異世界ヤクザ -獅子の刺青を背負って行け-
第18話/Cry Havoc
店の裏手にまわると、ウィローの言った通り、一枚の扉があった。俺はそうっとドアノブをひねると、こっそりプラムドンナに忍び込んだ。
店内はまだ従業員がいないのか、シーンと静まり返っている。記憶を頼りに、俺は前に通されたホールへと進んでいった。
「……あーもう!なんだって今さら!」
すると、ふいに焦ったような声が耳に届く。
声をたどって行くと、がらんどうのホールに人影が一人だけ。コツコツとヒールを鳴らして、苛立たしげにテーブルの周りを歩き回っている。
俺は深呼吸すると、人影に声をかけた。
「やあ。大変そうだな、アプリコット」
「えっ!?あんた、この前の?」
振り返ったのは、尻尾を逆立てたアプリコットだった。
「いつの間に?というか、どっから入って来たのよ!」
「裏口だよ。従業員用らしいが、こういう時は物騒かもしれないな」
「……ふうん。下調べはバッチリってわけね。それで何?見ての通り、あたし忙しいんだけど」
「ああ。ジャケットを返してもらおうと寄ったんだが、なんだか騒がしくってさ」
「そういうつまんない冗談はいいから。忙しいって、聞こえなかったのかしら?」
アプリコットは苛立たしげに腕組して、俺を睨み返した。つれないな。俺は肩をすくめると、本題を切り出した。
「単刀直入に言おう。この騒ぎの原因は俺たちだ」
「ッ!」
アプリコットは一瞬耳をピーンと立てたが、すぐに落ち着き、冷静に聞き返した。
「ま、そうよね。タイミングがどんぴしゃだもの。それで?あたふたするアタシを笑いにでもきたのかしら?」
「いや、それよりもっと悪いことだ」
アプリコットの顔に怯えが走る。彼女からすれば、俺は悪魔か何かにしか見えないだろうな。悲しいのは、それがあながち間違いじゃないことだ。
俺は割り切って、なるべく残忍そうな笑みを浮かべた。
「俺たちは、きみの仲間だと嘘をついて、チャックラック組にケンカを吹っ掛けたんだ」
「そんなの分かってるわよ!さっきアンタが言ったんじゃない!」
「早合点しないでくれ。俺たちはその時、メイダロッカ組だとも、プラムドンナの人間だとも言ってはいない」
アプリコットははっとした。俺の言いたいことに気付いたらしい。やっぱり彼女は、頭の回転が早い。
「……それはつまり、あんたたち次第では、このケンカはヤクザ同士の問題にできるってことね?」
「少し違うな。俺たちは、きみの仲間だと思われてる。きみの立ち位置次第で、俺たちの奴らへの印象もだいぶ変わってくるんじゃないか」
つまりは、こういうことだ。俺たちはチャックラック組に、アプリコットの仲間だと伝えている。アプリコットが『プラムドンナのオーナー』なら、奴らの矛先はプラムドンナへ向くだろう。しかし、『ヤクザ一家の組員』だとしたら……
「……状況はだいたい分かったわ。それで、あたしに何をさせたいの?」
「話が早くて助かる。さすが、風俗街のボス様だ」
アプリコットは俺の皮肉に、いーっと八重歯を剥いてこたえた。
「ほめて下さってど・う・も!どうせろくなことじゃないんでしょ!売り上げを半分よこせだとか、チャックラック組に口を利けだとか……」
「いいや、もっと悪いことだって言っただろ?」
「っ。ま、まさか……」
アプリコットは何を想像したのか、自分の体をひしと抱きしめた。
「アプリコット。きみには、メイダロッカ組に復帰してもらう。俺たちのシノギを手伝ってほしいんだ」
アプリコットはぽかんと口を開けた。これが計画の第二段階だ。
「俺たちはシノギのために、きみの協力が必要だ。きみはこの状況を脱するために、チャックラック組をなんとかしなきゃならない。そこできみが組に戻ってくれれば、この問題がいっぺんに解決できる」
「ちょ、ちょっと待ってよ。金がほしいだけなら、別にあたしが戻る必要は……」
「確かに金は必要だ。だが俺たちに本当に必要なのは、継続的な財源だ」
「なら、なおのことだわ。今後、店の売り上げの何割かをあんたたちに納めてあげる。だから……」
「それじゃダメだ。この件が片付いたら、きみ、きれいさっぱり知らんぷりするだろ」
「……」
「しかもあわよくば、俺たちとチャックラック組が共倒れになればいいと思ってるだろ」
「……ああもう!わかったわよ!呑むのむ、呑みますーッ!」
アプリコットのヤケクソじみた答えに、俺はにっこり笑った。
上辺だけの口約束なんて、チリ紙程度の価値もない。俺が自分の作戦をみんなに話した時に、ウィローが言った言葉だった。「やるなら、徹底的に。あの性悪猫のしっぽを捕まえて、首輪をハメてやるんです」というのが、ウィローの出した条件だ。
……猫用のトイレでも買いましょうか、というウィローの恐ろしいつぶやきは、今は忘れておこう。
「どのみち俺たちが正体を明かせば、チャックラック組は、きみと俺たちがグルだと思うだろ?その時きみがプラムドンナ側にいたら、後々面倒じゃないか」
「あーハイハイ、そういうことにしておくわ。ほんっと、ヤクザってのは強引なのばっかり!」
「そう拗ねないでくれよ。みんななんだかんだ言いながら、きみに帰ってきてほしいんだ」
俺が言うと、アプリコットは下唇を噛んで、すっきりしないという表情を浮かべた。
「……こんな脅迫じみたやり方で言われても、素直に受け取れないわ」
「悪いな。きみを折らせるには、これしか思い付かなかったんだ」
「それでもあたしが断ったらどうするつもりだったのよ」
「ああ、その心配はしてなかった。この状況で、断れないって分かってたからな。俺はきみの『イエス』を聞きに来ただけだ」
「さいッてい!」
はははは。笑う俺を見て、アプリコットは観念したように、しっぽをだらりとたらしたのだった。
「あ、ユキ!それにアプリコットも!交渉、うまくいったんだね」
「ああ。一応、な」
「いちおう、よ。ホントは納得してないんだからね!」
アプリコットがシャーっと牙をむく。それでもかつての仲間の帰還に、キリーは嬉しそうに笑った。
俺たちは今、プラムドンナの正面に集まっている。あたりはガヤガヤとざわつき、人だかりができていた。ピリピリと、肌がしびれるような雰囲気だ。
「ね、ねえ!ほら、あそこ!もう目の前に!」
スーの切羽詰まった声を聞いて、俺たちはそちらに目をやった。
通りの先、もう一人一人の顔が見えるくらいの距離に、無数の男たちが迫ってきていた。真ん中には真っ黒なスーツ姿が一人。それ以外はスカジャンやジャージなど、バラバラの格好だ。
「ね、ね、ねぇ……なんか、すっごく大勢いない……?」
スーが震える声で絞り出す。
「ホントだな……規模が縮んだってのは、当てが外れたな」
「そ、そんなぁ……」
スーはぺたりとへたり込んでしまった。ウィローがそんなスーの肩をポンとたたく。
「大丈夫ですよ。スーツは組員としても、その他は寄せ集めってとこじゃないですか。とりあえず頭数だけ揃えたようです」
アプリコットは不満げに鼻を鳴らした。
「ふんっ。あたしをシメるだけなら、それだけいれば十分ってことでしょ。大勢でくれば、ビビって漏らすとでも思ってるんじゃないかしら」
「でも実際、慌ててたけどな」
「う、うるさいわね!あれは面倒事ができてイラついてたの!」
「……っと。おしゃべりは、ここまでにしよう。いよいよお出ましだ」
もう目と鼻の先に、男たちは迫っていた。
スーツの男が立ち止まると、他の連中も一斉に歩を止めた。
「よぉ、アプリコット。あんた、ずいぶん偉くなったんだな、えぇ?腰巾着なんかぶら下げちまってよ」
男は傷のある顔を歪めて、俺たちを睨んだ。この顔には見覚えがある。こいつ、昨日ひっかけた、幹部とか言ってた男だ。しかし男の方は、俺たちの正体にまだ気付いてないようだ。
「いっぱしに用心棒なんか置きやがって。そいつらもお前の護衛ってわけか?」
「……いいえ。こいつらは、そんなんじゃないわ」
「はっ、じゃあ何だっていうんだ。お友達かなにかか?」
「いいえ。彼らは仲間。あたしの所属する“組”の、仲間たちよ」
「……なんだって。組、だと?」
傷男はぽかんと口を開けた。俺は一歩前に進み出る。
「そう。彼女は俺たちの組の一員だ」
「あ?誰だおめぇ?」
俺はおもむろにポケットのサングラスを取り出した。そして頭に付け耳をする。
「こういうことだよ」
「んなっ、テメェら!この前のヤツらか!」
「その通り。あれは俺たち“メイダロッカ組”が、あんたをハメるためにやった芝居だよ」
「な、なんだと?」
「いい勉強になったんじゃないか。女の口説き方の、さ。だろ、キリー?」
キリーが俺の脇からにゅっと顔を出すと、傷男にべーっと舌を出した。
混乱していた傷男にも、少しずつ状況が飲み込めて来たようだ。傷跡のある顔がだんだん赤くなっていく。
「……つまりは、ヤクザがオレ様をからかったってことか。ハッ、いいのか?風俗街のボスさんよォ!こんなふざけた組に泣きついて、てめえの店はどうなっても知らねえぞ!」
傷男は、アプリコットにむけて大声でどなった。しかし当の彼女は、涼しい顔をしていた。
「あら、そんなのあたしの知ったこっちゃないわ」
「あ?」
「あたし、ヤクザに復帰することに決めたの。ボスの立場にも飽きちゃったしね。それで手始めに、あたし個人の復讐を済ませることにしたのよ」
アプリコットはきっぱり言いきった。うまい言い回しだ、あくまでアプリコット個人が歯向かったように、話を誘導している。
「……いい度胸じゃねぇか。ぶっ殺してやる、このクソアマ!」
傷男は歯をむいて唸る。後ろのゴロツキどもははやし立てるように野次を飛ばした。
「よおよお、誰か葬儀屋の親戚はいないのか?こんなとこに野ざらしじゃかわいそうだぜ」
「最近はペットの葬式もやってるのか。猫ちゃんに立派なお墓を作ってあげないとな」
「おめぇら、何バカ抜かしてんだ!」
傷男が一喝すると、ゴロツキたちはしんと静まり返った。
「一人ぼっちにしちゃかわいそうだろ?店の前に転がしといてやりゃ、人もどきのお友達もたくさんいて寂しくないだろうが。なあ?」
傷男が大げさに手振りすると、ゴロツキどもは馬鹿みたいに大笑いした。
「ワハハハハ!」
「ギャハハハ!」
「ガハハ……ん?」
「あははは!」
「え?き、キリーちゃん?」
男たちに交じって大笑いしていたのは、まぎれもなくキリーだった。
「ど、どうしちゃったの、キリーちゃん?」
「あはは!スー、だっておかしくって!」
けらけら笑うキリーに、男たちは怒りを通り越して呆れているようだ。
「こいつ、気でも狂ったんじゃねぇのか?だったら……」
「はー、けどやっぱりおかしいよ」
傷男を遮って、キリーはきっぱりと言いはなった。
「だって、わたしたちが負けるはずないもん。葬式の心配が必要なのは、あの人たちでしょ?」
「なっ……」
「んだとぉ……!?」
チンピラたちに怒りのどよめきが走る。
「くくくっ、そうですね。この程度の数なら、あくびしてる間に片付きますよ」
ウィローがばさっと髪を払うと、コキコキ首を鳴らした。
「ぶっ……くぁっはっはっはっ!おめぇら、ずいぶんオメデタイ連中だな。オレの横にいる男が、誰だか分かって言ってんのか?」
傷男が大声で、隣に立つ男を指さした。そいつは背は高いが痩身で、金串のようなバリバリの髪のすき間から、鋭く尖った瞳をギョロリとのぞかせている。
「こいつはなぁ!今まで何十人という人間を闇に葬ってきた暗殺のプロよ!チャックラック組に歯向かうヤツは、こいつの“曲がり釘”で喉元引き裂かれちまうのさ!」
「曲がり釘……!」
傷男の言葉に、アプリコットが大きく目を見開いた。
「あいつ、最近見ないと思ったら……!用心棒なんてやってたのね!」
「アプリコット、アイツを知っているのか?」
「ええ……もとはこの辺で名を上げたヤンキーよ。最近は行方知れずって聞いてたけど、まさかヤクザとつるんでたなんて」
「もしかして、きみの友達とか?」
「冗談でしょ。ただ、アイツの片親が獣人でね。そのよしみがあったのよ」
なるほど。じゃあ奴は獣人のハーフなのか。しかし、今はアプリコットにも敵対している。
「有名だったってことは、それなりに腕は立つってことだよな?」
俺がたずねると、アプリコットはこくりとうなずいた。
「……相当、強いわよ。“曲がり釘”ってのは、その時ついた異名なの。けどまさか、殺しまでしてたなんて……信じられないわ」
アプリコットは悲しそうに首を振った。しかしすぐに顔を上げると、不安そうに俺たちを見回した。
「ねえ、今更だけど、ホントに大丈夫なの?相手は大勢に加えて、曲がり釘の馬鹿やろうまでいるのよ?こっちなんて女の子ばっかり、戦えるのは一人しかいないじゃない!」
「おいおい、戦力が俺だけってことはないだろう。ウィローを忘れたのか?」
「忘れるわけないでしょ。あんたは“ばっかり”のほうよ」
「あ、そう……」
俺は女の子としてカウントされているらしい。
「大丈夫だよぉ、アプリコット。ユキも結構すごいんだから!ね、ウィロー?」
キリーはにっこり笑うと、ウィローへ振り返った。しかしウィローのことだ、きっと辛口なコメントが……
「当たり前です。勝算もなくケンカを売るはずありません。それにこう見えて彼は、なかなか動けますよ、」
「へ?」
ま、まさかウィローから称賛の声が出るなんて……素直におどろいてしまった。
ウィローが俺の方を向く。
「あなたとは一度手を合わせていますから。相手の実力を知るのなんて、それで十分です。その結果……」
ウィローは、鉄パイプをすっと差し出した。
「あなたは共に戦うに足る人物だと判断しました。あなたの背中は、私の孔雀が守ります。私の背中は、あなたに頼みましたよ」
「あ、ああ!任せとけ!」
ウィローほどの猛者に認められ、俺は思わず声が弾むほど嬉しかった。だけどここは戦場の真っ只中だ、あまりはしゃいでもいられない。
俺はかざされた鉄パイプに、自分の腕をこつんと重ねた。
握手の代わりに。俺たちには、これで十分だ。
「……別れのあいさつは済んだか?よーく語り合っとけよ、なんせこれが最期の会話なんだからな」
傷男はニヤニヤと笑っている。周りのゴロツキたちは手に手に、バットやナイフを構えた。臨戦態勢だな。
「悪いな、時間取らせた。この後一杯行こうかって話してたんだ」
「くくっ。そいつは、いいですね!」
ウィローはにやりと笑うと、愛用の鉄パイプをぶんぶん振り回した。
「……このクソ野郎が!おいお前ら、こいつら殺っちまえ!」
「うおおぉぉお!」
「ユキ、いきますよ!」
「おう!」
俺たちは、いっせいに走り出した!
続く
《次回は木曜日に投稿予定です》
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