異世界ヤクザ -獅子の刺青を背負って行け-
第10話/ Scar
食事が終り、俺はしんとした事務所のソファに一人で座っていた。刺青の力を試したかったのだ。
「うーん、けっこう難しいもんだな……」
目の前には、粉々になったカップ麺のからが散らばっていた。ためしに潰してみようと思い切り力んだら、風船のように弾けとんでしまったのだ。今の俺の力は、想像以上にすごいらしい。
俺はしばらくの間、一人で悪戦苦闘を続けた。紙を破ろうとすれば摘まんだだけで裂けてしまうし、字を書こうとすれば鉛筆がフレークになった。
「ああくそっ、またダメか」
「あれ?ユキ、まだいたの?」
振り返ると、頭にタオルをかけたキリーが立っていた。例によってワイシャツにパンツ一枚で、風呂上がりなのか頬を桃色に染めている。
「あ~あ~、こんなに散らかして。ユキったらこういう趣味なんだ?」  
「なわけないだろっ。刺青を試していたんだ」
俺は手を強くたたいてくずを払い落した。まったく、目のやり場に困るな。今まで女ばかりだったから、あんな格好でも平気なのか? 
しかし、そんな俺を見て何を思ったのか、キリーはすたすた歩いてくると、俺の隣にストンと腰を下ろした。
「お、おい。なんだよ」
「べつに~?ちょっと見ていこうかなって」
「……そんなに、見てて楽しいものじゃないと思うぞ」
俺は咳ばらいを一つすると、テーブルに置いておいたチラシの束から一枚摘まみ、それを四角く折った。それから意識を背中に集中し、唐獅子を発動させる。紅い光を確認したら、ゆっくりと紙を持って……俺は折り紙を始めた。目標は鶴を折ることだ。
(…………う)
が、どうにも集中できない。キリーが興味津々といった様子で体を寄せるもんだから、ふわりと漂う石鹸の香りが鼻をくすぐるのだ。
「あっ」
「あら」
ビリ。折り鶴は無残にも真っ二つになってしまった。
「……だぁ!もうやめだ。ゆっくり慣れていくことにするよ」
「なんだ、もうやめちゃうの?」
俺が鶴の残骸をゴミ箱に放り投げると、キリーはつまらなそうにソファにもたれた。
あ、そうだ。ちょうどいいから聞いてみよう。
「キリー、俺が刺青を彫りに行くこと、分かってたのか?」
「ん~?」
俺がステリアの店でのやり取りを話すと、キリーはあぁ、と手を打った。
「そのことね。うん、きっと力を欲しがるだろうなって思ったからさ」
「力、だって?」
「そ。この“道”にいると、どうしてもね」
キリーはふふっ、と意味深に笑った。
「ねえ、ユキはどうして力が欲しいと思ったの?」
「え?それは……ウィローが喧嘩した時、俺は役に立てなかったから」
俺の答えを、キリーは鋭く咎めた。
「違うね。ユキは喧嘩がしたくって墨を彫ったんじゃないでしょ」
「なに?」
「わたしに墨を入れたいって言った時だよ。ユキは、誰かを殴るために墨を背負ったの?」
「それは……」
俺が力を欲した理由……大きな耳と真紅の瞳が、脳裏をよぎった。
「……ああ、確かにそうだ。俺は、一人の女の子を助けられなかったんだ」
聞いてくれるか?とたずねると、キリーはこくりとうなずいた。
俺がルゥとの話をする間、キリーは黙って聞いていた。
今日のことをあらかた話し終えたあたりで、キリーはようやく口を開いた。
「……そっか。ま、その手の話は、割りとよくあるって感じかな。悲しいことに」
「そうか……」
「うん。けどね、ユキ。わたしは、ユキは偉かったって思うよ」
「え?」
キリーはうんうん、と頷いた。慰めのつもりなのか?
「キリー。俺はなにも……何一つも、できなかったんだ」
「ううん。ユキは“なにもしなかった”んだよ」
え?なにも、しない?
キリーは、まるで見えない誰かに差し伸べるように手を伸ばした。
「ユキはその時、ウサギちゃんを無理やり連れ出すこともできたでしょう?その子からしたら、ユキは王子さまに見えたかもね。けど」
ぐしゃり。キリーが手を握り潰す。
「その子を守るだけの力がなかったら。一時の王子さまは一転、その子を連れ去ったあげく、荒野に打ち捨てていった悪魔に早変りする」
「悪魔に……」
あんな場所でも、ルゥはそこを自分の“居場所”だと言った。あそこにいれば、少なくともルゥは生きていくことができる。でも、だからって。
「何もしないことが、褒められたことなのか……?」
キリーは伸ばしていた手をだらりと下げた。
「どうなんだろうね。わたしはバカだからよくわかんないや。だけどわたしは、無責任な“善い行い”よりずっと偉いと思うんだよ」
無責任な、善い行い……誰かに手を差し伸べるには、それ相応の覚悟が問われる、ということだろうか。
「けど、それなら……きみは、俺を助けてくれたじゃないか」
「へ?あはは、そうだね。けど、わたしはユキを助けたつもりはないんだよ」
なに?どういう……意味だ?
「確かにわたしは、行くあてが無い人を組に匿ってる。けど、それだけなの。どこに行こうが、いつ消えようが、わたしは関与しない。放任主義っていうのかな。ふたの開いた鳥かごにカナリヤを放っておいても、飼ってるとは言えないでしょ?」
「……」
あの日、キリーとした賭けを思い出す。キリーは俺がいずれ死んでいなくなることに賭けた。それはつまり、俺がいつ居なくなろうが気にしないということ。俺のことも信じてないし、信じる気もない、ってことか。
「信じて裏切られるほうがいいっていうけど、裏切られるくらいなら信じたくないと思わない?」
そんな俺の考えを察してか、キリーが先に口を開いた。
「……それなら。どうしてきみは、こんなことを続けているんだ」
誰も信じないのに、去っていく背中だけは見送り続ける。俺にはそれが、どうしようもなく虚しく思えた。
「そうだね……正直、わたしにもよくわからないんだ。強いて言えば、おじいちゃんがそうしてたから、かなぁ。側だけ真似したってしょうがないって、わかってはいるんだけどね」
へへへ、とキリーは寂しく笑った。
「……ごめんね、なんか説教臭くなっちゃった。偉そうに言えるほど、わたしもできた人間じゃないのにさ。あはは」
ぴょん、とキリーはソファから立ち上がった。
「もう寝るね。今夜はめんどくさい酔い方みたいだから」
きっと嘘だ。酒を飲んでいたようには見えない。
立ち去るキリーの背中に、俺はたまらず声をかけた。
「キリー!確かに裏切られるかもしれないが……それでも信じてみなきゃ、なにも始まらないんじゃないか!」
「……そうかもね。おやすみ」
キリーはひらひら手を振って二階へ上がっていった。
俺はどっかりと、ソファに背を預けた。なんだかどっと疲れた気がする。
「誰も信じない、か……」
けどそれなら、キリーは永遠に一人にならなければならない。それなのに彼女は、手を差し伸べる。いずれ自分のもとを去っていくと知りながら、それでも……
「そんなの……信じたいって言ってるようなもんじゃないか」
それはきっと歪だ。けれど、彼女が歪んでしまったのには、それだけ多くの“裏切り”があったに違いない。なら……
「決して死なずに、ずっとそばにいる人がいれば。あいつは、救われるのか……?」
ヤクザという職業柄、危険は常に隣り合わせだが……少なくとも、俺はそうやすやすとくたばるつもりはない。もしそうなれば、彼女も変われるのかもしれないな……
そんな考えにふけっているうちに。いつしか俺は、ソファで眠ってしまっていた。
「ぷっくくく……」
「き、キリーちゃん。ダメだよ……ぷふっ」
なんだ?騒がしいな。静かに寝かせてくれよ……
「おお、なかなか起きないね?ならこうだ!」
きゅぽん。何かが俺の顔を這いまわっている。きゅきゅきゅ~。
「ん……?うわっ。なんだ、何してるんだ!?」
「きゃあ」
「あ~あ、起きちゃった。スーが騒ぐからだよ~」
俺の目の前には、横向きになったキリーとスーがいた。あ、違う。俺が横になってるんだ。
俺がむくりと起き上がると、スーはわたわたと手を振った。
「ち、違うんだよ。キリーちゃんがいたずらしようって……」
「あ、ずるーいスー!なんだかんだ乗り気だったくせに」
「えぇ!?ち、違うよぅ」
「……もう。あなたたち、朝からなにやってるんですか」
ウィローがあきれ顔でこちらを見ている。
「とりあえずあなたは顔を洗って来てください。すごいことになってますよ」
「え」
俺が慌てて洗面所に駆け込むと、そこには顔中落書きまみれの男が映っていた。
「こっ、これは……!」
何が書かれていたかは……俺の名誉のために黙っておく。
顔を洗って事務所に戻ると、キリーたちはトーストをかじっていた。
「あ、あの。これ……」
スーがおずおずと、きつね色のトーストと、コーヒーの入ったマグを差し出した。立ち上る湯気がいい香りだ。
「お、ありがとう」
「うん……どうぞ」
俺が受け取ると、スーは手が触れないよう、さっと引っ込めてしまった。やっぱり俺に苦手意識があるみたいだな。それでも露骨に避けようとしないのは、根が真面目だからか。はは、おおよそヤクザらしくない女の子だ。
「にしてもキリー、なんなんだよ朝っぱらから」
「いやぁその、落書きしやすい顔があったからつい……」
書きやすい顔?俺、そんな顔してるのか……?
「まったく。キリーもですが、ユキ。あなたもですよ。こんなところで寝ないでください。子どもじゃあるまいし」
「う……すみません」
「風邪でもひかれたら困りますよ」
「……へぇ~。ウィローが新入りの心配してあげるなんて、珍しいじゃ~ん」
キリーがにやにや、からかうようにウィローにからむ。
「な、なにが言いたいんですか」
「別に~?ただずいぶんユキのこと気にかけてるんだな~って」
「あ、当たり前ですよ。だって……」
ウィローがふいっと目をそらす。なんだ、意外と優しいところも……
「だって、彼にはこれから死ぬほど働いてもらわないといけないんですから。いざと言うとき兵隊が動かせないと困ります」
前言撤回。優しくなかった。
「……なんていうか、ウィローらしいや。あはは」
はぁ。キリーはあきらめたようにため息をついた。
「あ、そうだユキ。ステリアが後で来てくれって言ってたよ。壁がどうとか、言ってたけど」
「壁?なんのことですか?」
ウィローが不思議そうに首を傾げた。
「あー、いや、わかった。昨日そんな話で盛り上がったりしてさ、ハハハ……」
「壁についての話題でですか……?そういえば、昨晩も壁がどうとか……」
まずい。余計な出費を増やしたなんて、ウィローの耳に入れては一大事だ。
俺は大慌てでトーストを口の中に押し込むと、それをごくんとコーヒーで流し込んだ。
「よ、よし!じゃあ、俺は下にいってくるよ。夕方には戻るようにするから」
「あーい。いってら~」
「……なんか怪しいですね」
続く
《次回は土曜日に投稿予定です》
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