっとうまくやってくれたのかな」
「……よせ。あの人でも、今のこの状況は変えられない。もう一度言うが、もう諦めろ」
「……」
納得していない。キューの顔にありありと書いてあった。
バカな娘だ、とクロは思った。こういったことは日常茶飯事だろうに、それでもまだ、この
娘は優しさというものを捨てようとしない。報われたことなど、一度もないだろうに。
「……わかった、俺の部下たちには無駄な殺しを控えるように言っておく。逃げる分には追い打ちもしない。これでいいか」
「クロ……!うん、ありがとう!」
キューの顔にぱっと花が咲いた。だが、すぐに不安そうな顔色になる。
「けど、クロ。それでクロが危なくなるんじゃ、わたし嫌よ。わたし、もしクロが……」
「バカ。敵を助けるために自分の命を差し出す奴がいるか。俺はあいにく、そこまでお人よしじゃない」
「うん……クロ、絶対帰ってきてね。兄様みたいに……」
最後のほうは聞こえないくらい小声になっていた。だがクロは、あえて何もたずねなかった。
「……もう行くぞ。お前もすぐに帰れ。ここもいつ戦場になるか……」
クロが言いかけた、その時だった。
ズズゥゥン!
「きゃあ!」
地鳴りのような、低い音と振動。地下だからか、余計に音が響く。
「チッ!もう始まったか!」
これは奴らの開戦の狼煙だ。クロはそう確信していた。
ズズゥゥン。
「きゃあ!」
「うおっ、なんだ!」
地下道に重低音が響き渡った。
俺たちはファローファミリーのアジトへ向かって、地下道を進んでいる真っ最中だった。別の入り口から侵入したチャックラック組が動き次第、俺たちも突入する算段だったが……
「これが……チャックラック組の、“合図”でしょうか」
レスがずれたメガネを直しながらつぶやく。
「あいつら、いったい何をしたんだ……?」
別れる前の、ファンタンを思い出す。やつは、その時は必ず分かるから大丈夫、と言っていたが。
「にしても限度があるだろ……」
「しかし、これだけ大きな音なら、マフィアにも確実に聞こえたはずです。いましばらく待ってから突撃しましょう」
レスは近くの黒服を一人呼び止めると、何かを言いつけて、入口のほうへ走らせていった。おそらく、待機させていた残りの組員を呼びに行かせたのだろう。ところで、レスは一向に動く気配がない。
「あの、代行。代行もいっしょに……?」
「ええ。そのつもりですが?」
マジか……俺は、レスを改めて見つめる。足元は踵の低いヒール、服は相変わらず白いスーツ。およそ戦う格好には見えないが、大丈夫なのだろうか。極めつけに、彼女は鳳凰会の現トップだ。
「……?ああ、私が一緒なのが疑問なのですね。それとも女が鉄火場にいるのが不安ですか?」
「いえ、そこに関して俺は何の意見もありませんが……」
そんなことを言ったら、メイダロッカ組のほとんどは女だ。そうじゃなくて……
「あなたは、四代目代行じゃないですか。ふつう、トップは自ら戦場へは赴かないんじゃ」
「そうですね。ユキさんの意見は正しいです。が、今は鳳凰会の全勢力がここに集中しています。なら、どこにいても大して変わらないじゃないですか」
「そ、そうですかね……?」
「それに、私は陣頭指揮のほうが性に合うんです。こんな一世一代の大勝負、最前線で楽しみたいじゃないですか」
そう言うと、レスは今まで一番いい笑顔で、にこりと笑った。
どうにも、俺はレスという女を誤解していたような気がする。この人は落ち着いたキレ者だと思っていたが、キレているのは頭だけではなさそうだぞ……
「あと、腕に関しては気にしないでください。自分の身を守るくらいなら大丈夫ですよ」
「わ、わかりました」
ここまで自信たっぷりに言い切られちゃ、返す言葉はないな。四代目にとやかく言うわけにはいかないし。
「おい」
その時、背後からニゾーに呼び止められた。珍しいな、あの人から声をかけてくるなんて。
「どうしましたか、ニゾーの兄貴」
「どうしたじゃねえ、バカ野郎。あんまり四代目にナメた口きくんじゃねえ」
え。まさか、ニゾーにそんなことを言われるとは思わなかった。
「いいか、あの人がなんで『四代目代行』のポストにいるのか考えろ。鳳凰会のトップに、頭が回るだ器量がいいだの理由でのし上がれるわけ無いだろうが」
俺はハッとした。レスは三代目には気に入られていたようだが、それを他の組員が認めるわけがない。跳ねっ返りが多いヤクザならなおさらだ。
「知らねえようだから教えてやるが。あの女に銃を持たせたら右に出るもんはいねえぞ。ヤツは三代目お抱えのヒットマンとして、今の地位にまで上り詰めたんだ」
「ヒットマン……」
つまりは、暗殺者。
「外面がいいから、気づいてないやつは多いがな。俺はあの女に背を向けるだけでもぞっとするぜ」
「そう……だったんですか」
「あぁ。あの女に関しちゃ、その辺の男よりよっぽど腕が立つぜ。お前はそれより、自分とこの組長を気にしとけよ。気づいたらおっ死んでました、じゃ冗談にもならねえぜ」
それは、確かにそうだ。キリーは拳銃恐怖症もあるから、銃撃戦になったら格好の的だ。
「ま、俺としてはくたばってくれた方が後々楽だけどよ。そのほうが代行の覚えもいいってもんだ」
ニゾーは最後に憎まれ口を叩くと、スタスタと歩いて行った。ち、いちいち一言多い男だ。
だが……言い方はあれだったが、今のはヤツなりの助言だったのかもしれない。俺は釈然としない気持ちで、ニゾーの背中を見つめた。
「ユキ?どうしたの?」
「ん?ああ、キリーか」
キリーが不思議そうな顔で近寄ってくる。
「めずらしいね。ニゾーの兄貴とお話し?」
「ああ、少しな……」
どうしよう。ちょうどいい機会だから、キリーとも話しておこうか。
「なあ、キリー?」
「ん?なぁに?」
「その……今回の突撃、きみは待っていてくれないか」
「え……」
キリーは一瞬、目を丸くした。が、すぐにふにゃりと笑った。
「なんてね。ユキの言いたいことは分かるつもり。今回、わたしはあまりにお荷物だよね」
「キリー、そうじゃない。けど、危険なのは確かだ」
「うん……けどね、これはワガママ。組長とか命令とか何にも関係ない、わたしのおねがいだよ」
キリーは、俺の手をぎゅっと握った。
「わたしも連れてって。もう、待ってるだけはやだよ」
「……」
「プレジョンから逃げ出す時、ユキが一人で残って……わたし、あれから毎日ユキのこと待ち続けた。あの時初めて、待つってこんなに辛いんだってわかったの……」
キリーはうつむきながら言った。その手は微かに震えている。
俺は悩んだ。組員としてなら、ここは絶対止めるべきだ。レスのように護身の心得があるならともかく、銃そのものがダメなキリーはどう考えても危ない。
だが……
「分かった。キリー、俺たちと一緒に来い」
「え……いいの?」
「組員だとか、ヤクザの掟だとか、そんなものは全部知るもんか。俺は一人の友達として、お前の願いを聞いてやりたい」
「ともだち……」
「ああ。俺がお前を守ってやる」
ふぅ……言ってしまった。けど、後悔はない。結局のところ、俺はキリーが大事なんだ。
「……」
「……キリー?」
キリーはうつむいたまま、何も言わない……さすがに沈黙はつらいな。
「キリー?あの……」
「へっ?」
うわっ。ようやくこちらを向いたキリーの顔は、耳まで真っ赤っかだった。
「ぷっ、どうしたんだよキリー。リンゴみたいだぞ」
「え。ぃや、その、あぅ……」
「?」
キリーはパッと俺の手を放すと、そのまま数歩後ずさった。
なんだか新鮮だ。いつもあっけからんとしてるキリーが、こんなにもじもじしてるなんて。
「キリ……」
「へ〜え……ずいぶんカッコいい啖呵を切るじゃない」
「おわっ!」
つぅ、と背中をなでられた。
ビックリして振り返ると、アプリコットがニヤニヤしながらこちらを見ている。彼女だけじゃない、スーにウィロー、メイダロッカのみんなが集まっていた。
「なんだよ……みんな聞いてたのか」
「すみません、ユキ。盗み聞きするつもりではなかったのですが、なにやら重要そうな内容だったので」
ウィローが申し訳なさそうに謝る。
「いや……けどそうだよな。仲間のことなんだから、きみたちにも話しておくべきだったよ」
「ええ、けどこれでみんな聞けましたから。そのうえで、あなたと同じ考えのつもりです」
ウィローの言葉に、みんなもうなずいた。よかった、俺だけじゃなかったんだな。
「だってさ、キリー。よかったな」
「へ?ああ、う、うん。よかった!」
キリーは相変わらずギクシャクしていた。へぇ、珍しく照れてるのかな。
「なぁ~によキリー、赤くなっちゃって!」
アプリコットがここぞとばかりにからかうと、キリーはわたわたと手を振った。
「あ、赤くなってなんかないよぅ」
「いや、それは無理があるでしょ。にしてもちょっと意外、アンタにも人並みにオトメゴコロってのがあるのね」
「え。え?」
「だってアンタ、さっき完っぜんにトキメいてた……」
「わー!もう、勘弁してよー!」
キリーは耳をふさぐと、バタバタと逃げてしまった。俺たちは皆、ぷっと吹き出してしまった。キリーには悪いが、ほどよく緊張が解けた気がする。
「……皆さん、そろそろ時間です」
レスが静かに言い放つ。俺たちもふざけるのをやめ、彼女のほうを向いた。
「各々お分かりかとは存じますが……この戦いは、正真正銘の正念場です。敵はマフィア、ファローファミリー。我々鳳凰会は、全勢力をもってこれを撃破、首都を奪還します。言うなればこれは、“ヤクザ”の存亡をかけた戦いなのです」
レスはそこで言葉を区切ると、すぅと息を吸い込んだ。
「お前らぁっ!」
ビリビリビリ!
うお、レスが空気を震わせるほどの大声を出した。驚いたスーが、俺の横で小さく声を上げた。
「タマぁ張れよ!ここが勝負どころだ!勝って男上げて見せろ!」
うおおぉぉ!
レスの声に鼓舞されるように、組員たちも一斉に声を張り上げた。いつの間にか、外にいた連中も合流したようだ。水路の中に男たちの叫びがこだまする。
「うかうかしてると、オレが全部喰っちまうぞ!アマにケツ毟られるなや!」
おおおぉぉ!
再びの大合唱。お互いに煽り合って、興奮を高めているようだ……首都流を知らない俺たちは、茫然とその光景を眺めていた。
「行くぞおおおぉぉぉ!」
わああぁぁぁ!
レスがたっと駆け出すと、男たちも一斉に走り出した。波に呑まれないように、俺たちも慌てて走り出す。
「もう!なんなのよ、もっと静かに行けないワケ!?」
アプリコットが隣で駆けながら、大声で悪態をつく。ウィローもその光景に圧倒されながらも、コクリとうなずいた。
「前に聞いたことがあります!カチコミの際には、組員総出で嵐のようになだれ込む……これが鳳凰会流だとか」
「あー!ヤクザって、バカしかいないのね!」
同感だな。俺は心の中でアプリコットに賛同すると、にやり と笑った。
俺たちの総数は、多めに見ても百何人というところだろう。対するファローファミリーは、万をくだらないはずだ。
「よっし!行こう!」
つづく
「……遅いぞ、ジェイ!」
「いやぁー、悪いわるい!」
まったく悪びれていない様子で、きちんと身なりを整えたジェイが部屋に入ってきた。
「ったく……父さん、全員揃いました」
十字の瞳の男、クロは、きちっとお辞儀をした。
絨毯の敷かれた室内には、大勢の黒服たちが勢ぞろいしている。それもひとえに、目の前の一人の男が、鶴の一声を上げたからだった。
「あぁ……」
ひどくかすれた声が、天幕の向こうから聞こえてきた。上半身は幕に遮られて見えないが、その下からは身なりの良さそうなスーツがのぞき、シルクの手袋が上品に光を反射していた。
「息子たちよ……よく……集まってくれた」
その声を聞き、男たちはいっせいに頭を下げた。
「今日……お前たちを、呼んだのは……他でもない。今起こっている……ヤクザとの……抗争のことだ」
「はい、父さん。承知しています」
「この前報告した、チョロチョロここを嗅ぎまわってるヤツらのことだろ?」
クロとジェイがそれぞれ答える。ほかの黒服たちは黙ったままだ。彼らもそれなりに高い地位の者たちだったが、ここまで自由にファーザーと話せるのは、クロとジェイと、あともう一人だけだ。
「そうだ……我ら……ファローファミリーがプレジョンを獲る日は近い……ここでつまらん茶々を入れさせては……ならん」
「もちろんだぜ、親父。心配すんなって、あんな死にぞこないくらい、大したことねぇよ!」
「油断するな、ジェイ……奴らは……奇妙な術を、使う……」
「あん?奇妙な、術……だって?」
「そうだ……クロ イツ、お前は直接……やりあったことがあったな?」
「はい。奴らの力は人外で、面妖な……そして恐ろしく強力なものでした」
「うむ……心してかかれ、息子たちよ……総力を持って……奴らを叩き潰すのだ。一滴の血も残してはならん……」
「はい!」
男たちは、再び一斉に礼をした。天幕の向こうの気配が消えると、男たちは一人、また一人と扉を開け、部屋を後にしていった。残ったのはクロとジェイだけだ。
「まったく、親父も心配性だよな?あんなこといちいち言わなくたって、俺たちなら大丈夫だってのに。なあクロ?」
「どうだかな。俺やお前はともかく、他の連中は不安が残る。父さんもそれを分かっていたんだろう」
「かぁー!マジメだねぇ、お前は。ま、お前らしいっちゃらしいか」
ジェイは大げさに手振りをすると、部屋の扉に手をかけた。
「んじゃな、クロ。俺はもう行くぜ。“強敵さん”を迎え撃たなきゃいけないからな」
ハハハという笑い声は、扉がバタンと閉まると同時に聞こえなくなった。
自分一人になった部屋の中で、クロはおもむろに口を開いた。
「……もう出てきたらどうですか、“クイーン”?」
「……バレてたの?」
気まずそうな声とともに、部屋のカーテンの奥から一人の少女が顔をのぞかせた。丸っこいはちみつ色の瞳の娘だ。同じ色の髪を、腰のあたりまで伸ばしている。
「ええ。おそらく、父さんも気づいていたと思いますよ」
「そっか……あと、その呼び方。やめてよね」
「しかし……」
「二人っきりの時は敬語もやめてって言ったじゃない。忘れちゃったの?」
「……わかった、“キュー”」
「よろしい」
キューと呼ばれた少女は、満足げにうなずいた。細い髪がサラリと揺れる。
「それで、どうした?お前がここに顔を出すなんて」
「うん……やっぱり、ちょっと気になっちゃって」
「……例の、ヤクザとの交戦のことか」
「うん……」
はぁ……クロは内心でため息をついた。またこのお嬢さんの悪い癖だ。血なまぐさいことなど俺たちに任せておけばいいものを。
「ねぇ、やっぱり……」
「さっきも聞いてたんだろう。父さんの意思は決まった。ヤクザは根絶やしにする。これがファミリーの決定だ」
クロが強めに言うと、キューはぐっ、と言葉を詰まらせた。
「……どうして。一度は見逃そうって話になったじゃない」
「状況が変わったんだ。奴らは逃げずに、戦うつもりらしい。なら、ファミリーは容赦しない」
「なんで……負けるってわかってるでしょう……?」
「奴らはそういう生き物なんだ。俺たちとは根本から違う」
「もう、クロはすぐそういうこと言う。同じ人間じゃないの」
キューはぷくっと頬を膨らませる。子どもっぽいしぐさに思わず吹き出しそうになった。
「もう諦めろ。この戦争はあいつらが滅ぶまで終わらない。なんでそこまでこだわるんだ?」
「だって……いちお、いいだしっぺだし……」
キューはスカートのはしをいじりながらぼそりと言った。
首都を離れるヤクザは止めず、後追いもしない。一度決まったファミリーの方針は、キューの発案によるものだった。クロもまさか通るとは思っていなかったから、その時は驚いたものだ。
さすが、クイーン。ファミリーの実質ナンバースリーにして、唯一の……
「“お父様”、約束するって言ったのに……」
「“娘”のお前の頼みだから、聞いてくださったんだ。文句を言うな」
そう。ファーザーを、“本当の意味で”父と呼べるのは、キューただ一人だけだ。もっとも、今は、だが……
「……“ケイ”兄様がいれば、もっとうまくやってくれたのかな」
「……よせ。あの人でも、今のこの状況は変えられない。もう一度言うが、もう諦めろ」
「……」
納得していない。キューの顔にありありと書いてあった。
バカな娘だ、とクロは思った。こういったことは日常茶飯事だろうに、それでもまだ、この
娘は優しさというものを捨てようとしない。報われたことなど、一度もないだろうに。
「……わかった、俺の部下たちには無駄な殺しを控えるように言っておく。逃げる分には追い打ちもしない。これでいいか」
「クロ……!うん、ありがとう!」
キューの顔にぱっと花が咲いた。だが、すぐに不安そうな顔色になる。
「けど、クロ。それでクロが危なくなるんじゃ、わたし嫌よ。わたし、もしクロが……」
「バカ。敵を助けるために自分の命を差し出す奴がいるか。俺はあいにく、そこまでお人よしじゃない」
「うん……クロ、絶対帰ってきてね。兄様みたいに……」
最後のほうは聞こえないくらい小声になっていた。だがクロは、あえて何もたずねなかった。
「……もう行くぞ。お前もすぐに帰れ。ここもいつ戦場になるか……」
クロが言いかけた、その時だった。
ズズゥゥン!
「きゃあ!」
地鳴りのような、低い音と振動。地下だからか、余計に音が響く。
「チッ!もう始まったか!」
これは奴らの開戦の狼煙だ。クロはそう確信していた。
ズズゥゥン。
「きゃあ!」
「うおっ、なんだ!」
地下道に重低音が響き渡った。
俺たちはファローファミリーのアジトへ向かって、地下道を進んでいる真っ最中だった。別の入り口から侵入したチャックラック組が動き次第、俺たちも突入する算段だったが……
「これが……チャックラック組の、“合図”でしょうか」
レスがずれたメガネを直しながらつぶやく。
「あいつら、いったい何をしたんだ……?」
別れる前の、ファンタンを思い出す。やつは、その時は必ず分かるから大丈夫、と言っていたが。
「にしても限度があるだろ……」
「しかし、これだけ大きな音なら、マフィアにも確実に聞こえたはずです。いましばらく待ってから突撃しましょう」
レスは近くの黒服を一人呼び止めると、何かを言いつけて、入口のほうへ走らせていった。おそらく、待機させていた残りの組員を呼びに行かせたのだろう。ところで、レスは一向に動く気配がない。
「あの、代行。代行もいっしょに……?」
「ええ。そのつもりですが?」
マジか……俺は、レスを改めて見つめる。足元は踵の低いヒール、服は相変わらず白いスーツ。およそ戦う格好には見えないが、大丈夫なのだろうか。極めつけに、彼女は鳳凰会の現トップだ。
「……?ああ、私が一緒なのが疑問なのですね。それとも女が鉄火場にいるのが不安ですか?」
「いえ、そこに関して俺は何の意見もありませんが……」
そんなことを言ったら、メイダロッカ組のほとんどは女だ。そうじゃなくて……
「あなたは、四代目代行じゃないですか。ふつう、トップは自ら戦場へは赴かないんじゃ」
「そうですね。ユキさんの意見は正しいです。が、今は鳳凰会の全勢力がここに集中しています。なら、どこにいても大して変わらないじゃないですか」
「そ、そうですかね……?」
「それに、私は陣頭指揮のほうが性に合うんです。こんな一世一代の大勝負、最前線で楽しみたいじゃないですか」
そう言うと、レスは今まで一番いい笑顔で、にこりと笑った。
どうにも、俺はレスという女を誤解していたような気がする。この人は落ち着いたキレ者だと思っていたが、キレているのは頭だけではなさそうだぞ……
「あと、腕に関しては気にしないでください。自分の身を守るくらいなら大丈夫ですよ」
「わ、わかりました」
ここまで自信たっぷりに言い切られちゃ、返す言葉はないな。四代目にとやかく言うわけにはいかないし。
「おい」
その時、背後からニゾーに呼び止められた。珍しいな、あの人から声をかけてくるなんて。
「どうしましたか、ニゾーの兄貴」
「どうしたじゃねえ、バカ野郎。あんまり四代目にナメた口きくんじゃねえ」
え。まさか、ニゾーにそんなことを言われるとは思わなかった。
「いいか、あの人がなんで『四代目代行』のポストにいるのか考えろ。鳳凰会のトップに、頭が回るだ器量がいいだの理由でのし上がれるわけ無いだろうが」
俺はハッとした。レスは三代目には気に入られていたようだが、それを他の組員が認めるわけがない。跳ねっ返りが多いヤクザならなおさらだ。
「知らねえようだから教えてやるが。あの女に銃を持たせたら右に出るもんはいねえぞ。ヤツは三代目お抱えのヒットマンとして、今の地位にまで上り詰めたんだ」
「ヒットマン……」
つまりは、暗殺者。
「外面がいいから、気づいてないやつは多いがな。俺はあの女に背を向けるだけでもぞっとするぜ」
「そう……だったんですか」
「あぁ。あの女に関しちゃ、その辺の男よりよっぽど腕が立つぜ。お前はそれより、自分とこの組長を気にしとけよ。気づいたらおっ死んでました、じゃ冗談にもならねえぜ」
それは、確かにそうだ。キリーは拳銃恐怖症もあるから、銃撃戦になったら格好の的だ。
「ま、俺としてはくたばってくれた方が後々楽だけどよ。そのほうが代行の覚えもいいってもんだ」
ニゾーは最後に憎まれ口を叩くと、スタスタと歩いて行った。ち、いちいち一言多い男だ。
だが……言い方はあれだったが、今のはヤツなりの助言だったのかもしれない。俺は釈然としない気持ちで、ニゾーの背中を見つめた。
「ユキ?どうしたの?」
「ん?ああ、キリーか」
キリーが不思議そうな顔で近寄ってくる。
「めずらしいね。ニゾーの兄貴とお話し?」
「ああ、少しな……」
どうしよう。ちょうどいい機会だから、キリーとも話しておこうか。
「なあ、キリー?」
「ん?なぁに?」
「その……今回の突撃、きみは待っていてくれないか」
「え……」
キリーは一瞬、目を丸くした。が、すぐにふにゃりと笑った。
「なんてね。ユキの言いたいことは分かるつもり。今回、わたしはあまりにお荷物だよね」
「キリー、そうじゃない。けど、危険なのは確かだ」
「うん……けどね、これはワガママ。組長とか命令とか何にも関係ない、わたしのおねがいだよ」
キリーは、俺の手をぎゅっと握った。
「わたしも連れてって。もう、待ってるだけはやだよ」
「……」
「プレジョンから逃げ出す時、ユキが一人で残って……わたし、あれから毎日ユキのこと待ち続けた。あの時初めて、待つってこんなに辛いんだってわかったの……」
キリーはうつむきながら言った。その手は微かに震えている。
俺は悩んだ。組員としてなら、ここは絶対止めるべきだ。レスのように護身の心得があるならともかく、銃そのものがダメなキリーはどう考えても危ない。
だが……
「分かった。キリー、俺たちと一緒に来い」
「え……いいの?」
「組員だとか、ヤクザの掟だとか、そんなものは全部知るもんか。俺は一人の友達として、お前の願いを聞いてやりたい」
「ともだち……」
「ああ。俺がお前を守ってやる」
ふぅ……言ってしまった。けど、後悔はない。結局のところ、俺はキリーが大事なんだ。
「……」
「……キリー?」
キリーはうつむいたまま、何も言わない……さすがに沈黙はつらいな。
「キリー?あの……」
「へっ?」
うわっ。ようやくこちらを向いたキリーの顔は、耳まで真っ赤っかだった。
「ぷっ、どうしたんだよキリー。リンゴみたいだぞ」
「え。ぃや、その、あぅ……」
「?」
キリーはパッと俺の手を放すと、そのまま数歩後ずさった。
なんだか新鮮だ。いつもあっけからんとしてるキリーが、こんなにもじもじしてるなんて。
「キリ……」
「へ〜え……ずいぶんカッコいい啖呵を切るじゃない」
「おわっ!」
つぅ、と背中をなでられた。
ビックリして振り返ると、アプリコットがニヤニヤしながらこちらを見ている。彼女だけじゃない、スーにウィロー、メイダロッカのみんなが集まっていた。
「なんだよ……みんな聞いてたのか」
「すみません、ユキ。盗み聞きするつもりではなかったのですが、なにやら重要そうな内容だったので」
ウィローが申し訳なさそうに謝る。
「いや……けどそうだよな。仲間のことなんだから、きみたちにも話しておくべきだったよ」
「ええ、けどこれでみんな聞けましたから。そのうえで、あなたと同じ考えのつもりです」
ウィローの言葉に、みんなもうなずいた。よかった、俺だけじゃなかったんだな。
「だってさ、キリー。よかったな」
「へ?ああ、う、うん。よかった!」
キリーは相変わらずギクシャクしていた。へぇ、珍しく照れてるのかな。
「なぁ~によキリー、赤くなっちゃって!」
アプリコットがここぞとばかりにからかうと、キリーはわたわたと手を振った。
「あ、赤くなってなんかないよぅ」
「いや、それは無理があるでしょ。にしてもちょっと意外、アンタにも人並みにオトメゴコロってのがあるのね」
「え。え?」
「だってアンタ、さっき完っぜんにトキメいてた……」
「わー!もう、勘弁してよー!」
キリーは耳をふさぐと、バタバタと逃げてしまった。俺たちは皆、ぷっと吹き出してしまった。キリーには悪いが、ほどよく緊張が解けた気がする。
「……皆さん、そろそろ時間です」
レスが静かに言い放つ。俺たちもふざけるのをやめ、彼女のほうを向いた。
「各々お分かりかとは存じますが……この戦いは、正真正銘の正念場です。敵はマフィア、ファローファミリー。我々鳳凰会は、全勢力をもってこれを撃破、首都を奪還します。言うなればこれは、“ヤクザ”の存亡をかけた戦いなのです」
レスはそこで言葉を区切ると、すぅと息を吸い込んだ。
「お前らぁっ!」
ビリビリビリ!
うお、レスが空気を震わせるほどの大声を出した。驚いたスーが、俺の横で小さく声を上げた。
「タマぁ張れよ!ここが勝負どころだ!勝って男上げて見せろ!」
うおおぉぉ!
レスの声に鼓舞されるように、組員たちも一斉に声を張り上げた。いつの間にか、外にいた連中も合流したようだ。水路の中に男たちの叫びがこだまする。
「うかうかしてると、オレが全部喰っちまうぞ!アマにケツ毟られるなや!」
おおおぉぉ!
再びの大合唱。お互いに煽り合って、興奮を高めているようだ……首都流を知らない俺たちは、茫然とその光景を眺めていた。
「行くぞおおおぉぉぉ!」
わああぁぁぁ!
レスがたっと駆け出すと、男たちも一斉に走り出した。波に呑まれないように、俺たちも慌てて走り出す。
「もう!なんなのよ、もっと静かに行けないワケ!?」
アプリコットが隣で駆けながら、大声で悪態をつく。ウィローもその光景に圧倒されながらも、コクリとうなずいた。
「前に聞いたことがあります!カチコミの際には、組員総出で嵐のようになだれ込む……これが鳳凰会流だとか」
「あー!ヤクザって、バカしかいないのね!」
同感だな。俺は心の中でアプリコットに賛同すると、にやり と笑った。
俺たちの総数は、多めに見ても百何人というところだろう。対するファローファミリーは、万をくだらないはずだ。
「よっし!行こう!」
つづく
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