虚の暗殺者

このしろ まぐろ

契約

 午前八時十二分。市内を巡回するバスは満員御礼で、七、八人は立って揺れに耐えている。
 乗客の服装は、制服かスーツで、まさに通勤・通学ラッシュといったところだ。色やネクタイ、リボンなどの部分で多少の違いはあれど、単調であることは否めない。
 しかし、求道くどうはその中でも自分が一番スーツの似合う男だという自負があった。

 「次〜、第四地区西〜」

 運転手の気の抜けるようなアナウンスが聞こえると同時に、求道は降車ボタンを押した。


 高級住宅街の一角にあるバス停で、バスを降りる。
 漆黒のスーツに濃い緑色のネクタイで、エリート営業マンのような服装の求道だが、ここでバスを降りた目的は商品の売り込みではない。
 もっとも、どれだけ服装で取り繕っても、隈と髭が目立つ顔で全部台無しだ。丸一日営業したところで不審がって誰も何も買わない。
 しかし、求道が仕事でこの場所に訪れたことは紛れもない事実だった。
 求道はポケットからスマホを取り出すと、目的地の場所を確認して歩き出した。高級住宅街ということもあって、家一軒一軒が大きく、存在感を放っているように感じられた。


五分ほど歩いて、一際目立つ豪邸が目にとまった。目的地の『下田邸別荘』だ。
 『下田光正しもだこうせい』有名な起業家で、日本の富豪を紹介するテレビ番組などでもよく見かけるその人物は、二ヶ月ほど前にこの笹森町に別荘を建てた。
 下田がどうして笹森を別荘に選んだかは不明で、求道の知人曰く、「愛人が笹森に住んでいる」やら、「笹森の市長になって政界参戦するため」やら、さまざまな噂や憶測が街のいたるところで囁かれているらしい。求道にとってはどうでも良い噂であるが、町の人からすると面白いものらしい。
 インターホンを鳴らすと数秒で応答があり、求道という名前を告げる。しばらくしてメイド服の女性が門を開けた。

 「ようこそ求道様。わたくしは光正様の使用人の黒川と申します。光正様のお部屋まで案内致します」

 黒川の案内で屋敷の中へ入ると、巨大なシャンデリアや、高そうな絵画が求道を出迎えた。これが俗に言う大豪邸というやつなのだろう。
 下田光正の部屋は三階にあり、移動のためにエレベーターを利用するらしい。大富豪の家にはエレベーターもあるのかと感心していると、扉が開いた。黒川とともにエレベーターに乗り込もうとした瞬間、中から金髪の美少女が飛び出してきた。

 「学校、転校初日に遅刻しちゃ困るから!」

 慌てた口調でなにがあったか尋ねる黒川に、少女はそう言いながら走り去っていった。
 たいした理由じゃなかったことにホッとした様子の黒川は「お気をつけていってらっしゃいませ」と、少女に声をかけていたが、サラブレッドのような勢いで出ていった彼女には、おそらく届いていないだろう。


 エレベーターと長い廊下を越えると、立派な扉があった。黒川の後に続いて扉の中に入る。広々とした部屋が広がり、奥には口角を上げ、立派な椅子に座る男と、その真横に厳格な老人が立っていた。
 釣り上がった口角をさらに上げながら、男は口を開く。

 「ようこそ、殺し屋さん。いや、求道千里くどうせんり。私は下田光正、よろしく」

 どうやら、足を組んでふんぞり返っている男こそが、かの有名な下田光正らしい。小太りでつり目、金歯に高そうな装飾品を纏うその姿は、まさに成金と呼ぶに相応しいと求道は思った。
 下田の言動は少し勘に障るところがあるが、求道は心を鎮め、話を進める。

 「あんたが下田光正か。早速だが、仕事の話をしましょうか」
 「やけに急ぐな。何か理由でもあるのか」
 「俺は長話が苦手でしてね」
 「まあいいだろう。黒川、少し席を外してくれ」

 求道の要求に応じた下田は、黒川を部屋から追い出した後、笑みを浮かべたまま言い放った。

 「では簡単に言おう……。求道千里、お前には娘をまもってもらいたい」
 「……は?」
 「貴方様には光正様のご令嬢であられる美沙希様の護衛をしていただきます」

 下田の言ったことを理解できずに聞き返した求道に、横の老人が補足して説明する。しかし、それでも下田の依頼を理解することができない。

 なぜなら求道は殺し屋だから。殺し屋が唯一引き受ける依頼は殺人で、殺し屋が唯一できることはまた殺人である。
 ……断ろう。
 そう思い、求道は口を開く。

 「悪いがそれはできない。下田さん、あんた俺をボディーガードかなにかと勘違いしてるんじゃないか?」
 「……『殺し屋』求道千里だろう」

 表情を崩さず、下田はそう答えた。
 下田は求道が殺し屋だということを理解している。その上で突拍子もない依頼をしてきたのだ。

 「…っ、だったらなぜ俺にそんな依頼をする。護衛なら俺より役に立つヤツがいくらでもいるだろう」
 「それについては私、白崎が説明させていただきます」

 困惑する求道に対して口を開いたのは、またしても下田ではなく老人のほうだった。

 「……求道様には、この町に巣食う反社会組織に協力する殺し屋を抹殺していただきたい」
 「詳しく話を聞かせて貰おうか」

 白崎のひと言は、後ろ向きだった求道の気持ちを一気に前へと手繰り寄せた。

 「では、私のほうから事情と経緯を話させていただきます」

 白崎の説明はこうだ。
 数ヶ月前、下田の父が亡くなり、そこで暮らしていた下田の娘、下田美沙希は、今まで通っていた高校に通い続けるのが困難になった。そこで下田はちょうど自身の活動拠点にしようとしていた笹森町の高校に娘を編入させることにした。
 しかし、ここで大きな問題がひとつあった。

 笹森町の治安である。

 笹森町には反社会組織が二つあり、両者は数年前から抗争状態なのである。

 「……『緋箆あかべら』と『明鏡會めいきょうかい』か」
 「ええ、美沙希様は他でもない光正様のお嬢様、一般の方よりも遥かに事件に巻き込まれやすい。そこで、光正様は二つの組織を潰すことにされたのです」

 下田のぶっ飛んだ思考回路は求道にはどうも理解出来そうにない。
 殺し屋を殺す依頼、非常に危険なミッションだ。下手をすれば求道の命はない。

 「目には目を、殺し屋には殺し屋を。この依頼はこの町の反社を潰すための第一歩だ」

 しばらく黙っていた下田は、そう言って求道の瞳をじっと見つめる。

 「一億……いや、娘の護衛もしてもらえるのなら二億出そう。引き受けてもらえるか?」
 「二流の殺し屋に二億も出すか、流石は一流の金持ちだな」
 「数々の逸話をもつお前が二流なら、他は全員三流だ。どうする求道。引き受けるか」
 「殺しの依頼なら断る理由はない」
 「契約成立だ」
 
 下田の依頼は、長年の殺し屋生活でいつの間にか求道の心から消えていた
「挑戦による不安や恐怖からしか味わうことのできない快楽」
 を思い出させるには充分だった。

 
 
 
 

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