異世界ヤクザ -獅子の刺青を背負って行け-

万怒 羅豪羅

第68話/Honey

第68話/Honey

「よし、準備万端よ。そっちは?」

「ああ。いつでも行けるぞ」

俺はジャケットの襟を整えながら言った。

「ユキ、アプリコット。こんなことしか言えませんが、気を付けてくださいね。なにかあったら、とにかく外を目指してください。すぐ駆けつけます」

「おう。特にアプリコット、きみがな」

「あら、その心配は無用よ?あたしにかかれば、男一匹くらいちょろいもんだわ」

アプリコットは自信満々に言いきった。
今の彼女は赤いパーティドレスを身に纏い、髪を左右に結い上げている。大きな猫の耳を隠すためだ。ラミーが獣人差別者だといけないから、というアプリコットの発案だった。

「それでは、けんとうを祈ります」

「二人とも、頑張ってね!」

「ええ。いきましょ、ユキ」

「ああ」

俺が腕を差し出すと、アプリコットはそこに自分の腕を絡めた。
コツコツと、アプリコットの高いヒールが鳴る。あんな履きづらそうな靴でよく歩けるよな。

「いらっしゃいませ……お二人様ですか?」

「あ、ああ。連れだが、構わんだろう?」

「……かしこまりました。ようこそ、トラントカランへ」

ボーイは丁寧にお辞儀すると、ゆっくり扉を開いた。俺もそれに合わせて、全力で上品に(つまりぎこちなく)足を進める。一方、横のアプリコットは実に優雅な足取りだった。

ボーイから離れたところで、アプリコットが小さくささやいた。

「ね、だいじょうぶだったでしょ?堂々としてれば案外どうにかなるのよ」

「だな。ふぅ、ひやひやした。普通、この手の店に女連れではこないだろう」

「あら、そうでもないわよ。はしごしてるヤツがお気に入りを侍らせて来るなんて、しょっちゅうだったもの」

ガールズバーをはしご……理解不能な世界だ。

「……っと、そろそろおしゃべりもやめないとね。フロアにつくわ」

「おっと、そうだな」

さあ、いよいよだ。
俺たちを出迎えたホールは、大きさはプラムドンナに一歩劣るものの、高い天井が印象的だった。紫色の照明が辺りを照らし、香でも炊かれているのか、こもった匂いが鼻をくすぐった。

「さて。とりあえず、どこかの席につきましょうか」

アプリコットは近くのカウンターまで俺の手を引いた。

「うーん……ぱっとみじゃどれが町長だかわからないわね。ちょっとぐるっと見てくるわ」

「一人で大丈夫か?」

「あのねぇ、子どものお使いじゃないんだから。ユキこそ、キレイなお姉さんについてっちゃダメよ。ここでいい子に待っててね?」

「け、言ってろ……」

アプリコットはパチリとウィンクすると、行き交う人の中へ消えていった。

「どれ、俺も探してみるかな」

俺はカウンターに寄りかかると、店内を見渡してみた。
中央には一段高くなったステージが設けられ、煌びやかに着飾った女性たちがレヴューの真っ最中だった。

「……」

しばらく、ぼんやりとステージを眺めていると、だんだん雰囲気が変わってきた。演目が移ったのかとも思ったが、どうにもそうじゃなさそうだぞ。

「いっ……!」

突然、女性の一人が上着を脱ぎ去った。次いで下もするりと落とすと、ボディラインがぴっちり出たスーツが姿を現した。
いつの間にか他の演者はいなくなっている。ステージは妖艶な踊り子のオンステージに早変わりしてしまった。

「ぬぅ……」

女性は四肢をくねくねとしならせ、悩ましく踊る。だがやがて、身体を覆う唯一のボディスーツにも手をかけた。うわ、もうこれ以上見ていられない!

「……あら、もう見なくていいの?」

「どわ!」

いつの間にかアプリコットが戻ってきていた。

「あ、アプリコット、早かったな?」

「……もっと遅い方がよかったかしら。なんなら、もう一回りしてきましょうか?」

「い、いいよ別に。それより、どうだった?」

「うん、ひとしきり回ってきたけど、それらしいのは見当たらなかったわ」

「なら、まだ来てないのかな」

「もしくは、もうビップルームに行っちゃったかのどっちかね」

アプリコットは俺と同じようにカウンターにもたれると、カランと手に持ったグラスを揺らした。

「あれ、その酒どうしたんだよ?」

「ん?ああ、さっきそこでね。おじさまに一杯おごってもらったの」

「お、おお……さすがだな」

「ふふ、大したことないわ。これ、安酒だもの。なめられたものね」

「へぇ……」

「アルコールばかり高くって、手っ取り早く酔わすにはちょうどいい酒よ。古典的な手よね」

「ああ、なるほど……」

「目の前でグラスを空にしてやったら、大慌てでおかわりを出してきたわ」

「え!それ、二杯目なのか?」

「ううん?それも飲み干しちゃったから、これで三杯目よ」

「……あっぱれだな。完敗だよ」

「酒だけに?」

「よせって……」

くだらないおしゃべりを続けていた、その時だ。
店員たちが、バタバタとにわかに慌て始めた。みな一様に玄関へ集まっているようだ。

「……お出ましかしら」

「……少なくとも、普通の客の待遇ではなさそうだな」

大勢の出迎えのもと現れたのは、ド派手に煌めく白いスーツの男だった。両脇には取り巻きだろうか、美しい女性を二人抱えている。
男は案内しようとするボーイを片手であしらい、我が物顔で店内を歩いていく。

「あれね」

「ああ、間違いないだろうな。よし、俺は離れてるから……」

「いいえ。あんたもここにいて」

「え!だって、それじゃあ……」

「大丈夫よ。考えあってのことだから」

そう言われちゃ、返す言葉がないが……
今からアイツを誘おうっていうのに、他の男がいたらまずいだろ?

男はこちらへ近づいてくる。その距離が一段と縮まった時、アプリコットが一瞬、男に向かってチラリと視線を投げ掛けた。試すような、誘うような、挑発的な眼差しだ。

「……!」

男はハッと目を見開くと、つかつかとこっちへやって来る。
すごいな、あの一瞬で……

「……ユキ、うんと悔しそうにしてね」

「へ?」

「お芝居の話よ。じゃ、頼んだわよ」

もっとよく聞きたかったが、その前に男がやって来てしまった。悔しがる……?

「……お嬢さん、お一人かな」

ぬっとあらわれたのは、もじゃもじゃの髭を生やしたおとこだった。髪も同じくもじゃもじゃで、場違いにつぶらな目だけがくりりと剥かれていた。

「……あら、見てわからない?」

アプリコットが、すっと目をほそめる。睨むというよりは、、からかうような目つきだ。
男は俺を横目でいちべつすると、にこやかにアプリコットへ振り向いた。

「見たところ、お一人のようだ」

「……ふふっ。気に入ったわ」

アプリコットは、しっしと俺に手を振った。そして男に見えないようにウィンクする。

(なるほど、そういうことか)

俺は皆に聞こえるように大きく舌打ちすると、わざとらしくブツブツ言いながらその場を後にした。これで俺は、彼女に振られて、うんと悔しがる男に見えたはずだ。これでいいんだろ、アプリコット?
俺が離れると、男は案の定、アプリコットに夢中のようだった。それなら……ちょうど男と俺たちの間に、ボーイが通りかかった。今だ!
さっとかがんで、俺は近くのテーブルクロスの中に滑り込んだ。ここなら辛うじてだが、アプリコットたちの会話が聞こえるはずだ。視界には彼女たちのくるぶしから下だけがのぞいている。

「……よかったのかい?さっきの彼のことは」

「あら、あたしが一人だって言ったのはどなただったかしら」

「ほほほ。お邪魔をしてしまったかと思ってね」

「そうでもないわ。あたし、これでも男にはうるさいの」

「ほお?お嬢さんはどんな男が好みかな」

「ん~……強い男。ぎらつくような欲望と、焼けつくような野心を持った、力強い男が好きなの」

「ほっほっほ。それなら、まさにワタシのことだ」

「へ~?おたく、どちらさまなのかしら?」

「おや、本当にワタシをご存じないかな?ロット町長・ラミーと言えば、それなりに知れているんだがね」

ラミー……!どくりと心臓が高鳴った。ど本命のおでましだ。

「ふ~ん……けど男なら、言葉より態度で示してほしいわね」

「なるほど。もっともだ。では、どうすればいいかな?」

「そうね……けどその前に、外野には掃けてもらうべきじゃないかしら。今夜はあたしとあなただけの時間でしょう?」

「ふむ……わかった。きみたち、わるいが今夜はこれまでにしてもらえるかな。子猫ちゃんがうるさいんだ」

足しか見えないが、どうやらラミーが取り巻きの女たちを帰らせたようだ。これで、ターゲットは一人になった。

「どうかな。これで満足かい?」

「……あら、そう言って明日はまたあの子たちと会うんでしょ」

「もちろん。彼女たちはうつくしい宝石であり、ワタシの自慢のコレクションだからね」

「あっは!最高よ、あなたって」

「ふふふ。だろう?」

カツカツ。男物の革靴が、爪先で床をノックした。

「どうだね、もう少し静かな場所で飲まないかい?ワタシ専用の部屋があるんだ」

「ん~……」

コツコツ。ヒールのかかとが、応えるように音を鳴らす。

「お酒もいいけど、もっとあなたのお話を聞きたいわ……二人っきりで」

「ほぉ……」

アプリコットが仕掛けた!後はラミーが乗ってくるか……

「では、リクエストに御応えしよう。ここはワタシの行き着けでね。個室の備えもあるんだ」

「うふふ。素敵ね」

「おいで。案内しよう」

二人の足が歩き出した。あ、まずい、俺も追わなければ。
俺は慌ててテーブルの下から這い出した。

「ひっ」

「え?」

目の前には、白い二本のもの……あ、これ脚だ。そしてその上の方には、スカートを押さえるウェイトレスが……

「キャーーー!変態ーーー!」

「うわぁ!違うんだ!」

つづく

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