異世界ヤクザ -獅子の刺青を背負って行け-
第56話/Reunion
第56話/Reunion
俺はなるべくそっとウィローを寝かせると、どかっと腰を下ろした。一気に力が抜けたぞ……
「唐獅子、大丈夫?」
「ああ、なんとか……ただ、体はガタガタだな。本調子とは、とても言えないよ」
「それは私も。全然動かない」
ステリアは、ずるずる足をひきずりながらにじりよってきた。
「孔雀の彼女はどう?」
「気絶してるだけみたいだ。怪我はないと思う」
「そっか……だけど、彼女を欠いたのは痛い」
「ああ、まったくだな……なぁ、ステリア?」
「うん?」
「ウィローに、その……何が、あったんだ?」
「それは……」
「本人に聞くのが筋なのはわかってる。ただ今回のは……常軌を逸してるだろ」
「……そうだね。わかった。ただ、私も詳しくは知らない。あくまで人づてに聞いた話だけど、それでよければ」
俺は無言でうなずいた。
「……青い天使の話は、恐らく本当。尾ひれが何本かついてるかもしれないけど、私が子供の頃にそういうウワサがあったのは確か。そして、それが孔雀の彼女だというのも、状況的に信じたほうが無難」
「ウィローが、青い天使……」
「うん。それで私が知ってるのは、どうして青い天使が姿を消したかについて」
「……どうして、なんだ?」
「罪を自覚したからだって言われてる。幼な心に殺人を繰り返してきたけど、人を殺すこと意味を知って、それ以降ふっつり姿を消したって」
殺すという意味……自分が人殺しだと認めることは、幼い子供にとってはたいへんな衝撃だったに違いない。
「ここからは私の推測だけど……彼女は幼子に殺人をさせるような環境で育ったことになる。きっとそこでは、上手に人を殺せる子が“いい子”だったんじゃないかな。そして彼女は、ずっと“いい子”と言われ続けていたはず……」
「あ……それで……」
「それと、青い天使の得物はドスやヤッパが中心だった。片手で持てる刃物を愛用していたって話」
「片手武器……ウィローの得物も、それだったよな」
「そう。ただし、全て鈍器。決して人を切らない、無刃の剣……」
そうだ。鉄パイプも、棍棒も。ウィローの持つものは、すべて刃のない得物ばかりだった。
「それほどまで、ウィローは人を切ることを……人を殺めることを、恐れていたのか」
単に彼女の趣味かと思っていたが……そんな理由があったんだな。
「このへんは、あくまでも推理だけど。ほんとのところは、聞いてみないとわからない……今は無理だけど」
「そうだな……」
俺は目をつむるウィローを見下ろした。ウィローの顔色は穏やかだが、なかなかすぐには目を覚ましそうになかった。
「……俺はなんとか動けそうだな。ステリア、きみはどうだ?」
「私?私も歩く程度なら。たださっきみたいな闘いとなると……自信ないというのが、正直なところかな」
「だよな……」
俺はおもむろに立ち上がると、男たちが入ってきた扉まで歩いていった。そっと戸を開けてみる。
「しめたぞ!」
「唐獅子、どうした?」
「従業員用のエレベーターだ。連中、これを使って俺たちを先回りしたんだな。なら、まだ動くはず……」
試しにボタンを押してみると、ランプが点灯した。よし、まだ生きてる。
「ステリア、きみはこのエレベーターを使って、ウィローと一緒に脱出してくれないか」
「え?」
「ウィローはいつ目を覚ますかわからないし、きみもこの先闘うのはキツいだろ。敵は上に向かうはずだから、その隙に逃げるんだ」
「待って。ユキ、あなたはどうするつもり」
「俺は……スーを助けに行く」
「無茶。さっき言った通り、敵はどんどん上に集まってくる。あなた一人に凄まじい人数が襲いかかってくるんだよ」
「ああ。だけど、今この中で戦えるのは俺しかいないだろ」
「だったら私も行く。ウィローもつれていけば、いつかは目覚めるかもしれない。そのエレベーターで……」
「だめだ。こいつ、上には行けないんだよ」
俺はエレベーターの、下向きだけの矢印を指差した。
「だったら一緒に逃げるべき!無謀と勇猛は違う!」
いつも物静かなステリアが絶叫した。ははは、危なくなったら真っ先に逃げる、なんて言ってた娘の言葉とは思えないな。結局、彼女も大概お人好しなのだ。
「ステリア、ここに入る前に言ったこと、覚えてるか?」
「……危なくなったら、各自自己判断で離脱するように」
 「そう。それにこうも言った。こんなところで、安く死ぬつもりはない、ってな」
「……」
「ステリア。今の俺には、これしか言えない……俺を、信じてくれ」
「……そういう言い方はずるい。それじゃあ、分かったっていうしかないじゃない……」
小さく、囁くようにステリアは呟いた。
「わかった。唐獅子、あなたを信じます。きっと、囚われのお姫さまを助けて、生きて帰ってくると」
「ああ」
「あなたにはうちの壁の修繕費を払う義務もあるんだから。もし帰ってこなかったら、メイダロッカから取り立てるから」
「ハハ……これは死んでも生きて帰らないとな」
ウィローを肩に担ぎ、ステリアはエレベーターの中に消えていった。不安は残るが、俺と一緒に上を目指すよりは安全だろう。
「さて、俺の方はと言えば……」
 ボキボキ。ぐるりと首を回すと、ものすごい音がした。体の痺れはだいぶましになった。さっきウィローに飛び付いたのがいい刺激になったらしい。それでも本調子とは言い難かったが、やるしかない。
「うう……」
「いてぇ……」
俺たちがぶっ飛ばした男たちが、少しずつ意識を取り戻し始めた。起き上がるにはまだ時間がかかるだろうが、そろそろ行ったほうがよさそうだ。
「待ってろよ、スー……!」
俺は部屋を駆け抜け、天空へと突き出す渡階段に踏み込んだ。
目指すは頂上ただ一つ。そこに、彼女はいる!
わたしは、窓の外を憂鬱に眺めていた。ガラスを挟んだ向こうには、のっぺりとした漆黒の夜空がどこまでも続いている。
今ごろ、キリーちゃんたちは事務所に戻ってるかな。わたしのことなんか忘れて、いつも通り過ごしているかな。それとも、わたしに腹を立てているかな……
そんなことをぼんやりと考えていた時だった。不意に部屋の外で、ドヤドヤと騒がしい音がする。おかしいな、このフロアには機械みたいな使用人さんしかいないはず。あの人たちがこんなにうるさくするとは思えないけど……
「……おい!もっと……あつめろ……」
「しただ……したに……」
聞こえてきたのは、荒っぽい男の人の声だった。下、って言ってたよね。下に何かあるのかな?
わたしは窓ガラスに顔を近づけ、外をのぞき込んでみた。
「うそ……」
眼下に見えるのは、こことホテルとを繋ぐ唯一の渡階段。そのガラス張りの通路の中を、猛然と駆け上がってくる人がいる。行く手を遮る者は蹴散らし、紅いオーラを纏いながら突き進む。あれは……あの光は……
「ユキくん……!」
「どけえぇぇぇえ!」
拳を打ち込まれた男は、声を出すこともできずにぶっ飛んでいく。階段すれすれを飛んでいった男は、今まさに下りてこようとしていた別の連中もまとめて吹き飛ばした。
「くそ、化物め!これでもくらいやがれ!」
チュイン!
弾丸が俺の頬を掠める。後ろでパリンとガラスの割れる音がした。
弾が外れたとわかると、男は再び俺に銃口を向けてきた。
「させるか!」
俺は渾身の力で、足元を殴り付けた。
ズズウゥゥゥン!ギシギシギシ……
「う、うわあぁ!」
宙に架けられた階段は、吊り橋のようにみしみし揺れた。ガラスが軋み、嫌な音を立てる。
俺は男が体制を崩した隙を見逃さなかった。
「おらあ!」
「ぐぎゃ!」
横っ面を殴られた男は、拳銃を取り落とした。だがそれでも諦めず、素手で殴りかかってくる。ええい、面倒だ!
「な、お、おい!何しやがる、はな……!」
俺は荷物でも担ぐように男を持ち上げると、そのまま階段下へ放り投げた。
「どぉりゃあ!」
「うわあぁぁぁ……」
はぁ、はぁ……
この先が本拠地だからか、カルペディ側の警備がだいぶん苛烈になってきた。だが狭い階段という立地のおかげで、タイマンがほとんどなのが幸いだった。一対一なら、負ける気はしない。
「だけど、それは相手も承知のはずだ……」
ここまで周到に俺たちの動きを先読みしていたやつが、それを知らないはずがない。もし俺なら、狭い階段で適当に足止めをし、その間に広い部屋に兵を集中させるな。つまり……
「ここを抜けた先が、正念場か……」
もうじきこの天空階段を抜ける。そこに何が待ち構えているのか……
俺は息を大きく吸い込むと、階段の最後の一段を駆け上がった。
「っ!………………あれ?」
そこには、人っこ一人誰もいなかった。シンと静まり返ったホールが広がっているだけだ。
「どうなっているんだ……?」
決戦になるなら絶対ここだと思ったのに。肩透かしを食らった気分だが、ひょっとすると待ち伏せされているのかもしれない。警戒は怠らずに行こう。
だが結果として、その先にも人はいなかった。
ホールの先はうねうねと回る階段がまたも上へと続いていた。
「またかよ……ずいぶん健康志向なんだな」
上る途中、見つけた部屋は念のため覗いてみたが、中はもぬけの殻だった。エレベーターホールもあったが、カルペディ家専用なのかボタンを押しても反応はなかった。      
やがて階段を上りきると、はるか眼下に俺が入ってきたホールの入口が見えた。ずいぶん上って来たんだな。窓の外の空は、少しずつ白み始めている。だが、行く先には部屋らしい部屋もなく、扉が一枚ポツンとあるだけだった。いったい、この長い階段はなんのためにあるのだろう?
しかし俺は扉を開けた途端、そんなことも忘れてしまった。
「これは……すごいな」
驚いたことに外は庭園だった。見渡すと噴水やプールが見え、丸い照明の光が水面にユラユラと揺れている。あの階段は、屋上へ上がるためのものだったんだ。
屋上庭園の向こう側には、ぽつんとした建物があった。といっても、ちょっとした邸宅ほどの大きさがある。そしてその上には、暁の空。そこが、このホテルで一番高い場所だった。
「なら、あそこにスーがいる……!」
わたしは、部屋の中を忙しなく歩き回っていた。下での騒ぎは、ひとまずは落ち着いたみたいだけど、それでも時々廊下をバタバタ走る音がする。きっとまだ、義兄さんは諦めてはいない。ユキくんが無事に渡りきるとこまでは見ていたけど、その後ちゃんとここまで来れるかどうか……
「って!来ちゃダメなんだよ!なに言ってるの、わたし!」
本当にいいのは、どこかで諦めて無事に逃げてくれること。最悪なのは……
「ううん。ユキくんならきっと大丈夫……」
わたしは胸をぎゅっと押さえると、暴れる心臓を宥めるように自分に言い聞かせた。そんなこと、考えない方がいい。
けどユキくんがここまで来てしまったら、わたしはどうしたらいいのだろう。わたし以外に用だった……なんてことはないよね。ユキくんは、明らかにここを目指している。
「どうしよう、わたし……」
その時わたしは、ユキくんを拒絶できるだろうか。正直なところ、自信が揺らいでいた。一度離れると、なおのことみんなのことを恋しく想ってしまう。今この場にこられたら、きっと……
その時遠くから、がちゃりと扉が開く音がした。何度となく聞いた、玄関扉が開く音だ。
その瞬間、今まで考えていたことも全て忘れて、わたしはふらふらと歩き出していた。
玄関が見える廊下まで出ると、そこには一人の、よく見慣れた男の人が立っていた。
「……やあ、スー。迎えに来たぞ」
「迎えに来てなんて、頼んだ覚えはないけれど」
目の前に立つ少女は、無理やりつくったような冷たい声で言った。
「ああ。これは俺がやりたくてしたことだからな。キリーの了承すらとれてないよ」
「バカじゃないの……っ!そんなことして、なんの意味もない!迷惑だってわかんないの!」
「バカか否かと言われたら、間違いなくバカだな。さっきも言ったが、俺は自分のやりたいことをやってるだけだ。きみの意見なんて、これっぽっちも聞く気はない」
「そんな……無茶苦茶だよ、ユキくんの言ってること」
「無茶も言うさ。俺は、ヤクザだからな」
俺は一歩、スーに近づいた。
スーは逃げない。
「俺は俺の正しいと思うもののために、ヤクザの箔を使わせてもらう」
「……そんなヤクザ、初めて聞いたよ」
「いい使い方だろ?最近思い付いたんだ」
また一歩、俺はスーに近づいた。
スーはなおも動かない。
「だけどな、スー。正しいとか間違ってるとか、そんなものは後付けだ。俺が、スーと一緒にいたいんだよ」
俺はとうとう、スーの目の前に立った。
「帰ろう、スー。みんなが待ってる」
「……ほんとに……ずるいよ。ユキくん、他の人にも言われたことない?」
「……つい最近、言われたな」
「やっぱり。そんなことばっかり言って、きっと後悔するよ」
「しないさ。俺の決めたことだから」
「ううん、後悔させてやるっ」
ドンッ。スーは勢いよく、俺に抱きついた。
「こんな女さっさと見捨てればよかったって、一生付きまとって思わせてやるんだから!うわーん!」
声を上げて泣くスーを、俺はぎゅっと抱き返した。するとスーも応えるように、さらに腕の力を強めた。
俺たちは互いのぬくもりを確かめ合うように、しばらくの間抱き合っていた。
だが、そんな時間も長くは続かなかった。
続く
俺はなるべくそっとウィローを寝かせると、どかっと腰を下ろした。一気に力が抜けたぞ……
「唐獅子、大丈夫?」
「ああ、なんとか……ただ、体はガタガタだな。本調子とは、とても言えないよ」
「それは私も。全然動かない」
ステリアは、ずるずる足をひきずりながらにじりよってきた。
「孔雀の彼女はどう?」
「気絶してるだけみたいだ。怪我はないと思う」
「そっか……だけど、彼女を欠いたのは痛い」
「ああ、まったくだな……なぁ、ステリア?」
「うん?」
「ウィローに、その……何が、あったんだ?」
「それは……」
「本人に聞くのが筋なのはわかってる。ただ今回のは……常軌を逸してるだろ」
「……そうだね。わかった。ただ、私も詳しくは知らない。あくまで人づてに聞いた話だけど、それでよければ」
俺は無言でうなずいた。
「……青い天使の話は、恐らく本当。尾ひれが何本かついてるかもしれないけど、私が子供の頃にそういうウワサがあったのは確か。そして、それが孔雀の彼女だというのも、状況的に信じたほうが無難」
「ウィローが、青い天使……」
「うん。それで私が知ってるのは、どうして青い天使が姿を消したかについて」
「……どうして、なんだ?」
「罪を自覚したからだって言われてる。幼な心に殺人を繰り返してきたけど、人を殺すこと意味を知って、それ以降ふっつり姿を消したって」
殺すという意味……自分が人殺しだと認めることは、幼い子供にとってはたいへんな衝撃だったに違いない。
「ここからは私の推測だけど……彼女は幼子に殺人をさせるような環境で育ったことになる。きっとそこでは、上手に人を殺せる子が“いい子”だったんじゃないかな。そして彼女は、ずっと“いい子”と言われ続けていたはず……」
「あ……それで……」
「それと、青い天使の得物はドスやヤッパが中心だった。片手で持てる刃物を愛用していたって話」
「片手武器……ウィローの得物も、それだったよな」
「そう。ただし、全て鈍器。決して人を切らない、無刃の剣……」
そうだ。鉄パイプも、棍棒も。ウィローの持つものは、すべて刃のない得物ばかりだった。
「それほどまで、ウィローは人を切ることを……人を殺めることを、恐れていたのか」
単に彼女の趣味かと思っていたが……そんな理由があったんだな。
「このへんは、あくまでも推理だけど。ほんとのところは、聞いてみないとわからない……今は無理だけど」
「そうだな……」
俺は目をつむるウィローを見下ろした。ウィローの顔色は穏やかだが、なかなかすぐには目を覚ましそうになかった。
「……俺はなんとか動けそうだな。ステリア、きみはどうだ?」
「私?私も歩く程度なら。たださっきみたいな闘いとなると……自信ないというのが、正直なところかな」
「だよな……」
俺はおもむろに立ち上がると、男たちが入ってきた扉まで歩いていった。そっと戸を開けてみる。
「しめたぞ!」
「唐獅子、どうした?」
「従業員用のエレベーターだ。連中、これを使って俺たちを先回りしたんだな。なら、まだ動くはず……」
試しにボタンを押してみると、ランプが点灯した。よし、まだ生きてる。
「ステリア、きみはこのエレベーターを使って、ウィローと一緒に脱出してくれないか」
「え?」
「ウィローはいつ目を覚ますかわからないし、きみもこの先闘うのはキツいだろ。敵は上に向かうはずだから、その隙に逃げるんだ」
「待って。ユキ、あなたはどうするつもり」
「俺は……スーを助けに行く」
「無茶。さっき言った通り、敵はどんどん上に集まってくる。あなた一人に凄まじい人数が襲いかかってくるんだよ」
「ああ。だけど、今この中で戦えるのは俺しかいないだろ」
「だったら私も行く。ウィローもつれていけば、いつかは目覚めるかもしれない。そのエレベーターで……」
「だめだ。こいつ、上には行けないんだよ」
俺はエレベーターの、下向きだけの矢印を指差した。
「だったら一緒に逃げるべき!無謀と勇猛は違う!」
いつも物静かなステリアが絶叫した。ははは、危なくなったら真っ先に逃げる、なんて言ってた娘の言葉とは思えないな。結局、彼女も大概お人好しなのだ。
「ステリア、ここに入る前に言ったこと、覚えてるか?」
「……危なくなったら、各自自己判断で離脱するように」
 「そう。それにこうも言った。こんなところで、安く死ぬつもりはない、ってな」
「……」
「ステリア。今の俺には、これしか言えない……俺を、信じてくれ」
「……そういう言い方はずるい。それじゃあ、分かったっていうしかないじゃない……」
小さく、囁くようにステリアは呟いた。
「わかった。唐獅子、あなたを信じます。きっと、囚われのお姫さまを助けて、生きて帰ってくると」
「ああ」
「あなたにはうちの壁の修繕費を払う義務もあるんだから。もし帰ってこなかったら、メイダロッカから取り立てるから」
「ハハ……これは死んでも生きて帰らないとな」
ウィローを肩に担ぎ、ステリアはエレベーターの中に消えていった。不安は残るが、俺と一緒に上を目指すよりは安全だろう。
「さて、俺の方はと言えば……」
 ボキボキ。ぐるりと首を回すと、ものすごい音がした。体の痺れはだいぶましになった。さっきウィローに飛び付いたのがいい刺激になったらしい。それでも本調子とは言い難かったが、やるしかない。
「うう……」
「いてぇ……」
俺たちがぶっ飛ばした男たちが、少しずつ意識を取り戻し始めた。起き上がるにはまだ時間がかかるだろうが、そろそろ行ったほうがよさそうだ。
「待ってろよ、スー……!」
俺は部屋を駆け抜け、天空へと突き出す渡階段に踏み込んだ。
目指すは頂上ただ一つ。そこに、彼女はいる!
わたしは、窓の外を憂鬱に眺めていた。ガラスを挟んだ向こうには、のっぺりとした漆黒の夜空がどこまでも続いている。
今ごろ、キリーちゃんたちは事務所に戻ってるかな。わたしのことなんか忘れて、いつも通り過ごしているかな。それとも、わたしに腹を立てているかな……
そんなことをぼんやりと考えていた時だった。不意に部屋の外で、ドヤドヤと騒がしい音がする。おかしいな、このフロアには機械みたいな使用人さんしかいないはず。あの人たちがこんなにうるさくするとは思えないけど……
「……おい!もっと……あつめろ……」
「しただ……したに……」
聞こえてきたのは、荒っぽい男の人の声だった。下、って言ってたよね。下に何かあるのかな?
わたしは窓ガラスに顔を近づけ、外をのぞき込んでみた。
「うそ……」
眼下に見えるのは、こことホテルとを繋ぐ唯一の渡階段。そのガラス張りの通路の中を、猛然と駆け上がってくる人がいる。行く手を遮る者は蹴散らし、紅いオーラを纏いながら突き進む。あれは……あの光は……
「ユキくん……!」
「どけえぇぇぇえ!」
拳を打ち込まれた男は、声を出すこともできずにぶっ飛んでいく。階段すれすれを飛んでいった男は、今まさに下りてこようとしていた別の連中もまとめて吹き飛ばした。
「くそ、化物め!これでもくらいやがれ!」
チュイン!
弾丸が俺の頬を掠める。後ろでパリンとガラスの割れる音がした。
弾が外れたとわかると、男は再び俺に銃口を向けてきた。
「させるか!」
俺は渾身の力で、足元を殴り付けた。
ズズウゥゥゥン!ギシギシギシ……
「う、うわあぁ!」
宙に架けられた階段は、吊り橋のようにみしみし揺れた。ガラスが軋み、嫌な音を立てる。
俺は男が体制を崩した隙を見逃さなかった。
「おらあ!」
「ぐぎゃ!」
横っ面を殴られた男は、拳銃を取り落とした。だがそれでも諦めず、素手で殴りかかってくる。ええい、面倒だ!
「な、お、おい!何しやがる、はな……!」
俺は荷物でも担ぐように男を持ち上げると、そのまま階段下へ放り投げた。
「どぉりゃあ!」
「うわあぁぁぁ……」
はぁ、はぁ……
この先が本拠地だからか、カルペディ側の警備がだいぶん苛烈になってきた。だが狭い階段という立地のおかげで、タイマンがほとんどなのが幸いだった。一対一なら、負ける気はしない。
「だけど、それは相手も承知のはずだ……」
ここまで周到に俺たちの動きを先読みしていたやつが、それを知らないはずがない。もし俺なら、狭い階段で適当に足止めをし、その間に広い部屋に兵を集中させるな。つまり……
「ここを抜けた先が、正念場か……」
もうじきこの天空階段を抜ける。そこに何が待ち構えているのか……
俺は息を大きく吸い込むと、階段の最後の一段を駆け上がった。
「っ!………………あれ?」
そこには、人っこ一人誰もいなかった。シンと静まり返ったホールが広がっているだけだ。
「どうなっているんだ……?」
決戦になるなら絶対ここだと思ったのに。肩透かしを食らった気分だが、ひょっとすると待ち伏せされているのかもしれない。警戒は怠らずに行こう。
だが結果として、その先にも人はいなかった。
ホールの先はうねうねと回る階段がまたも上へと続いていた。
「またかよ……ずいぶん健康志向なんだな」
上る途中、見つけた部屋は念のため覗いてみたが、中はもぬけの殻だった。エレベーターホールもあったが、カルペディ家専用なのかボタンを押しても反応はなかった。      
やがて階段を上りきると、はるか眼下に俺が入ってきたホールの入口が見えた。ずいぶん上って来たんだな。窓の外の空は、少しずつ白み始めている。だが、行く先には部屋らしい部屋もなく、扉が一枚ポツンとあるだけだった。いったい、この長い階段はなんのためにあるのだろう?
しかし俺は扉を開けた途端、そんなことも忘れてしまった。
「これは……すごいな」
驚いたことに外は庭園だった。見渡すと噴水やプールが見え、丸い照明の光が水面にユラユラと揺れている。あの階段は、屋上へ上がるためのものだったんだ。
屋上庭園の向こう側には、ぽつんとした建物があった。といっても、ちょっとした邸宅ほどの大きさがある。そしてその上には、暁の空。そこが、このホテルで一番高い場所だった。
「なら、あそこにスーがいる……!」
わたしは、部屋の中を忙しなく歩き回っていた。下での騒ぎは、ひとまずは落ち着いたみたいだけど、それでも時々廊下をバタバタ走る音がする。きっとまだ、義兄さんは諦めてはいない。ユキくんが無事に渡りきるとこまでは見ていたけど、その後ちゃんとここまで来れるかどうか……
「って!来ちゃダメなんだよ!なに言ってるの、わたし!」
本当にいいのは、どこかで諦めて無事に逃げてくれること。最悪なのは……
「ううん。ユキくんならきっと大丈夫……」
わたしは胸をぎゅっと押さえると、暴れる心臓を宥めるように自分に言い聞かせた。そんなこと、考えない方がいい。
けどユキくんがここまで来てしまったら、わたしはどうしたらいいのだろう。わたし以外に用だった……なんてことはないよね。ユキくんは、明らかにここを目指している。
「どうしよう、わたし……」
その時わたしは、ユキくんを拒絶できるだろうか。正直なところ、自信が揺らいでいた。一度離れると、なおのことみんなのことを恋しく想ってしまう。今この場にこられたら、きっと……
その時遠くから、がちゃりと扉が開く音がした。何度となく聞いた、玄関扉が開く音だ。
その瞬間、今まで考えていたことも全て忘れて、わたしはふらふらと歩き出していた。
玄関が見える廊下まで出ると、そこには一人の、よく見慣れた男の人が立っていた。
「……やあ、スー。迎えに来たぞ」
「迎えに来てなんて、頼んだ覚えはないけれど」
目の前に立つ少女は、無理やりつくったような冷たい声で言った。
「ああ。これは俺がやりたくてしたことだからな。キリーの了承すらとれてないよ」
「バカじゃないの……っ!そんなことして、なんの意味もない!迷惑だってわかんないの!」
「バカか否かと言われたら、間違いなくバカだな。さっきも言ったが、俺は自分のやりたいことをやってるだけだ。きみの意見なんて、これっぽっちも聞く気はない」
「そんな……無茶苦茶だよ、ユキくんの言ってること」
「無茶も言うさ。俺は、ヤクザだからな」
俺は一歩、スーに近づいた。
スーは逃げない。
「俺は俺の正しいと思うもののために、ヤクザの箔を使わせてもらう」
「……そんなヤクザ、初めて聞いたよ」
「いい使い方だろ?最近思い付いたんだ」
また一歩、俺はスーに近づいた。
スーはなおも動かない。
「だけどな、スー。正しいとか間違ってるとか、そんなものは後付けだ。俺が、スーと一緒にいたいんだよ」
俺はとうとう、スーの目の前に立った。
「帰ろう、スー。みんなが待ってる」
「……ほんとに……ずるいよ。ユキくん、他の人にも言われたことない?」
「……つい最近、言われたな」
「やっぱり。そんなことばっかり言って、きっと後悔するよ」
「しないさ。俺の決めたことだから」
「ううん、後悔させてやるっ」
ドンッ。スーは勢いよく、俺に抱きついた。
「こんな女さっさと見捨てればよかったって、一生付きまとって思わせてやるんだから!うわーん!」
声を上げて泣くスーを、俺はぎゅっと抱き返した。するとスーも応えるように、さらに腕の力を強めた。
俺たちは互いのぬくもりを確かめ合うように、しばらくの間抱き合っていた。
だが、そんな時間も長くは続かなかった。
続く
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2.4万
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2.3万
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