ダイバー

空空 空

雪兎の少女 その2

 「......大丈夫?」
そう言いながら、少女に手を差し出す。
 少女は無言のままぼくの手を取る。
 指は少し短めで、染みの1つも見当たらない真っ白な柔らかい毛に包まれた手。
 手のひらに触れる毛の先端が少しくすぐったかった。あと、どう言うわけか自分の胸の奥に、もどかしいような、こそばゆいような感覚が生まれた。
「ごめん、ね......」
 一度はなんとか立ち上がることが出来たが、すぐに脚がもつれてしまう。一瞬、脚が曲がっててはいけない方向に曲がっているように見えたが、そう言えばウサギの脚の関節ってこんなだったか......と安堵する。
 しかし、その脚の、腿の内側の毛が血に濡れているのを視界の端に捉えて、少しいたたまれない気持ちになる。
 「ちょっと待っててね......」
 この少女を次の村まで運んでいける物は何か無いかと、あたりを見回す。するとすぐに、農業用と思われる荷車が見つかる。木製の簡素な作りだ。
 灰色の土を踏みしめて、荷車に歩み寄る。その過程であることに気づく。
「......死体が、無い......?」
 クモの亡骸が消えていた。もしかしたら傷が浅く、逃げていってしまったのかも......と一瞬思ったが、そんなことはないだろう。
 少し嫌な汗を背中に伝せながら、荷車を少女のもとまで運んだ。
 どのみち、ここに長居するべきじゃないだろう。
 木の柱に寄り掛かって座っている少女の側で荷車を横に倒す。
 そこになんとか入り込んでもらって荷車を起こす。その際の衝撃で、少女の顔が苦痛に歪むのを目にし、もう少し賢いやり方があったかもしれないと後悔する。
「ごめん。......大丈夫?」
「ん......。だいじょ、ぶ......」
 どう見ても大丈夫じゃないので、足早に廃村を後にした。
 気づけば空も白み始め、どこからかほんのりと、水の匂いが漂ってきた。あるいはそれは、夜明けを告げる星の匂いなのかもしれない。
 
 第2の村には、わりかしすぐに着いた。その村は規模こそ変わらないが、何人もの住人たちが、背の低い柵に囲われた村の中で各々の生活を営んでいた。もっとも、そこに人間の姿は見当たらないが。
 どうやらこの世界......プリントだったかな......は、いわゆる「人間」と呼ばれるような生き物は居ないようだ。獣人......とでも言うのだろうか。
 もちろん、そんな中に、いきなり現れた荷車を引いたぼくは注目を集めるわけで、少し居心地が悪かった。
 だが、ぼくに注がれる視線には、敵意は無さそうだ。
 転校生って、こんな気分なのだろうか。
 と言っても、あまり悠長なことは言ってもいられないので、一番近くにいた上に優しそうだったラクダの青年に声を掛けた。
 「あの......すみません。病院って......」
「............」
 口がだらしなく空いたまま、瞬きだけをしている。
 そのラクダ青年の姿を見た少女が、口を開き掠れた声を絞り出す。
「クラにぃ、びょーいん......」
 荷車に捕まって呟く少女の姿を見たラクダ青年は、血相を変えて、ぼくの服のを掴み......「って、えぇっ!?ぅぉお......?」荷車にぼくを放り込んだ。
 突然の行動に、言及する暇もなくラクダ青年は荷車を引いて走る。乗り心地は、案外悪くないものだった。
 
 「いやぁ......ごめんねぇ、ちょっと扱いが雑でぇ......」
 ぼくが知っている病院のイメージとは掛け離れた、木造の病院。と言うか木造建築以外を目にしていない。
 今更ながら、この世界の文明レベルに思考が辿り着く。
「ボクの名前はクラム。君はぁ......?」
 ラクダ青年は、見た目通り温厚な性格だった。
「あ......と、ぼくはヒビキって言い......ます」
 ゆっくり頷きつつ、クラムはぼくの右手を取る。
「あ......」
傷口の上に手をかざし......。
治癒アクティベート
 青い光が、ぼんやりと傷口を覆い、その周りをふわふわと同色の粒子が舞う。
 「......」
傷跡こそ残ってしまったが、塞がった傷口を見て息を飲む。
「魔法......?」
「みたいなものだよぉ。あんまり得意じゃないけどねぇ」
「............」
これは......。
「かっこいい......」
 回復魔法(?)ではあるが、魔法だ。こんな光景を目にするなんて思っても見なかった。
「え、それって......」
ぼくも出来るんですか?と言おうとしたところに、件の少女が現れる。その表情は、さっきまでの姿が信じられないくらい快活だった。
 白く柔らかそうな生地で出来た袖の無い服を着ている。下はショートパンツ(?)で合ってるのか?体操服より少し短いくらいのズボンをはいている。こちらはクリーム色だ。どちらもサイズが少し大きいのか、ゆったりとしている。
 ビー玉に朱色の絵の具を溶かし込んだような、赤く澄んだ瞳がぼくを見つめ、そして弛緩する。
「ありがとね」
 その笑った顔が、ぼくの鼓動を乱す。どうしてそうなっているのか分からないだけに、治めることが出来ない。
「キミ......名前なんて言うの?」
「え......あ、ヒビキです......けど」
 名前を告げると、少し大袈裟な動作で頷く。
「うん!わたしは、ミフィ。改めてありがとね!」
 その名前を聞いた瞬間、動悸がどーきどきが治る。
 かわいいウサちゃんで、ミフィときてしまったら......ねぇ?
「なんか......ミルフィーユって言うお菓子?が由来らしーよ」
「ダウト」
 殆ど反射的に、言葉が出る。
対するミフィは「だうと......?」と首を傾げているが、お口バッテンのウサギを知っている身としては、それ以外考えられない。
「なんでもない。こっちの話......です」
「ん、そう。......でさ、ヒビキはこの後どうするつもりなの?」
 白い耳が、ピーンと立つ。
「......ぅえ?どうして?」
 勢いに、気圧されながらも、訊き返す。
 誇るように耳を震わせて、したり顔で答える。
「お礼に、お父さんに会わせてあげたいなって思ってさ」
「......は?」
 お礼までは分かった。だが、どうしてお父さん、コレガワカラナイ。
 状況もよく分からないが、少女の笑顔の中には、まさか断るはずもないという自信が表れているので、断ることも出来ない。そもそも、この先どうしたらいいのかも分からない。
 こう言う有無を言わさない笑顔が、素で出来る人は、ある意味大物なのかもしれない。
 ぼくの背後で、ぼんやりした顔でラクダ青年が佇んでいた。

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く