『経験値12000倍』チート外伝 異世界帰りの彼は、1500キロのストレートが投げられるようになった野球魔人。どうやら甲子園5連覇をめざすようです。
完全なる縦の変化
トウシのピッチングに震えているのは、神や悪魔や甲子園優勝投手だけではなかった。
彼のピッチングの凄まじさが理解できる、稀有な存在。
その女は、アカコー側のアルプスにいた。
トウシのピッチングに、魂を奪われていた。
隣に座っているアホな女が言う。
「なぜ、トウシの、あんな遅い球を、西教の連中は打てない? 意味がわからん」
古宮は絶句する。
あまりに間抜けな質問を受けて、眉間に大量のしわが寄った。
「あのすごさが……わからないの?」
「すごさ? なにが?」
「彼は、初回から同じサインを使っている。単純な足し算だから、相手にはもうとっくにバレているでしょう。投手が出すサインなんて、バレたら終わり。なのに、彼はずっと使っている。その意味が分かる?」
「バレてないと思っているから?」
「……第二に、彼は、おそらく、十八分割……いえ、もしかしたら、その倍ほどの精密なコントロールをしている。それも、すべての球種を一キロ単位で調節しながら」
「それが?」
「彼の球種は、ジャイロ系・バックスピン系、変化球系で、計15種類ほど。そのすべてを完璧な配球で投げ分けられて打てる打者など、メジャーにも存在しない。彼は、今、人類史上、最高のピッチングをしているの。わかる? 歴史上、彼よりもすばらしい投球をした者はいないのよ」
「……遅い球と、あんまり曲がっていない変化球を投げているだけのようにしか思えないけど? 相手チームの投手の方が、よっぽどすごい球を投げている」
「あなたが今言っているのは、例えれば、百キロのバーベルを担いだ百メートルハードルバック走で十五秒を切った人に向かって、タイム的には、ボルトより遥かに遅いと言っているようなもの」
「……」
「球種を予告したうえで、球速を限界まで抑えたうえで、彼は今、高校球界史上最高のチームと名高い、今年の西教高校をパーフェクトに抑えているの。それがどれだけ――」
★
自分に天賦の才があると理解したのは物心ついて間もない時だった。
体の柔らかさと、稼働域の広さが尋常でないという事実。それが、どれだけ有利に働くかを理解できたのが、野球の勉強を始めて二年が経った五歳の時だった。
背筋は並だった。
160キロのストレートが投げられる肉体ではない。
限界まで鍛え、よくても140の中盤。身長が二メートル近くまで伸びれば、150を出すのも不可能ではないが、両親を見る限り、180センチも無理くさい。
自分に出せる速度の限界は即座に理解できた。しかし、
(十分やと思った)
主審から返球された球をじっくりと観察しながら、
(ワシの頭と、極めて効率よく球を弾けるこのしなやかな肉と関節さえあれば、理想とする投球はできる)
腕につくほど反れる手首は、球に、この上ない反発力を与えた。ギリギリまでタメたうえで弾かれた球は、桁違いの回転数でミットに収まる。
120キロ台でも、リリース位置と回転数という条件さえ満たせば、球は確かに浮く。すでに証明されている物理。
(ワシのバックスピンは、マジのライズや。要所で投げれば、打たれるわけがない)
彼は積んだ。絶大で膨大な努力。
知ってしまうと、試したくなる。人の性。
どうすれば最も効率よく己を鍛えられるか。それを、彼は、ヨチヨチ歩きの頃から、とことん追求し、自分なりの理論を組み立て、そして、それを、己で実践した。
結果は上々。元々の性質・資質・才能と合わさって、彼は素晴らしい投手になれた。
何より素晴らしいのは、彼の最大の武器が、その芳醇な技術ではなく、極めて膨大な知識と、それを完璧に操れる頭の回転速度だということ。
(打者の目が、最も苦手とする球は、ちゃんとした縦の変化。本物が投げられるなら、スプリットとライズが一番打ちにくい。それは、投手・打者の位置と、人間の目の構造的に確定されとる事実。なんで、フォーク系がたまに打たれるかといえば、ゴリゴリのマグレと、あとは、大半のフォークが、ちゃんとまっすぐ落ちとらんから)
フォークは、超スローで見れば、基本的にブレており、つまりは、左右のどちらかにズレて落ちる。
本来、完全にまっすぐ落ちれば、人の目は、遠近感がなくなり、どこを振ればいいのかわからなくなる。
だが、シームが人の手で縫われており、かつ、完全な球体ではないという事実と、マウンドからキャッチャーまでの間が真空ではないという地球上における当然の物理が、投じられた球に当たり前の変化を与える。
まっすぐ落ちなければ、遠近感が働く。だから打てる。ならば、すべてを計算して、まっすぐ落とせばいい。きわめて複雑な流体力学の知識を要する計算も、彼の頭ならコンマの単位で正解を導き出すことができる。
結論は単純。田中東志のライズとスプリットは、マグレ以外では打てない。
「ストライッ、バッターアウゥ!」
審判が叫ぶ。十二個目の三振。
120台しか投げられなくとも、高校生程度が相手なら、三振を量産できる。
★
「わけわかんねぇ」
0が続くスコアを見て、清崎は眉をひそめた。
すでに七回。一点負けたまま、試合は、ズルズルと終盤に向かって、のんびりと進んでいる。
「なんで打てない? いや、コントロールがすげぇのはわかった。速度を微妙に調整しているのも、もうさすがに分かった。だが、それだけだろ? 120台だぞ。一番打ちやすい速度だろ。なんで、ここまで打てない?」
「裏の裏は表じゃないってことだよ」
「あ? 桑宮、お前、なにいってんだ?」
「誘導されているんだ、すべて……すべて。つけいる隙もあるはずだと思って食らいついてはみたけれど、無意味だった。無理だよ。勝てない。絶対に。……やっている野球の次元が違う」
「……マジでなにいってんだ?」
「駒の動かし方ぐらいしか知らない素人が名人と互戦で戦っているようなもの。いや……サインで球種を教えてくれているから、飛車角落ちなのかな。それでも、当然のように、ぶっちぎりで負けている。それが現状なんだよ」
「……いいかげんにしろ。横綱はこっちだ。相手はアカコーだぞ。俺らからすれば、クソ以下のチームだ。強いのはおれたちだ。勝つのは俺たちだ。そうだろ!」
「パーフェクトで負けているんだよ……現実問題」
「……」
「勝てる気がしない。気づかないのか? 回を増すごとに、田中の凄みがどんどん増していることに」
「……」
「最初は明らかにチャレンジャーの顔をしていたのに、今はマウンドに君臨している。理解したんだよ。僕らのレベルを。――話にならない、と」
「なにいってんだ、お前。だいじょうぶか?」
「ど真ん中のまっすぐしか投げていないよ」
「あ?」
「目をそらしたところで、現実は変わらない。三回以降、あいつ、田中東志は、どまんなかのまっすぐしか投げていない。それが僕らと彼の差なんだよ」
「……」
「勝てるわけないだろ。球種をさらし、変化球とコースへの投げ分けを縛ったうえで、楽にパーフェクトできるのが、彼と僕らの実力差だ」
「……開き直ってやけくそになっているだけだろ。失うモノがないやつはこれだからタチが悪い。打者は良くても三割しか打てないんだから、こんなマグレもある。マグレを実力だと勘違いするほど愚かなことはねぇぞ、気をつけろ」
(清崎くんは打撃の天才だが頭が悪い。とても理解できないか……)
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